62.従者くん、両思いになる
「暑すぎる……ドラグニアも温暖化してんのかよ……」
王宮での身体検査やら諸々の手続きを済ませ、ようやく私が自由の身になる頃にはもう暦は8月に突入していた。
夏休みを迎えた学園には人気がほとんどなく、家の事情とかで夏休みを寮で過ごしている生徒とちらほらすれ違う程度。皆、私に気付くと例外なく怯えたように肩を跳ねさせ、私から距離をとっていた。
そんなに怖がらんでもでも火なんか……いや、たまにうっかり吹くか。やっぱりお祖父さんのところにいっかい顔出すべきだ……。
オスカー曰くだが、スカーレット公爵は私が帰るのを心待ちにしているらしい。まあ、それが純粋な気持ちからなのかはおいといて……。
とにもかくにも夏休みの課題とかそれに使う教科書やらを持って、とっとと公爵家に帰らなければならない、のだが。
「……はぁ……」
なんとなく、私の足取りは重かった。なぜなら。
「ネロ!!」
今は夏休み中。学園にいるはずのない人間の声にびくんっと背筋を伸ばす。ぎぎぎ、とぎこちなく振り向くと、そこには。
「っな、なんでお嬢様、学園にいるんです……?」
「オスカー殿下から聞いたのよ! あなた、今日学園に寄ってから屋敷に帰ってくるって!」
ずんずんとこっちに近付いてくるエリーゼに、思わず一歩、二歩と下がってしまう。
おかしい。前まではこんなことなかった。ばわわと顔に熱が上って、耐えきれなくなって、そのまま。
「寮に荷物取りに行ってきます!!」
「っは!? ちょっ……ネロ!!」
エリーゼが呼び止めるのを無視して、走って男子寮へ向かう。
顔が熱い。心臓がうるさい。絶対、絶対、絶対におかしい!!
……邪竜になった後、検査のために王宮に泊まっていたこともあって、エリーゼと会う機会は格段に減った。
まあ小さい頃からべったりだったし、久々にあのクソガキの世話しなくていい日々だ! 検査はあるけどゆっくり羽伸ばそう!
そんな感じでエリーゼと会わない日を過ごし、面会だとかなんとかで久々にエリーゼと会った時のことである。
「ネロ! オスカー殿下に失礼なことしてないでしょうね?」
「っあ……し、して、ない、です……」
あのクソ生意気なお馬鹿のエリーゼが、とんでもなく可愛く見えてしまったのである。
いや、多分気のせいだ。王宮では身の回りの世話をしてくれるハンスさんか検査担当のおじさんかオスカーとしか話してない。女と話すのが久々だからこれはそういう、そう、生理現象だ! いくら私の気持ちが成人女性でも「ネロ」自身は思春期男子だもんな!
そう思っていたけど、王宮のメイドさんと話そうが、地下牢のニーナと話そうが、エリーゼと話した時ほど動揺しなかった。
エリーゼを見ると頭が真っ白になる。話してると胸が締め付けられる。顔が熱くなって、心臓がうるさくて……そして、ようやく私は気付いた。
あっ、竜特有の病気なんじゃない? と。
竜って魔臓とかいう人間にない臓器あるらしいし、人間がしない病気しててもおかしくない。なんだ、それならまったく問題ないね。エリーゼに会う頻度を減らせば大丈夫だね!
そしてそれ以降、王宮にエリーゼが面会に来てもあれこれ理由をつけて逃げ回っていた私だが、公爵家に戻ってしまえばそうはいかない。
朝から晩までエリーゼと一緒、朝の紅茶の用意してお小言言われて昼食の配膳してお小言言われて習い事の準備手伝ってお小言言われて……先に体がキャパオーバーする!!
そんなこともあり、私は自分の健康のためにも公爵家に帰りたくなかった。
しかし、雇用主である公爵から帰ってこいと言われてる以上、私に拒否権なんてものは存在していない。
なるべくだらだらと寮の荷物を鞄に詰めてみたが、オスカーの気遣いか大半の教科書やノートは王家の使用人によってすでに公爵家に運ばれていた。最悪である。
結局、どんなにだらだら準備したとて昼前には帰る準備が整ってしまった。
もう後は鞄一つ持って帰るだけ……。それでも馬車の手配を先生に頼む気になれず、中庭でぼーっと空を眺めてため息をつくと。
「ネロ様?」
今ここにいるはずのないアンジェリカが、上から顔を覗き込んできた。
「うぉお!? あっ……アンジェリカ様!? なんでここに……」
「今日は生徒会の登校日ですので……オスカー様から聞いてませんの?」
そういえば王宮出る時オスカーがなんか言ってた気がする……。
まともに聞いていなかったのを誤魔化すようにたははと笑うと、アンジェリカが心配そうに眉を寄せた。
「ネロ様、どこかお加減が悪いんですの?」
「へ?」
「ため息をついてましたもの……あ、もしかしてやっぱり、わたくし達がした酷い仕打ちで心を病んでたり……!!」
「してませんしてません! その謝罪は散々聞いたじゃないですか!」
今にも泣きそうなアンジェリカをどうどうを宥めると、「本当ですの?」と何度も確認した後にようやく落ち着いた。よかった……。
邪竜になった後、つまりはニーナの誘惑の香水の効果を打ち払った後。アンジェリカもミカエルもヴィルジールもアルフレッド先輩も、こっちが気の毒になるくらい謝ってくれた。しかし本人達の中ではまだ罪悪感が根を張ってるんだろう。しばらくはこのやりとりしなきゃいけないだろうな……。
「それでしたら、どうして元気がなかったんですの?」
「あー……少し、お嬢様のことで……」
「エリーゼ様の?」
アンジェリカも竜使いの卵として小さい頃から竜と親しみながら育ってきたんだ。もしかしたら竜の病気とかそういうのについては、私よりよっぽど詳しいかもしれない。
「実は、少し病気っぽくて。お嬢様に会うと目が合わせられなかったり動悸がしたり熱っぽい感じになったり呂律が回らなくなったり……できればお嬢様に会うのを避けたいなと思ってたんですけど、ほら、従者ですしそういうわけにもいかないでしょう。それに私が見てない間にお嬢様が何かしでかさないか心配ですし、そう考えると早く公爵家に帰らないとなんですけどなんだか、準備が整わないというか」
まずい。捲し立てるように言ってしまった。横で黙って聞いているアンジェリカは、突然の情報量にフリーズしたのではと思った、が。
「ネロ様……それはエリーゼ様だけにそうなりますの?」
「は……はあ……ちょ、アンジェリカ様? 目怖いですよ」
「会えないとなったらそれはそれで胸が苦しいんではなくて……?」
「そ、そうですね……あっ、やっぱこれ竜の間ではポピュラーな病気なんですね……?」
アンジェリカががしっ、と私の肩を掴む。なになになに、怖い怖い怖い!!
「ネロ様っ……それ……それは……」
「な……なんでしょう……」
「恋ですわーーーーーーーーーーーーっっ!!」
高らかに嬉しそうにそう宣言すると、アンジェリカは私を担ぎ上げて攫って行った。
えっ、ちょ、鯉!? 本当に何!?
「みなさまーーーーーーーッ!!」
アンジェリカが飛び込むような勢いで生徒会室の扉を開ける。中にいた皆は目を丸くして、担がれてる私を見て更に目を見開いた。
「なっ、な、どうした!? アンジェリカ!」
ヴィルジールが慌てた様子でまずは状況を確認しようとして。
「おいアンジェリカ!! そいつからすぐに離れろ! どんな下心があるか分からん!!」
アルフレッド先輩は血管が切れそうな勢いで怒鳴り。
「なになに、よく分かんないけど面白そう!」
ミカエルは私の無様な姿を見てけたけたと笑い。
「……とりあえずネロを下ろしてやれ、アンジェリカ」
オスカーが諌めると、アンジェリカは素直に「はい!」と私を椅子に座らせてくれる。
いつも通りの生徒会……いや、エリーゼがここにいないこと以外は昔とまったく変わらない幼馴染達が、私を出迎えた。
「大変なんですの!! ネロ様ったら! ネロ様ったらぁ!」
「ま、まあまあ……落ち着いて話してくれ、アンジェリカ……その満面の笑みで話すってことは悪い話じゃないんだな?」
「はい!!」
アンジェリカはばーんと大きく腕を広げると。
「ネロ様はエリーゼ様に恋をしてらっしゃいますの!!」
はち切れんばかりの笑顔でそう言った。
「はあ……?」
困惑に包まれる生徒会室の中、誰よりも大きく口を開けていたのは私だった。
恋って、何言ってんだこ〜のアンジェリカさんは。夢見がちの少女漫画脳も大概にしてほしい。私がエリーゼに恋なんてあるわけないだろ。
鼻で笑うような気持ちでいたら。
「何を今更当たり前のことを……?」
オスカーが首を傾げ。
「そんなの周知の事実じゃん」
「アンジェリカだって気付いてなかったわけじゃないよな?」
「はい! でも改めてネロ様が言葉にしたところにきゅんきゅんしましたの!!」
なぜか皆して当たり前だろという態度でいる!!
アルフレッド先輩!! 推しとして私の寵愛を一身に受け続けたアルフレッド先輩ならこれが恋じゃないって分かるんじゃないのか!?
「オスカーが婚約破棄したことで無謀な恋にも光明がさしたしな。いいんじゃないか?」
「ハァーーーーーーーッ!?」
思わず裏返った声が出た。
「何言ってんですかアルフレッド様!? 私アルフレッド様一筋なんですけど!! 証明してきましょうか手紙にしたためて!!」
「やめろ近寄るな気色悪い!! というかお前、無自覚なのか!?」
「無自覚も何も私は別にお嬢様のことなんかっ……」
そう言った途端、周りの視線が急に生暖かくなる。や……やめろ、なんだその照れてるんですねみたいな顔は! そういうんじゃねえんだよこっちは!!
「っていうかアンジェリカ様も!! アンジェリカ様って私のこと好きだったじゃないですか!!」
「やめろ変態! アンジェリカに近寄るな!」
「私のこれが仮に恋とかそういうアレに近いとしてアンジェリカ様はいいんですか!?」
「確かに、わたくしにとっては失恋という形になりますわ……」
アンジェリカは眉尻を下げて、きゅっと胸の前で指を組む。しかし。
「だけど!! それ以上に!! ネロ様の恋のお話を聞きたいんですの!!」
元気いっぱい少女漫画脳を爆発させていた。こ……このハッピーお嬢様がよ……!!
「まあ座れ、ネロ。どういう経緯で自覚に至ったのか詳しく話せ」
「自覚って……いや本当にそんなんじゃないですよ?」
「まあまあ、ネロの気持ちは詳しく聞いてからぼくらが決めるから」
「私の気持ちなのに……」
「諦めろ、ネロ。皆生徒会の仕事に飽き飽きしてて楽しいことに飢えてるんだよ。幼馴染同士のそういうのとか、面白いに決まってるだろ?」
ヴィルジールがそう言ってウインクする。確かに……私のはそういうアレじゃないけど、幼馴染のそういうのって楽しいもんな。
ごほん、と咳払いをして。
「話を聞いてもらえば分かると思うんですけど、本当にそんなんじゃないですよ」
アンジェリカにしたのと、まったく同じ説明をする、と。
「……恋だな」
オスカーがそう言うのと同時に全員が頷いた。なんで!?
「いや、本当に困ってるんですって! なんかあるんじゃないですか!? 竜特有の病気とか!」
「そんなわけないだろう! というか昔からお前散々エリーゼを口説いてきただろうが! 今更逃げるな!!」
「逃げじゃない! 冷静な分析です!!」
「そんな顔真っ赤にして冷静な分析が出来るわけないだろ……」
「ヴィルジール様! ため息つかないで!!」
まずい、このままでは完全に誤解されてしまう! エリーゼのことは別にそんなんじゃないのに!!
「……じゃあぼく、告白していい?」
「えっ」
ミカエルが不意に放った一言に、素っ頓狂な声が出た。
「こっ……告白……?」
「そう。ネロは分かってただろうけどさ、ぼく小さい頃からエリーゼのこと好きだったから」
なんでもないことのようにさらりと言うが、結構な爆弾じゃないか……? 兄の元婚約者だぞ……?
「こないだのいざこざでエリーゼの幸せを考えるならネロと……って思ってたけど、ネロがそんな感じならいいや! ぼくが……」
「っだめ!!」
思わず出た言葉に、口を押さえる。
後悔してももう遅く、ミカエルがにま〜っと意地の悪い笑顔を浮かべた。こ……こいつ!!
「あれ〜? ネロ今なんか言ったよね? なんて? なんてぇ?」
「言ってません!! ていうかそういうのふしだらだと思いますよ!! 学生が不純異性交遊とか!!」
「ネロも学生だろ……」
ぎゃあぎゃあと不毛な言い争いを続けていると。
「ネロ!!」
不意に、生徒会室の扉がぴしゃりと開いた。
「あなたどこにもいないと思ったら……こんなところにいたのね!!」
そこに立っていたのは、エリーゼだった。
銀色の長い髪。瑠璃色の瞳。整った顔立ちも、華奢な体つきも、いつもいつも見慣れてる、はずだ。
「準備は終わったんでしょう!! こんなところで皆に迷惑かけてないで、さっさと──……」
その腕が私に伸びてきた途端、心臓が大きく跳ねて。
「っひ……」
「ひ?」
「一人で走って帰りまーーーーーす!!」
わけもわからないまま、窓から飛び出してしまった。
「っおい! ここ三階だぞ……って」
「しっかり着地して走り出している……あの化け物じみた身体能力も竜だからか」
「にしても飛び出すなんて……ちょっといじめすぎたかな。ね、エリーゼ」
走って、走って、とにかくエリーゼから逃げていた私は知らない。
「そうね……」
生徒会室の窓から、小さくなっていく私の背中を見つめるエリーゼが。
「もっと違う方法で、分からせてやらないとね……」
静かに闘志を燃やしていたことを。
まったく、酷い目に遭った。
「ただいまぁ……」
転生してネロとなったことに気付いて早6年。私が実家と認識しているのは公爵家……ではなく。
「やっぱここが一番落ち着くわ……」
小さい頃から寝泊まりしている公爵家の馬小屋だった。
藁を隅に寄せてシーツを被せただけのベッドの上に身を投げ出し、深い深いため息をつく。
公爵には改めてお詫びと挨拶をした。思ったより怒ってなかった……というより媚びるような、こちらを窺うような態度だった。
エリーゼとオスカーの婚約が破棄になって、養子予定だった私が公爵になるんだ。公爵としては気が気じゃないんだろう。
その後すぐに馬小屋に戻ってきたし、卒業後は公爵になるという私に雑用を押し付けてくる使用人もいないし……結局、私はエリーゼとは顔を合わせないままのんびりと夕方を過ごせているわけである。
しかし、同じ屋敷に住んでいる以上顔を合わせるのは時間の問題。オスカーに頼んで王宮のゲストハウスに住まわせてもらうか?
そんなことを考えながら、うとうとと微睡んで目を閉じると。
「ネロッッ!!」
「うわーーーーーーーッ!?」
蹴り飛ばすような勢いで馬小屋の扉が開けられる。入ってきた人物を見て、目を見開いた。
「おっ、おぉ、お、お嬢様ッッ!? どうしたんです!? こんなところに!!」
「どうした、はこっちの台詞よ!!」
エリーゼはずんずんと私に近寄ってくる。まずい、逃げよう、と思ったが私がいるのは馬小屋の隅で、気付いた時には。
「なんで逃げるのよ!!」
半ばベッドの上に押し倒されるような形で、エリーゼから追い詰められていた。
「んにっ、逃げてないですけどォッ!? お嬢様こそなんでそんな追ってくるんです、変ですよ!?」
逃げた。確かに逃げた自覚はあるが、それはあんたが追うからだ。びしりとそれを指摘してやると、エリーゼは。
「変じゃないわよ! 大体恋人になったっていうのに一度も顔を見せないあなたの方が変よ!!」
……とんでもないことを言い出した。
「……恋人? 誰と? 誰が?」
「あなたと私に決まってるでしょ!?」
「い……いつから……?」
「あなたが邪竜になった時!! あなた、私のこと愛してるって言ったじゃない!!」
そんなこたぁ言ってない。言ったというか、なんかあの時の諸々の現象をエリーゼがそう解釈したもんで、私もそれに乗っかったというか……とにもかくにも、私はエリーゼと恋人になったつもりなんかはない!
「知りませんよ……ていうかお嬢様、恋人の意味履き違えてるんじゃないですか?」
「履き違えて……?」
「そう、きっとそうですよ!」
だって、恋人ってあれじゃん。好きって言い合って、そのあとは。
考えるだけでかあっと顔がほてってくる。絶対病気だ。間違いない。
「だっ、だから、私と、その、きっ、きき、キスしたり、出来るのかって、話で……」
「……はあ……」
「ほっぺにじゃないですよ!? 口にですからね! ったく、これだから箱入りお嬢様は困ったもんなんだから!」
「そう……」
「そうそうちゃんと考えて! まあ無理か、お嬢様はただ勘違いしてるだけっ……」
ふに、と何かが唇に触れる。それが、エリーゼの唇だと気付いた瞬間、今まで色々考えてたことが、全部吹っ飛んだ。
「……これで、ちゃんと分かった?」
不機嫌そうな顔で睨まれた途端、心臓が弾け飛んだかと思うほど大きく跳ねる。
やっと分かった。目を逸らしていたが、必死に逃げ回っていたが、もうどうにもならないことが。私は、エリーゼが。
「あなたが、好きよ」
この後の記憶はあんまりない。エリーゼ曰く、私は急に頭から湯気を出してぶっ倒れたそうだ。
急に気絶するなんてやっぱり病気なんじゃないかと思ったが、その話を笑いながらするエリーゼをやっぱり可愛く思えてしまって、いい加減腹を括った。
「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡




