可愛い嫉妬と、キスの嵐に慣れない
お芝居での事が嘉隆くんにバレた。四月の顔合わせの時点で、私は、嘉隆くんの元奥さんと綾香さんが結びつかなかったのだ。調べていれば良かったのかもしれないが、好きな人の過去の恋愛話なんて、知りたくはなかった。だから、幸せな結婚して、子供がいる、それくらいの認識しか持っていなかった。
それに、あの時、私と雑誌のモデルの仕事をした時の彼女は少し破天荒だが、可愛い人で、朗らかで悪いイメージはなかった。仲良くなって、きっと、あれは、素の状態で、とても楽しんでいるようだった。私の緊張も最後にはかなり、解れていたと思う。
「ごめんなさい、知らせたら、嘉隆くん困るなって、あの時の嘉隆くんの話を聞く前に既に決まっていた事だし」
「その事についても、俺も前科有りだし、気にしていない」
「前科?」
「俺たちが十六周年の時に、出したシングル、あれ、あいつが出ているドラマの主題歌だった」
「そうだったんだ、あれね、忙しくて、一話だけ見たよ。でも、綾香さんはまだ、登場していなかったな。エンディングにレーゲンボーゲンの歌が流れてとても、雰囲気合っていて良かった」
「見ないでとも言えずに、そのままになってたから」
考える事は一緒だが、今回は明らかに違う。そっちは、面識さえない状態だ。でも、今回の私はお芝居の主演で、綾香さんは、私が演じる毒の耐性を持つ青年に口付けされて、死んじゃうヒロイン役だ。軽くストーリーの説明が終わると、目が合わせられない。視線を外して、そっぽを向いたが、戻されてしまった。
「キスって、本当にしたの?」
「演技に妥協したくないので、しました」
なんだ、この公開処刑。嘉隆くんの顔が近付く。だめだ、やっぱり、私には、腹芸は無理だ。この人のまっすぐな目には、嘘はつけない。降参するように、手を挙げると、その手を取られた。
「何回したの?」
「公演中は一日一回で、二十日くらいあるので、二十回ぐらいする?」
「稽古中は?」
「通しでやったのが三回くらいかな」
「じゃあ、これから、俺もそれくらいで」
「何が?!」
キスに決まってるでしょ、そう言って、嘉隆くんから、長いキスをされる。これで、カウント一回て、無理っ、心臓が持ちません。お芝居とは、勝手が違う。
気持ちが入ると照れるに決まっているじゃないですか。毎日、会っているわけではないので、するとしたら、一日に何回する事になるのだろう。
「どんなキスしたの?」
その質問攻めやめて。また、唇が重なる。二回目。息が続かないと、抗議するがやめてはくれない。怒ってるようには、見えなかったのだが、どっちだろう。
甘い、キスも言葉も全て甘すぎる。その甘い声で囁かれたら、その甘い笑顔で見つめられたら、どうしたら良いのかわからなくなる。
「ごめんなさい、綾香さんを私の方に向けておけば、嘉隆くんの事、思い出す事もないと思ったの、私が落としちゃえば、嘉隆くんに、迷惑掛からないと思ったの」
「麻衣、それ、本気で言ってるの。俺は、もう麻衣しかいらないし、言い寄られても、突き放すよ。それ、分かってる? 分かってくれないとまた、するよ?」
そう言って。甘い口付けは、何度も繰り返された。嘉隆くんを怒らせちゃだめなんだと思い知らされました。あ、怒ってはいないかもしれないけれど。多分、広島弁出ていないので、怒っているわけではないのかな。
* * *
舞台での、私の役は、依頼を受けて、毒を使って、殺人を犯す殺人犯、毒の耐性を持ち、殺すのは女性のみ。ヒロインは、恋人が殺人犯だと知る。他の男の元に身を寄せるが、恋人が裏切られたと思い、そのヒロインは最後に恋人だった男の毒の口移しで亡くなる。悲劇の話だ。最後にヒロインは恋人の腕の中で息を引き取る。
そう見えているが分からない。もしかしたら、その彼女にも毒の耐性が出来ていて、彼女は死んでいないのかもしれない。そして、主人公は、ヒロインと共に消えて幕が閉じる。ハッピーエンドだったらいいな、悲恋は好きではない。
でも、それは何故か世間には、受けるものだ。台本の文字を目で追っていた私は、後ろから声を掛けられた。真剣に台本に向き合っていたらしい。その表情が、真剣なもので、普段の演技をしたものでは無いと、思った様だ。
「これが、本当の麻衣さん?」
「こんな、私は嫌かな?」
「背中が寂しそうで、あの人を思い出しちゃった。絶対に相容れない人。何を考えているのか分からなくて、一緒に居るのが辛かった。表情を変えずに、私が望めば何でも叶えてくれた。でも、私を見る事は最後までなかった。好きになろうと、努力はしたんだけど、到底、無理で。最後には、その人を怒らせちゃった。謝りたい、謝って許してもらえるか、分からないけれど。麻衣さんがあの人に見えちゃった。ごめんなさい」
「あの人?」
「知ってるよね、話題になっちゃったもの。ごめんなさい、こんな話しちゃって。今は本当に幸せなんだよ。子供達もいて、だから、あの人には幸せになって欲しいって思うの。あんな、別れ方して、迷惑掛けて、幸せになって欲しいなんて、言う権利ないのにね。ほんと、我儘だよね、私」
ようやく聞けた、嘉隆くんの話、なんで、誰もみんなこんなにも、不器用なんだろう。泣き出した、綾香さんの頭の後ろに手を回して引き寄せる。優しく抱き締めると、綾香さんの手が私の背中に回された。こんな、姿。嘉隆くんに見せられないな。
「レーゲンボーゲン再始動して、活動してるんだから、ちゃんと、幸せになれたんじゃないかな」
「そうかな」
「そう思った方が気持ちも楽になれそうな気がしない?」
「そうかも、麻衣さん、ありがとう、やっぱり、麻衣さんは、私の王子様だ」
ここでも、王子様言われた。まぁ、呼ばれ慣れていますが。優しく笑うこの人、あの日、嫌いって言ったけれど、嫌いにはなれないかもしれない。
綾香さん、可愛い人だ、好きな事に忠実で、それを望むために何でもする。似ているかもしれないね、私の好きなあの人に。
* * *
七月から始まった、お芝居は順調に進み、最後の日を迎えた。あのキス地獄から、解放される事はなかった。
うん、本能に忠実な人で、会う度に、愛を囁かれて、キスされる。あの声で、されると、どうしても、慣れない。キスって慣れるものなのかな。
だって、あの綺麗な顔で愛を囁かれて、キスされちゃ、いつまでも慣れるわけないと思う。
季節は夏になり、今年も帰省は無理かなと、それでも、今年中には、一度実家に戻りたい。嘉隆くんと、付き合い始めたことぐらいは、きちんと話しておきたい。きっと、昔のように騒がれることはないだろう。現に私の周りにマスコミの姿はない。向こうはどうか分からないけれど。
強い日差しは既に梅雨明けを迎えて、これからどんどん、暑くなるのだろう。東京よりも遥かに涼しかった地元を思い出す。見渡す限り山ばかりだったが、こうして、ビル群を見上げると、あっちの方が良かったなと思える。
「海行きたいな」
ぼそりと、私が呟くと隣りを歩いていた、嘉隆くんがその言葉を拾った。帽子にサングラス、暑さ避けの意味もあるだろうけど、どちらかというとマスコミ避けだ。青系の夏らしい素材の少し派手目の柄シャツに、下は、珍しく膝下ぐらいの丈のショートパンツ姿だ。サングラスじゃなくて、伊達眼鏡だけど、私も似たような格好だ。
ただ、嘉隆くんの希望のワンピースは、ずっと着ている。今日のは、ベージュ系のエスニック風の柄のものだ。それに、日傘で暑さを避けている。
「泳ぎに行きたいってこと?」
「いや、浸かりたい?」
「温泉じゃないんだから」
「海ね、そんなに遠くなかったんだけど、私泳げないんだよね。夏休みの行事に遠泳とかあったんだけど、辛くてね。遠泳なのに、浮き輪使ってた。夏の砂浜熱いし、やっぱり、実家に帰れたら考えることにする」
「泳げるところあるの?」
「結構あるね。うちの地元、ほんと何もなくて、夏は海ぐらいしか行くところなかった。まぁ、市町合併してからは、かなり名所増えたけど」
「そのうち、行きたいね」
「何もないって言ったのに物好きだね、嘉隆くんのところは、海は遠そうだよね」
「遠いね、小さい頃は海に連れていってもらった記憶はないかな」
私の言葉に、とても楽しそうだ。海好きなのかな。海が身近にないと、そう思うのかもしれない。水着になるのを見られるのは、あまり嬉しくないけれど、一緒に海も悪くないかもしれない。
「さてと、俺は事務所に行かないと、今日の予定は?」
「スタジオでレコーディングがある。嘉隆くんも、頑張ってね、古川くんに宜しく」
「麻衣も、倒れないでね、ちゃんと水分補給忘れずに」
少しでも涼しいところを、求めて日陰を歩こうとするが、それでも暑い。田舎のような暑さを増す蝉の大合唱がないだけマシだった。嘉隆くんと別れて、私は目的のスタジオに入って、ようやく一息ついた。エアコンのある部屋が天国だ。今日の仕事は、次に出す曲のレコーディングがある。
私は重い腰を上げて、実家に連絡することにした。お盆は無理だが、そこを避けて帰れるかもしれない。杏も心配だし、稲刈りの季節でもあるので、少しぐらい手伝おうかなと思う。嘉隆くんの予定も聞いて、おかないといけない。
「俺はいつでもいいよ。稲刈りの手伝いもするし」
「いや、それはさすがに、申し訳ないよ。っていうか、やったことあるの?」
「それなりに田舎なんで、やった事あるよ」
それでも、稲刈りの手伝いなんて、させられないと思う。早めに行って、稲刈り後に、迎えに行くのがいいかもしれない。そう上手く行くかは分からないんだけど。
スキンシップが増えると、糖度も甘くなってしまいます。更に言うと、甘い顔面偏差値の高い嘉隆くんなので、尚更、糖度が上がってますね。
このお話だけ、場面がころころと変わって申し訳ありません。お話を分けようとすると、短い話が三本になってしまうんですよね。匙加減が難しいです。




