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60.従者くん、ニーナを知る


 邪竜化の一件から、一週間。


「っぶぇくしょッ!」


 王宮のゲストハウスの洗面所。歯磨きしてる最中、くしゃみした勢いで。


「っあ!! やべ!!」


 口から炎が溢れ出て、歯ブラシをまた燃やしてしまった。

 まずい!! オスカーからは好きに使えとは言われてるけどこないだは牙で駄目にしたしもうこれで5本目! そろそろめちゃくちゃ怒られる気がする!


「ネロ様、失礼致します」

「っはァーーーーーーーッ! ちょっと待ってくださいね!?」


 ドアの外から私の世話係担当のハンスさんの声がする。慌てて歯ブラシを誤魔化そうとしたが無理だった。

 結局、呆れ顔のハンスさんから6本目の歯ブラシを貰う羽目になったのであった。あ〜あ。




 邪竜化の件から、一週間。つまり私が一旦完全に竜になって、エリーゼのおかげで人の形を取り戻して一週間。

 私は未だ、溢れ出る竜の力のコントロールがド下手だった。


「ネロ……お前の祖父というあの竜に聞いている。お前が竜の里で過ごしたのはほんの数年間で、竜の力の扱いには慣れていないと。だから多少のことで今更怒ったりしないから、ああいう時は誤魔化さず言え」


 身支度や日課である諸々の身体検査を終えて、王宮の応接室でオスカーに謁見すると開口一番呆れ顔でそう言われた。すいませんねほんとね……。


「ある程度心身の検査を済ませたら、禁域に行くといい。あの竜ならお前の力の使い方も教えてくれるだろう」

「あ、それはお祖父さんからも言われました。本当に人間と共存する気なら一度はちゃんと会いにこいって」

「なら、行かない選択肢はないだろう」


 王宮に出入りする貴族や使用人の中には、当然私の存在に危機感を抱いているものもいる。そりゃそうだ。今まで16年間人を騙して紛れ込み続けた邪竜……そんなもん、さっさと排除したいに決まってる。しかし。


「ようやくお前の今後が決まった。一旦はスカーレット公爵家に預かり……エリーゼの竜、という形になる」

「ははー……竜としてもお嬢様の所有物になるってわけか。今までとあんまり変わりませんね」

「一旦は、だ」


 次の王、国の方針を決める存在であるオスカーは私の排除をまったく考えていない。それどころか。


「学園にもこのまま通い続けてもらう。そして、卒業後、俺が即位したら……お前に公爵の地位を与える」


 とんでもない権力まで与えようとしているのを知って、思わず紅茶を噴き出した。油断したら火も吹くところだった。


「こっ、ここ、公爵ぅ!? えっ、スカーレット公爵の養子になるとかそういうやつですか!?」

「違う。お前はネロ=シュヴァルツとして公爵になるんだ。人と竜の共存の象徴になる形だな」

「いや無理無理無理!!」


 公爵家で十何年生活してたけど公爵が何の仕事してるかまったく知らんぞ私!!


「養子入りとかならまだしも個人で!? 急に奴隷から貴族に!? そんなもん他の貴族が黙ってないでしょ!?」

「既存の公爵家にお前を入れると権力勾配が歪む。文句を言う輩は多いだろうが、そういうのは全て俺が黙らせるからお前はしっかり貴族らしく威厳をもって立っていろ」

「いやいやいや!」


 慌てふためいてとにかく無理だと伝えようとする私に、オスカーは紅茶を啜りながら「これは王国のためでもある」と言った。


「俺たちはきっと、竜との歩み方を間違えた。お前の祖父が人を恨んでお前を呪ったのも、お前が人に絶望して邪竜になったのも、元々は俺たちがずっと竜と向き合ってこなかったからだ。竜使いの国が、聞いて呆れる」


 オスカーはティーカップを置くと、射抜くように私を見る。


「一緒にやり直してくれ、ネロ。人と竜のこれからのために」


 …………オスカーは王子だ。昔からずっとそう。プライドが高くて教えたがりでこっちの都合なんて丸無視してくるクソガキのくせに、こういう時に決して逃げないしこっちだって逃してくれない。

 私は深いため息をついて、オスカーとしっかり目を合わせた。


「……わかりました。王子様のお願いですからね」

「これは友達としての頼みだ」

「……そういう意味でもちゃんと分かってますよ……」


 あの時から、オスカーは私に確認するように何度も何度も「友達だ」「友達として」と言ってくるようになった。まったく小っ恥ずかしいけども、照れるとオスカーに揶揄われるのでなるべく真顔で対応することにしている。まあ、ニヤつかれはするが。


「ほんで……お話って今後の処遇の件だけですか?」

「いや」


 オスカーは紅茶を飲み干すと、応接間のソファから立ち上がる。


「聖女との面会だ。どんな術を使ってるか分からないが、誰も真相を聞き出せていない」




 ニーナが捕えられてるのは、王宮の地下牢だった。


「どんな手を使ったが知らないが、事情聴取に乗り出した臣下達は皆『聖女様が可哀想』としか言わないような状態だ。アルフレッドやヴィルジールにも事情聴取を頼んだが……二人とも……」

「……会いたくないって?」

「……ああ」


 私が邪竜化した瞬間、とんでもない魔力の放出によって辺り一体の竜の魔法やは吹き飛んだという。竜のフェロモンを使ったアイテムである誘惑の香水も、私の魔力を前にその効果を失った。

 夢から醒めたような攻略対象達を襲ったのは、とんでもない自己嫌悪だったらしい。ミカエルも、ヴィルジールも、アルフレッド先輩も、アンジェリカも、気の毒なくらいげっそりした顔つきで私に謝りに来た。あの時の自分はどうかしていた、ネロにもエリーゼにも悪いことをした、と。


「……俺も正直会うのは迷った。だからお前を連れていくんだ」

「そうですね、賢明な判断かと」


 私なら多分、ニーナが何かアイテムを使っていても嗅ぎ分けられる。

 しかし、ニーナの恐ろしいところはアイテムを使って攻略対象を篭絡するところではなく。


「しかし……あの妙な魔道具の影響は一部の人間しか受けないはずなんだ。魔道具の影響を受けていない人間までニーナを庇うのは、一体……」


 立ち振る舞い、声音、表情、指先の一本に至るまで、愛され守られる技術をふんだんに散りばめられた悪女……という点である。

 オスカー。大丈夫。オスカーは思春期だしころっといっちゃうかもしれないけど、私はこんな体してても気持ちは成人女性だから! ニーナが何を言ってきたって揺れたりなんかしないからな!


 と、意気込んで地下牢までの階段を降り、いざニーナに会ってみると。


「あっ、ネロくん! オスカーも!」


 無邪気な笑顔でそう言われた途端、思わず「かわいい」と声に出て自分で自分をビンタした。

 ちがっ……今のはもう反射みたいなもんだから! 猫かわいいとかゆるキャラかわいいとかそういう感じのアレだから!


「久しぶり! 元気にしてた?」


 ニーナは牢屋の中で手枷や足枷をつけられてるのが嘘みたいな笑顔で私達を見る。まるでここは普通に、あの生徒会室だとでもいうように。私が錯覚に苛まれていると、冷静さを失っていないオスカーが、座るニーナを見下ろすように牢の前に立った。


「……ニーナ。俺の臣下を随分腑抜けにしてくれたらしい。何をした?」

「別に? ちょっとお話したら、みんなわたしのこと好きになっちゃうの。昔からそうなの」


 ニーナは小首を傾げて微笑むが、その瞳の奥は冷たく冷えきっている。ああ、そういえばこういう笑い方をする子だったなあ、と思い出した。


「なぜ聖女を騙り、俺たちを惑わせた。何か理由があるんだろう」

「理由なんかないよぉ。ただ楽しい学園生活のためにそうするべきだっただけ」


 ……嘘はついてないんだろう、嘘は。ただ、転生者だとかゲーム知識があるとか、そういう大事なことは全て隠してるだけで。

 私だってまだオスカーにもエリーゼにも前世がどうとか転生がどうとか言ってない。なんて言えばいいのか自分でも整理がついていないからだ。


「ずっとエリーゼを陥れるような行動をしていたのは?」

「それも、楽しい学園生活のため。実際エリーゼにも悪いところあったでしょ?」

「……それでも、あんな風に陥れられて、一人で追放されるのが妥当とは、俺は思わない」


 オスカーはエリーゼの話をする時、ずっと苦々しく顔を歪めている。無理もない。誘惑の香水の匂いが蔓延している間、きっとオスカーが一番エリーゼに対してひどかった。

 だけど、オスカーは。


「……それに、あいつには……ちゃんといいところがある。君が知らないだけで」


 エリーゼと向き合うことから逃げなかった。

 この人、こういうところはほんと王の器だな……と感心する。


「……オスカーがエリーゼを庇うのは、やっぱりネロくんがいるから?」

「…………庇ってるんじゃない。ネロがいて、エリーゼと話す機会が増えて……見方が変わっただけだ」


 ニーナはくすくすと笑う。その笑顔に、どんな意図があるかはわからない。こちらを揶揄ってるようにも感じる笑顔は、不意に、私の方に向けられた。


「……オスカー。わたし、ネロくんと二人で話したいな」

「えっ」


 間の抜けた声をあげて、オスカーを見る。オスカーは私に判断を委ねるかのように、じっと見つめ返すだけだった。

 ニーナはかわいい。ニーナは怖い。アイテムが通じないにしても、私も他の臣下と同じように絆されて帰ってきてしまうかもしれない。

 だけど。


「……殿下、一度……話してみます」


 二人で話したい、と言ったニーナの顔によぎった、ほんの少しの必死さを、私は見過ごすことができなかった。


「……分かった」


 オスカーは地下牢の階段をのぼり、その場を後にする。何かあればすぐに逃げてこい、としっかり私に言い含めて。

 ニーナに目線を合わせるために、床にあぐらをかく。格子越しの笑顔は本当にいつもと変わらない愛らしさで、思わず騙されそうになった思考を振り払った。


「……じゃあニーナさん、私としたい話って……」

「……ネロくん、『どきメモ』シリーズどこまでやってる?」


 ……はい?

 突然ぶち込まれた乙女ゲームの話に思わず耳を疑ったが、目の前のニーナは真顔だった。え、何? もしかして話の枕みたいなもんでここから重大な話につながる、とか……?


「2までだけど……」

「は? 3やりなよ馬鹿じゃないの」

「馬鹿じゃないですけど!? あのねえ、3も気になってんだけど2コンプしてないの! コンプしようとしてもこの手が勝手に佐治くん攻略しちゃうから」

「佐治くん? 意外、柴田くんじゃないんだ」

「いや最初はそこ目当てで始めたけど見事に佐治くん沼に……へへっ……」


 え、なんだこれ。


「『咲桜鬼』は? 勘だけど土方さん推しでしょ」

「えっ、正解。なんで分かるの」

「だってネロくんわかりやすいもん。わたしは普通に沖田くんかなあ」

「あ〜なるほどね、分かる分かる」

「その目やめて、むかつくから」


 なんで、普通に。


「は!? 『デビルーク』は古いでしょ、マジでネロくん何歳なの」

「はあ!? 名作ですけど!? いいか、クラデイス様は初恋なんだ! めちゃくちゃいいんだ!」

「あー名前だけ聞いたことあるかもしんない。どうせここにいたらゲームも出来ないしさ、ネタバレ布教してよ」

「え〜恋バナじゃん、照れる」

「恋バナではないでしょ」


 ニーナと乙女ゲーム談義してるんだ……?


「もうネロくんほんとやだ、ちょっとは自重してよぉ!」

「ニーナさんこそめちゃくちゃオタクじゃん! 『パルドゥレーヌ』とか10年ぶりに口に出したわ!」


 気付けば、私もニーナも大笑いしながらあのゲームがどうだとかこのゲームがどうだとか語り合っていた。

 これもニーナの人心掌握術なのかもしれない。

 でも、涙を滲ませながら笑う姿を見ていると、このニーナはちゃんと素だったらいいなと、そう思わずにはいられなかった。




 一通り乙女ゲームについては語り終えたが、ニーナは結局動機を語る、なんてことはしなかった。そりゃそうだ。ニーナの動機なんて最初から知ってる。

 ニーナはちゃんと「ヒロイン」だったのだ。聖痕もあるし、順当にいけば誰かと結ばれて私の討伐をするに至っていただろう。しかし逆ハーレムをするためにアイテムを使って皆を惑わしたことと、私っていう計算外がいたことでうまくいかなかった。

 ただそれだけのことなんだけど、その説明をするためには転生がどうとか乙女ゲームがどうとか説明しないといけなくなる。結局私は、オスカーには適当に誤魔化すことを決めた。

 何も分からなかった、という私にオスカーは訝しげな視線を向けた、が。


「……まあいい。今回は見逃してやろう」

「あ、珍しい。追及しないんですね」

「なんだ、追及してほしいのか」

「何でもないです、何も分からなかったです」


 オスカーは応接間のソファに腰掛ける。


「何も分からない、なんてことはないだろうが……お前がそれを俺に話さないという決断をしたんだ。今回はそれを慮ってやる」


 寛大な王に感謝……というよりは信頼を寄せてくれる友達に感謝、て言った方が正しいか。「ありがとうございます」と返すと、オスカーが応接間の窓から射し込む、昼下がりの気怠い陽光に目を向けた。


「……動機が何にせよ、ニーナがやったことは国家反逆罪に等しい。今日、彼女の処遇が決まった。国外追放だそうだ」


 国外追放──……ニーナがエリーゼにしようとしていたことがそのまんま返ってきたような処遇に、なんだか居た堪れない気持ちになる。

 ニーナのやったことを考えると妥当だけど、どうしても、ざまあみろだなんて思えなかった。

 ……でも。


「あの子なら、国外でもうまくやるんじゃないですか?」

「……随分ニーナのことを買ってるんだな」

「ま、あの子は良くも悪くも普通の子ですからね。変なことしないで普通に生きてれば、案外幸せに生きられるんじゃないですか」


 願いを含んだ私の言葉に、オスカーが「そうだな」と笑う。

 本当にそうなればいいな、と思いながら、今頃地下牢でふてぶてしく構えているニーナのことを思った。

「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡

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