49.従者くん、決める
エリーゼの停学期間が終わり、復学した……は、いいものの。
「おい、スカーレット様だ……」
「聖女様に殺人未遂したとかいう……」
「しっ、聞こえるわよ!」
「婚約者を取られそうになったからって……度がすぎてるわよ」
エリーゼの評判は、地に落ちていた。
教室へ向かうエリーゼは背筋こそぴんと伸ばしてはいるものの、その表情は強張っている。気にするな、なんていうのは気休めだろうな……。
「ま、お嬢様。ニーナさんには関わらないでいきましょう。私も協力するので」
「……ええ」
好奇の目を向ける群衆をすり抜けるように、教室に入る。先生すらエリーゼに向ける目はどこか冷たく、私の方が心が折れそうになった。
しかし、そこは貴族の子達を相手取った教職員。
授業中にエリーゼに対する悪感情を滲ませることなど一度もなく。
「では、明後日は期末考査ですので」
1日の授業は何の問題もなく終わった。
「お嬢様、帰りましょうか。寮まで送りますよ」
「……あなた、生徒会は?」
「さすがに明後日期末考査ですからね。休みですよ」
エリーゼは「ふうん」と言うと、私に鞄を押し付けてくる。それを受け取って、帰ろうとした途端。
「ネロくん!」
声を聞いた瞬間、身体が強張った。
エリーゼも顔を険しくしたのを見て、背中で庇うように振り返る。
「……ニーナさん。こんにちは」
「あっ、あの……生徒会の仕事のことで少し話があって、少し……いい?」
「……この場でできる話ならこの場で済ませてもらいたいです。私、今からお嬢様を送って帰るので」
ニーナは私の方に一歩踏み出す。下がる暇も与えず、小声で。
「来てくれたら、エリーゼに関わるなっていうあれ。考えてあげる」
……信じていいわけがない。絶対何か裏がある。だけど。
「シュヴァルツ、行ってやれよ……」
やり取りを見ていただけの男子生徒がそう言ったのを皮切りに、周りの生徒が口々に。
「そうよ、学園ではそもそも身分なんて関係ないはずよ」
「そもそもシュヴァルツは生徒会役員なんだから、スカーレット様よりニーナさんを優先しないと」
どんどん、私とエリーゼを追い詰める。
エリーゼを見る私の顔は、どんなに情けないものだっただろう。エリーゼは、苦々しげに口元を歪めると「いいわよ」と小さく言った。
「……私、待ってるから……すぐ戻ってきなさい」
「わかり……ました……」
視界の端で、ニーナがほくそ笑むのが見えた。
「……話って何」
生徒会室に向かう途中の廊下。誰もいない隙を見計らって、ニーナに聞いた。ニーナは「えー?」と笑って首を傾げる。
「別に、ネロくんとお話したかっただけだよ? それさえできればエリーゼに近付く理由ないもん」
「……どうだか。エリーゼのこと、自分の好感度あげる道具にしてるでしょ」
「利用してるのはネロくんも一緒じゃん」
それを言われると何も言い返せず、私はじっと黙ったままニーナの隣を歩いた。
明後日試験なのもあって大半の委員会も試験も休み。いつもよりずっと静かな学園を歩いていると、なんだか世界にぽつんと取り残されたような感覚がする。
教室で待っているエリーゼは、今どんな気持ちでいるだろうか。
俯きがちに歩くうち、ようやく生徒会室に着いた。
「さ、ネロくん。入って入って」
ニーナに促されるまま、中に入る。予想はしていたが、中には誰もいなかった。
「で、結局何の用なの……」
二人で話したい、なんてどうせろくなことじゃないだろう。そんな疑いの目を向けるが、ニーナは後ろ手で扉を閉めると笑うだけだった。
「ネロくん、わたしにエリーゼに近付くなって言ったよね。怖い顔で」
「怖い顔……かどうか知らないけど……」
「あれからちょっと考えたんだ」
ニーナが目を伏せる。
あれ? これ、もしかしていける? もしかしてこれ、本当にエリーゼに近づくのをやめるっていう話なのか?
「……やっぱり、そのためにも」
そんな、淡い期待は。
「っえ、ちょ……っ!!」
ニーナから腕を引かれた瞬間に、打ち砕かれた。
「……あは、びっくりしてる」
気付けばニーナを組み敷くように机に突っ伏していた。
さあっと血の気が引くのが自分で分かった。どんな意図があるにせよ、この体勢がどんな意味か分かるからだ。
「ちょっと、退くから……っ」
「だめ」
ニーナは片手を私の首に回して、もう片方の手で服を緩めた。薄い布地が捲れると、あの頭がぐらつく匂いが漂っておかしくなりそうになる。
「いや、だって……やめてよ、もう……」
言葉では必死に反論するのに、まったく身体に力が入らない。自分の細腕も解けない私はさぞかし滑稽だったんだろう。ニーナはくすくすとおかしそうに笑うと。
「ネロくん、何したって許してあげる」
そう言った。
「だけど、これは取引だよ」
ニーナの指が、輪郭をなぞる。
「ネロくんはここでエリーゼを捨てなきゃだめ。そしたらわたしが邪竜化からも助けてあげるし、ここであったことも、今からあることも、誰にも内緒にしてあげる。でも、エリーゼを捨てないんなら……わたしはここで悲鳴をあげて、ネロくんをもっと辛い立場に落とすから」
「っそんな、何もしてないのに……誰も、信じるわけ……」
「ネロくん、分かってるでしょ」
ニーナの指が、私の唇を滑る。
「みんなに愛されてる聖女様と悪役令嬢の従者くん、みんなはどっちを信じるかな?」
そんなの、火を見るより明らかだ。
私って、そもそも最初から間違ってたのかな。
最初はもっと簡単なもんだと思ってた。
どうせヒロインは駄目なら、悪役令嬢のエリーゼに愛されればいい。そうすれば邪竜になんてならずに済むって。
でも今、一瞬。そんなことどうだっていいって思ってしまった。
「……ニーナさん」
ニーナは微笑む。
「……なあに? ネロくん」
私の輪郭をなぞっていた手を、ゆっくり取って、そのままほどく。
ニーナが目を見開いた。
「……私は、最初に言った通りだよ。あんたとは組まない」
強い意志なんかない、弱々しく震える声だった。
「……私は……私で頑張るから……もう、ほっといて……」
身体を起こして、口元を押さえる。久々に近距離で嗅いだ誘惑の香水は、竜の身体をもってしてもしっかり効いていたらしい。この期に及んで未だニーナは可愛く愛おしく思えた。
でも、それ以上に、未だ教室に一人で残ってるエリーゼが心配で仕方ない。
「……馬鹿だね、ネロくん」
壁にもたれかかるように座り込むと、ニーナが冷たい声でそう言うのが聞こえた。
次の瞬間、目の前のニーナがわざとらしいほどの悲鳴をあげる。ぞろぞろと人が集まってくる中、私はもう、何もする気が起きなかった。
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