第1話 前世は、ゲーム飯再現が趣味でした
頭が、痛い……
ベッドの中で震えながら、自分の額に手の甲を当てた。額はじっとりと汗ばみ、かなり熱い。見上げた先、ベッドの天蓋がゆらゆらと揺らいで見えた。
きっと、さっき雨の中を傘もささずに走って帰ってきて、風邪でも引いたのだ。
瞼を閉じるとすぐに、体が真っ暗な夢の世界へと落ちていった。
授業が終わった放課後のフェルゼン魔法学園。
殆どの生徒が下校した静かな廊下に私は立っていた。目の前には、生徒会室の白い扉。
あぁ……これは、今日の昼間にあったことだ。
ショックで家に逃げ帰ってきたのに、夢でも同じ光景を見なきゃいけないなんて笑ってしまう。
私、ソフィア・ルーヴェンは、この扉の向こうに何が待ち受けているのかが分かっていた。
そっと扉を開け、私は昼間の記憶を夢でなぞった。
「オスカー様……?」
部屋の奥の執務机。大きな窓を背にして、ぴったりとくっつくようにして座っていた二人。互いに見つめ合う眼差しは、熱を帯びていた。
一人は私の婚約者。王太子のオスカー・ヴァルデリオン。
もう一人は、知らない女子学生だった。
二人は私の言葉でやっと私に気が付き、ぱっと距離を取った——が、オスカーは、はっきりと舌打ちをした。
「……ソフィア。今日は、戻ってくるのが早かったな」
オスカーは、手櫛でブロンドの前髪を梳かし、前髪を見るふりをして、そのサファイヤブルーの瞳を私から逸らした。
「忘れ物をしたもので……殿下、そちらのご令嬢は? 二人きりなんて……」
愛して止まない婚約者が他の女子生徒と二人。
その時の私は、ショックと悲しみでスカートの裾を掴んだ。
オスカーの隣で慌てて制服のネクタイを整えだしたのは、どこか既視感のある女子学生だった。ロイヤルブルーのジャケットは、どこか真新しい。
可愛いチョコレート色の髪に、桃色の瞳。
白く澄んだ肌にうすく赤みのさした頬が可愛らしい女子学生だ。
何度も見た顔な気がするのに、どうしても彼女が何者なのか分からない。
「初めまして、ソフィア様。私、転入生のアリス・メイベルです」
名前を聞いた瞬間、ずきんと頭が痛んだ。
アリス・メイベル……
今日の昼間にこの光景を目にしたときは、全く思い出せなかった。
だけど夢で再生されている今なら、この女子生徒が誰だかなぜか分かった。
私が死ぬほどハマった乙女ゲーム『祝福のレシピ』のヒロインで聖女だ。
ん? ゲームって?
頭の中に靄がかかったみたい、すっきりしない。
オスカーの机の上には、仲良く食べさせていたのであろう手作りのクッキー。
チョコレートとバニラの市松模様になっているアイスボックスクッキーで、形が少しコロンと丸くなっているのが特徴的だ。こちらまで、バニラとココアの甘い香りが漂ってくる。
このレシピには、間違いなく《《覚え》》があった。
私が机の上のクッキーを注視していると、それに気がついたオスカーがふんと鼻で笑った。
「これ、彼女が僕のために作ってくれたんだ」
「え……」
この世界で料理は、《《特殊な効果》》がつく。
だから貴族でも、恋人や婚約者で作った料理を贈り合うのが普通だ。
私だって、何度も彼に作りたくて挑戦した。
「すごく美味いんだよ。お前はいつになったら僕になにか作ってくれる日がくるんだろうな」
昼間の私は、この言葉が耐えられなくて生徒会室を飛び出した。
私は、料理ができなかった。
包丁を見ると、母が殺された日のことを思い出してしまうから。
幼少期のトラウマがよみがえり、どうしても包丁を握ることができなかった。
愛するオスカーに料理を作れない自分も不甲斐なかったし、私が包丁を持てないことを彼が理解してくれていなかったことが胸を刺さった。
気がつけば私は、雨が振りしきる王都を一人で走っていた。
雨と一緒に、頬を涙が伝っていた。
走っていると、また頭がずきんと痛む。
夢の景色がぐるんと反転した。
一人暮らしのアパート。
私は、テレビをゲーム画面にして、キッチンに立っていた。
テレビには、笑顔でクッキーを食べるオスカーの顔。
――そうか、 すっかり思い出した。
これは、私の前世の記憶。
大葉桜だった時の記憶だ。
「えー、尊い! このクッキー、絶対再現してみせる!」
私は前世でゲーム飯再現が趣味だった。
数々のゲームのゲーム飯を再現し、SNSに投稿するのが私の生きがいだった。
死ぬ間際、寝る間も惜しんで再現にハマったのが乙女ゲーム『祝福のレシピ』。
ヒロインのアリス・メイベルは、聖女だけの魔法である「祝福のレシピ」という魔法を習得する。
その魔法で作った料理を攻略対象に食べさせて、攻略対象を強化したり、回復させたりする。そうすることで、攻略対象との仲も深まっていく。これは、そういうゲームだった。
なぜこんなにもハマったかというと、このゲームはイケメンキャラのビジュアルもさることながら、出てくる料理がリアルだったのだ。
作中に出てくる料理は、全て実際に調理した本物の料理画像をグラフィック化したもので、仕事から帰ってきてプレイすると、それだけで腹の虫がなる危険なゲームとして数々の女子たちを唸らせた。
そんなもの、ゲーム飯再現が趣味の私がはまらないはずがないのである。
私は、退勤後、毎日このゲームのゲーム飯再現に没頭した。
ただ、本格的な料理も多いこのゲーム。
毎日それを再現しているうちに私の疲れはたまり、重い風邪ももらい、ぽっくり。
享年、28歳。未婚。
彼氏なし。実に無念である。
ゲーム好きの彼氏でも作って、私の再現したゲーム飯をごちそうしたいという夢は、儚くも砕け散ったわけだ。
そして、なんの因果か、私は乙女ゲーム『祝福のレシピ』の悪役令嬢、ソフィア・ルーヴェンに転生してしまったようだ。
死ぬ間際にも、ゲームしてたから?
理由は分からん。
「もう! どうせ転生するなら、ヒロインの方にしてくれれば良かったじゃん!」
私は、自分の大声とともにベッドから飛び起きた。
途端横で、バリンと大きな音がした。
音のした方へ目をやると、ベッドの横で侍女のナタリアが陶器の水差しを床へ落としていた。
白のヘッドドレスの横から、赤毛のくるんとした短いくせ毛の一束がはらりとナタリアの顔にかかった。
「だ、旦那様! お嬢様がお目覚めになりました!」
ナタリアは、落ちてしまった水差しを拾うことなく、風のように部屋を飛び出していった。
なんであんなに慌てていたのか……
私はもぞもぞとベッドを出た。
いつものシルクの寝間着がなんだか重く感じた。
割れてしまった水差しを踏まないようにして、ボルドー色の絨毯の敷かれた柔らかい床に足を降ろす。裸足のまま、ベッドの前の鏡台の椅子に腰かけた。
「やっぱり……悪役令嬢だ」
鏡に写った自分の姿を改めて確認する。
腰にかかるほどの長いミルキーブロンド。
アクアマリンのような澄んだ青い瞳は、少しだけ吊り上がり気の強さを強調していた。白くきめの細かい肌は、部屋の明かりを綺麗に反射させ輝いていた。
「でもよく見たら、普通に美人ね」
前世でゲームをプレイしていた時は、料理再現に夢中で悪役令嬢の顔なんかじっくり観察しなかった。こんな顔だったのね……
今、鏡に写っているのは、まごうことなき美女。
本来なら、こんな美女に転生させてくれた神様に涙を流して感謝するところだが、それが悪役令嬢ソフィア・ルーヴェンだとそうも言っていられない。
私は、これからのことが不安になって、肩を落とした。
「ソフィア!」
どんと扉をあけ放って部屋に飛び込んできたのは、父だった。すぐ後ろにさっき出ていったナタリアも一緒だ。
息を切らして入ってきたところを見るに、相当慌てていたのだろう。
父はまっすぐ私のところまで走ってきて、そのまま私を抱きしめた。
「お、お父様!?」
「良かった、ソフィア……目覚めてくれて……」
目覚めてくれて?
「あの……私って、どのくらい寝ていたのですか?」
「三日だ。高熱でずっとうなされ続けていたのだぞ」
三日も……そりゃあ、こんなに心配するのも頷ける。
それとソフィアの母は、ソフィアが幼いころに亡くなっている。それもあって、父は一人娘のソフィアをとても大事にしているのだ。
「寝ている間も、『ゲーム飯……』とか『断罪される……』とか変なことを口走っておってな。悪霊にでもとりつかれたんじゃないかと心配したんだぞ」
「あ……」
完全に聞かれている……
「ソフィア、何か悩んでいることがあるなら言いなさい」
「お父様……」
後ろでうんうんとナタリアも頷くが、私は二人の反応に内心かなりびくびくしていた。
というのも、『祝福のレシピ』でソフィアが断罪されるのは、ソフィア本人より、この二人が原因というところが大きいからだ。
ゲームでは、実は悪役令嬢のソフィア自身がヒロインのアリスに何かしたことは一度もない。
主が悲しんでいる姿を見てアリスに数々の嫌がらせをするのは、侍女のナタリアだし、かわいい娘が泣いているのを見て、王太子とアリスに暗殺者を送るのは、この父なのだ。
二人は、ソフィアを狂信的に愛しているのである。
そして、ヒロインがどの攻略ルートに進もうが、ソフィアはこの二人もろとも断罪され、死罪になる。
心配そうに覗き込む二人の顔を見て、私はぶるりと身震いした。
ここでなんとか誤魔化して、この場を言い逃れることもできるかもしれないがリスクが大きい。私の気がつかない所で、二人がヒロインや王太子に危害を加えるようなことがあれば、その時点で詰む――私の人生が。
ここは二人に、ヒロインと王太子のことや私が知っている前世の知識も全て打ち明けたうえで、変なことをしないように釘を刺しておかなければ……
私は、聖女のアリスが王太子殿下と二人きりで過ごしていたことや前世のゲームの話を掻い摘んで二人に説明した。私が断罪され、死罪になるところも重要なので、そこはしっかりと。
父は、私の向かいの席で顎に手を当てていた父の額に青筋が浮かんだ。
「王太子……前々から気に入らないと思っていたが、ついに他の女に手を出すとは……やるか?」
「やるって何をですか!? やめてください!」
父の顔は笑っているが、そこが逆に怖かった。
「私が、自分でなんとかします! お父様は絶対に手を出さないでください!」
父は私に怒られて、少しは反省してくれたのか、シュンとした。
しかし、父もナタリアもよく私の前世の話をすんなり信じてくれたものだ。
愛の力か?
もしかしたら信じてはいないが、私の言うことだからと聞いてくれているだけなのかもしれない。なんにせよ、第一関門突破ということにしておこう。
「お前がそこまでいうのなら、何もしない……ただ、せめて金だけは持っていってくれ」
「……かね?」
父は大慌てで大きな革袋を持ってきて、どさっとテーブルの上に乗せた。
「金貨百枚ある。何かあったら、この金でプロを雇いなさい」
なんのプロかは、もう聞かない……
「……ありがとうございます」
父にヒロインと王太子が殺される前に、自分でなんとかしなければ――私は、そう固く決意した。
* * *
――翌日。私とナタリアは制服を着て、朝から学園へ登校した。
ナタリアも実は男爵令嬢で、我が公爵家に奉公に出てきているので学園への入学を許可されている。ナタリアのロイヤルブルーのブレザーの襟には、私と同じ高等部三年生を表す赤いバラの校章が光っていた。
青銅のアーチの校門をくぐり、校舎へ続くレンガの道を歩いているとなんだか他の生徒の視線が痛い。理由は分からないが、間違いなく見られている。
「ソフィア様。病み上がりなのですから、やはりお休みになった方が良かったのではないですか?」
「そうも言ってられないわよ、ナタリア」
学園に通わないとヒロインが何をしているのか全く分からないことになる。
自分の命がかかっているのだから、ヒロインの攻略状況を確認しないことには、安心できないじゃないか。それに――
「何か、作戦があるのですね、ソフィア様」
ナタリアが私に顔を近づけ、にやりと笑う。
「えぇ、もちろん」
私は、物騒じゃない解決方法をしっかりと思いついていた。
「作戦決行は、学園が終わった放課後よ」
この作戦が上手く行けば、そもそもヒロインの攻略は、一つも進まなくなる。ヒロインの攻略が失敗すれば、断罪の心配はいらない。
フフフとほくそ笑みながら、颯爽と歩いていると、校舎の前に一際目を引く一団がいた。
「そ、ソフィア様……」
聖女のアリスだ。私を見るなりびくびくする姿は、なんだか腹立たしい。
私は何もしてないんだが。
聖女の周りには、彼女を囲むように、王太子や騎士団長の息子、宰相の息子まで勢ぞろいだ。なるほど、聖女アリスは、逆ハーレムルート狙いらしい。
この世界の常人が逆ハーレムだなんて考えること自体が違和感があるから、あの聖女も私と同じ転生者ということなのかもしれない。まぁ、私の断罪に彼女が転生者かどうかは関係ないから、この際深く気にしないことにしておこう。
「なんだその目つきは。アリスが怖がっているだろう」
聖女アリスを守るように前に出たのは、私の婚約者であるはずのオスカーだ。
前までは、あんなに好きだったはずなのに、前世の記憶が戻ったせいか今ではなんとも思わない。私の気持ちは、先日の生徒会室での一件ですっかり冷めてしまっていた。
私は、彼らを完全無視して、横を通り過ぎた。
相手にするだけ、時間の無駄だ。
「ちょ、ちょっと待って!」
私を呼び留めたのは、聖女アリスだった。
「どうして突っかかってこないの?」
振り返ると、アリスは信じられないとでも言わんばかりに目を見開いている。
「興味がないですから」
「へ?」
アリスは、驚きすぎて変な声を出した。
「私はあなたに興味がありません」
私の願いは、断罪を回避して前世の分も長生きすること。
あわよくば、前世で叶えられなかった好きな人にゲーム飯をふるまうという夢だって叶えたい。その相手は、浮気者の王太子では絶対にないのだ。
「それでは、ごきげんよう」
私はそれ以上振り返らなかった。
こんにちは!ポムの狼です!
「料理長は悪役令嬢」をお手に取っていただき、ありがとうございます(*‘ω‘ *)
こちらカクヨムにて、第1回アース・スター文庫キャラクター小説大賞に挑戦中のお話です。
なろうには、宣伝用に1章だけ投稿予定だったのですが、ESN大賞11にも同時応募可能だったことに気がつき、なろうにもちゃんと第一部完結まで投稿しようと思います!
どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m




