第19話 婚約破棄とソフィアの想い
「本当にすまなかった、ソフィア」
「そんな……頭を上げてください、陛下」
白い壁に金の細工が施された王宮の応接室。部屋の空気は張り詰めていて重い。
私と父は、国王陛下とオスカーと向かい合う形で座っていた。ついに婚約破棄の話の席が設けられたのだ。
私と父が席につくと、すぐに陛下が深々と頭を下げたから驚いた。一国の国王が頭を下げることなど、本来ないことなのだ。
オスカーは、隣で国王が頭を下げるのを見てぎょっとした顔をした。
「陛下、謝る必要はありません。悪いのは、ソフィアの方です」
オスカーの言葉に隣に座る父の手の甲に青筋が浮かぶのを見て、私はぶるりと震えた。
「やめんか!オスカー!」
国王が口ひげを引くつかせ、叱りつけてもオスカーの言葉は止まらなかった。
「いいえ、この際だから言わせてください。ソフィアは、包丁を持つのが怖いなどと言い訳して、料理をしてきませんでした。この国では、聖女信仰もあって王族も料理を振る舞う文化があるのにも関わらずです」
言い訳……
オスカーは、私が包丁を持てなかった理由をただの言い訳だと思ってたのね。
とっくの昔にオスカーへの恋心は失せていたが、長年婚約者をしていた人が私のことを何も知らなかったということが信じられなかった。
「僕は、より国母に相応しい相手を探していただけです。何の落ち度もありません」
もうこの人とは、一秒でも一緒にいたくなかった。
それだけは、はっきりした。
「もうそれでいいので、さっさと婚約破棄にサインしてください」
「な!」
私の物言いに立ち上がりかけたオスカーだったが、陛下に肩を掴まれて私を睨みながら座った。
「理由は何にせよ、あなたが浮気をしていたことに変わりはありません。こちらは、相応の慰謝料を請求させていただきます」
私の後ろに控えていたナタリアが素早く卓に書類を出した。
「我が公爵領の隣に王家が管理しているアステル鉱山がありますね。あれを慰謝料として請求いたします」
「な、なんだと……」
オスカーもこれでやっと事の重大さが理解できたのか、動揺しだした。
アステル鉱山は、量は多くないが質の良い魔石が産出できる鉱山で、王家の財政の一端を支えている鉱山でもあった。
動揺するオスカーに反して、陛下は予想していたのか険しい顔のまま静かに頷いた。
「全て飲もう。そのかわり、愚息のしでかしたことは、これ以上広めたりはしないと約束して欲しい」
オスカーは、腑に落ちないと言う顔をしながらも婚約破棄の書類にサインした。
オスカーが乱暴に書類を私の方に寄こし、私もペンをとった。
すっと手を置き、息を吐く。書類の上にペンを押し当てた。
黒く、はっきりと――
書類に自分の名前を書きこんで、これでおしまいだ。
「お前みたいな女。こっちから願い下げだ。清々するよ」
私たちの去り際、後ろからオスカーがそうつぶやく声が聞こえたが、私の心は何も感じなかった。
* * *
案外あっけなかったな……
帰りの馬車の中。私は窓から流れる王都の街並みを眺めていた。
ここ数ヶ月、断罪回避のために奔走してきた。
ルカーシュと一緒に店を綺麗にして、開店準備をして、沢山のお客さんが来てくれて――
婚約破棄になったら、森の恵み亭だって本来なら続ける意味はないが、私は森の恵み亭をこれで辞めてしまいたくはなかった。
「お父様……次の婚約のことなのですが」
向かいの席に座る父は、私の声に微笑んだ。
「どうした? 何か不安か?」
言葉を選んで、何から話せばいいか分からない。
ルーヴェン家には、子どもは私だけだ。
私がオスカーと結婚していたら、何人か子をなして王家を継がない子がルーヴェン家の家督を継ぐ予定だった。
とにかく私は結婚しないといけない。
私の夫となる人が継ぐのか、私の子が継ぐのかは分からないが、ルーヴェン家を存続させるためには、そうしなければいけないのだ。
「何か……決まっていることはあるのですか?」
「いいや。今、婚約破棄したばかりだからな。これから相手を探すところからだ」
それを聞いて、少しだけ息を吐いた。
婚約破棄したばかりなのだから、そう簡単に次の相手なんか決まらないはずだ。
「そうですか」
「安心したか?」
父の言葉に私は驚いて顔を上げた。父には、全てお見通しだったのかもしれない。
ここは、隠さずに相談してみようか。
「……森の恵み亭をやることが楽しいんです」
父は笑顔のまま頷いた。
「花嫁修業だと言えば、嫌な顔をする相手はいないだろう。私は、店をやることに反対はしない」
それが父の感想。
結局、次の婚約が決まるまでの趣味――というのが父の考え方なのだろう。
「……そうですよね」
本当は、結婚なんかしないで森の恵み亭を続けたいと言いたい。
だけど、それがわがままであることをわかっているから言えなかった。
馬車は石畳の道を進みながら、学園区鐘楼通りで停まった。
先に私の隣に座っていたナタリアが馬車を降りて、私に手を差し出す。
私は、ナタリアの手を取って、馬車を降りた。
「今日も遅くなりすぎないように帰ってきなさい」
「……分かりました」
馬車が走り去っていくのをナタリアと並んで見送った。
私はしばらくその場を動けなかった。
「お嬢様?」
ナタリアが不安げに私の顔を覗き込んでいた。
なんでもないわ、と笑顔をつくって、私は歩き出した。
落ち込んでても仕方ない。限られた時間なら、その分今を存分に楽しんだ方がいい。
学園区の石畳の道を歩くと冷たい空気にブーツの足音が響いた。
街路樹の紅葉もすっかりと地面に落ち、湿った落ち葉の匂いがする。季節は冬に移り始めていた。
隣を歩くナタリアが自分の息を手に吐いて、指先を温める。
「今日のメインメニューは、何か温まるものにしようか」
冬の澄んだ空気に、私も白い息を吐きだした。




