07.従者くん、巻き込まれる
ドラグニア王国の中で最も大きく、最も栄えている街・王都。その中心に聳え立つのは、王族達が住まう城である。
堅牢な城壁、厳重な護衛。一般人はおろかネズミ一匹入れる気のない、そんなお城の小広間に、どうして。
「それで……オスカー様。どうして今日はネロまでお招き下さったのかしら……?」
エリーゼが引き攣った笑顔と震える声で尋ねる。円卓の向かいに座るオスカーは、まだ湯気のたつ紅茶を一口飲むと。
「ネロにテーブルマナーを教えてやろうと思ってな」
ふふん、と言わんばかりのドヤ顔でそう言った。
オスカーはとにもかくにも色んなことを私に教えたがる。因縁ある剣術はもちろん、最近は国の歴史や他国との情勢、とりあえず学んだことはなんでもかんでも一回は私に言わんと気が済まんのだ。
先日うっかりオスカーにテーブルマナーとか知らないから皆でお茶するのちょっと緊張するんですよね〜とか言ってしまったせいで、オスカーの教えたいスイッチを連打してしまった。別に公爵家で茶しばくついでに教えてもらうのでよかったのだが、せっかくならばちゃんとした場所でとか言い出してエリーゼと一緒に招待たまわった……というのが今回の経緯である。ありがたいがちょっとめんどくさい子だ、オスカー……。
しかし教えたがりのオスカーよりちょっと厄介なのは。
「ええ〜? ネロってこんなことも知らないの? あはっ、本当に奴隷商のところで生活してたんだぁ!」
オスカーの弟で見栄っ張りの意地っ張り。高慢なエリーゼに比べたらマシかもしれないが、それを差し引いたってまあまあなクソガキ……ミカエルである。
先日ミカエルを十連敗させてからというもの、オスカーがやってくる場には必ずミカエルがくっついてくるようになった。目的はたった一つ。
「まあ、ネロがどうしても教えて欲しいっていうなら? ぼくが教えてあげてもいいよ?」
こいつも私に何か教えてやりたいのである。つまりは優位に立ちたいというわけ。
言いぶりはムカつくしニタニタとこっちを見下すような笑い方も褒められたものではない……けども、子供が何か教えたいってのはいいことだ。
「じゃあお二人で、お願いします」
そう言いながら紅茶の入ったティーカップを手に取ると、「ネロ!」と突き刺すように名前を呼ばれる。
「取手に指を突っ込まない! 初歩的なマナーよ!」
……うちのお嬢様も講師をやってくれるらしい。
マウントとかそういうのに関係なく、子供というのは往々にして何かを教えたがるものだ。黒板には間違えた答えを書いた方が生徒は授業に集中できる、なーんてのは教師時代の私の持論である。
「おいネロ、ティースタンドはサンドイッチから食べろ」
「ネロぉ、スコーンは上下に割らなきゃだめだって!」
「ネロ! ティーカップに左手を添えない! お茶がぬるいって思われてしまうでしょう!」
「多い多い多い多い!!」
その持論を証明するかのように、子供達の視線も指導も一斉に私の方を向いていた。
手厚いご教授といえば聞こえはいいが、今の状況はマナー講座というより圧迫面接に近い。自分の身体が今以上にちいちゃくなった錯覚に襲われながら、取り囲んでくる三人に必死で「ちょっと待ってください!」と言い返した。
「そんなに一気に言われたって分かりませんよ! お一人ずつにしてください!」
「む……確かにそうか」
オスカーは面白くないと言わんばかりに唇を尖らせると、ちらりとエリーゼの方に視線を向ける。そして。
「エリーゼ、お前に任せる」
「えっ!?」
淡々と告げた言葉に、私よりエリーゼの方が驚いたような声を上げた。
「どうした、お前の従者にお前がマナーを教えて何が悪い」
「そっ……それはそうなんですけれど……」
「ね、ねえ……」
思わずエリーゼと顔を見合わせてしまう。
ぶっちゃけ、めちゃくちゃ意外なのだ。オスカーが俺が教える、とならなかったこと……いや、それ以上にエリーゼに任せると言ったことに驚いたのだ。
ついにオスカーがエリーゼの猛アタックに絆されたのか!? いや、それにしても急すぎる、昨日まではまた勉強にぶつぶつ言い出したエリーゼに喝を入れてたりしたやんけ!
「何もおかしくはないだろう。エリーゼは確かに直すべきところはあるが、礼儀作法は丁寧だ」
私もエリーゼも、同時にぽかんと口を開いてしまう。エリーゼはきっと、あのオスカーが自分を褒めたことに。私は……オスカーに、エリーゼの努力がなんだかんだ届いていたことに。
「……そういうことなら、私が一から十まで教えてあげるわ!」
エリーゼが得意げに胸を張って、私の方に爛々とした瞳を向ける。
「いいこと、ネロ! オスカー様の前で無作法なんかしたら承知しないわよ!」
「はいはい……」
かくして、エリーゼ先生にテーブルマナーを教わることになった私だが。
「ええ? それはエリーゼに甘くない?」
それが面白くないクソガキが一人いた。第二王子にして生意気ショタ枠、ミカエルである。
「そりゃ、エリーゼは確かに作法は正しいけどさ。兄さんに比べたら粗だって目立つし……あ、やっぱり兄さんなりにエリーゼっていうか、スカーレット公爵に気を遣ってるの?」
声音は甘いしふにゃりと柔い笑顔を浮かべちゃいるが、言葉の端々に滲ませる悪意が隠し切れていない。ギスギスした空気に私はヒェ〜となるのに、うちのお嬢様はまったく動じる様子なく「ティーカップの持ち方は!」とか言ってるのはこれがこの兄弟の通常運転で。
「正当な評価だ」
悪意をぶつけられているオスカーがまったく動じていないからである。
ミカエルは一瞬ひくりと頬を引き攣らせたが笑顔を崩さず、「正当な評価ねえ」と少し声を低くしてみせた。
「あ、だからネロにもこんなに色々優しくしてあげてるんだ! ネロには剣術勝負で負けちゃったもんね!」
「剣術勝負では負けていない。ネロはまだ剣術の何たるかを知らないからな」
「それって負け惜しみってやつぅ? 王子様がそんなんじゃ情けないよぉ」
「今はそう見えるだろうな。俺は未熟だ。しかしミカエル、お前もネロに負けたと聞いたが」
「ぼっ……ぼくのは負けたっていうか、そういう遊びだったんだよ!!」
お……おお、すごいオスカー!! めちゃくちゃ煽ってくるクソガキを前にちゃんとカウンターを決めている!!
正直気になってエリーゼのテーブルマナー指南どころじゃない。まあいいか。エリーゼもぽ〜っ♡ とオスカー見ててもうご指導に飽きてるし。
「大体ネロは剣術とかのルール分かってなくて戦ってるから、それでっ……!」
「ああ。だから俺が剣術を仕込んでいる。そういう話だったな」
「い、いいわけぇ!? ネロが剣術覚えて今以上に強くなっちゃったら、兄さんなんかこてんぱんかもしれないよ!? 反逆っ、革命起きちゃうかも!」
「俺や国の心配より先に自分の心配をしろ、ミカエル」
オスカーがようやく伏せていた目をミカエルの方に向ける。
「お前はそもそも俺にすら勝ったことがないだろう」
……こ〜れは、オスカーの勝利だわ。間違いない。エリーゼも瞳にハートが見えかねないくらいだらしない顔してるし。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッ……!!」
言い負かされたミカエルは声にならない唸りをあげて、弾かれるように席を立つ。そして、人差し指をびっと伸ばしてオスカーを指すと。
「じゃあっ、勝ってあげるよ!! 今!!」
やけくそにしか見えない宣戦布告をした。
「それじゃあ……私の時と同じく、先に相手の体に剣を当てた方が勝ち。それでいいですね?」
「いいよ!」
「ああ」
最悪である。
兄弟喧嘩も始まったみたいだし我々はお暇しましょうかねお嬢様〜なんて言ってさっさと帰ろうとしたら、王子二人に審判をするように命じられた。
いや、私はスカーレット家の従者。私の主人はエリーゼ様なのでエリーゼ様の意向を聞かないことには〜と逃げようとしたが、エリーゼも「してさしあげなさい!」と言ってきたせいで見事に逃げ場がなくなった。
「訓練用の剣でよかったねえ……真剣でやったら、本当に兄さんのこと斬っちゃうかも」
「……そうか。やれるものならそうしてほしいものだな」
「二人ともー! 試合前の煽り合いはやめてくださいねー!」
かくして、私は王国騎士団の訓練場とかいうだだっ広い庭へ連行され、二人の勝敗を見守る羽目になったのだった。最悪である。
「なんだなんだ?」
「ミカエル様がオスカー様に勝負を挑んだらしい」
「おお、久しぶりだな!」
「あそこにいるのはエリーゼ様と……あのガキは?」
「エリーゼ様の従者らしい」
いつもオスカーが私に稽古をつける公爵家の訓練場と違って、今日は王家の敷地内。騎士団の面々やたくさんの使用人がギャラリーにいる中での勝負は緊張するだろうに、二人ともまったく怖気付く様子がない。
「こんな大勢の前で負けたら、兄さんの面目丸潰れだね?」
「心配しなくていい。負ける気はないからな」
やっぱりこんな兄弟喧嘩をしてたって根は王子様ってことか。堂々とした二人を交互に見て、腕を振り上げる。そして。
「では……はじめ!!」
なるべく声を張り上げて、試合の火蓋を切った。
ミカエルだって凡才というわけではない。王子として受けてきた教養をしっかり飲み込み、自分のものとして扱う器用さがある。
だから。
「……オスカー殿下の、勝ちですね」
ここでミカエルが勝てない理由はひとつ。オスカーという壁が高すぎるだけなのだ。
「……ふん、まずは俺に勝てるようになってからだな」
ミカエルの太腿に当たっていた剣を離し、オスカーが言う。そして踵を返して立ち去ろうとした、が。
「もう一回ッ!!」
俯いていたミカエルが顔を上げて放った言葉に、誰よりもオスカーが目を丸くした。
「さっきのは……本気じゃなかった!! 本気でやったら勝てる!!」
「……負け惜しみだな」
「負け惜しみじゃない!!」
ミカエルは剣を構え直す。
「ぼくは本当は兄さんに勝てるんだ……今は出来ないだけで、次はできるかもしれないじゃん!!」
オスカーが呆れたようにため息をついて、でも、笑っていた。うん、分かる。私も同じ気持ちだ。
前にミカエルを煽り散らかして負けさせまくった後、結構後悔していた。あの場ではうまく立ち上がってたけど、ミカエルが本当に不貞腐れちゃったらどうしよう、と。
でもそんなことはなかった。あの子は私が思ってるより、ずっと意地っ張りで見栄っ張りで、強い子だ。
「じゃあ……殿下、再戦でいいですか?」
「ああ」
オスカーも剣を構える。また私が手を振りおろして「はじめ!」と言うと二人の剣が鈍い音を立ててぶつかった。
「オスカー様っ!! 素敵ですわー!!」
キャーキャー黄色い声で騒いでるうちのお嬢様には分からんだろうが、ミカエルは相当すごいことをやってのけている。
剣術勝負にはルールも作法もちゃんとある。その中で、私が前回ミカエルにやったことを再現しているのだ。
「ミカエルっ、お前……っ、その戦い方っ!!」
「ネロみたい、でしょっ!! ほら、いい子ぶってたら勝てないよ!!」
かん、かん、と木製の剣がぶつかる音がどんどん激しさを増していく。
「おい、これ本当にあるんじゃないか?」
「あんな必死なミカエル様も初めてだな」
気付けば観客は訓練場を取り囲むほどに増えていて、人波の中からミカエルが優勢なのではないかという声がちらほらと聞こえ出す。
私だって、ミカエルが頑張っているのは充分すぎるほど伝わってきたからそう思いたい。しかし、竜の目というのは、とても残酷なものだった。
ぱん、と肉を叩く音と共に、二人の動きがぴたりと止まる。
一瞬、誰も声を発することができなかった。
砂埃が晴れて、青空の下、くっきりと。
「……っ、は……俺の、勝ち、だな……ミカエル……っ……」
オスカーの振った剣がミカエルの肩に当たっている。しかしミカエルの剣は、あと拳ひとつ分オスカーに届いていない。
ミカエルの負けが、皆の前に晒された。
「しかし……今回は危なかった」
オスカーは浅くなった呼吸を整えながら、剣をミカエルから離す。その小さな背中には王子としての威厳が確かにあり、さっきまで騒がしかった群衆も静まり返っていた。
「この調子で稽古を積んでいけばいずれは俺やネロに──……」
「なんでだよ!!」
兄としてのオスカーの言葉を、ミカエルの涙声が遮った。
「なんで兄さんはそんなに強いんだよ!! ぼくだって頑張ってる!! ぼくだって稽古なんか、いっぱいいっぱい頑張ってる!!」
ぼろぼろと涙をこぼしながらがなるミカエルに、オスカーは面食らったのか言葉を失っている。
そりゃそうか。ミカエルは今までこういう面を誰にも見せてこなかったんだろうから。
今は泣いていい、その涙を糧に強くなれよ……という師匠ポジのような気持ちで見守っていると。
「大体っ、兄さんが強いのは変じゃん!!」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「……変?」
「変だよ!! 兄さんが強いのも、頭いいのも、王位継承権があるのも全部おかしい!! だってっ!!」
ミカエルが次の言葉を吐く前に、反射的に動いていた。
「兄さん、はッ……!!」
私の手に口を塞がれたミカエルが、もが、と溺れたようなくぐもった声を出す。オスカーはさっきまで溢れていた王子としての威厳はどこへやら、怯えたような、不安がたっぷり詰まった顔で私とミカエルを見ていた。
「……それ、それは、いけません。ミカエル様……!」
こんなことマジで言いたくないけど、竜でよかった。ちゃんと、手遅れにならなかった。
「本当に、言っちゃいけません……!!」
私はオスカーを知っている。乙女ゲームに出てくる、オスカー=ブランシェと、その過去を知っていて……目の前にいるオスカーが、割と普通の子供なんだということも、ちゃんと知っている。
ミカエルは背後の私をぎろりと睨んだ後、堰を切ったように泣き出してしまった。
「今日は弟が悪かったな」
公爵家の迎えの場所に乗る直前、見送りに来てくれたオスカーが背筋を伸ばしたままそう言った。その半歩後ろには悪かった張本人である弟・ミカエルがぶーたれて背中を丸めている。ふてぶてしいな……。
「これに懲りずにまた来てくれ。テーブルマナーもちゃんと教えられてないしな」
「それはお嬢様が教えてくれるのでだいじょ」
「また来ますわ!!」
私のやんわりとした拒絶は恋する乙女・エリーゼによって止められた。こいつ……また私をダシにオスカーと近付こうとしてやがる……。
「オスカー様の剣さばき、とても素敵でしたもの……また拝見したいですわ! それに王家の調度品は質のいいものばかりでお茶をしているだけでも」
「お嬢様、もう日も暮れますから」
長くなりそうな話を遮って、エリーゼに帰ろうと促す。しかしエリーゼは足を動かさず、代わりに凛とした表情を……ミカエルの方に向けた。
「……ミカエル様」
さっきまで出していた甲高い声とは違う、静かな声。ミカエルが顔を上げると、エリーゼの何かに気圧されたのか一瞬ぴくりと眉を動かした。
「……今日は、残念でしたね」
煽りではない。でも、本当に残念と思っているわけでもない。これは。
「オスカー様に追いつきたい……いえ、勝ちたいのなら……頑張るしかありませんわ。今よりもずっと、ずっと」
エリーゼは悪役令嬢だ。
公爵令嬢で、竜使いとしてまずまずの才能があって、オスカーの許嫁で、ほっといたってこのドラグニアの王妃になれる。だから頑張ってオスカーに追いつこうなんて、本来考えなくていい立場のはずなのだ。
それなのにエリーゼの言う「がんばれ」には、どこか静かな重たさがあった。
「……分かってる、よ……」
これにはさすがのミカエルも頑張ることを決意したか……と師匠目線をミカエルの方に向ける、と。
「エリーゼに言われなくたって、分かってる……」
ミカエルは、夕焼けの中でも分かるほどに真っ赤っかだった。
えっ、ちょっと待って? 嘘でしょ?
「それなら安心ですわね? 次も楽しみにしていますわ」
「わ……わかった……次は、かっこ悪いとこ見せないから……」
いつもと違いしどろもどろに話すミカエルを前に、脳内がまずいヤバいと警鐘を鳴らす。
「だからっ……また、見に来て! エリーゼ!」
この野郎エリーゼに惚れやがった!!
「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡




