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54.悪役令嬢ちゃん、竜に出会う


 激しい雷雨の中、あの黒い竜──あるいは、ネロを追って馬を走らせる。


「ここで竜の目撃情報が途切れたんだな!?」

「はい! 自分から飛び込むように禁域に入っていったと……」


 王と共に集団の先頭に立つオスカーが、雨音に負けないように声を張り上げた。

 びりびりと肌が強張るような威圧感。人間ですら感じるのだ。馬や竜はそれ以上に察知しているのだろう。

 目撃情報を頼りにあの竜に近付けば近付くほど、自分たちを乗せている馬も連れている竜も落ち着きを失っていくのが分かった。


「ここは──……」


 6年前、ネロから進言を受け、王家が禁域と制定した森──その前に立ったエリーゼは、息を飲んだ。


「魔法陣……?」


 前に立つオスカーが呟く。

 森は、その鬱蒼とした木々や仄暗い気配ごと覆うように……球状の魔法陣が張り巡らされていた。

 魔法陣は脈打つように鈍く光り、その光を徐々に強めていく。中にも雨は降っているように見えるが、竜も馬も一定の距離を保ったまま魔法陣に近付こうとしなかった。


「父上率いる部隊が突破口はないかと外側を回ってきているが……この雨じゃ狼煙も見えん。それにおそらくだが、突破口もないだろうな」


 馬から降りたアルフレッドが言う。


「古代の竜が使う魔法陣だ……とんでもなく強力で、使える竜なんてほとんど現存してない。あの黒い竜は一体何者なんだ?」


 ヴィルジールが魔法陣をなぞろうと触れると、電流でも走ったのか呻くような声をあげてすぐに手を離した。


「……兄さん。この魔法陣、ほんの少しずつだけど……広がってる」


 ミカエルが足元を指差す。

 エリーゼも視線を落とすと、地面に面した魔法陣は……注意してみなければ分からないほど、ゆっくり。外側に向かって動いていた。

 中に入るどころか触れることも許さないこの結界が、もしこのまま広がって世界を覆ったら、自分達は──……考えただけでぞっとする。


「わたしがいきます!」


 はっとして顔を上げる。

 ニーナが胸の前で手を組んで、オスカーに進言していた。


「この結界、わたしなら超えられるかも……!」

「ニーナ……」

「だってきっとあの竜……『そう』でしょう?」


 皆が黙り込む。

 誰も口には出さなかったが、全員が薄々分かっていた。聖痕を持つニーナが学園にいる。そんな中で現れた、正体不明の巨大な竜。あれこそ、予言で言われていた邪竜なのではないか、と。

 オスカーは目を固く閉じ、そして、意を決したように開く。


「……ああ。行ってくれ、ニーナ」


 ニーナはにこりと微笑む。その中に健気さなどはない。まるで自分が救えて当然、というような自信満々の微笑みだった。

 エリーゼは下唇を噛んだ。

 あんな女に頼るなんて、と苛立つ気持ちは確かにある。しかしあれが……ネロが邪竜で、ニーナが聖女なら……ニーナにしか、ネロは救えないのだ。


「……待っててくださいね。必ずなんとかしてきますから」


 ニーナの指が、結界に触れ。


「──っきゃ!?」


 その手は、結界に弾かれた。


 その場の全員が、ありえない光景を前に息を呑む。誰よりも目を丸く、大きく見開いていたのは、ニーナ本人だった。


「……なんで……」


 笑顔の剥がれたニーナは、わなわなと震える自分の手を見る。


「……あの竜は、聖女様ですらどうにも出来ないのか……?」


 誰かがそう言った瞬間、絶望が一気に押し寄せる。

 あの竜が邪竜かどうかは抜きにしても、聖女も越えられない結界を張るような危険な竜。一体どうやって対処すれば。

 そんな空気を打ち破るように。


「私……私が行くわ!!」


 エリーゼが、声を上げた。


 全員の目がエリーゼの方に向く。しかしそこから落胆の色が消えることはない。無理に決まっている。そう思っているのだろう。言われなくても視線だけで分かった。


「エリーゼ……お前何を言って……」

「あれは私の従者です!!」


 オスカーが止めようとするのを遮って、エリーゼは一歩前に踏み出す。

 皆阻まれた。聖女であるニーナも阻まれた。自分だってきっと。そう分かってはいても、自分だけは、ここから逃げてはいけないと思ったから。

 そして、結界に触れた瞬間。


「……え?」


 冷たい水に手を浸すように、エリーゼの手は、何の抵抗もなくするりと。


「はいれる……わ……?」


 結界の中に、入った。

 オスカーも、ニーナも、皆が唖然とする。一番驚いたのはエリーゼ自身だった。

 聖女でもない。何かに選ばれたわけでもない。なのに、自分だけが。


「…………っ私、ネロを助けに行ってきます!」


 そのまま、全身で飛び込むように結界に入る。何にも阻まれず受け入れられて、薄膜越しに皆が見えた。

 呆然としていたオスカーが、はっとしたように「待て!」と怒鳴る。


「一人で行くつもりか!? 相手はあの竜だ! ネロかどうかだって、まだ……」

「あれはネロなんです!!」


 エリーゼは怒鳴り返した。


「誰も通さないくせに私だけはいいなんて物好き……世界に、ネロしかいないもの!!」


 そうだ。本当は、ずっと分かっていた。

 ネロがニーナを選ぶはずがない。ネロが自分から離れるわけがない。分かっていたのに、疑った。

 早く、ネロに会わないといけない。


 そう、皆に背を向けた途端。空が急に暗さを増して、雨が止んだ。


「っおい、あれ!!」


 誰かが空を指差す。

 雨が止んだのではない。空が暗くなったのではない。雨も光も、遮られたのだ。圧倒的な巨躯によって。

 上空にいる巨大な竜は、自分達の方を目掛けて降りてくる。どしん、という地響きと共に、竜はエリーゼ達の前にその姿を表した。

 黒い鱗。金色の目。追ってきた竜とよく似ているが、よく見れば違う。

 竜は人間を値踏みするように見渡して、最後に薄く透ける魔法陣の向こう側から、エリーゼを見た。

 竜は口を閉じたまま、何かを調整するようにもごもごと動かす。そして。


「……あなたは越えられるのか。ネロの拒絶の結界を」


 人の言葉で、そう言った。


 今まで見たことのない類の竜を前に、全員が身構える。何より異様なのは、ここまで自分達に従順についてきていたはずの竜が、まるでこの竜には敵わないと言うように首を垂れることだった。


「ね……ネロを、知ってる、の……?」


 エリーゼが恐る恐る尋ねると、竜はどこか悲しげに目を伏せる。


「…………ネロは、邪竜になった」


 瞬間、ざわっと場に恐怖と混乱が走った。

 あれはやはりネロなのだ。そしてネロが、邪竜になったのだ。

 言いようもない絶望が胸を締める。しかし、竜の威圧感はエリーゼに膝をつくことを許さなかった。


「……あれは私が呪って邪竜に変えた、化け物だ。怒りのやり場も、憎しみの矛先も、あの子は自分でどうしたらいいか分かっていない。このままでは世界ごと壊してしまうだろう」


 竜はどこか遠くを見た後に、もう一度その金の双眸をエリーゼに向ける。


「…………しかし、あなたがあの子の拒絶を越えられるなら……まだ可能性はある」


 そして、竜は。


「……頼む。あの子を、助けてやってほしい」


 エリーゼに向かって、深々と頭を下げた。


 あまりの光景に全員が戸惑う。だが、エリーゼだけが確信していた。


 きっとネロにはまだ助けられる可能性がある。そして、それが出来るのはきっと、世界で自分しかいない。


 エリーゼは拳を握ると。


「……っ当たり前よ!!」


 雨を振り払うようにそう言った。


「ネロは私の従者だもの!! 私が絶対に、連れ戻すわ!!」


 竜にも、ニーナにも、オスカーにも背中を向けて走り出す。

 自分の小さな背中に世界の命運が乗っている……今はそんなことどうだってよかった。


 ただ、ネロを助けたい一心で、エリーゼは走った。

「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡

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