61.ヒロインちゃん、恋を知る
ニーナの国外追放に選ばれた日は、夏の朝早くだった。
まだ涼しさを残す空気を肺いっぱいに吸い込むと、なんだか夏休みの始まりのような心地がする。そんな希望溢れる朝ではないのだけど、と自嘲していると、見張りの一人から「早く乗れ」と馬車に乗るよう促された。
「いいか、お前はこれから隣国のスラムにおいていく。どうなるかは俺たちの知ったことじゃない。間違っても一生国境を超えてくるんじゃないぞ!」
「分かってますよ」
ニーナが柔らかく微笑むと、どんな強面でも一瞬怯む。罪悪感があるからだ。こんな純朴で、可憐な少女に酷い仕打ちをすることに。
憂いを帯びたニーナが目を伏せたまま護送用の馬車に乗るのを、見張り二人はじっと見つめる。その目には、確かに憐憫の色が滲んでいた。
「……なあ、どうにかして逃せないのか? 邪竜は抑えられなかったっていうが、聖痕はあるんだろ」
「馬鹿! 王太子殿下の命令に背く気か! 首が飛ぶぞ!」
馬車の前の席から金網越しに聞こえてくる小声での会話に、ニーナは内心ほくそ笑む。
男なんて、いいや、人間なんて単純だ。そんなの、ずっと前から……前世から分かっていたことだろう。
そう、自分に言い聞かせて、窓の外を見る。
「ネロくん……」
朝日を浴びるドラグニア王国を眺めながら、ニーナは同じ転生者の名前を呟いた。
♢
転生に気付いたのは10歳の時。
高熱を出して、寝込んでいた晩だった。
朦朧とする意識の中、何度も何度もやけに生々しい感触の夢にうなされた。
家中に散乱したゴミの匂い。母親の媚びるような笑い方。父親の卑しい目つき。少しわたしに甘いパパも口うるさいママもちゃんといる。なのにどうして、夢に出てきた知らないおじさんとおばさんを自分の両親だと思うのだろう。
学校に行くたびに晒される好奇の視線。「エロ女」とか「淫乱」とか、身に覚えのない悪口の書かれた学校の机。この街の人は皆優しくて、子どもたちはわたしをお姉ちゃんと慕ってくれている。なのにどうして、夢に出てきた心無い人たちをクラスメイトと思うのだろう。
熱が下がって、完全に目が覚めた時に気付いた。
ここは前世でプレイしてた乙女ゲーム『聖女革命ドラゴニックラヴァーズ』の世界。日本の女子高生だったわたしは死んで、ヒロインであるニーナとしてこの世界に転生してきたのだと。
気付いた時は……本当に、本当に嬉しかった。
これで人生全部やり直せるって思った。
もうわざとお風呂の扉を開けてこっちを舐めるように見てくる義理の父親も、それをあんたが色目を使ってるんだと怒鳴り散らす母親も、私の容姿を見て勝手に「エロ女」とか決めてくる奴らも、誰もいない世界でやり直せる!
しかもドララヴァは前世で何回もプレイした。わたしが飛び降り自殺した最後のダメ押しだって、父親からゲームハードを壊されてドララヴァの周回が出来なくなったから。あれがわたしに最後に残っていた逃げ場だ……って思えるくらい、大切なゲームだ。
あの、全部がどうでもよくなるような感覚を思い出すと足元がぐらつく。でも、それもこれも全部、こうやってニーナとして生まれ直すためだったんだ!
転生に気付いた時の高揚感は、きっと一生忘れられない。ママがせっかく下がった熱がぶり返すわよって怒ったけど、それでもはしゃがずにいられなかった。
どうしよう。誰を攻略しよう。やっぱり王道のオスカーかな。でもアルフレッドもわたしが攻略してあげないとお父さんの死から立ち直れない。ミカエルも、ヴィルジールも、ネロも、ヒロインがいたから救われた場面が何個もあったはずだ。
──────それなら、全員を助けて、全員を愛してあげればいい。
選択肢の中でしか喋れない「ニーナ」と違って、「わたし」はちゃんと意思がある。前世で上手く生きていくために身につけてきた技術だってある。絶対にわたしならうまくやれる。そう、確信していた。
「……あーあ……」
なのに、結局国外追放になっちゃったなあ。
違和感に気付いたのは学園に入学してすぐ。
皆、ゲームの時で見たキャラクターとはまったく違う雰囲気になってたから。
ミカエルはもっと腹黒くて外面はいいって感じだったし、アルフレッドはもっとクールで無口だったし、ヴィルジールはナンパしてくる女好きだったし、オスカーはあんなに皆と仲良くしてなかったし、ネロは…………ネロはもっと暗くて、エリーゼに口答えなんか絶対にしない子だったはずだった。
ネロとエリーゼのやりとりを最初に見た時はびっくりしたな。ネロがあんなにエリーゼにズケズケ言ってるのなんて、想像もしてなかった。まあ、だからこそネロくんは転生者なんじゃないかって気付いたんだけど。
そうやって見ていくと、ネロくんのやりたいこともなんとなく分かった。エリーゼに愛されて、邪竜にならないようにしたかったんだよね。
確かに、エリーゼってネロくんからしたら都合いいもん。小さい頃から一緒にいるし、扱いやすいし、オスカーとの恋は絶対に叶わないし。あそこには恋も愛もない。ただの打算なんだって、そう思ってた。
なのに、どうやら違うみたいだった。
どんなに追い詰めても、ネロくんがわたしを選ぶことは絶対になかった。わたしを選ばないと邪竜になっちゃうって分かりきってるのに、それでもネロくんはエリーゼを捨てなかった。
馬鹿みたい。エリーゼなんてうざったい悪役キャラ、推す理由なんて何もないじゃん。自分で自分がどう見られてるかくらい分かるだろうに、何も考えないで馬鹿なことばっかりして。ネロくんが何回も庇うから、こっちもムキになっちゃった。
だって前世のわたしには、周りから何を言われてもわたしの味方でいてくれる人なんていなかったから。
窓の外の景色を眺めながら、前世の記憶を思い出す。走馬灯のように、ゆっくりと。
最悪な両親。最悪なクラスメイト。ゲームの中はいいな。どんなに可愛く生まれても、淫乱とかエロ女とか言われないんだから。そう思いながらプレイしていたゲームのハードを、酔っ払った父親に壊された時のこと。
もう全部いいやって思って、家の近くの廃ビルの屋上に行って……死ぬ直前、地面に体が達するその前に目が合ったあの女の人、なんだかネロくんに似てたなあ。
そんなことを考えていると、馬車の窓から。
「あ」
公爵家のお屋敷が見えた。
瞬間、馬車を飛び出して、走っていた。
「っおい! 聖女が逃げたぞ!!」
「馬車を止めろ! 追え!!」
見張り達の声を無視して、公爵家に向かってまっすぐに駆けていく。
なんで自分でもこんなことしてるか分からない。でも、今はとにかくネロくんに会いたい……!!
「待て!!」
見張りの声と同時に、ぱん、と乾いた音が響く。
一瞬、何が起こったか分からなかった。背後から殴られたみたいな衝撃のあと、お腹に鋭い熱が走る。わたしはそのまま、地面に倒れた。
「っあ……」
「お前っ!! 聖女を撃つなんて……」
「っち、ちげえっ!! こいつはもう聖女じゃないんだろ!?」
ゆっくりと、温いものがお腹から流れ出ていく。その時初めて、わたしは見張りの人たちに撃たれたんだと気がついた。
「…………あー……あ……」
最期の力を振り絞って、うつ伏せていた身体を上に向ける。朝の空は、切なくなるくらい青くて、綺麗だった。
なんで、この世界でうまくやっていけなかったかなあ。
口うるさい時もあるけど、わたしのことを心から愛してくれる両親。田舎だけど、いつでも帰りたいって思える大好きな故郷。騒がしいけど、一緒にいると楽しくてたまらない友達。
前世で手に入らなかったものは、全部全部持ってたはずなのに。
「ネロ……くん……」
公爵家の方を見る。手を伸ばす。届くわけないのに、必死に。
好きな人だって、やっと気付いたのに。
ネロくん。わたしね、この間ゲームの話いっぱいした時に思ったんだよ。もしネロくんと普通に、日本で会ってたら、わたし自殺なんかしなかったかもしれないな、って。
どんなに後悔したってもう遅い。伸ばした手は力尽きて、地面にくたりと落ちてしまう。
そのまま、わたしは。
♢
「おい、本当に殺すやつがあるか……!」
「だっ、だってよぉ、逃したなんて王家に知れたら……」
「いいか、幸い誰も見てねえ! 隠し通すぞ!!」
そうして、少女の遺体は、異国の森の奥にひっそりと埋められた。




