09.従者くん、デートする
「まったく、あんな情けない支払いは初めてよ! それもこれもネロがちゃんとジョナサン達を見てないから!」
「はいはい……反省してますよ」
店を出ると、太陽はすっかりてっぺんにのぼっていた。今日のエリーゼのスケジュールは午後からダンスの練習とかなんとか言ってたけど、この分だとサボらせる羽目になりそうだな……。
「その、店を出て大丈夫なの? みんなと合流するなら動かない方が……」
「店主の顔見たでしょ。あんなん一緒にいたら胃がいくつあっても足りないですよ」
ツケ払いを了承した店主は、それならさっさと出て行ってくれと言わんばかりにむっつりと黙り込んでしまった。大抵のでかい買い物は現金即払いの方が有り難がられるというが、まさか乙女ゲーム世界でもその理屈が通じるとは。
「じゃあどうやってみんなを探すのよ……」
エリーゼが不安そうに私の服の裾を掴む。
……前のお忍びのお祭りの時はオスカーが一緒にいたからあんなに楽しそうにしてただけで、私と二人じゃそりゃあ不安ですよねえ。分かっちゃいるがなんだかなあと思いながら、エリーゼに手を差し出す。
「裾じゃなくて手にしましょう。そしたらお嬢様が離しても、私が離しませんから」
エリーゼが目を見開いて、私の手と顔を交互に見る。
「なっ……それもまた何かの企み? 気色悪いって言ってるじゃない……」
「へ? 違いますよ、お嬢様がはぐれないように、です。これでお嬢様私とまで離れたらパニックになるでしょう」
「ならっ……ならない、わよ……」
エリーゼはきゅっと唇を結んで俯くと、意を結したように私の手を掴む。
やっぱり相当不安だったんだろう。指先から伝わる震えに、なんとかしてやらなきゃいけない気持ちが湧いた。
「そ、それで……どこに行くの?」
「少し路地裏を抜けて、竜売りの店に行きます」
「竜売り? なんで……」
「小竜を借りようと思いまして」
まあ、これは説明するより見せた方が早いか。
エリーゼの手を引いて、路地裏を抜ける。服屋ばかりの華やかな街並みから一転、武器屋や防具屋の並ぶ通りに出ると、古い看板を立てかけた竜売りの店が目に入った。
口輪をつけられた小竜が鳥籠の中に閉じ込められている姿を見ると胸が痛むのは、やっぱり私がネロだからか。でも今はそんなこと気にしていられない。
「すみませーん、こっちの竜少しお借りしていいですかー?」
店の奥にいる店主らしき老人に声をかけると、「あー?」と間の抜けた声が返ってきた。老人は読んでいた新聞を置くと、ぼてぼてと重い足取りで私たちの方へ歩いてくる。
「そりゃあ構わんが、坊主。その小竜はやめとけ。珍しく火を吹けるらしくてな、随分凶暴で口輪を外せねんだ」
「でも、この竜がいいんです。羽が立派で飛ぶのが早そう」
「そうは言ったってなあ……」
老店主はちら、と私を見た後、エリーゼの方を見て「おお」と言った。
「なんだ、貴族のお嬢ちゃんの付き添いか! 貴族のお方ならこいつを扱えるかもしれねえなあ」
老店主はかちゃかちゃと鳥籠の鍵を開く。小竜はぎろりと私たちを睨むと、身体を引きずるように老店主の腕にのった。
「ほらよ、口輪は外すなよ」
「はあい」
老店主から小竜を受け取ると、エリーゼが「ちょっと!」と肩を寄せてくる。
「何勝手なことしてるのよ! 私、火を吹く竜なんて……」
「大丈夫大丈夫、お嬢様は何もしなくていいです……あ、いや、メモは書いて欲しいかもな」
「メモ?」
老店主に紙とペンを借りて、エリーゼに押し付ける。その間も小竜は私の腕の中で身を固くして、警戒を解こうとしなかった。
「メモって……何を書くのよ」
「始まりの竜の銅像前にネロといるから迎えにきてくれ、と。それさえ書いてくれればあとはこの子に届けてもらいます」
「届けて、って……」
ぱちん、と小竜の口輪の留め具を外す。横で見ていたエリーゼがぎょっと目を見開いた。
「な、何してるのよ!! あなたさっきの話……!!」
「聞いてましたよ。ほら、話せる?」
小竜の顎を指先でなぞると、小竜は何か訴えるような目で私を見つめた。そして。
「……そうか、お腹空いてんだ? 口輪してたら補給しかさせてもらえないもんねえ。そんじゃあ今からソーセージ食わしてあげるから、手紙を公爵家に届けてくれるってのでどう? ……え? ソーセージ知らないのぉ!? そら人生……竜生か。楽しみが足りないわ。絶対美味いからさ、お願い聞いてくんない?」
硬い鱗を撫でながら語りかけると、小竜は渋々といった感じで頷いた。
「届けてくれるそうです。一応小遣い持ってきといてよかったな〜」
「あっ……あなた、竜と話せるの!?」
エリーゼが目を丸くしたまま尋ねてくる。
そりゃ竜なんだから竜と話せて当たり前……とぶっちゃけてしまうのは、今までお母さんの教えに従って人に混じって生活していたネロがあんまりにも可哀想だ。
「まあ……なんとなく?」
首を傾げながら言うと、エリーゼも同じく首を傾げた。
ソーセージを頬張って飛んでいく小竜とその足にくくりつけられた手紙を見送って、はじまりの竜の銅像前で伸びをする。
「……ネロ。あなた奴隷市場にいたのよね」
串に刺したソーセージを頬張りながらのくせに、やけに重々しい声のエリーゼがそう聞いてきた。
ずっと不安そうにしてるし少しは不安が紛れればと思って買ってやったが、思いの外効果が薄いらしく、エリーゼの表情は未だ暗い。しかしこの状況でよくそんなもりもり食えるなこのお嬢様……。
「そうですけど……それがどうかしました?」
「……奴隷市場に来る前は、何をしてたか覚えてるの?」
「ええ?」
急に何聞いてくるんだ、と思ったが、エリーゼがまっすぐこっちを見つめてくるのに気圧される。
「……そもそも最初から変よ。奴隷のくせに苗字はあるし、そのくせ親はわからないっていうし、最近急に変になったし……」
最近急に変になった、は心当たりしかない。けど、それ以外は、というか、ネロの過去は。
「そう、ですねえ……」
ごお、と頭の中で炎が燃え盛るような音がした。その瞬間、頭の底にずっとあった声が、映像が、感触が、脳を侵す。
『ネロ、人は私達よりずっと弱い。それなのに私達と並んで歩くことを選んでくれた、とても尊い存在なのよ』
『人を愛して、愛される竜になりなさい。大丈夫、あなたならきっとできるわ。私とあの人の子供なんだから』
『人と竜の共存!? 馬鹿を言うな!! そのあいのこに何ができる!!』
『この子は架け橋なのです!! お願い、呪わないで……呪わないで……!!』
『いいか、それはいずれ邪竜になる。お前がいくら加護をかけようともだ!!』
『ネロ……!! どうか、人を見限らないで……!!』
ばちゃん、と川に落とされる音と、鱗に覆われたお母さんの体温が離れる感触。そして。
「……ネロ!? あなた何泣いてるの!?」
エリーゼの声ではっと我に返った。頬に触れると、濡れている。
えっ、なんで。泣きたいなんて思ってないのに。あ、違う、これは私じゃなくて、ネロが泣いてる、のか。
「すみませ……すぐ、すぐに、泣き止みます、から」
うまく止められない涙を隠そうと、エリーゼに背を向けようとする。しかし、エリーゼが肩を掴んでそれを止めた。
「さっさと泣き止みなさい! あなたがそんな辛気臭い顔してたら、主人の私がいじめてるみたいじゃない!」
エリーゼはめちゃくちゃな理屈を言いながら服の袖でがしがしと頬を拭ってくる。痛いし服が汚れて怒られるのはこっちなんだからやめてほしいのに、どうにもやめて、と言い出せなかった。
馬車が迎えに来たのは、それから少し経った頃のことだった。
「大変心配しましたよお嬢様……ネロ、あなたはあとでお話があるのでメイド長の部屋へ行くように」
「はぁい……」
御者のおじさんに頭を下げて、屋敷に返ったら待ち受けているであろうお話という名の折檻に腹を括る。
買い物は楽しかった。楽しかったとはいえ、夢中になりすぎてエリーゼを迷子にさせた。従者どうこうより先に大人失格。マジで反省の必要がある。
鬱々とした気持ちを抱えながら馬車に乗り込み、自己嫌悪とお折檻嫌すぎという気持ちの混じったため息をついた。
「ネロ」
不意に、エリーゼが私を呼ぶ。しかし視線は窓の外、蹄の音と共に流れていく街並みに……いや、もっと遠くへ向けられていた。
「……あなたとの買い物、悪くなかったわ」
……悪くなかったか? そうか? 選んだドレス全部にケチつけられるとか、迷子になるとか、エリーゼからしたら踏んだり蹴ったりだったと思うけど。
「そ……それは、何よりです……」
私はそんな、月並みな言葉しか返せなかった。
♢
スカーレット公爵邸の広間。いつもエリーゼが夕食を摂るその場所に、今夜は実に半年ぶりに家族全員が揃っていた。
しかし家族団欒の会話などなく、食器同士が擦れ合う音だけが静寂に響く。エリーゼは慣れていた。誰も互いに目を向けない、この食卓に。
「エリーゼ」
突然、父親の──スカーレット公爵の声が沈黙を破る。
エリーゼは久々に聞く父の声に驚き、しかし動揺を悟られないよう顔を上げた。
「ネロはどうだ」
「どう……って」
「竜使いとして、使えそうか」
エリーゼがぎゅ、と下唇を噛む。
今日、ネロは火を吹く小竜を易々と操ってみせた。それも本で読んだやり方でも王国騎士団直伝の調教法でもなく、まるで竜と対話しているように。
「……分かりませんわ。ネロが竜と接しているところなんて、見たことありませんもの」
「では、昼の小竜は誰が手配した?」
「……竜売りの方が」
父の視線がまっすぐ自分を射抜く。居た堪れなくなって目を逸らすと、母が「エリーゼ」と冷たく咎める。
「お父様から顔を背けるとは何事ですか」
「いい、構わない。お前には最初から、竜使いとしての期待はしていない」
食器を持つ手に力がこもる。
泣いてはいけない。せっかく家族が揃った夕食なのに、泣いたら台無しになってしまうから。
「……ネロの身元が分かり次第、あれを正式に養子に迎える」
その宣言に、エリーゼは思わず「待ってください」と身を乗り出した。
スカーレット公爵の心底面倒そうな表情にしまった、と思ったが、ここで譲れば本当に、自分は。
「私、きっとお父様の満足する活躍をしてみせますわ……だから、その話は、少しお待ちくださいませ」
言葉尻に向かってどんどん小さくなる声が、広間の静けさに落ちるように響く。公爵はふん、と鼻を鳴らすと、何も言わずに食事を続けた。
「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡




