雨と冷たいあの人(sideレーゲンボーゲン)
この雨の中を走って行く勇気は無かった。朝の天気予報では、通り雨の予報は出ていたので、直ぐに上がるだろう。そのための折り傘も鞄には入れていなかった。TV局の中にある、カフェで時間を潰そうかと思ったが、きっと、同じ様に足止めをくらった人たちが詰めかけている事が目に見えていた。
「どうすっかな」
今日の仕事は遥だけだった。嘉隆は違う仕事で、今日は一緒ではない。マネージャーも挨拶をして別れたばかりだ。小雨程度の雨なら駅まで走った。どしゃぶりではしょうがない、困ったな、と呟いて、どこか近場で雨で濡れる時間が少しでも短い場所は何処かに無かったか。頭の中で地図を描きながら考え込んでいると後ろから声を掛けられた。
「雨ね、古川さんは傘は持って来ていないって、ところかしら」
低めで落ち着いた女性の声だった。さっき、番組で一緒だった、頼永円、彼女は遥たちよりも三つ年上の女優だった。昔から、憎まれ役をやる事が多い人で、冷たい印象のある人だ。
今日は、番組の宣伝に来て居て、もう一人、若手の人気女優と一緒に出ていたと思う。最近では、俳優が音楽番組に番組の宣伝を兼ねて出演する事もある。若手の人気女優はドラマの主題歌を歌っているので、一緒の出演だったのだが、この人がいなくても、という反応もあった。
「頼永さん」
「あら、私の事知ってるのね」
今回のドラマの彼女の役どころは、若手女優の上司役だ、何でもそつなくこなす人で、周りからは少し、距離を置かれている、そんな役だ。ドラマは始まったばかりで、彼女の立ち位置はまだ、明かされていない、そんな事を番組内で言っていた。
「私で良かったら、駅まで送る? それとも、どこかで雨宿りするならそこまで送るけれど」
「お茶でも、飲みに行きませんか」
「あら、こんな私を誘うの? 物好きね」
遥自身も驚いていた、言葉に出た一言を今更、取り消せなくて、どうしようか思案しているうちに、円は持っていた傘を開いた。「近所に美味しい紅茶を淹れるお店があるの。それとも、コーヒーの方が良かったかしら」円の手から傘を取ると、遥は笑みを浮かべる。
「紅茶、良いっすね」
彼女から出た、さり気ない遥の好みの話題に、取り消すつもりは無くなった。その一言に釣られる様に円も笑みを浮かべて、「チーズケーキも絶品よ」と告げた。その言葉が決め手だった様で、円の案内でそのお店に向かった。大通りから、一本裏通りに入った、雑居ビルの二階、日当たりは良いとは言えない。けれども、看板もビル自体もとても綺麗だ。静かで落ち着いていて、雨宿りするには絶好の場所だろう。
少しでも、外の様子を見たくて、窓際に座る事にした。客は遥たち以外に年配の男性と、若い女性ふたりがいるのみだった。
店内も落ち着いた雰囲気で、少しでも店内を明るくしようと、植物が多い。店主が水を持って来てくれて、注文を聞いてくれた。遥は、セイロンとスフレチーズケーキを、円はアッサムとレアチーズケーキを注文する。チーズケーキは、ベイクドチーズケーキもあった。
遥は本気で悩んでいる様で、その様子に円は面白いものを見る様に笑った。あまり、笑わない人だと思っていたので、それが少し意外だった。
「紅茶好きなんですか?」
「コーヒーよりはお茶かな、ぐらいには好きかしら。チーズケーキはもっと好きだけど」
このお店に来る理由はチーズケーキの方らしい。どれも、美味しいので、次は違うものを食べにくれば良いと言ってくれた。しかし、遥は「三種類全部をちょっとづつって言うのもアリだと思う」と提案するが、それなら、また来てもらえなくなるでしょう? という言葉が返って来た。確かにそれもそうだな。
「誰かを誘う様な人に見えなかったんだけど」
「たまたまですかね」
「そっか、私が古川さんがお茶好きなの知ってた、って言ったら帰っちゃう?」
「隠している事でもなしいし、気にしませんよ。それよりも、頼永さんが俺の事を知っているのも意外でした」
「レーゲンボーゲン、有名じゃない。知らない人いないでしょう?」
冷たい人だと思った。水の様な温度の自分なら、氷の様なこの人なら、合うのではないか、打算的な考えを思い描いて、それを打ち消す。まだ、何も始まってはいない。紅茶とチーズケーキだけの関係でも構わない。突然の雨が呼んだ、出会いに、乗ってみたくなっただけだ。
「頼永さんって本名なんですか?」
「芸名みたいよね、でも、半分だけ本名よ」
「半分とは?」
「頼永まどか、まどかは平仮名よ。女優デビューする時に、あまりに可愛いから漢字に変更になったの。平仮名だと可愛いでしょ、それが、似合わないって変更になった。古川さんは本名よね」
「です、遥も同じくらい可愛いって言われますけどね」
「そうなんだ、私にはかっこいいと思うけどね」
社交辞令なのかも知れない、周りにはイメージと違う人たちが多すぎる、この人もそんなタイプなのだろうか。運ばれて来た紅茶もチーズケーキもどちらも美味しかった、そして、この関係をもう一度続けても良いと思うほどに、話も楽しい。
「私たち、見た目で損しているタイプなのかもしれないわね」
「確かに」
窓の外を見ると雨は止んでいた。夕日がビルの隙間を通るのが良く見える。ここ、この時間が一番素敵なのよ、そう言って円は最後のチーズケーキを口に放り込んだ。
「ありがとう、古川さんの話は興味深くて楽しいわね。また、雨が降ったら誘っても良い? まだ、食べていないチーズケーキを食べましょう」
そう言って、伝票を手に立ち上がる、遥も立ち上がろうとしたがそれを制された。ゆっくり、食べて。そう言って円は片手を上げると会計を済ませて店の外に消えた。
俳優が歌番組に出演したから、突然の雨が降ったから、だから起きた奇跡だ。またがあるはずはない。このお店に、一人で来ても良い、誰かと一緒でも良い、でもそれはしたくは無かった。
また、ある事を願って、遥は最後の紅茶を飲み干した。それは、自分の心の様に少し渋かった。まだ、自分には追いかけて、彼女を引き留める自信はない、だから、また会う事が出来たら、その時はきっと。
ちょっと、切なめな恋愛未満の大人の駆け引きを書いてみました。遥くんのお相手は大人の女性が多そうですね。




