番外編 トレジャーハンターと治癒巫女3
ハルとフェーリアが初めて狩りに出た日――
森の奥、陽の届かぬ木々の隙間で、確かに“それ”は蠢いた。
一瞬。ほんの一瞬だった。
だが、見間違いではない。
視界の端を這うように、影が揺れた。
獣とも違う、風でもない。輪郭を持たぬ“意志”のようなもの。
ぞわり、と背筋を撫でる不快感。
理由のわからない不安だけが、胸の奥に沈殿していく。
――あれは、なんだ……?
振り返った時には、もう何もなかった。
森はただ、いつも通りの静寂を装っているだけだった。
それでも、あの影だけが妙に記憶に残っていた。
「ハルさん。歩くの……速いですって」
背後から少し息の上がった声。
振り返ると、頬を赤くしたフェーリアが小走りで距離を詰めてくる。
「ん?そうか?お前が運動不足なんじゃねえの?」
わざとらしく肩をすくめて笑うハルに、フェーリアはむっと頬を膨らませた。
「もう……運動不足なんてとっくに解消されています!
半年もハルさんと一緒にこうやって狩りをしているんですから!」
言い返しながらも、呼吸はまだ整っていない。
それでも必死に隣に並ぼうとするその姿に、ハルは小さく笑った。
――もう、半年か。
最初はただの同行者だった。
だが今では、それが当たり前になっている。
村を出て、狩って、野宿をして。
食料が尽きれば戻り、また出る。
単純で、危険で、だが確かな日々。
戦いになれば、前に出るのはハル一人。
一対一の時もあれば、囲まれることもある。
その度に、体は傷つく。
浅い傷で済む日もあれば、深く肉を抉られることもあった。
そして――
そのすべてを、フェーリアが治してきた。
だが彼女は、自分が戦いに加われないことをよく理解している。
最初の狩りで、嫌というほど思い知らされたからだ。
自分を庇ったせいで、ハルが余計な傷を負ったこと。
その光景は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
だからフェーリアは距離を取る。
気配を消し、見つからないように徹する。
ハルが何も言わなくても――
それが自分にできる最善だと、理解していた。
(――私がいない方が、怪我しないで済むのかな)
ふとした瞬間に浮かぶ、その考え。
胸の奥に小さな棘のように刺さっている。
その日の夜。
宿屋のキッチンから、包丁の軽やかな音が響いていた。
トントントン――
一定のリズム。迷いのない手つき。
ハルは椅子に深く腰掛け、目を閉じてその音を聞いていた。
(……色々めんどくせえが、この音を聞くとどうでも良くなるな)
戦いの疲れも、森で見た影の違和感も。
この音がすべてを薄めていく。
それは、戦場には存在しない“安心”の音だった。
「ハルさん。ハルさん。ご飯出来ましたけど……」
肩を揺すられ、ゆっくりと目を開ける。
「ああ、眠っちまってたか。いつもすまんな」
「気持ち良さそうに眠ってましたよ。よっぽどお疲れなんですね」
テーブルに並べられた料理。
湯気、香り、色合い――どれもが完璧だった。
ハルはそれを見るなり、子供のように顔を綻ばせる。
「いただきます」
そして、無言で食べ進める。
その表情だけで、どれほど気に入っているかがわかる。
フェーリアはその顔を見るのが好きだった。
どうすればもっと喜ぶか。
味の濃さ、火の通し方、盛り付け――
すべては、その一瞬の笑顔のためにある。
「ごちそうさま。今日もウマかった。いつもありがとうなフェーリア」
空になった皿の前で、満足そうに手を合わせるハル。
その無防備な笑顔に、フェーリアも自然と笑みを返す。
――だが、その笑顔は長く続かなかった。
意を決したように、表情が引き締まる。
「あ、あの……ハルさん……?」
「んあ!?改まってどうした?」
真っ直ぐな視線に、ハルは一瞬たじろぐ。
そして妙な期待が頭をよぎる。
(……もしかして、告白とか……?)
「あのですね……その……」
「な、なんだ!?」
「私……狩りについていくと邪魔ですか?」
言葉は静かだった。
だが、その奥にある不安は隠しきれていない。
ハルは一瞬、言葉を失う。
確かに、負担はある。
庇いながら戦うのは、体力も神経も削る。
だが――
それ以上に、得ているものがある。
(……俺は、こいつを……?)
胸の奥で、答えが形になる。
「なあ、なんでそう思う?戦えねえからか?」
ハルはゆっくりと立ち上がり、フェーリアを見る。
「それは違う。俺はな――お前が居てくれるから戦える」
一歩、距離を詰める。
「怪我しても、治してもらえる。
……それだけじゃねえ」
言葉を探すように、一度視線を落とし――
そして、まっすぐに見据えた。
「フェーリア」
「はい?」
「俺とずっと一緒に居てくれないか」
静かで、だが揺るがない声。
「命に代えても護る。約束する」
一瞬の間。
そして――
「俺と結婚してくれ」
空気が止まる。
「あわわわ……ハルさんどうしました?急に???」
動揺するフェーリア。
だが次の瞬間、その表情が変わる。
真剣さに気付いたからだ。
小さく息を吸い、整えて――
微笑む。
「はい」
迷いのない返事だった。
「もう私は、ずっとハルさんについて行こうと決めてました」
その瞳には、確かな覚悟が宿っている。
「村の掟とか、色々大変ですけど……
私を連れ去ってくれますか?」
一瞬、ハルは目を見開き――
そして、いつものように笑った。
「ああ。フェーリア、俺の職業を知ってるか?」
「え?」
「トレジャーハンターだ」
にやりと笑い、胸を叩く。
「村の宝をもらっていくぜ!!!」
トレジャーハンターと治癒巫女。
奪う者と、与える者。
本来なら交わらぬはずの二人が出会い――
運命は、静かに動き出した。
まだ、それはほんの小さな歯車。
だが確実に、世界の流れを変えていく。
あの森で見た、不吉な影もまた――
その歯車の一部であることを、二人はまだ知らない。
それでも。
今この瞬間だけは、確かだった。
温かな食卓と、隣にいる存在。
それだけで、世界は満たされていた。
そして――
この物語は、
一人の少年が生まれる、
ほんの前の出来事である。
だが――
それは、まだ“始まり”に過ぎない。
二人が選んだこの“今”は、
確かに、消えることなく未来へと受け継がれていく。
交わした想いも、
重ねた時間も、
護ると決めたその誓いも――
すべてはやがて、
一つの命へと繋がっていく。
まだ名も持たぬその存在は、
静かに、だが確かにこの世界に芽吹こうとしていた。
それがどれほど過酷な運命を背負うのかを、
この時の二人は、まだ知らない。
それでも――
あの日、あの夜、選ばれた“今”は、
決して間違いではなかった。
だからこれは、
世界が壊れていく物語ではなく――
“繋がれていく物語”の、始まりである。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
今回の番外編は、ずっと書きたかったお話でした。
ハツキの父と母――ハルとフェーリアが、どんな想いで“今”を選び、どんな形で未来へ繋げていったのか。
本編では断片的にしか触れられていなかった部分ですが、
この二人の選択こそが、すべての始まりだと思っています。
どれだけ世界が歪んでいても、壊れていく運命の中にあっても、
それでも人は「今」を選ぶことができる。
その積み重ねが、やがて誰かの未来になる――
そんな想いを込めて書きました。
そしてこの物語は、ハツキが生まれるほんの少し前の出来事です。
ここから先に繋がるものは、すでに本編で描かれている通りですが……
もしこの番外編が好評であれば、
本編にも登場した“あの日記”に繋がるところまで、もう少しだけ続きを書いてみたいと考えています。
ハルとフェーリアが何を遺し、何を託したのか。
そしてそれが、どのようにハツキへと届いたのか。
興味を持っていただけたら、ぜひ感想などで教えていただけると嬉しいです。
本編もいよいよ終盤。
最後まで全力で描き切りますので、引き続きお付き合いいただければ幸いです。




