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番外編:公爵くん、酔っ払う


 竜と人が共存する国、ドラグニア王国。小国であるこの国が、どうして他国との小競り合いに中立の姿勢を貫けるのか。その最大の理由は、人智を超えた力を持つ竜の存在だった。


「ねえ、聞いた? 今日!」

「聞いた聞いた! エスメル公国から『黒竜卿』が帰ってこられるんでしょ!」


 春の柔らかい日差しが照らす、昼下がりの王宮。メイド達は庭の掃除をしながら、肩を寄せ合って小声での噂話に花を咲かせた。


「何? 『黒竜卿』って……」

「アイリンったら知らないの!? 公爵のネロ=シュヴァルツ様よ!」


 田舎出身の新米メイドが首を傾げると、他のメイド達は肩をすくめて笑い合う。


「今の国王陛下から爵位を賜って、一代で公爵になった方なんだけどね。それはもう、すごい美男子なのよ!」

「美男子ってだけでそんなに盛り上がるの? 王弟のミカエル様とか、宰相のヴィルジール様とか騎士団長のアルフレッド様だって美形じゃない」

「それが、違うのよ! ネロ様はね……実は、竜なの!」


 新米メイドは思わず「えっ」と大きな声で漏らし、口を押さえる。


「りゅ……竜!? 竜って、あの!?」

「そう! 魔法で人の身体になってるけどね、10年前は大変だったそうよ。完全に竜になって、力を制御できなくて世界を壊しかけたって」

「ええっ!?」

「そこで世界を救ったのが、ネロ様の奥様のエリーゼ様よ! 真の愛の力でネロ様の暴走を抑えて、二人は結ばれたんですって」


 そんな会話をしていると、不意に空が暗くなる。見上げると、屋敷などすっぽり覆ってしまいそうなほど大きな黒竜が空を飛んでいた。


「噂をすれば、だわ!」


 黒竜卿──ネロ=シュヴァルツは王宮に向け、ゆっくり高度を下げていく。王宮の門塔には、現国王であるオスカー=ブランシェが待ち構えていた。


「っあ! 黒竜卿だ!」

「いつ見てもなんと大きい……」


 門塔にはオスカーやその護衛だけではなく、新聞記者や王国騎士団の面々を含めた野次馬達が集まっている。彼らは綺麗に真ん中を空けてネロの帰還を待っていて、巨大な竜が降りてくるのを今か今かと待ち構えていた、が。


「えっ」


 不意に、空を覆っていた暗闇がなくなる。一瞬にして竜が消えたのかと錯覚したが、そんなことはなく。


「よっ……と!」


 空から降り立ったのは、黒髪の青年だった。黒い軍服に身を包み、金色の瞳は夜空を照らす月を思わせる。口元にはかつてこの国の竜の必需品であった、人に害をなさないための口輪がつけられていた。


「ご苦労だったわね。もう降ろしていいわよ、ネロ」

「ったく……飛んでる最中に背中でもぞもぞ動かんでくださいよ。危ないから」


 その腕には、長い銀髪に瑠璃色の瞳をした女性が横抱きにされている。

 黒髪の青年……ネロが妻である女性・エリーゼを自分の腕から降ろすと、エリーゼは外交用のドレスの裾を持ち、オスカーに向かって恭しく礼をする。


「ご機嫌よう、オスカー陛下」


 エリーゼが頭を下げるのに倣って、ネロも頭を下げる。オスカーは「ああ」と答えて二人のもとに歩み寄る。


「どうだった、久々の外交は」

「大変でしたよ、竜だってんで皆から警戒されて」

「やっぱり、エスメル公国よりこちらの方が落ち着きますわね」


 ドラグニア王国が邪竜により破滅の危機になってから、10年。


「そうか。聞きたいことは山ほどある。食事は準備してあるから、食べながら話せ」

「は〜助かる、あっちからここまで飛んできたんでもうお腹ぺっこぺこで」

「ちょっとネロ! オスカー陛下の前で失礼なことしないでちょうだいね!!」

「だーいじょうぶですって!」


 転生者であり、元奴隷。更に邪竜の呪いまで背負っていた青年・ネロも、ようやく公爵の立場が板についてきた。




「……ふむ。最近のエスメル公国はやけに金属類を輸入するから、もしやと思っていたが、やはりか」

「一応牽制はしておきましたけどね。その面でも私が行って正解だったでしょう。エスメルの人達、私が飛んでくるの見た時点で腰抜かしてたし」


 昔は貴族らしいことをやらせるとどこかぎこちなかったネロが、今やテーブルマナーにきっちりと沿った上で外交についての話をしている。夫の成長ぶりに、エリーゼは内心鼻を高くした。

 なんと言ったって元々は自分の従者。夫は自分が育てたようなものなのだ。


「しかし、口輪までしていかずともよかっただろう。お前があれをしているのを見るのは気分が悪い」

「そんなこと言われましても……敵意がないって目に見える形にするのは大事と思いますよ。ま、竜としてのマナーみたいな」


 たまに人間の自分には測れないことを言い出す節はあるが……それでもネロは自分で育てたのだ!

 エリーゼは誇らしい気持ちで食事を摂っている、と。


「……エリーゼ様、ほっぺ。ついてます」

「っえ」


 ネロからそう言われて、エリーゼは慌ててナプキンで頬を拭う。それを見たネロが、深い深いため息をついた。


「……ったく、いつまで経っても子供なんだから……」


 ネロはエリーゼが育てたようなもの。元々竜の里で生まれて、母親と生き別れて奴隷市場へ行き、スカーレット公爵家に拾われて……そして紆余曲折あって、今に至る。確かにオスカーやミカエル、他にも貴族の面々に物を教わることはあったかもしれないが、それでも一番近くでネロを見てきたのはエリーゼなわけで。

 しかも、今のネロはエリーゼの夫。天候を変えてまで愛を示してきたのもネロだし、学園卒業のプロムでプロポーズしたのだってネロからなのだ。


 それなのに。


「淑女でしょ、しっかりしてくださいよ」


 最近のネロにはまったくもって可愛げというものがない!!

 なんなのだこの男は、私のことが好きなくせに。そんな思いをこめて睨め付けてみるが、ネロはつんとすましたままエリーゼを無視していた。腹立たしい。


「お前らは相変わらずだな……そういえば酒があるが、どうする? 飲むか?」

「夜なら頂いたんですけど、昼ですしね。それに飲んだところで竜って身体の作りから違うから、ただのアルコールじゃ酔えませんし」

「ああ。そう言ってたから、ドラグ殿に聞いてネロには特注のものを準備した」

「特注?」


 ネロとエリーゼが声を合わせて聞き返すと、オスカーが「ああ」と言った。


「ドラグ殿曰く、竜は銀で酔うらしい。だから、銀粉入りのワインを準備した」

「へえ! 竜でも酔えるんだ、いいこと聞いた……けどそんなもんどこにでも売ってはないですよねえ」

「まあ、俺も話を聞いてから王都近くの工房に作らせたからな」


 穏やかに笑う二人とは対照的に、エリーゼはぐるぐると、必死に頭を回していた。

 ネロは酒が好きだ。人の身からしたら考えられない量を飲んでいるが、一度も酔ったところを見たことがない。竜の身であるが故にそれは仕方ない、と思っていたが、銀粉入りのワイン、なら。


「オスカー陛下!」


 食事を終えたエリーゼは立ち上がって、オスカーの方へ身を乗り出す。


「よければ……その銀粉入りのワイン、お土産にいただけませんこと!?」


 オスカーもネロも目をぱちくりさせていたが、エリーゼには譲れない理由があった。

 最近のネロは可愛げがない。本当はエリーゼのことが大好きなくせに素直じゃないし、外交の時は気を張っていたからまともに触れ合ってすらいない。

 しかし、酒の力があれば。


「そうだな。外交の慰労として、ワインは持たせて帰るか」

「ありがとうございます!!」


 ネロだってエリーゼに対してどろどろに素直になってしまうに違いないのだ!




 そう、期待していたのだが。


「ね、ね、エリーゼ様! 見てて見てて!」

「……次は何……」

「なんでだろぉー、なんでだろぉーっ! だははは!!」


 ……ネロの酔い方は、予想の斜め上だった。

 公爵家の寝室で、エリーゼは頭を抱える。ネロはいつ買ったのかも知らないギターを取り出して、まったく旋律にもなってない音をかき鳴らして爆笑する。


「……何よそれ……」

「テツアンド◯モですけど!? 知らないの!? こ◯亀のエンディングも歌ってたんだよお」

「知らないわよ……」

「じゃ、ギター繋がりで波◯陽区やっていいすか? うまいぜ〜私」

「好きにして……」


 飲ませ始めた時はまだよかった。ネロの目がとろんとしてきて、身体の距離も近くなって。このままもっと酔わせれば、とんでもない愛され方をするのではと期待してしまって……飲ませすぎた。その結果。


「チャラッチャッチャッチャラッチャ〜〜〜……あっ違うこれ、ムー◯ィ勝山だわ! だはははは!」

「どっちでもいいわよ! っていうか全部誰なのよそれ!」


 ネロはひたすらわけの分からないことを言っては爆笑する、厄介な酔っ払いに成り果てた。

 失敗した。あのほろ酔いで止めておくべきだったのだ。それをもっともっとと飲ませたばかりに……。

 エリーゼがソファで頭を抱えていると、ネロは何がおかしいのかげらげら笑いながら、隣にぼすんと飛び込むように腰をおろす。


「エリーゼちゃんは知らないか〜! あの時のエ◯タの面白さってやつを、よ!」

「知らない、腰抱かないで」

「よーし、じゃあ教えてやろう! あの時はね〜、なんか死ぬほどリズムネタばっかだったね!」

「教えなくていい! もう、なんなのよ変な酔っ払い方して!!」


 こうなればもう、実力行使である。

 エリーゼはソファの上で無理やりネロを押し倒して、きょとんとする顔にこつん、と自分の額を当てた。


「……私があなたを酔わせたのはね、あなたと……もっと、その……仲良くしたい、っていうか……」

「仲良く……」

「とにかく、あなたの意味の分からない話を聞くためじゃないのよ!!」

「ははあ……なるほど、ね。甘いこと言われたいんだ」


 看破された瞬間、ぼっと顔が熱を持った。

 ネロがエリーゼの髪をかきあげて、耳にかける。指先が耳の輪郭を掠めると、思わず身体がこわばった。金色の目がじっとエリーゼを見つめる。顔が近付いて、そして。


「……ミスからミセスにならないか?」

「は?」

「あま〜い!! っつってね! だははははは!!」


 状況は何も好転していなかった。

 そろそろぶん殴ってやろうかと思ったのに、ネロが爆笑しながら抱きしめてきたせいで身動きがとれなくなる。


「あっはっは、今のはボケフリじゃん! それでしかないじゃん!!」

「ふっ……ふってないわよ!! 苦しいし……」

「んー……エリーゼ、重くなったねえ……」

「なんてこと言うのよ!!」

「あいでっ」


 今度こそ横っ面を引っ叩いた。

 淑女になんという失礼なことを言うのか。確かに最近少しドレスがきついけども。これはネロが「エリーゼ様これ好きでしょ」と色々食べさせてくるからで!!

 平手打ちを喰らったはずなのにネロは未だへらへらと楽しそうに笑っていて、自分を組み敷くエリーゼの顔をぺたぺたと触る。ムードもへったくれもない触り方に、エリーゼはいい加減諦めがついた。

 諦めよう。ネロが素直になるなんて、一朝一夕では無理だったのだ。今まで20年近くかけて教育してきたのだ、今後もそれくらいかければもう少し素直で可愛げがある夫に育つはず。エリーゼが闘志を燃やしていると、不意に。


「あはは、可愛い」

「ふみゃっ」


 ネロが鼻を摘んできた。

 ……いや、鼻をつまみながら言うことか、とエリーゼは思ったが、文句を言う前に。


「可愛いねえ、うん、めっちゃ可愛い……ずっと可愛かったけどさあ、今が一番可愛いよ。ふふ、可愛い可愛い」

「ちょっ……待ちなさい!!」


 急に期待してたよりずっと甘ったるい空気を持ち込まれて、思わずエリーゼの方が止めた。

 確かにそういう空気にしたかった。しかし、こんな急にではない。もっと段階とか、順番とか、色々あるはずなのだ。それなのに。


「なーに怒ってんの……あ、照れてるだけかあ。可愛いねえ」

「っほんと、待ちなさいって言ってるでしょ……」


 情けないことに、喜んでしまっている。

 だって結婚して以降、それどころか恋人になってからというもののネロがこんなにエリーゼを猫可愛がりしたことはない。恐るべきは酒の威力。

 そして、エリーゼはネロに飲ませるばかりで一滴も飲んでいないのだが。


「……本当に、可愛いと思ってるの?」


 場の雰囲気に飲まれて、浮かれた質問をした。


「そりゃあもう、めっちゃくちゃ可愛いよお」

「……世界で一番?」

「何不安になってんの。一番だよ、世界でも、宇宙でも一番」

「わ……私のこと、好き……?」

「うん、だあいすき」


 ふにふにとエリーゼの頬を揉んでいたネロが、ふいに緩めていた唇を結ぶ。そして、思い詰めるように目を伏せた後、エリーゼと視線を合わせて。


「ね……エリーゼ、ちゅーしていい?」


 懇願じみた問いに、唇を重ねて答える。

 体温が溶け合うような心地の中で、エリーゼは思った。


 また、ネロを酔わせよう……と。




 しかし、悲しきかな竜の身体。

 次にネロに同じ酒量を飲ませても耐性がついたとかで酔っ払うことはなく、あの晩は二度と再現不可能になったのであった。あ〜あ。

「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡

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