第25話 ルカーシュの気持ちと試験当日
「ルカーシュサマ、キョウモ、ナニモナカッタ」
「トレント、いつもありがとう」
試食会が終わり、料理長も客たちも皆帰っていった。
俺は、毎日の閉店後の日課である庭の見回りをしていた。表のバラやラベンダーに声をかけ、大葉やナスなど、畑の野菜にも何か変わったことがなかったか聞き取りをする。
最後に裏庭に周って、トレントと話をして見回りは終了だ。
それにしても料理長が来てから、この店は本当に様変わりした。
店の見た目もそうだが、たくさんの人たちが店に来るようになって、庭の植物たちも皆喜んでいる。
料理長は年下だけど、お客様のことを一番に考える姿勢は、見習いたいと俺も思うようになっていた。
見回りの最後にトレントに声をかけると、トレントがニヤリと笑った。
他の植物たちより、こうやって感情を表情に出してくれるトレントは、本当にかわいい。料理長がたまにトレントを見て顔を顰めているから、そこだけは共感できないかな。
「あれから、あのアリスと猫は来てない?」
トレントは、枝を揺らして頷いた。
アリスは二度、この店に侵入を試みている。
俺は、庭の植物たちの報告で、その一部始終を正確に把握していた。
アリスが何を考えて、この店に侵入しようとしているのかは不明だが、アリスが料理長に敵意を抱いていることだけは、よく分かっていた。
料理長を嫌う人間は、俺にとっても敵だ。
例え、アリスと面と向かうようなことがあっても、俺がアリスと話をすることはないだろう。
そして料理長も、どうも俺とアリスを遠ざけようとしている節がある。
料理長が心配だから、学園について行きたいと言った時、反対されたのは、たぶんそのせいだ。
料理長のことを考えていると、この間のデートでのことが頭に浮かんだ。
俺のために服を選んでくれた料理長。
恥ずかしそうに頬を染め、マネキンの後ろに隠れた姿を思い出すと、今でも鳥肌が立つ。あれを無理やり引っ張って、顔を近づけたら、どんな反応をするだろう。また、逃げ出してしまうんだろうか。
「ルカーシュサマ、タノシソウ」
思わず笑ってしまっていたみたいで、トレントに指摘されてしまった。
俺は、トレントの幹をそっと撫でた。
大丈夫、焦らなくていい。
料理長は、俺に気がある。あれだけ顔に出ているんだから間違いない。
ゆっくり、ツタが絡みつくように、俺から逃げられないようにすればいいんだ。
また、頭の中に料理長の顔が浮かんで、笑いを堪えるのに口元を押さえた。
もしかしたら、料理長がアリスと俺を遠ざけようとしているのも、料理長が俺に気があるせいかもしれない。
料理長は、前の婚約者をアリスに取られたから、それで警戒しているとしたら……
今度は、嬉しさでぎゅっと胸が痛くなって、その場にしゃがみこんでしまった。
料理長が俺をアリスに取られないようにしていると思うと、たまらなく愛おしかった。
もうこうなったら、どんな手を使おうとも料理長と結婚したい。
そのためには、料理長を聖女にして、次の婚約をなんとしても延期する。
身分の差はあるが、一年間の聖女巡礼の旅の間に、俺が料理長と結婚する方法を探し出してみせる。
きっと料理長の気持ちも、同じのはずだ。
「待っててくださいね、料理長。あなたのことは、俺が必ず聖女にしますから」
* * *
――迎えた聖女選定試験当日。
私は緊張した足取りでルカーシュと並び、王都の街を歩いていた。
私は学園の制服姿で、ルカーシュは森の恵み亭で着ている白シャツとモスグリーンのベスト姿である。手提げのカバンには、それぞれ料理用のコックコートを詰めてきた。
街の中には、稲穂の円環と八芒星の飾りが至る所に吊るされ華やかだ。来月に迫った聖女巡礼祭の飾りつけがもうすでに街中を包んでいた。
前世でいうところのクリスマスの雰囲気にも似ている。
「大丈夫ですか、料理長。顔色が悪いですよ」
「仕方がないでしょ……昨日、緊張して眠れなかったんだから」
この試験で私の未来が決まると思うと、昨日の夜は、いつまでたっても眠ることができなかった。
聖女巡礼祭の飾り付けを眺めながら歩いていると、私たちはいよいよ大聖堂前広場に足を踏み入れた。
広場には、パブリックビューイングが特設され、大きなモニターの前にたくさんの人たちが詰めかけていた。
聖女選定試験は、教会関係者や王族といった限られた人しか観覧することはできないのだが、カメラでその詳細が収録され、生放送で国民に配信される。
うちの父とナタリアも今頃、公爵家使用人一同と自宅のテレビにかじりついていることだろう。
広場には、朝っぱらだというのに、近くの屋台でビールを買って飲んでいる人もたくさんいる。人を酒の肴にするな。
「大丈夫ですよ、料理長。料理長の料理は、国一番です」
「ルカーシュ……」
ルカーシュは、私に向かって励ますように優しい笑顔を向けてくれていた。
人前に出るのが嫌いなルカーシュが全国民に見られるような試験にまで付き合ってくれたのだ。そのことを考えると、じんと目頭が熱くなった。
ルカーシュだって、勇気を出してくれたんだ。私が挫けてどうする。
「ありがとう、ルカーシュ。一緒に頑張ろうね」
ルカーシュと広場かは大聖堂へ続く階段を一気に駆け上がった。
階段を駆け上がった先。開け放たれた大きな門をくぐるとそこは庭園になっていた。芝生で囲まれた中央には、入ってきた門から奥の大聖堂まで白い石畳の道がまっすぐ伸びていた。そこに立つ黒の祭服の男が私たちを見て頭を下げた。
「あ、あなたは――」
「ソフィア・ルーヴェン様、先日は美味しいパングラタンをありがとうございました」
頭を上げた祭服の男の顔には、見覚えがあった。
少し長さのあるくせ毛の黒髪に、疲れが溜まったような目。
一週間ほど前の寒い日に、二人組で森の恵み亭にやってきた客の一人だと、私はすぐに気がついた。
「……教会の方だったのですか?」
「黙っていて申し訳ありませんでした。助祭のルドルフです」
「うちの店に来たのは、偶然ですか?」
「いいえ」
ルドルフの口元は、わずかに笑みを含んでいて悪びれる様子はない。
ルカーシュが私の耳元で、「調べられていたのかもしれませんね」と囁いた。たぶん、そういうことなのだろう。
「本日は、私がソフィア様の案内係をさせていただきます。さっそくですが、一次試験会場へご案内いたします」
一次という言葉が引っかかった。
一次があるということは、普通に考えて二次試験もあるということだ。
試験要項には、「トマトと肉を使った麺料理」としか書かれていなかったが、一体なにをさせられるというのか。
ルドルフの足は、教会の大聖堂には向かわず、芝生の庭へと進んで行った。
教会の庭を囲むように高い塀があり、ここからは王都の街が全く見えない。さっきまでの外の喧騒が嘘のように、ここは静まり返っていた。
大聖堂を右手に見ながら、脇の庭を進んで行くと庭の中に大きなガラスの温室が現れた。
温室の前には白い天幕が三つ立っていた。
天幕の一つの前に来た時に、ルドルフが頭を下げた。そこにいた人たちと目が合い、私も慌てて頭を下げ、ルカーシュもすぐに倣う。
そこにいたのは、国王陛下と王太子のオスカー、それにアンセルモ大司教だった。
先に声を発したのは、国王陛下だった。
「面を上げなさい。ソフィア、聖女候補に選ばれたと聞いて、驚いたよ」
私は、ゆっくりと頭を上げた。
ちらりとオスカーを見ると、やつは、ふんと鼻で鳴らして、そっぽを向いた。
アンセルモ大司教は、白いふわふわの髭を撫でながら、機嫌よく微笑んでいる。
「君の活躍に期待している。頑張ってくれ」
「ご期待に添えますよう、尽力いたします」
陛下は、本心から言ってくれているようで、微笑んでいた。一時は、私も陛下が未来の義父になるのだと思っていたから多少の情がある。きっと陛下も似たような気持ちなのだろう。
「ソフィア様、どうぞこちらへ」とルドルフが案内を再開したので、私とルカーシュはもう一度頭を下げてから従った。
移動しながら、試験で何をするのか考えた。
審査員のアンセルモ大司教と来賓の国王陛下と王太子があそこにいたということは、一次試験の会場は、この温室ということか?
三名がいた天幕から少し離れた隣。もう一つの天幕の幕は閉じていて誰がいるのか分からない。
私とルカーシュが案内されたのは、そのまた隣、一番端の天幕だった。
「こちらがソフィア様とアシスタントの方の控室です。どうぞ、中へお入りください」
ルドルフに言われて中に入ると、中には机と鏡台、着替えに使うのであろう衝立が置かれていた。
机の上には、鮮やかなコバルトブルーの作業着が二枚並んで置かれていた。
「これは?」
「一次試験の際に着用していただきたい作業着になります。試験時間になりましたら、お声がけいたしますので、それまでに着替えておいてください」
そう言うとルドルフは、天幕から出ていった。
ルドルフが出ていくと、ルカーシュは、困惑した顔で作業着を手に取った。
「なんのための作業着だと思いますか? 料理長」
ルカーシュの疑問は、当然だ。
私だって分からん。
私たちは、試験課題の『トマトと肉を使った麺料理』という文言を読んで、料理を作るのだとばかり思って、準備をしてきたのだから。
「……あくまで予想だけど、すぐそこに温室があったでしょ? あそこで何かさせられると考えるのが自然じゃないかしら」
どちらにしても、考えても分からないのだから仕方がない。
「とにかく、作業着に着替えろって言うんだから、着替えてしまいましょう」
私は、持ってきた荷物を机に置き、学園の制服のジャケットだけ脱いで、その上から作業着を着た。下ろしていた長い髪を頭の高い位置で一つ結びにする。
ルカーシュも今着ている森の恵み亭の制服の上から作業着を着た。
着替えが終わったころ、程なくして天幕の外から、「お時間です」というルドルフの声がした。
私とルカーシュは、顔を見合わせ、頷き合ってから天幕を出た。




