重ならなかったあの日の雨の真実
映画の告知会は無事に終わった。終了後は、特に予定はないので、これですべて、終わりのはずだった。辺りに視線を向けると、マスコミの人たちは、前島監督や出演者の方に気を取られている様だ。
先ほどの一幕は全国放送で、流された。きっと、嘉くんの話題は本当にこれで、収束するのだろう。私は、莉子さんと並んで控え室に向かう通路を歩いていた。通り掛かるスタッフの人に「お疲れ様でした」と声を掛けて、控え室に入る。莉子さんが今日ぐらいは一緒に帰ろうか、と提案してきたがそれを断る。
少し、歩いて、考えたかった。莉子さんは私を心配してくれている。私専属のスタイリストの佐伯美月さんは、帰宅用のいつもの私を作ってくれた。今日は、黒のワンピースを羽織りにして、インナーは、白の七分丈のシャツ、裾の広がったジーンズに、黒の帽子と眼鏡。ここまで、見た目にこだわって、マスコミを避けるのは、今回だけで終わって欲しいと思う。もっと、気軽にファッションを楽しみたい。
「じゃあ、麻衣、気を付けてね。あ、まずは、浅生くんに連絡して、そして、何かあったら、私にも直ぐに連絡する事」
「ありがとう、莉子さん、じゃあ、また、明日、事務所で」
警備員さんに挨拶して、告知会が行われたホテルを出る、嘉くんたちは、今日一日、事務所で、私の様子を心配して放送を見ながら待機しているはずだ。簡単にメッセージを送ると直ぐに返事が返って来た。「迎えに行く」って言われたが、ここから、事務所までは、かなり距離がある。電車を使っても、二十分は掛かるだろう。
返事を返そうとしたタイミングで、後ろから、声を掛けられた。少し弾んだ女性の声だ、聞き覚えはある、だって、さっきまで一緒に居たのだ。その声はすごく嬉しそうで、挨拶での一幕はやはり、演技ではなかったのだと、分かった。
「麻衣さん」
「綾香さん、何故、私だと分かったの?」
「控え室に挨拶に行こうと思ったら、帰るところだったみたいなので、追いかけちゃった」
控え室の張り紙には、私の名前がある、だったら、中から出てくるのは、私かマネージャーの莉子さん、美月さんの三人のうちの誰かになるだろう、そして、この身長だ、直ぐに分かっただろう。
一瞬だけ辺りに、視線を送って、マスコミの姿が無いのを確認すると、お互い小さく声を掛け合った。綾香さんもまた、変装を意識した格好だ。
「ちょっと、待ってね」
そう断って、簡単に嘉くんに連絡を入れる。「関係者の方と飲みに行く事になりました。終わったら、連絡します」嘘は付いていない。さっき、考え事をしたいと言ったのは、綾香さんの事だ。それなら、向こうからやって来てくれたので、直接聞いて見ようと思った。
「一緒にご飯どう? それとも、早く帰らなきゃダメ?」
「ぜひ!」
王子様スマイルを浮かべると、綾香さんは嬉しそうに、了承してくれた。綾香さんもきちんと、家族に連絡を入れている様で、好感が持てた。昔はそうじゃ、なかったのかな、今の旦那様の教育の賜物なのかな。
私たちは、人目を避けるように、個室のある、お店に落ち着いた。ワインも飲める、イタリアンがメインなお店だ。多分、マスコミの姿はないって、綾香さんが言うので信じる事にする。
料理とお酒を一通り、注文すると、早速、私は口を開いた。綾香さんに聞きたかった事だ。きっと、最初の私のお誘いで、なんの話題になるのか、察していた様で、ワインに一口、口を付けると話始めた。
「まず、最初に、旦那さん、森沢尚人さんの事、知っていますか」
「うん、綾香さんよりも随分年上だよね」
「私よりも十歳以上上です。初めて、私が尚人さんに会ったのは、麻衣さんに失恋した二年後でした。ドラマで共演して、すごく優しくしてくれて、ちょと、麻衣さんに似ていて、好きになるのに時間は掛かりませんでした。でも、尚人さんは、その時、幼馴染みのモデルの奥さんがいました」
その時の事を思い出している様だった。森沢尚人さんは、その時、三十歳半ば、その五年前にモデルの麗奈さんと結婚した。そのニュースは知っていた。だって、私と広大くんが結婚した年なのだ。私たちの結婚よりも少し早く、しかし、直ぐに話題は私たちの結婚の話題に塗り替えれた。
「奥さんに内緒で付き合う様になりました。付き合い始めても尚人さんはとても優しくて、どうしても諦められなくなった。でも、諦めなきゃいけない人で、その時に、浅生さんに会ったんです。浅生さんとは、私が出るTVドラマの主題歌を歌ってくれて、その告知会でした。古川さんは、その時、用事があるとかで、早めに帰っちゃったので、浅生さんを飲みに誘いました。それから、何度か会う様になりました。優しい人でした。でも、この人を騙しているんだと思うと、悲しくて、でも、尚人さんを諦めるには必要な人でした」
「それは」
「うん、知ってました。浅生さんは、私を見ていない。付き合い始めて、何度か一緒にいて、気付きました。優しいけど、甘い笑顔で笑ってくれるけれど、それはどれも、私を見ていない。それなら、騙しても良いかなと、魔が刺してしまいました。その頃には、尚人さんの子供を妊娠していました。浅生さんに妊娠した、と伝えて、彼は私の言葉を信じて結婚してくれました。でも、すれ違いは続く一方で、好きになる努力はしました。でも、浅生さんは、そうでは無かった。寂しくて、家に居るのが辛くて、直ぐに仕事にも復帰して、家を空ける事が増えました。浅生さんは、何を考えているのか、分からない人で、それが次第に怖くなりました。そして、あの夜、ついに喧嘩になった」
その辺の事情は嘉くんに聞いていた。嘉くんの威圧的な広島弁にも怯まずに、綾香さんは、嘉くんと言い合いの喧嘩になった。綾香さんの出身は東京の葛飾区の下町出身なので、嘉くんに負けないくらいの度胸があった。子供の父親が違う事を告げたのは、綾香さんなりの、譲歩だった。雨の日だったらしい、傘も手にせず、綾香さんは雨の中に消えた。
「その後、実家で母に怒られました。もう隠す事は無理でした。尚人さんに、すべてを話しました。そして、何度も話し合いました。そして、知ったんです。私がどれだけ、独りよがりだったかを。尚人さんは、私を受け入れてくれるつもりでいたそうです。それなのに、私が一人で先走って、みんなに迷惑を掛けてしまった」
「何があったの?」
「尚人さんは、最初から、奥さんと別れる予定でいたそうです。尚人さんと麗奈さんは、幼馴染みで、三十歳を過ぎてもお互い好きな人が居なかったら、親を安心させるために結婚しようと言う約束をしていたそうです。結婚しても、お互い好きな人が出来たら別れようと言う話だったそうです。それを、もっと早く知っていれば、こんな事にならなかったかもしれない」
まるで、自分を見ているようだった。独りよがりで周りに迷惑を掛けてしまう。私は小さくため息を付いて、ワインに口をつける。綾香さんの話に夢中で、お酒を飲む事さえ忘れていた。
「嘉隆くんは、かっこつけで、弱みは絶対に見せない人で、そのすべてを自分の殻に閉じ込めてしまう人。あの時、綾香さんと別れて、これまでのすべての事に傷付いて、疲れ果てて、何も出来なくなった」
「やっぱり、私は浅生さんを傷付けていたんですね。ごめんなさい、謝っても許してもらえないかもしれない。私はそれだけの事をしてしまったんですね」
「知ってる? 何故、私が嘉隆くんと付き合い始めて、結婚したか、あの時、私の歌を聞いてくれたんだって。綾香さんと離婚して、何も手がつかなくて、その時に私の歌を聞いて、勇気づけられたらしい。私の歌が嘉隆くんを救ったみたい」
「じゃあ、あの時、浅生さんが、レーゲンボーゲンが再始動出来たのは、麻衣さんのお陰なんですね」
「私ね、綾香さんとこうして、話が出来て良かった。きっと、話していなければ、ずっと綾香さんを恨んでいたかもしれない。綾香さんは嘉隆くんに似ているね。不器用で、好きな人に全力で。ね、友達になろう、乾杯しよう、ね?」
綾香さんはいつのまにか泣いていた。私が打ち明けた、嘉くんのその後の話に涙を流した、それでも、私のおどけた一言に、泣き笑いを浮かべた。私たち、友達になれるかな、なりたいな。
その後、私と嘉くんの事いろいろと聞かれた。美味しいワインを飲んで、美味しい料理を食べて、お互いの惚気話を続けた。尚人さん、綾香さんを本当に溺愛しているらしい。尚人さん、ようやく、愛する人を見つけた様で、綾香さんの暴走に、本当に困ったらしい。
「え、浅生さん、麻衣さんの前では、そんなにはっきり、要求するんですね。初めの頃、私が近付いても照れまくって、視線、ほとんど合わせてくれなかったのに、逆にくっ付いて来るなんて、意外です」
「そっちの方が初々しくて、良いね。見てみたかったよ」
綾香さん、お酒それなりに強かった。私と飲んでも、少し、顔が赤くなる程度で、嘉くんと飲むと嘉くんが先に潰れるらしい。そこまで、飲ませた事なかったので、知らなかった情報だ。見てみたい、そう思ってしまった。
九時を回った頃、流石に家族が心配するだろうと思い、綾香さんを解放したのだった。その後、尚人さんがわざわざ、綾香さんを迎えに来た。初めて会う私にも、丁寧に挨拶してくれた。優しい人なんだろうな。私の方は、二人の入れ違いに嘉くんが迎えに来てくれた。少し早く着いた様だが、綾香さんと尚人さんがいたので、居なくなるのを待っていた様だ。そして、誰と飲んでいたのかバレた。
「麻衣、全部聞かせてくれるよね」
「はい」
私は、観念するしか無かった。嘉くんの表情は読めない。たまにある、何を考えているのか分からない時が、私の事なんだろうけれど、少しでも、考えを知りたくて、自分から、手を繋いで見る。するりと、指を絡ませて、嘉くんは、耳元で囁いた。くすぐったい。周りに誰も居ないのでほっとする。「覚悟して」その一言に赤面するしかなかった。
その夜は、飲み直しながら、綾香さんとの会話を話す事になった。綾香さんから、聞いた尚人さんの事、そして、綾香さんの思い。嘉くんの、その後の事も。私の歌に関する事だけは恥ずかしいので伏せた。
「もう少し、油断しない様にしないとダメだな」
「嘉くん、完璧過ぎて、もう少し肩の力抜かないと、ダメだよ」
「家では抜いてるつもりだけど? 麻衣、ありがとう」
「何のお礼?」
「きっと、俺だったら、過去の事、諦めていただろうから。麻衣が、あいつと話をしてくれて、真実を知る事が出来て良かった、そう思ってね」
「私が知りたかったの。綾香さんは、本当に可愛い人で嘉くんと一緒で不器用な人だった。その事、知れて良かったよ。嘉くん、私を選んでくれて、ありがとね」
この人が、弱みを見せてくれるのは、私だけ、それなら、ずっと、この愛しい人を全力で守りたい。両手で頬に触れて、口付ければ、「ぶち、嬉しい」と言う言葉と共に、キスが返って来た。
そして、飲ませ過ぎた、潰れるのを見てみたいと思ったんだけど、寝ちゃった。寝顔は少し、幼く見えて、可愛い。そして、「覚悟して」の言葉の意味は先送りになった。
VS元嫁。綾香さんの旦那さんの森沢尚人さんも登場、この人は優しすぎる人で、親のために、元嫁の麗奈さんと結婚しちゃう人です。綾香さんの境遇を書いておきたかった、そんなお話です。




