35.従者くん、特訓する
「ね……ネロくん、いい? 外すからね……」
「はい……腹は括りました……」
放課後の裏庭。鳥籠から出た小竜をなんとか抑え込んでいる私の目を見て、ニーナが頷く。そして、深呼吸をした後、そっと小竜の口輪を外すと。
「きゃーーーーーーーっ!!」
「あーあーあーあー噛むな噛むな!! 離せ離せ何が気に入らないんだお前はほんと!!」
小竜は遠慮なくニーナの腕をがぶりと噛んだ。
宥めすかしてようやく離させたものの、ニーナの腕にはじわりと血が滲んでいる。ため息をついて、小竜を鳥籠に追いやってから「手当てしましょうか」と言うとニーナが涙目で頷いた。
「ごめんねネロくん、わたし全然だめで……」
「いやいや、竜に触ったことなんて普通ないですよ。私も公爵家に勤めてるから竜が身近だってだけで」
「でもわたし、聖女なのに……」
ニーナとの特訓には、必ず救急箱を持ってくる。特訓を始めて一週間も経つと、完全に習慣と化していた。
入学当初こそ邪竜を打ち倒す聖女として持て囃されていたニーナだったが、竜を扱う授業が進む中でそのイメージはどんどん崩壊していった。
小さい頃から竜に慣れ親しんでるオスカーやミカエルはもちろん、貴族の中では竜使いの才能が無い方と言われていたエリーゼと比べても、ニーナは竜の扱いが下手だったから。それどころか、竜なんて触ったこともない爵位の低い貴族や平民達よりも不器用と言わざるを得なかった。
今やニーナに集まるのは、ニーナが聖女だから……と言うより、ニーナ本人の人格に惹かれた人ばっかりだ。幻滅されてなお人望は失わない。さすがヒロインと言わざるを得ない。
「聖女なんて、生まれでそう決まっただけでしょう。竜とうまく関われるかなんてのはまた別の話ですよ」
「そうかな……」
「高位の貴族は竜の扱いが上手いなんて言いますけど、うちのお嬢様だって小さい頃は竜に噛まれてましたからね」
今じゃエリーゼもある程度は竜を従えられる。それは、この六年間エリーゼが頑張ってきた成果なわけで。
「全部が全部生まれ持っての才能で決まる、なんてことないですよ。ニーナさんは努力家ですから、きっとそのうち竜も懐きます」
ニーナの腕の包帯を巻き終わる。ニーナは口を噤んだままこくんと頷いた。
「…………わたし、自分が竜使いになるなんて思ってもみなかった……」
ぽつりと呟く声は、随分思い詰めたものだった。
「聖痕が出た時……まわりはすごく喜んでくれたの。お父さんとお母さんなんか、町でお祭りを開こうなんて言い出して……」
「そりゃまた規模のでかい親馬鹿で……」
「ふふ、そうなの。うちの両親、わたしのこういうの、自分のことみたいに喜んでくれるから……だから、期待に応えなきゃ、って思うんだけど……」
ニーナの指が、傷のあった場所をなぞる。
「わたしはお父さんのパン屋さんを継ぐんだって思ってたから、まだびっくりしたまんまで……」
切なげに伏せた目に、どこか切ないものを覚えた。
……ヒロインだ聖女だって言っても、この子も別にすごい子なわけではない。聖痕が現れて聖女になっただけ、普通に今日と同じような明日が来るって信じてた子供なのだ。
それが急にこんなことになったんだ。そりゃこんな顔にもなるわな……。
「……竜もそういう迷いが伝わってるのかな? わたしにまったく懐かないもんね……」
「ああ、こいつが懐かないのはニーナさんにっていうより……」
鳥籠から出した小竜の羽を、ちらりとめくる。そこには未だ血の滲む傷跡があった。
「もう飛べるくらいには回復してますけどね、ここ、怪我してる」
「えっ!?」
「捕まえられた時についた傷ですね。だから人間に触られるのが嫌なんだって」
ニーナの竜が私を睨む。こいつが私に噛み付いてこないのは、尊敬してるわけでも好意的なわけでもない。ただ私の方が格上だと分かってるからだ。べ、と舌を出してやるとぺっと唾を吐かれた。こいつ……。
「それなら手当しなきゃ!!」
「へ」
「だって、怪我してるんでしょ!? ネロくん、動かないように抑えてて!」
ニーナは慌てて救急箱を開き直して、傷薬と包帯を出す。
「えっ、いや、竜の傷なんて舐めときゃ治りますよ」
「でも、痛いのに変わりないでしょ!?」
ニーナは竜に「ごめんね」と声をかけながら薬を塗って、包帯を巻いた。随分手際のいい……。
「怖かったよね、痛かったよね……」
眉尻を下げて言う言葉のひとつひとつが、なんだか胸をじんと刺す。これは私に刺さってるのではなく、「ネロ」に……竜の部分に刺さってるんだと、なんとなく分かった。
「できた! ネロくん、ありがと!」
「あ、はい……じゃあ、特訓再開しましょうか」
「うん!」
ニーナはヒロインだ。皆から愛される聖女様だ。
でもきっと、その根っこには普通の……優しくて努力家の女の子がいる。
それはきっと、この竜にも伝わったんだろう。強張っていた身体が少しほどけるのが伝わってくる。
「……今ならもしかしたら噛まないかもしれないですね。抱いてみます?」
「ほんと!? おいで……っ、きゃーーーーーーっ!!」
「おまっ、ちょっとは人の顔を立てるとかしろよ!!」
私の腕から放たれた竜はさっそくニーナの髪の毛を引っ張りまくっていた。うーん……前途多難……。
でも、少しずつ。
「名前をつけてやるのもいいかもしれませんね」
「学校の竜なのに勝手に名前つけてもいいの?」
「竜なんて何百年って生きるんですから、一時的なあだ名なんて大量に持ってますよ。ね〜、セト」
「あっ、ネロくんは自分の竜にセトって名前つけたんだ」
「……青い目の白いドラゴンなので……」
本当に少しずつ。
「やっぱ補給より普通のご飯のほうが食べがいいですね。補給用の液体飼料ってまずいもんなあ」
「ふふ、ネロくんってば食べたことあるみたい」
「奴隷市場にいた頃に好奇心で……かなり後悔しましたが」
「……そう、なんだ」
「あ、そんな重い話じゃないですよ。奴隷市場出身なんて今更、皆知ってることですし」
「だからネロくんは、竜の気持ちがわかるんだね」
「……そうかもしれないですね……」
ニーナは竜と距離を縮め始めて。
「ネロくんっ、聞いて!」
「あれっ!? 抱っこできてる!! どうしたんですか!?」
「モモがね、初めてわたしが口輪外しても甘噛みで済ませてくれたんだよ!」
「あっ、噛むのは噛んだんだ」
裏庭での特訓を始めて1ヶ月も経つ頃には、ニーナと竜……モモはそれなりに仲良くなっていた。
「まだ魔法は出してくれないけど、なんだか前より仲良くなれた気がするの。この子、苺とかラズベリーとか、甘酸っぱいのが好きみたい。今日もわたしがご飯食べてたら、大事にとってたクランベリーのケーキ全部食べちゃって」
「いじめっ子気質は変わらんのかい」
口輪を外されたモモが自慢気に顎をあげてみせる。いや、褒めてないから。
「でも、魔法がまだ出ないのはまずいですね……もう6月なのに」
「そうだよね……どうしよう……」
モモは未だニーナの言うことを聞く気はないようで、ニーナが魔法を出すように命令……というより懇願してもつんと無視して頭の上にのっている。
私からモモにニーナの言うことを聞け、って言うのは簡単だけど、そうしたら今後困るのはニーナの方だ。ニーナがここまで育んだ関係値を、私が無碍にしたくない。
「まあ、焦っても仕方ありません。ニーナさんにはニーナさんのペースがありますから」
「ごめんね、ネロくんは優勝目指してるのに……」
「謝らなくていいですよ。私は優勝っていうかお嬢様の優勝阻止出来ればそれで──……」
そんなことを話していると、「フローレンスさんにシュヴァルツくんよね」と声をかけられた。後ろを振り向くと、こちらを見下すご令嬢が二人……。
「……ニーナさん、誰でしたっけ?」
「ネロくん、同じ学年の人だよ。たしか、二人とも伯爵家のお嬢様とかいう……」
あんたもうろ覚えなんかい。
しかし身分が高い人に覚えてないよ誰だよお前なんて言うのはめちゃくちゃ不敬罪。私は曖昧に笑って立ち上がり、社交界式のお辞儀をかました。
「これはこれは……お二人ともお揃いでどうされたんですか?」
「お二人が模擬戦優勝なんて目指して頑張ってるって聞いたから、応援しにきたんですのよ。竜なんて触ったこともない平民と奴隷なのに、涙ぐましいことですわね」
「ええ、本当に! 身分の差を見ても諦めないなんて、なんて健気なのかしら!」
ああ〜……この格差社会、この既視感……。
とはいっても、この子らはエリーゼよりだいぶ根性がねじ曲がってると見た。エリーゼなら直接罵倒しまくるのに、この子達は褒めてる風に罵ってくるんだから。
「それはどうも……では私たちは個人練習があるので」
「お待ちなさい」
伯爵令嬢達はふふん、と勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「頑張ってるあなた方に、胸を貸して差し上げようと思ってね。どう? わたくしたちと試合形式の練習、してみない?」
試合形式のねえ……。
二人と、そして連れている竜をちらりと見る。口輪を外されていないし、なんだか二人に怯えているように見える……。胸を貸すなんて言ってないで自分たちが先に竜とちゃんと関係作れよな。
「……お気持ちは嬉しいですが、学内での私闘は校則違反ですし、伯爵家のご令嬢やその竜に怪我をさせたら大変ですよ。お気持ちだけ受け取っておきます」
「あら、私闘じゃなくて練習、よ。自己研鑽の一部だと言えば先生だって納得してくださるわ」
「そうよ、これも一つのノブレスオブリージュですわ。まだ竜に魔法を使わせられない平民と練習しようなんてもの好き、他にいないでしょう?」
挑発だ。乗る必要はない。ここは適当に流してさっさとこの場から去るのが吉である。
「それとも平民は、貴族からのお恵みは無碍にしろ……なんて教育を受けて育ったのかしら? まったく、お里が知れるわね」
はは、言ってら言ってら。そう思いながら立ち去ろうとした時、ニーナの方を見て背筋に怖気が走った。
血が通っていないのかと思うほど冷え切った瞳。その目はまっすぐ、伯爵令嬢達に向けられている。
「……訂正してください……」
「へっ」
「わたしの家族を馬鹿にしたこと! 訂正してください!!」
っはぁ!? いやいや安い挑発じゃん!! 何乗ってんのニーナ!?
「あら、だってその通りじゃない。わたくしたちの誘いを無碍にするんでしょう? さぞかし礼儀知らずなご両親なのね、かわいそうに……」
「わたしは可哀想なんかじゃない!!」
ニーナはしっかりと地面を踏み締める。
いや、おい、待て、まさか。
「受けて立ちます!! その、試合形式の練習ってやつ!!」
こいつ……まだ竜に魔法使わせられないくせに、勝手に勝負受けやがった!!
「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡




