僕から君へのありがとう
今日から十月に入る。本格的にミュージカルが始まり、十一月からは、ミュージカルから映画に変更された『兄弟星の物語』の撮影も始まる。それは、嘉くんと違って、私の出番は多くは無いので、予定では一日で終わるようだ。嘉くんは、もっと掛かるかもしれない。これから、レーゲンボーゲン二十周年に向けて色々と忙しくなっているので、ちょっと心配だ。
今日は本当は休みのはずだった。しかし、突然、私は事務所に呼ばれたわけだ。
「麻衣、おはよう」
「あ、おはようございます、莉子さん」
「ちょっと、社長のところまで来てもらっても良いかしら」
真剣な莉子さんの表情に、何かあったのだろう。莉子さんには、既に伝えられているようで、美月さんも一緒に呼ばれた。私と美月さんは顔を見合わせて首を傾げた。
「おはよう、莉子。何かあったの?」
「ええ、それは社長本人から話があるわ」
「何か深刻なこと?」
「ああ、ごめんなさいね。そんなに、不穏なことじゃないわ。でも、私の口からじゃなくて、社長から聞いて」
なんだろう、言い難いことだろうか。美月さんに詰め寄られて、莉子さんは困ったように小さくため息を吐いた。ノックをして、社長室に入ると、多田さんは私と美月さんをソファーに座るように勧めた。莉子さんが、席を外して、コーヒーを淹れて戻ってきた。
「うん、ちょっと、困ったことになってね」
「困ったことですか」
「麻衣ちゃん、レーゲンボーゲンが解散するんじゃないか、って言う噂聞いていない?」
「ああ、聞いていますが、それって、ただの噂ですよね。だって、嘉くんも遥くんも否定していますし、いつも通り二人仲良しですよ」
「うん、それは僕も知っているよ。でも、周りはそうは思っていない」
「確かにそうですね」
「それで、レーゲンボーゲンが二十周年を迎えるタイミングでデュオからバンドに移行する話を聞いたんだ。それは、本当のことだよね?」
「ああ、はい。えっと、聞きました」
「うんうん、ちゃんと麻衣ちゃんにも伝えてあるようで、良かったよ」
その話は、社長の耳にも入っていたようだ。もしかしたら、私が聞いた四月のタイミングで同じように聞いていたのかもしれない。ただ、私が知っているのか分からないので、私には知らせなかったようだ。
「単刀直入に言うと、荻野さんからレーゲンボーゲンとの仕事を一月からしばらくの間、やめようと言うことに決まったんだよ」
「え」
「うん、レーゲンボーゲンがデュオからバンドに移行する前から、サポートメンバーとの仲を良くしていきたいと言われた」
「ああ、なるほど」
このタイミングで、私が知っていることも荻野さんから伝えられたのだろう。莉子さんは、その話を聞いていた。そして今、私と美月さんにもその話をしたわけだ。
「具体的に言うと三ヶ月ほど。レーゲンボーゲンの二十周年のデビュー日ごろまでになると思うよ」
「分かりました。では、十二月までの仕事はそのまま継続されるんですね」
「うん、それとね、TVやイベントの共演は無くなるけど、三月以降に解禁される仕事はその限りじゃない」
「ちょっと待って下さい。それ、一月以降も仕事していると言いませんか」
「時期がはっきりしなければ、問題ないかな」
うわー、それって、一月以降に仕事をしても、一月よりも前でした、って言うつもりか。私の視線に気付いた多田さんは、ごめんね、と言って謝ってくれた。なんか、みんなを騙している気がしてモヤモヤする。
「それと、もう一つ。 SNSや配信サイトはその限りじゃないので、浅生くんと一緒に共演するのは問題ないよ」
「あまり、一緒にやっていないので、いきなり増やすと不審がられる可能性もあるんですよね」
「そうだったね、離婚の話も出ているんだったね。見極めが難しいね」
レーゲンボーゲンの解散の噂だけじゃない、私と嘉くんの離婚話までに発展しているのだ。レーゲンボーゲンの方は、サポートメンバーも含めた仕事を増やすと言っていた。私とレーゲンボーゲンの仕事は自重すると言っているので、嘉くんとの仕事も同じく自重することになる。
「それのことなんだけど、広めた人物がいるのよ」
「え、それって」
「想像付くんじゃない?」
それって、私のファンか嘉くんのファンしかいない。遥くんのファンと言うことはない。いや、嘉くんとの仲を推奨する遥くんファンの可能性もあるかもしれないか。私と嘉くんに離婚してほしいと思っている人の仕業だろう。私を攻撃するためだけで、遥くんファンと言う可能性もあるかもしれない。そこまで多くはないけどレーゲンボーゲンのファンに嫌われていたりもする。そこまで過激じゃなければスルーしている。そんなこと思いたくはないけど可能性は否定出来ない。
「嘉隆くんの熱狂的なファンだったわ。社長は全力で麻衣を守ると言っているので、悪いけど、厳重注意させてもらったわ」
「まだ、続くようだったら」
「ええ、その時は警察に報告するつもりよ」
「でも、分かって良かった」
「それとね、麻衣には言っていなかったことがあるのよ」
「今それを言うと言うことは、その人に関係あることなんですね」
「はっきりしたことは、分からないけれど、同一人物と言う可能性もある」
「それって、私たちの結婚報告のときのことですか。少なからず、誹謗中傷があったと聞きました」
あの時は、嘉隆くんの熱狂的ファンから私に嘉隆くんと離婚しろ、と行った類の誹謗中傷があった。私が聞いたのは、あったと言う事実だけでそれが、特定されていて、やっぱり、厳重注意されていたようだ。アカウントを変えて、名前を変えてしまえば誰か分からなくなるので判断は難しい。
これで、片付くといいんだけどね、と多田さんは困ったようにため息を吐いた。もう本当にみんな私に甘いな。ほんと、申し訳なく思う。いつもありがとうございます。
「これ、嘉くんには…」
「言ってないわ。だって、嘉隆くん、城咲さんのときのこと、あの時l殴りかかりそうな勢いだったじゃない。そんな人に言えるわけないわよ」
「確かに、広大くんの時もめちゃくちゃ怒っていた」
「でも、荻野さんには、伝えたわ」
「ありがとうございます」
「麻衣が被害者なのに、謝らなくて良いわ。私たちは、全力で麻衣を守るから」
莉子さんが、カッコいい。美月さんも、うんうんと頷いてくれている。あ、嘉くんには言っちゃダメなの、って聞いたらそれは私と遥くんから伝えて、と言われた。
「どうして、ですか」
「二人なら止められるんじゃないかしら」
「わかりました。最初に遥くんに伝えます」
「それなら、こっちから連絡するわ。明後日の午前中に古川くんは仕事でこっち来るので、その時にでも」
「はい、了解しました。宜しくお願いします」
「休みなのに本当にごめんね」
社長にも謝られた。一般的な会社員と同じように週休二日制なホワイトな事務所なはずなのに、こうしてたまに事務所に呼ばれることがある。ミュージカルで疲れているのにごめんね、とも言われた。莉子さんこそ、まだやることがあるって、働き過ぎじゃないか。
「莉子さん、仕事直ぐに終わります?」
「そうね、これをまとめ終わったら、私も帰るわ」
「じゃあ、待ちます。一緒にランチして帰ります」
「あら。珍しいわね、麻衣から誘ってくれるなんて」
うんうん、楽しんでおいでと良う多田さんと、自分も行く気満々な美月さんがいた。早速、美味しいお店があるのって言って、美月さんノリノリだ。私たちはその後。美月さんおすすめのお店でランチにしたのだった。
レーゲンボーゲンとの仕事を自重するお話の麻衣視点になります。熱狂的なファンはどこにもいるもので、麻衣の耳にはほとんど入って来てはいませんが、実は事務所側は麻衣を守るため麻衣には話していなかったことが多くあります。もしかしたら、嘉隆くんの方も麻衣ファンから攻撃されている可能性もあります。




