06.従者くん、指導する
私だって、毎日エリーゼやオスカーとお気楽に遊んで過ごしているわけではない。
「ネロ! それが終わったら次は納屋の掃除だよ! 早くしな!」
「はぁい! ただいま!」
気怠い日の光が射す昼下がり、メイド長からの怒号を浴びながら、広間の床を拭き終えた雑巾をぎゅ、としぼる。
エリーゼの紅茶係……という形式上の役割はあるものの、私は奴隷商から買われた身元不明のガキである。使用人の中でも特段ヒエラルキーってやつが低く、エリーゼや公爵様から何か言いつけられていない時はこうやってコキ使われまくっているのだった。
本当は竜、っていうポテンシャルがあるせいでなまじ疲れずに無限に働けてしまうのも問題だな……なんて考えながら、水をたっぷり入れたバケツを抱えてメイド長の後をついていく。私よりずっと年上で体格もがっしりしているメイド長は、勿論バケツを運ぶのを手伝ってくれたりなんかしない。
「ったく、最近あんたがサボってるから私達の仕事が増えるったら……どうやって王子様やお嬢様を騙してるか知らないが、仕事はちゃんとやってもらわないと困るよ!」
「はいはい……」
本来屋敷内の掃除もあんたらの仕事やろがい! という言葉は飲み込んだ。ネロとしての記憶の中に、噂話で盛り上がるメイド達を横目にひたすら床掃除をしていた……という悲しい思い出があるからである。
メイドにとってもネロにとっても、この感じが普通なのだろう。
「ほら、ちゃきちゃき歩きな! 納屋の掃除が終わったら皿洗いに窓拭きに……庭園の草むしりだってあるんだからね!」
「分かってますって……」
もはや思考停止して全自動お屋敷家事マシーンと化すのが正解かもしれない、と思い始めた矢先である。
「ネロ!」
しゃがれた声が、私を呼んだ。
「マシューさん!」
痩せ細った体にぼろぼろの作業着。私を見下しちゃいるが自分も結構ヒエラルキーの下の方にいる、私の寝床たる馬小屋の管理人。マシューおじさんが手を振りながら小走りでやってきた。
「こんなとこで油売ってやがったのか! ほら、早くしろ!」
「えっ、なんです急に」
「ちょっと、今ネロはこっちの仕事してんだよ! 馬小屋の掃除なんて一人でできるだろ!」
連れて行かれそうになった私を庇うようにメイド長がマシューさんの前に立ち塞がる。悲しいかな、これは別に私を取り合っているのではなく労働力を取り合っているのである。
メイド長より立場の弱いマシューさんは「へへ」と気まずそうに笑う。
「それがですね、王子様からのご命令で。ネロを呼んでこいって」
まーたオスカーがやってきたんだな……。
呆れる私の隣で、メイド長が盛大な舌打ちをした。
掃除で汚れた身体を拭いて、給仕の準備をしてからマシューさんに言われた通り庭園に向かう。
にしても庭園にいるなんて珍しい。大体裏庭の訓練場か図書室にいるっていうのに、今日は珍しくお茶なんて楽しみにきたんだな。なんて思いながら、薔薇の咲き誇る庭へ着くと、いつもよりすました顔で座るエリーゼの対面に、見慣れない少年が座っていた。
「ああ、君がネロ?」
少年は座ったまま、顔だけを私の方に向ける。
桃色がかった髪に夜空を閉じ込めたような瞳。少しオスカーの面影を感じはするものの、ふにゃりとした柔らかい微笑みはオスカーのそれとはまったく違う。
「初めまして……だよね? ぼくはミカエル=ブランシェ。いつも兄がお世話になってます」
この国の第二王子にして、ドララヴァの腹黒系ショタ枠……ミカエルが、その名に恥じぬ天使のような笑顔で言った。
「ネロ。王子を前にぼーっとしないの。早くお茶をお出しして」
「っあ、はい」
エリーゼに言われて、慌てて我に帰る。しまった、ぼーっとしていた。いや、でもこれは仕方ないと思う。だって本当にわからない。
なんでミカエルがここにいるんだ……?
ミカエルとエリーゼは一応将来的には義理の姉弟となる立場だが、ゲーム中はほとんど絡まずに経過する。
そりゃそうだ。エリーゼは徹底した権威主義。王家への礼儀は払うものの、王位継承権のないミカエルには興味がない。
それはミカエルも同じようで、ヒロインに対して「きみ面白いね」と近付いてくる可愛いけど危険な男……みたいなこの子にとって、底が透けて見えるエリーゼは取るに足らない存在のはず、なのだが。
「エリーゼ、相変わらず使用人に厳しいんだね? オスカー兄さんの影響?」
「……貴族として立場を踏まえて喋ってるだけですわ」
なんでそんなミカエルが公爵家にやってきて、エリーゼににこにこ話しかけてるんだ……?
私が首を傾げながらお茶を注いでいると、ミカエルの瞳が私の方に向けられた。まるでお人形さんのそれのようなきゅるんとした目つき。その奥に、なんだか値踏みのような色を滲ませている。そして、お茶を注ぎ終わってようやく気付いた。
「君がネロかあ……兄さんを負かしたっていう」
こいつ、私目当てで来たのか……。
乙女ゲームの攻略対象には大体悲しき過去! とか拗らせたコンプレックス! とかがつきものだけど、何を隠そう第二王子のミカエルは。
「すごいよねえ、どうやって兄さんを負かしたの? 何かイカサマしたとか?」
完璧すぎる兄・オスカーへの劣等感を抱えた少年であった。
「オスカー様は負けていませんわ」
楽しそうにオスカーが負けた負けたというミカエルを止めたのは、エリーゼである。
「この者は剣術の作法にない卑怯な手を使ってオスカー様の背後をとったのです。ちゃんとした剣術勝負ならオスカー様が負けるはずありませんもの」
「え〜? でも、本当に戦う時は作法とかいってらんないよ?」
「……それでもあれは剣術勝負です。この者は今オスカー様に剣術を教わってる最中ですから、いずれは正式な勝負をしてオスカー様の実力を知らしめられるでしょう」
エリーゼが私を一瞥する。お前も何か言え、というような圧に負けて「いや本当にオスカー殿下には敵いませんで」と言ったら睨まれた。さすがに下っ端キャラすぎたか。
「ふうん……でも兄さんはネロを認めてるみたいだけどね。最近は城に帰ったらずっとネロがどうだったああだったって、きみの話ばっかり」
なんとなく想像はつく。エリーゼやまだ見ぬヒロインには悪いが、あの剣術勝負で勝った瞬間から私はオスカーの中で「おもしれー奴」としてお気に入りの存在になっちゃったのだろう。本当に、過去の自分の行動が悔やまれる。
「それはなんというか……光栄ですね、はい」
「ふふ、光栄っていう顔じゃないよお」
まあどっちかっていうと面倒なことになっちゃったなあだからね! こうしてミカエルが来ていることも含めて!
「それで、今日はネロを見にいらしたんでしょう? これで用事は終わったのではなくて?」
エリーゼがお茶を飲みながら冷たく言い放つ。本当にこいつはオスカー以外の人間にとことん冷たい。
「ん、いいや? 今日は会うだけじゃなくてさ」
ミカエルが可愛らしく首を傾ける。ふわりと柔らかそうな桃色の髪が風に揺れて、本当に天使のような顔をしているのに。
「ぼくもネロと勝負してみたいなあって」
その瞳の奥の、どこか好戦的な光だけはまったく隠せていなかった。
「じゃあ、兄さんの時と同じ、一本先取ね。先に相手の体に剣を当てた方が勝ち。作法にのっとってなくたっていいから、とにかく勝ちに来て」
「はあ……」
公爵家の裏庭の訓練場。訓練用の木製の剣を持って、ミカエルと対峙する。
オスカーとは真剣だったななんて思い出しながらミカエルの方を窺うと、ミカエルが「ふふ」と可愛らしく笑った。
「安心して。竜は連れてきてるけど、今は休ませてるし力は使わないよ。竜を飼ってないきみにそんなことするのズルだもんね?」
「はは……ありがとうございます……」
それ言うたら私はもう存在自体がズルなんですけどね……。
「ネロ! オスカー様に教わったことをしっかり活かしなさい!」
訓練場の隅で日傘を差して、高みの見物をしているエリーゼががなる。そもそも私は仕事が忙しいから勝負とかは〜って断ろうとしてたのに、エリーゼが「お相手してさしあげなさい」とか言うから……。
漏れでそうになるため息を堪えて、ミカエルの方を見る。オスカーの時ほど見下された感じはしない、しかししっかりと観察されているような居心地の悪さに口角が下がるのを感じた。
「それじゃあ、いくよ?」
「……分かりました……よろしくお願いしま」
す、まで言い切る前に、ミカエルはこちらに迫って剣を振りかぶってきた。
作法にのっとらなくていいって、お前の方もかい!
内心突っ込みながらミカエルの剣を剣で受けて、その小さな身体を弾き飛ばす。ミカエルは跳ねるように私から距離をとると、「あはっ」と無邪気ぶった笑顔を浮かべた。
「なんだあ、不意打ちならいけると思ったのに」
「……ずっ……ずいぶん、オスカー殿下とは違う戦い方をなさるんですね……」
「……そりゃあ、兄さんとぼくは違うからね。ほら、次! いくよっ!」
再びミカエルの剣が眼前に迫る。それをぎりぎりで避けてもすぐに第二撃。
最初の不意打ちこそ紳士的じゃなかったものの、追撃はオスカーに教わった剣術の基礎的な型にすべて倣っている。ともすればオスカーよりずっと堅実に基礎を積んできたかのにさえ感じる……まあ、問題は攻撃が私に当たらないことだけど。
「どうしたのっ!? さっきから避けてばっかりでさっ! 攻撃……っ、仕掛けてもいいんだよっ!」
「いや、そんなこと、言われ、ましてもっ……」
正直、痛いのを我慢して適当に剣に当たってしまえばこの勝負は終わり、晴れて私は解放される。そんなこた私だって分かってる。
だけど。
「ネロ! しっかりやりなさい!!」
……そんなことしたらあそこで見てるだけのうちのお嬢様がめちゃくちゃうるさそうなのである。
「ほらっ! エリーゼも見てるんだしっ、少しは本気っ……!」
本気なんか出せるわけがない。そもそも出し方もよくわからない。しかし、一瞬ミカエルが怯えたように瞳を揺らしたのを見て。
あ、私ちょっと本気出しかけたんだ。
そう、思った。
距離を詰めてきたミカエルの足元に、大きく脚を開いて沈むように身体を落とす。息を呑んだミカエルが握り込んでいる剣の、その柄を視線で捉えて、剣を振る。
次の瞬間、ミカエルの手を離れた剣がくるくると回りながら宙を舞った。
落ちてきたそれをぱしん、と手に取って、丸腰のミカエルの肩にこつん、と当てる。
「先に相手の体に剣を当てた方が勝ち……でしたよね?」
ミカエルは目を大きく丸く見開いて、まるでさっきまでの出来事を処理するように私を見つめていた。
またやっちまったなァ感はあるが仕方ない。ここで適当に負けたらエリーゼがうるさそうだし、ミカエルだって手抜きが分かれば……。
「……ああ〜……負けちゃったかあ!」
ミカエルのあっけらかんとした声に、今度は私が目を見開く番だった。
「あはっ、ネロ強いねえ! ぼく本当に負かされると思ってなかったよお」
「えっ、あの、ミカエル様」
「兄さんも負けず嫌いだよねえ、こんな強いんならちゃんと負け認めたっていいのにねえ」
「いや、その……」
「しかもネロ、竜使いの才能もあるんでしょ? すごいなあ、将来は公爵家の従者なんかじゃなくて王家直属の護衛にもなれちゃうんじゃない?」
「あ、いえ、えっと」
にこにこと笑顔を崩さず私を褒めるミカエルを前に、なぜかこっちがたじたじになってしまう。褒められて照れてる、とかではない。口を挟ませない勢いがあるのだ。
ちゃんと勝負して、ミカエルは負けを認めた。オスカーの時より面倒なことになってないはずだけど、なんでこんなもやつくんだ? なんだか、これで本当によかったのかな、というか。
「でもあれだなあ、油断したなあ。こんなに強いって分かってたらもっとちゃんと剣握り込んでたのに」
ミカエルのそれを聞いた瞬間、胸のもやつきが一気に、すとんと、腑に落ちた。
「今日のところはぼくの負けだね! それじゃあ、次はまた機会があったら……」
「次、今しましょう」
「えっ」
間の抜けた声を出すミカエルに、さっき奪った剣を差し出す。
「握り込んでたら勝てるんでしょう。なら、今そうしましょう、ミカエル様」
ミカエルが初めて天使の笑顔を崩して、「はあ?」と意味不明そうに言った。
「いや、だからぼくの負けだって……」
「油断してたから、でしょう? 私が勝ったのもまぐれかもしれませんし」
「……そう、だけど……」
ミカエルは差し出された剣を躊躇うように、しかしさっきよりもしっかりと握る。
「……まあ、次はぼくが勝つと思うけど、ね」
なんだか自分に言い聞かせるみたいにそう言うと、ミカエルはまた私に向かって剣を振り下ろした。
まだ私が教壇に立って勉強を教えていた頃……つまりは前世、現代日本で生きていた頃。ミカエルみたいな生徒は、山ほどいた。
あれこれ言い訳つけて「俺はまだ本気出してないだけ」とか言い出すタイプ。結局そういう子には、褒めて伸ばすより。
「……これで九勝目、ですね」
足元にうつ伏せになったミカエルの後頭部に、こつんと剣先を当てる。王子を転かしてあまつさえ頭に剣を当てるなんて不敬罪ものの行為だとは思うが、こうでもしないとまーた今のはまぐれだ油断したんだと言い訳が続くに違いない。
「どうします? まだやってみますか?」
さっきまでは威勢よく言い訳を紡ぎ、自分からもう一回と言うまでになったミカエルは潰れたカエルのような姿勢のまま完全沈黙している。さすがに少しプライドを傷つけすぎたかと思った、が。
「〜〜〜〜〜〜っっ……もう一回ッ!!」
ミカエルは声にならない唸りをあげた後、がばっと顔をあげて再戦を申し込んできた。
めんどくさいなと思う裏腹、なんだかほっとしてしまう。あんまりやりすぎるとこの子の自尊心を折ってしまいかねない。
「……まあ、いいですよ。次も多分、私が勝つと思いますけどねえ」
「っ……やってみなきゃわからないだろ!!」
よし、いい傾向である。
経験上、こういう子はいくら言葉で言っても行動に移せない。理由を作ってやらなきゃだめなのだ。
「大体お前はなんなんだよ、ネロ!」
立ち上がったミカエルはびっと私を指差した。
「王族相手に手加減もなしで! 少しは勝たせてやろうとか思わないの!?」
「まあ、思わないでもないですが……」
剣を持って、ミカエルを見据える。教師のさがというやつなのか、自然と頬が緩んだ。
「嫌いでしょう。手加減されるの」
「〜〜〜〜〜〜っ……くそ!!」
ミカエルは悔しげに唇を噛んで私を睨むと、型も何も関係ないような勢いで私に向かってくる。そして。
「さ、今日はこれくらいにしときましょうか! ミカエル様、もう息があがってらっしゃいますし」
「くそぉ……」
記念すべき本日十勝目を記録した。
気付けばすっかり日も暮れていて、怒りと悔しさで赤いミカエルの顔が夕焼けのせいで余計赤く見えた。
「……ネロ! 次は絶対……!!」
公爵家の門前町につけた迎えの馬車に乗り込む直前、ミカエルが私を見てぎゅっと唇を結んだ。
「絶対……なんです?」
「…………っ、ニヤニヤするな! 従者の分際で!!」
しまった、思わず煽ってしまったがそういえばこの人私よりだいぶ偉いんだった。御者をはじめとした王家の使用人の目が痛いが、私は公爵家の従者である。主人であるエリーゼにお伺いをたてようとちらりと隣を見ると、エリーゼは意外にも私を咎めるような様子はなかった。
「……またいつでも挑みにいらしてくださいませ」
それどころかどこか勝ち誇ったような笑みすら浮かべている。勝ったのも挑まれるのも私なんだが。
ミカエルは何か言いたげに私とエリーゼを見比べた後、ふんと鼻を鳴らして馬車に乗り込んだ。
どんどん小さくなっていく馬車を見送って、ふうと一つため息をつく。まったく、嵐みたいな子供だった。
途中から私の方がミカエルを巻き込んでしまったなあと思うけども、でも実際ああでもしないとミカエルは……いや、これは言い訳だ。一応表向きは従者なんだから、今後はちゃんと立場を弁えて……。
「ネロ」
仕事に戻ろうと踵を返した途端、急にエリーゼが私を呼び止めた。あっ、やっぱエリーゼもさすがに不敬だと思って……!
「今日は……よくやったわ」
呟くようなエリーゼの言葉に、「え」と声が漏れる。エリーゼは私の方を一瞥して得意げに笑ってみせると、またすぐに視線を前に戻した。
「お嬢さ……」
「何ぼーっとしてるの。早く仕事に戻りなさい!」
あ、よかった。熱でもあるのかと思ったがいつものエリーゼだ。
小さく会釈をして、小走りで自分の持ち場に向かう。
ミカエルを懲らしめるのに、エリーゼがなんであんなに乗り気だったのか。まあ大体理由は察せる。まったく、うちのお嬢様は一途なものだ。
「悪役令嬢、ねえ……」
庭園で一人で泣いていた時の顔。オスカーと二人きりにしろと頼んできた時の顔。私を褒める時の、少し悪戯っぽい笑顔。
そういうのを思い出すと、あの子が悪役令嬢なんて役割を抱えて失恋する運命を辿るのが、なんだかとても苦しくなる。
私には関係ない。私は邪竜化回避出来ればいい。そうなん、だけど……。
「ネロぉ! あんたこんなとこにいたのかい!」
ちょっとセンチメンタルになりかけた思考はメイド長の怒号で現実に引き戻され。
「あっ、はい、すいませんちょっと立て込んで……」
「本当だよ! ほら、とっとと厨房に行きな! 野菜洗いが待ってるよ!」
さっきまで王子に好き勝手言ってたなんて嘘みたいなヒエラルキーの低さにうんざりしながらも、ちゃんと自分の役割というやつに戻った。
「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡




