第2話 ヘンズル食堂は、呪いの館
待ちに待った放課後。
授業が終わった私とナタリアは、王都の街へ飛び出した。
いつもは馬車で移動することがほとんどだが、今はナタリアと二人で石畳の道を軽快に歩いている。
秋の冷たい風。道の脇に植えられている街路樹の紅葉の香りが鼻を抜けて、なんだか清々しい。海外の街でも旅行している気分だ。
「お嬢様、目的地はどちらですか?」
「学園区にある鐘楼通り十八番地よ」
「そこに何があるのです?」
私は歩きながら、簡単に作戦をナタリアに打ち明けた。
乙女ゲーム『祝福のレシピ』には、ヒロインに食材やアイテムを売ってくれる魔法使いのNPCがいるのだ。
そのNPCから買った食材を使わないとクリアできないイベントも多い。
「なるほど、先にその魔法使いを始末するのですね!」
「違う! 物騒な考えは、一回捨てて、ナタリア!」
私はごほんと咳払いしてから、説明を続けた。
魔法使いは、黒いマントのフードを目深にかぶり、ゲームでは学園の前をふらふらしている怪しい存在だが、実は裏設定がある。
私はゲーム飯を忠実に再現するために、前世では『祝福のレシピ』のファンブックまで買っていた。
ファンブックの情報によるとその魔法使いは、元々は自分の店を持っていたというのだ。しかし、店が経営難で潰れてしまい、学園の前をふらふらして日銭を稼ぐようになる――という設定付きのキャラクターなのである。
「つまり、どういうことです?」
首を傾げるナタリア。
「その店がつぶれる前に、私たちで店を再建してしまうのよ」
そうすれば、魔法使いが学園前をふらふらすることもなくなる。
ヒロインが魔法使いと出会えなければ、攻略は失敗。
断罪回避で私の勝ちとなるはずだ。
学園前の大通りを数本内へ入った細い路地の先。
目的の建物は姿を現した。
「なに……これ……」
私はもう一度店の斜めになった看板を確認した。
『ヘンズル食堂』
間違いない。ファンブックに書いてあった店名そのままだ。
「お、お嬢様。本当にここに入るのですか?」
隣のナタリアもごくりと唾を飲む。
ナタリアが怯えるのも無理はない。
いつ手入れをしたのか分からないほど、黒い不気味な植物が生い茂る庭。
その奥には、黒いツタがびっしりと巻き付いた家。
清々しい秋の天気がここだけどんよりの曇っているような陰鬱さだ。
食堂と言うより、お化け屋敷かドラキュラの家とでも言った方が納得できそうな外観だった。
「潰れるとは書いてあったけど、こんな店だったなんて……ファンブックには書いてなかった」
私はぱちんぱちんと両頬を叩いてから、ギィっと音の鳴る木製の門扉を押した。
「お嬢様」
ナタリアが私の制服の端を掴んで、首を横に振った。
「怖いなら待ってなさい。私は一人でも行く」
苔が生える湿った庭に、私は一歩足を踏み出した。
恐る恐る苔むした庭を進む。
石畳の小道には、さっとトカゲが走って、私は飛び上がるほど驚いた。
「待ってくださいよ!」
ナタリアも震えながら後ろをついて来た。
ぴったりと私の腕に引っ付いて離れない。
「大丈夫、ナタリア。あなたのことは、私が守るわ」
「お嬢様……」
今生では、ナタリアにかなり世話になっている。
いざとなれば、私が盾になって、ナタリアを逃がすくらいの気持ちだ。
私とナタリアが何も出てこないのを確かめながら庭を進んでいると、たまたま通りかかった子供に指を指された。
「ママ、見て! 呪いの館に人が」
「し! 見ちゃダメよ!」
母親が子供を抱きかかえて、逃げていった……
なんだよ、呪いの館って……
苔の庭を越え、たどり着いたのは、小さな二階建ての洋館だ。
黒いツタの隙間からは、岩を積んだ壁がかすかに見える。
手すりのついた階段を上り、柱のついた玄関ポーチに入ると温度が一段下がったように感じた。黒い木製の扉を深呼吸してからノックする。
「どうぞ……」
中から生気のない男の声がして、私とナタリアは顔を見合わせた。
黒い金属のドアハンドルに手をかけて扉を開ける前に、内側から扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
「ひっ!」
ナタリアがすぐに悲鳴をあげて、私の後ろに隠れた。
中から出てきたのは、黒いマントを羽織り頭にも黒いフードをすっぽりかぶった長身の男だった。華奢だがすっと背が高く、それだけで威圧感がある。私とナタリアは、男を見上げる形になった。
この黒いマントにフード――間違いない。この男が魔法使いだ。
「あなたが……ルカーシュ・ヘンズル?」
ゲームでは、ただの『魔法使い』としか説明されないNPC。
ファンブックには、ルカーシュ・ヘンズルという名前が小さく書かれていた。
「はい、そうです……お客様ですか?」
「えぇ」
私がそう言い終わるか終わらないうちに、扉が大きく放たれた。
「歓迎します! あぁ、いつぶりのお客様だろうか!」
魔法使いは、私とナタリアの背後に素早く回り込み、背中を押して店の中へ押し込んだ。
「う!」
店に入った瞬間に、私は制服の袖で鼻を覆った。
窓もツタに覆われ、外の日差しが窓からかすかに入るだけの薄暗い店内。
カウンターには、いかにも魔法使いの屋敷ですと言わんばかりのぐにょぐにょに溶けたろうそくが並んでいた。
テーブル席が四組。カウンター席が六席の小さな店だが、客は私たち以外誰もいないし……なんだか変な匂いがするぞ。何かを焦がしたような不快な匂いだ。
私がすんすん鼻を鳴らしていると店主が嬉しそうに手もみをする。
「気がつかれましたか? お客様」
「この匂い……なに?」
「新作のスープを作っていたところだったんです! よければ試食していってください! サービスします!」
いやな予感がしたが、見た目に反して無邪気な反応をする店主に気圧されて、私とナタリアはカウンター席に腰掛けた。
カウンターテーブルは、木をそのまま伐り出したような立派な無垢材だったが、今はその木目すらも店内の不気味さに拍車をかけていた。
魔法使いはカウンターの奥のキッチンへ入った。銅鍋をぐるぐるとお玉で回すと中には黒い何かがぐつぐつと煮だっていた。それをお玉で木製の皿に二つよそい、私とナタリアの前に並べる。
黒い謎のスープが私ににっこり微笑んで見えた。
……これを食べろと?
「どうぞ! 今回は自信作なんです!」
スプーンを差し出され受け取るが口に入れる勇気がわかない。
横のナタリアは、もう涙目で完全に戦意喪失状態だった。
仕方ない。私が食べるしかない!
一口すくって口に入れるがすぐに後悔した。
「にがーい……」
もうお口の中が地獄。粉薬を水で飲まずに口に入れておいたみたいな味だ。
「でも、お客様! 魔力強化の効果が付与されてます! 何か魔法を使ってみてください!」
魔法……?
「……ヒール」
私は自分の口のしびれを何とかしたくて、回復魔法を自分の口に使った――が回復魔法の光が部屋中に広がって、飛び上がった。横にいるナタリアは驚きでスプーンを落とした。
いつもの私の回復魔法は、こんなに広範囲に広がったりしない。
「なにこれ!?」
魔法使いは腰に手を当てて、「良薬口に苦しです」となんだか得意げだ。
だけど、私はこの味にどうしても納得できなかった。
「ちょっと避けなさい」
がたんと立ち上がり、魔法使いを押しのけてキッチンへ入る。
キッチンの生ごみ用のごみ箱には、玉ねぎの皮が大量に捨てられていた。
「あなたが今、私に出したのは、オニオンスープで間違いないわね」
「な、何を言っているんですか、お嬢様。こんなダークマターがオニオンスープなわけ――」
「え! すごい! どうして分かったんですか? 俺の作った料理を当てられたのは、あなたが初めてです!」
ナタリアの言葉に被せるように魔法使いは喜んだ。
この世界で料理は、どんなものでも《《特殊な効果》》がつく。一般人が作った普通の料理にも、ちょっとした回復効果がつくのが普通だ。
そして私は知っていた。最も魔力強化の効果を出す食材がトンガリオニオンという種類の玉ねぎだということを。ルカーシュがゲームでその食材をヒロインに売っていたこともだ。
だけど、このスープは――
「許せん……こんな物、オニオンスープなんかじゃない」
「え……」
ゲームで見た、このトンガリオニオンを使って作ったスープは、もっと澄んだ色をしておいしそうだった。
こんな味なんだろうって想像を膨らませて、このオニオンスープを再現していた私にとって、こんな黒いスープはどんなに効果が高くても、絶対に許せない!
「お前は、そこに座ってなさい! 私が本物のオニオンスープがどんな物か作ってあげる!」
私は、銅鍋の黒いスープを容赦なく流しに捨てた。
「ぎゃー! 闇のオニオンスープが!」
魔法使いの悲鳴を無視して、さっさと銅鍋を洗う。
奥の冷蔵庫を開けて見ると、オニオンスープの材料のトンガリオニオンが入っていた。
私はすぐにトンガリオニオンを一個取り出す。
まな板にトンガリオニオンを乗せるとナタリアが息を呑んだ。
「お嬢様! お嬢様は、包丁が――」
「……大丈夫よ」
前世の記憶が戻るまでの私は、包丁が握れなかった。
包丁を見るだけで、幼い日の記憶が頭の中を駆け巡った。
幼かったある日、私は母と二人で王都に買い物に来ていた。
なんの特別なことのない、ただの日常で、いつもと変わらず母と帰るはずだった。
だけど、私が母と家に帰ることは、二度となかった。
買い物が終わって、馬車に乗ろうとしていたところを急に強盗に襲われたのだ。
強盗は、幼い私を人質にでも獲ろうとしたのか、ナイフを持って私へ向かって走ってきたが、それが私に突きつけられることはなかった。
私を守るために、咄嗟に前に出た母がナイフで刺されたからだ。
それ以来、私は刃物を持つことができなくなっていた。
ナイフスタンドに立っている包丁を見るだけで、こうして過去が蘇る。私の額には冷や汗が浮かんでいた。
私は、意を決して、キッチンのナイフスタンドから包丁を一本抜いた。
心臓の鼓動がどくどくと早くなり、胸が苦しい。
手にかいた汗で包丁の柄が握りにくい。
私は、ふぅっと長く息を吐いた。
――大丈夫。今の私なら分かる。
前世でだって、何度も使ってきたじゃない。
これは、誰かの命を繋ぐ食事を作るための、ただの道具。
心臓の鼓動が少しずつ調子を取り戻した。
私は包丁を握り直して、トンガリオニオンの両端を切り落とした。
「お嬢様!」
訳が分からず混乱する魔法使いをよそに、ナタリアは感嘆の声を上げる。
「待ってなさい。私が今、最高に美味しいオニオンスープを作ってあげる」




