第14話 アリスの秘密
「もう、むしゃくしゃする! ゲームの通りにやれば上手くいくって言ったよね!? ネロ!」
アリスは、自宅の自分の部屋で枕を叩いて、苛立ちを爆発させた。
アリスの近くで、コウモリのような羽を生やした小さな黒猫がくるんと宙を舞った。
「僕の魔法は、ちゃんと効いてるはずだよ」
ネロと呼ばれた生き物は、宙に浮かんだまま器用に腕と足を組んだ。
「現にアリスが作った物に僕が『魅了のダンス』を踊ったら、効果があったわけだろ?」
「それは、そうね……最初は、見向きもされなかったけど、オスカーもユリウスもロルフも、私の作ったものを食べたら味方になってくれたし……」
そうだろう、そうだろうと、ネロは満足げに頷いた。
にやりと不気味に笑う猫の顔を見て、アリスはこの世界で前世の記憶が蘇った日のことを思い出した。
アリスは、教会の孤児院で子供たちの世話をして暮らしていた。自身も孤児で平民だ。
そんなアリスが教会の前の庭で洗濯物を干していた時に、このネロと名乗る不思議な生き物が現れたのだ。
『僕は、ネロ。君は選ばれた』
なにを言っているんだと、そのときは思った。
コウモリのような羽は、幼い頃にシスターに読み聞かせてもらった絵本に出てくる悪魔に似ていて、アリスは洗濯物のシーツをぎゅっと握りしめた。
『君には聖女になる才能がある。僕が君の前世の記憶を呼び覚ましてあげるよ』
アリスが何か返事をする前に、ネロのふわふわの短い前足が素早くアリスの額に触れた。
途端、アリスの脳裏に前世の記憶が駆け巡った。
学友たちに馴染めずに、一人で過ごした高校の風景。
寂しさを埋めるようにハマった乙女ゲーム『祝福のレシピ』。
スマホで『祝福のレシピ』の攻略方法を調べていた時に、トラックにはねられたこと。
『……全部、思い出した。これって、異世界転生ってこと……?』
アリスが聞くと、ネロは怪しい笑みを浮かべたまま頷いた。
『そうだよ。君は、選ばれたんだ』
『選ばれた……』
前世では、何もできなかった。
勉強も運動もぱっとしない。
親だって、仕事が忙しいとほとんど相手にしてくれなかった。
友達だっていなかったし、ましてや恋人なんて、夢のまた夢だ。
アリスは、昨日の雨で庭にできた水たまりを見た。
そこには、今生の綺麗な顔が写っている。
ゲームのヒロインと全く同じ顔。
この容姿と前世の記憶が重なった時、アリスのネロへの疑いは、きれいさっぱり消え去っていた。
『私は、なにをすればいいの?』
そこからは、とんとん拍子で事が進んだ。
ネロの言う通りに、『祝福のレシピ』の魔法を使った。
卵を前に「卵焼きになれ」と念じるだけで、卵は卵焼きに姿を変えた。
幼い頃から世話になっているシスターの前でその魔法を使うと、シスターは涙を流して喜んでくれた。
シスターの推薦で、すぐに聖女候補に選ばれた。
部屋だって、今まで他の孤児たちと使っていた共同ではなくなって、教会に個室を用意してもらえるようになった。
そしてフェルゼン魔法学園への入学が決まった。
『ゲームと同じように、攻略対象を攻略して、アリスの味方にするんだ。彼らの推薦状があれば、君は確実に聖女になれる』
ネロは、ことあるごとにアリスにそう囁いた。
アリスもそれを疑うことはなかった。
ぱっとしなかった前世と今生。
それを変えて、全ての人から羨望の眼差しを向けられる聖女という存在にアリスはなりたかったのだ。
(そうよ……私は、なんとしても聖女にならないといけないのよ)
アリスは、自室の部屋のベッドの上で、改めてふんすと意気込んだ。
「でも最近は、ぜんぜん攻略が進まないの! 何を食べさせても、前みたいに喜んでくれないんだもん!」
「……例えば?」
ネロは、金色の目を細めて、顔を顰めた。
「オスカーは、私以外の女とも会ってるみたいだし、ユリウスとロルフも最近は婚約者のことを気にしだしてる。このままだったら、皆私の味方じゃなくなっちゃうよ!」
ネロは、くるくると宙を舞った。これがネロが考え事をするときによくやるスタイルだった。
「『魅了のダンス』の効果に慣れてきちゃったのかもね。僕の魔法も万能じゃない。何か心を動かすような出来事と一緒になると、その効果が最大限発揮されるんだ。例えば、君の料理に感動する――とかね。料理の感動を恋心だと錯覚させてるのさ」
「つまり、なに? 私の料理がへたくそだって言いたいの?」
ネロは、その答えに腹を抱えて笑った。
「へたくそも何も、君は自分で料理をしていないだろう? 全部『祝福のレシピ』の魔法頼みじゃないか」
「し、仕方がないでしょ! 料理なんか、前世でもしたことがないんだから!」
ネロは、パタパタと羽を動かして、アリスに近づいた。
「大丈夫、アリス。君の魔法の腕は一流だよ。魔族の僕が保証するんだから、間違いない。問題はやっぱり、彼らの好物を作るための食材が手に入らないことだね」
「全部、悪役令嬢が悪いに決まってるわ! だって魔法使いがいるはずの店で、悪役令嬢がカフェレストランをしてるのよ! っていうか、悪役令嬢がカフェレストランってどういうことよ!」
アリスは、自分で言っていても訳が分からないのか、枕に顔を埋めて、ゴロンゴロンとベッドの上を行ったり来たりした。
「その悪役令嬢も、君と同じ転生者なんじゃないかな。だから、自分の運命に抗うために魔法使いを閉じ込めてるとか?」
ネロもまたくるんくるんと回ってから、何かを思いついたように前足を打ち合わせた。
「魔法使いに会えないなら、忍び込んでしまおうか」
ここでアリスの動きがピタリと止まった。
「どういうこと?」
「魔法使いを攫ってきちゃおうよ。閉じ込めてる魔法使いを僕たちの手で助け出すのさ。魔法使いに恩も売れるし、食材も手に入るしで、一石二鳥だろ?」
ネロのアイディアにアリスは、ぴょんとベットから飛び上がった――が、すぐに項垂れた。
「あそこには、むちゃくちゃ強いおばばがいるのよ……」
「何も正面から行く必要はない。夜中に裏口からこっそり行こうよ」
ネロとアリスは、顔を見合わせて、二人でニシシと笑った。
* * *
――夜の森の恵み亭。閉店後なので、あたりに人は誰も見当たらない。
どこからか、鳩が鳴く声と秋の虫の声が聞こえた。
「これがアリスの言っていたヘンズル食堂?」
ネロは、プカプカと空を飛びながら、新しくなった看板を観察した。今は、「ヘンズル食堂」の名前は消え、新たに「森の恵み亭」に塗り替えられている。
「そうなの! 名前を変えて隠そうとしてるのよ! 姑息な悪役令嬢だわ」
アリスは、先日教室で自分のことをあざ笑っていたソフィアの顔を思い出して、強く拳を握った。
(待っててね、魔法使い! 私が必ず助け出してあげるわ)
「反対側の通りから裏側に回り込めそうだね。行ってみよう」
アリスとネロは、一本後ろの通りへ移動した。大きな文具屋がそこには立っていたが、脇の路地を通れば誰にも見られずに森の恵み亭の裏手に回り込めそうだ。
木箱の積まれた細い路地を進んだ先、木製の柵に囲まれた森の恵み亭まで出ることができた。ちょうど木製の柵が一部切れているところがあり、アリスとネロは、そこから難なく森の恵み亭の裏庭へと足を踏み入れた。
「……なんだか、少し肌寒いわね」
裏庭に入った途端、アリスは自分の体を抱きしめた。
表の庭と違い裏庭は、なんだか不気味だ。
井戸と曲がりくねった黒い木が一本。黒い木なんか、節の部分が苦しむ人の顔に見えた。表の庭にはあった芝生はなくて、乾いた土がむき出しになっている。
「さっさと行こう、アリス……ここはなんだか気味が悪い」
ネロもアリスの肩にくっついて、小刻みに体を震わせた。
アリスは極力足音を立てないように、恐る恐る建物に近づく。
二階の裏口に続く階段まで、もう数歩と近づいたところで、誰かがアリスの肩を後ろから軽く叩いた。
ひっと短い悲鳴を漏らして、後ろを振り返ると黒い木がすぐ真後ろに立っていた。
「こ、この木、さっきもここにあったっけ?」
入ってきた時は、井戸の隣にあったはずだ。
アリスは、一歩、階段の方へ後ずさった。
その瞬間――
黒い木の人の顔に見えていた部分がニヤリと表情を変えた。
アリスの肩でネロが爪を立てた。
「な、なんで、こんなところにトレント!? 逃げろ、アリス!」
ネロは、そう言うとアリスを残して、びゅんと飛んでいってしまった。
トレントが大きく口を開けた。
「ゴシュジンサマ、ソフィア、ナタリアチガウ。ツカマエル」
「ひぃぃぃ!!」
アリスは、地面に転がりながら必死で逃げた。
トレントの枝が伸びてきて、捕まりそうになったところを寸での所で躱す。
裏庭の木の柵を出るとトレントは、それ以上追いかけては来なかったが、必死だったアリスは、そこまで気がつかなかった。
「もう! どうやったら魔法使いに会えるのよー!!」
アリスの悲痛な叫びが、夜の王都の街に響いた。




