08.従者くん、ドレスを選ぶ
吐く息も凍てつきそうな冬の朝、私は怯えている小さな竜を抱いて、優しく声をかけていた。
「大丈夫、大丈夫だよ」
かさついて冷たい少年の手で、竜の背中を撫でてやる。竜は徐々に警戒を解いて、私の胸にすとんと身を預けた。
「ここはいいところとは言えないから……君の翼が治ったら、すぐに飛んでいっていいからね」
これは夢だ。
そしてこれは、ネロの記憶……転生前の私の記憶を思い出す前の、ネロの記憶だ。
ばたばたと北風を受ける奴隷用のテントの裏。奴隷商のおじさんが近くにいないことを確認してから竜についていた口輪を外す。
厳重、という他ない金属製の口輪を見ると、人と竜は共存できるはずというお母さんの言葉が嘘のように思えた。
人は竜を恐れてる。竜を恐れて、自分の力で御そうと必死に手をこまねいている。その結果がこの竜使いの国・ドラグニア。
「僕思うんだ……人間が竜を愛することなんか、ないんじゃないかなって……」
竜に語りかけると、竜は力なく頷く。
「君もそう思う? そうだよね、その傷、人間に撃たれて出来たって」
「何をしている」
冷たい声にはっと顔を上げると、そこには見慣れない、そしてこの奴隷市場には不釣り合いな男が立っていた。
歳は三十を超えたくらいだろうか。雪を被ったような銀髪、光の反射の見えない冷たい瑠璃色の瞳。仕立てのいいコートに身を包んで使用人を連れているから、恐らく身分の高い人。
「っち、ちがうんです、これはっ、この竜は怪我をしてるから、人を傷つけないからっ……!!」
外した口輪を隠して、小竜を庇うように抱きしめる。頼むから、このおじさんがどこかへ行くまででいいから、大人しくしててくれ。僕の願いは虚しく、竜はかちかちと牙を慣らしておじさんを威嚇した。
まずい、このまま人間に牙を剥けば、この竜は。
「口輪のことはどうでもいい。私はお前に何をしているか聞いている」
声音がひやりと背筋を撫でる感覚がした。
何をしているか、って、どういうことだろう。
「お前、竜と話せるのか」
おじさんの疑問に、僕は「へ」と間の抜けた声を返す。なんでこのおじさん、当たり前のこと言って──いや、違う。人は竜と話せないんだ。お母さんが言ってた。だから、ここは。
「な……なんとなく、わかるだけ、です……」
おじさんはふん、と鼻を鳴らす。そして。
「お前はいくらだ」
「……え」
「お前を買う、と言っているんだ」
こうして、僕は……スカーレット公爵家の従者になった。
朝っぱらから懐かしい夢見ちゃったなあなんて考えつつあくびをすると、エリーゼの「気が抜けてるわよ!」という声が耳をつんざいた。
「ネロ! 今日のあなたの一番大事な任務は私の護衛なんだから、もっとしゃきっとしなさいよね!」
メイドに日傘をささせ、荷物も執事に持たせたエリーゼがふん、と鼻を鳴らして仁王立ちする。その仕草が父親であるスカーレット公爵とめちゃくちゃよく似てて、なんだか乾いた笑いが漏れてしまった。
「何よ?」
「いえ……お嬢様はお父様似だなと……」
「……そう?」
うん、めちゃくちゃよく似てる。一目見たら高飛車で傲慢なんだろうな〜って伝わってくる雰囲気とか。
願わくば、合理主義なところもスカーレット公爵に似て欲しかった。
「お嬢様……舞踏会のドレス買うってんならいつも通り仕立て屋に来てもらうんじゃダメなんですか?」
城下町の中でもドレスや靴、アクセサリーを売る店が並ぶ通りを見渡して、エリーゼに向かって首を傾げる。エリーゼはどん、と胸を張ると、何当たり前のこと言ってるのかと言わんばかりの顔で。
「オスカー様から舞踏会に招待されたのよ! いつもと同じ、お父様の言いつけ通りの服じゃがっかりされてしまうし、あなたの服を見繕うためでもあるんだから!」
そう言った。
話は一週間前に遡る。
「ネロ。今度王宮で開く夜会に来い」
いつも通り私に剣術だの為政学だのを教えるために公爵家にやってきたオスカーが、応接間でもてなしの紅茶を飲むなり急にそんなことを言い出した。
「へっ……え?」
「テーブルマナーも少しは板についてきたようだし、紹介したい奴もいるんだ。なに、夜会と言ってもそう畏まったものじゃない。お母様が趣味で開く……」
「な、なんでネロですの!?」
当然、私の主人でありオスカーの許嫁のエリーゼは納得がいかない。それも当然、オスカーは今まで一度もエリーゼを夜会に誘ったことがないのである。
仮にも婚約者なんだから誘ったれや、と思わなくもないが私が記憶を取り戻す前のオスカーとエリーゼは相当険悪だったし、まあ仕方ない。
「この子は奴隷商から買われた従者なんですのよ!? 生まれからして私たちと違うんです! 主人抜きで夜会に参加なんて身分知らずにもほどがありますわ!!」
お前ほんとそういうとこだぞ! と、言いたくなるのを堪えた。まあ実際エリーゼの言う通りだし、それを分からないオスカーではないからだ。
「お前を誘わないとは言ってないだろう」
オスカーが呆れつつ言うと、エリーゼの顔がぱあっと明るくなる。
「ネロはスカーレット家の従者だからな。お前もいないと示しがつかない」
「じゃ、じゃあ、私も夜会に……!」
「参加しろ。ネロも正装で来るように、お前が見立ててやれ」
正直面倒くさいことこの上ないのだが、私が従者である以上王族であるオスカーに逆らうすべがないのと。
「はいっ! オスカー様の御前に立つのに相応しい姿で行かせていただきますわ!!」
うちのお嬢様がめちゃくちゃ乗り気である以上、私に参加しないという選択肢はないのである。
かといって、城下町に来る必要はなかったんじゃないのか。
いつもドレスっていったら公爵家に仕立て屋が来て、サイズだけ測って、後から公爵が選んだドレスが大量にエリーゼのもとに届く……て形なのに、なんだって今回はわざわざ、と思っていたが。
「そうと決まればまずはドレスね! 行くわよ!」
「ああ、エリーゼ様! 急に駆け出したら危のうございます!!」
荷物持ちの従者を振り払うような勢いで走り出すエリーゼを見て、確信する。こいつ、ドレス選びにかこつけて外に遊びに出たかったんだな……。
気持ちは分からんでもないが子供の暴走は止めなければならない。勢い余って馬車の前に飛び出しそうになったエリーゼの腕を引いて、ぐっと歩道側に寄せる。
「お嬢様……日傘の影の範囲から出らんでください……絶対怪我するんで」
「絶対って何よ!!」
「絶対は絶対……あ、あそこの服屋さんとかいいんじゃないですか?」
「え? どこ?」
エリーゼが目を輝かせて店の方へ歩き出す。従者達はほっとしたように、エリーゼの後を追って歩き出した。
エリーゼは大体スカーレット公爵が選んだ服を着ている。公爵の趣味なのかはたまた令嬢として少しでも上品に見せるためか、エリーゼのドレスは臙脂色や紺色の落ち着いたデザインのものが多い。可憐というより高貴、華美というより優雅。そんなドレスに身を包んだエリーゼは、黙って座ってさえいれば気品ある公爵令嬢にしか見えないのだ。
だから、私は知らなかった。
「ネロ!! これなんかどうかしら!!」
「やめときなさい!!」
エリーゼが見せてきたピンクのふりっふりの……いかんせんふりっふりすぎるドレスを前に思わず怒鳴る勢いで言ってしまった。
知らなかった……というか気付いてなかった。エリーゼは公爵令嬢って肩書きはあるけど実質ちゃんと十歳の子供。
「何よ、さっきからダメダメばっかり……あっ、これもいいわね!」
「そのショッキングピンクのラメラメが? 本当に?」
ちゃんと服装の趣味も十歳女児なのだ……。
さっきからエリーゼが選ぶたびに従者全員でやんわり止めていたが、何度こういうのがいいんじゃないかと勧めても聞かないお嬢様にみんなうんざりしたらしい。気付けばエリーゼのドレス選びに口を出すのは私だけになってしまっていた。
「いつも着てるドレスみたいな色でいいと思いますけどねぇ……ああいうのお似合いですよお嬢様」
「嫌よ! あれはお父様が着ろっていうから着てるだけ。本当はもっと可愛いのが着たいの!」
そうは言ったってそんな派手と可愛いに全振りしたドレスはいかんだろ……。
背中に感じる従者達の視線が痛い。こちらを窺う目は、口よりも雄弁に物語っている。公爵様に見せても恥ずかしくないドレスを選ばせろ、と……。
つくづく従者間での自分のヒエラルキーを実感させられる。本来のネロはオスカーともヴィルジールともミカエルともほとんど接点なく、ずっとこのわがままお嬢様と自分を蔑む大人達に揉まれてきたのだ。そりゃあ闇堕ちだってする。
「これもいいわねえ……あ、これも!」
考え事をしている間にもエリーゼはとんでもない色やデザインのドレスを手にとっていく。
……仕方ない。どうせ変なドレス選びそうだったら止めずにはいられないのだ。
「あのねぇ、バービーの服選ぶんじゃないんですから。もうちょっと地に足のついた……」
「バービーって何?」
「……なんでもないでーす」
うっかり漏れた現代知識にやべっとなりながら、エリーゼのドレス選びに首を突っ込んだ。
そもそも見てる棚が悪いのだ。この店、ドレスの色ごとに棚を分けているらしく、エリーゼの見ている棚は見事に全部が真っピンク。
「お嬢様は絶対ピンクがいいんですか?」
「可愛いのがいいわ!」
うーん、曖昧で女児らしい。
「可愛いのだったら他の色でもあるでしょう、あ、あのグレーのドレスとかいいんじゃないですか? 似合いそう」
「嫌よ! 色が地味!」
エリーゼは「それより」と懲りずにカラフルな……カラフルすぎるピンク色のドレスを手に取る。
「こういう鮮やかで可愛いのがいいわ! これならもしかしたらオスカー様に見直してもらえるかもしれないし……」
いや、むしろオスカーはあんまり派手なドレスは嫌がるだろう……と思うのと同時に、はっと気付いた。そうか、オスカーをダシにして無難なドレスを選ばせればいいのだ。それならエリーゼだって納得の上でいつものドレスを着ることができる。
「こんな可愛いの着てたら、オスカー様ったらもしかしたら私に気付かないかもしれないわね!」
……でも、楽しそうにドレスを選ぶエリーゼを見ていると、オスカーの名前を出すのはなんだか癪に思えた。
ため息をついて、エリーゼの方に一歩近づく。
「……ピンクがいいのは分かりました、分かりましたからもう少し落ち着いたものにしましょう。お嬢様、綺麗なお顔してるのにドレスで霞ませるのはもったいないですよ」
「また出たわね、あなたのその気色悪いの。何が目的なの?」
「今は少しでもマシなドレス選んでもらうことですね……」
しまった。つい嫌味を言ってしまった。エリーゼは「ふうん」と言ってそっぽ向く。
機嫌を損ねたかと思ったが、またドレスの方に興味が移ったらしく棚の方に視線を戻した。まったく、慌ただしいお嬢様である。
「あなたの服も選ばないとよね」
「え? 別にいいですよ、公爵様に話せばお下がりくらいもらえるんじゃないですか?」
「流行遅れの古臭い服でオスカー様の招待を受けるつもり?」
きっ、と瑠璃色の鋭い瞳が私に向く。
「いい? たしかにあなたを買ってきたのはお父様よ。でも、お父様があなたを私に譲った瞬間からあなたは私の所有物なの。私は自分の持ち物をぴかぴかに磨いてからオスカー様に会いたいわ」
「さいですか……」
「分かったら、こっち。まずネロのを選んだ方が早そうね」
エリーゼが私の腕を引いて、店の奥へずんずんと歩き出す。絢爛豪華な布の中を進んで、深いところへ向かう感覚。前世でもやっていたウィンドウショッピングのようで、カラフルな秘密基地に招かれたようで、不覚にもわくわくしてしまう。
そうか、ネロになってからこんな友達……いやエリーゼは友達じゃないけど、とにかく誰かと喋りながら買い物、なんてしてなかったから忘れてた。買い物ってなんだかんだ楽しいんだ。
「うん……ネロにしてはいいセンスしてるじゃない! これに決めたわ」
「やっっっっとですか……」
エリーゼとあーでもないこーでもないと言い合って、最終的に店主召喚して店の最奥部まで案内されて早二時間。
もう一生分のドレス見た、と思った頃にエリーゼはようやく夜会のドレスを決めた。
「このレースを薔薇みたいに編み込んでるのが気に入ったわ。ふふ、可愛い!」
「さすがスカーレット家のお嬢様、お目が高い!」
ドレス屋の主人が揉み手をしながらエリーゼを讃える。エリーゼは至極当然のようにその褒め言葉を受け取っているが、こういう大人が子供にぺこぺこする様子は貴族社会ならではだ。
「ネロのもいいのが見つかったし、このお店品揃えがずいぶんいいのね。これから贔屓にさせていただくわ」
「それはもう、光栄でございます! それでエリーゼ様、お代の方は……」
「そうね。ジョナサン!」
エリーゼがぱんぱん、と手を叩いて一番年配の執事の名前を呼ぶ。しかし、一向に返事はない。
えっ? ちょっと待って。嘘ですよね? うん、さすがにね?
嫌な予感に辺りを見渡すが、どこを見てもドレスドレスドレス……まったくもって人影が見当たらない。
互いに真っ青になった顔をエリーゼと見合わせる。
「……ネロ、あなた最後にジョナサン達を見たのはいつ?」
「えー……お店の奥の方に入る前、ですかね……」
「……私も」
はぐれた。そう理解した瞬間。
「あなたがちゃんと見てないからよ!!」
エリーゼが私を指さして怒鳴った。
エリーゼだってちゃんと見てなかっただろ、なんて言える立場ではない。完全に不覚、今は子供だけども大人失格である。
「いや、本当に面目ない……」
「謝れば済むと思ってるの!? この間のお祭りの時みたいにまたしぼられたいのかしら!!」
「お説教は帰ってたっぷり聞くので、とりあえず皆と合流しなきゃあ……」
「合流なんてどうやってするのよ!!」
「エリーゼ様」
不意に落ちてきた店主の重たい声に、ぎぎぎ、と油をさしてないブリキのような動きで振り向く。店主は笑顔だったが、その目はまったく笑っていなかった。
私もエリーゼも笑うしか出来ず、引き攣った情けない笑顔を浮かべて。
「あ……あの、お金は後日払うので、公爵家の方にお届けください……」
こうして、いたいけなネロ少年は生まれて初めてのツケ払いを経験した。
「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡




