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凍土に咲く花、君の声  作者: 雨咲はな


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8/10



 クリスティーナ王女は、三日ほど別室で静養してから、自分の私室に戻ることを許された。

 その時になってようやく俺も、王女のご尊顔をまともに拝する機会を頂けた、というわけだ。なにしろそれまでの王女は、王直々の命により、強面の兵たちによって、ぎっちりと身辺警護をされていたらしいからな。

 この国では、王族を守るのは、選ばれた近衛隊員たちと決まっている。しかしさすがにこの不祥事の後では、近衛隊を王女に近づけさせたくはなかったのだろう。

 格で言えば、身分の貴賤に関係なく志願できる兵よりも、どこに侍っても問題ないよう礼儀を身につけた上流階級の子息のみで構成される近衛隊のほうが上だ。王女の護衛が兵に任されるというのは、近衛隊員たちにとって、とんでもない屈辱ということになる。あるいは、そのあたりまで考えての判断だったかもしれない。

 とはいえ、いつまでもそのまま、というわけにはいかない。

 王宮の廊下を歩いてくる王女の背後に控えているのは、兵ではなく、ランス隊長だった。この一件についての処分は、王女がアズガルドに行ってから、ということになるようだ。今、隊長を降格させても、その後釜に据えるべき人材がいない。何事においても優秀なランス隊長の存在は、失態に目を瞑ってでも、王には必要であるということだ。特に、この厄介な時には。

 淑やかな足取りでゆるゆると進むクリスティーナ王女の顔には疲労が見える。だがそれ以外には、特に面やつれしているわけでもなく、健康面でも問題なさそうだ。珠のような肌は透けるほど白く、荒れてもいない。伏せられた長い睫毛が影を作り、それまでの無邪気さが抜けて、むしろ以前よりも美しくなっているほどだった。


 ──セオが自分の命を懸けて、守り抜いたものがこれか。


 部屋の前に立って、俺は心の中でそんなことを思った。

 あいつはきっと、骨の髄まで近衛隊員だったんだな。是か非かと問うたなら、俺は決してそれが是であるとは認められはしない。だけどセオは自分の信念に基づいて行動し、やり遂げたということなんだ。

 王女を守り、キルヒリアの未来をも守った。

 きっと満足して死んでいっただろう、と。

 そう思うしか、ないじゃないか。



          ***



 かつん、という軽い音をさせて、王女が足を止めた。

 俺を先頭に、近衛隊員らと、ネリーたち侍女が、それぞれ礼を取り、頭を下げる。

「……お帰りなさいませ、王女殿下。我々一同、無事のお戻りを心より喜んでおります」

 何も考えなくとも、自分の口からは、すらすらと淀みなく言葉が出た。我ながらえらく棒読みの無機質な声で、言祝ぎというよりは悔やみを述べているかのようだったが、別に構やしないだろう。

 背後からは、鼻を啜るような音が聞こえる。振り向かなくても、ネリーだということが判った。

「ただいま戻りました」

 王女は弱々しい声で、そう返しただけだった。

 こうして聞くと、顔は似ていても、王女とティナの声はまるで似ていないんだな、と気づいた。聞き慣れているのはもちろん王女のほうなのに、妙に違和感を覚える。なんでかな。

 いや、考えるまでもないか。そもそも、王女が近衛隊員に口をきく機会なんてものが滅多にないんだから。常に近くにいるとはいっても、俺たちはいわば空気のようなもの。王女のほうだって、それくらいの認識しかなかったはず。

 ちらっと見ると、俺だけでなく、他の近衛隊員や侍女たちも、どこか居心地が悪そうにしていた。きっとみんな、同じことを思っているのだろう。


 俺たちは、誰彼かまわずぺらぺらと気安く喋り続ける、ティナの明るい声を聞きすぎた。

 だからこんなにも耳に馴染んでしまって、未だに離れないんだ。


 私室の扉が開けられる。

 俺たち近衛隊員の前を通り過ぎ、部屋の中に入ろうとした王女は、何かに気づいたかのように、手前で立ち止まった。

「ネリー、わたくしがいない間、わたくしの代わりをしていた娘がいたと聞いたわ。それは本当?」

 問われて、ネリーは一気に緊張したように表情を強張らせた。

「え……はあ」

 曖昧に言葉を濁し、助けを求めるような視線をこちらに向けてきたが、俺は仮面のような無表情で、それを撥ね返した。仕方なく、ネリーが再び王女に顔を向ける。

「……その通りでございます。陛下のご命令により、ティナと申す小さな村の娘を」

「そう」

 王女はネリーの言葉を最後まで聞くことなく、疲れた様子で短い声を出した。

「だったら、寝室のシーツも枕も、新しいものに取り換えてね。その娘が使っていたものは、すべて捨ててちょうだい。わたくし、他の誰かと共用で使うなんてイヤだわ」

「…………」

 これには、ネリーだけでなく、他の侍女も言葉を失った。

「あの……あの、その、ティナという娘については」

 うろたえたように、ネリーが慌てて言い足そうとする。しかし王女はそれすら煩わしそうに片手を振って、退けた。

「ネリー、お願いよ。わたくし、くたくたなの。余計なことは聞きたくない。これからアズガルドのことも勉強しなければならないとお父様は仰るし、フレデリックは怖い顔でお説教ばかりするんですもの。……みんな、ひどいわ。誰もわたくしのことなんて、ちっとも親身になって考えて下さらない。わたくしがどれだけつらく苦しいのか判りもしないで、まるで工芸品のように、アズガルドに売り渡すつもりなのだわ。王女であっても、わたくしは一人の人間なのに」

 その悲しそうな声、悲しそうな顔つきは、まぎれもなく本気で言っているらしかった。

 この王女は本当に心の底から、自分のことを「醜い男との結婚を無理やりさせられる可哀想な王女」であると思っているのだ。それを、改めて痛感させられた。



 俺は笑いそうになった。

 可笑しさなんて欠片もない。空虚な笑いはまるで慟哭のように、ひたすら苦痛を伴って胸を抉るだけのものだった。

 本当に、まったくなんて……バカバカしい。

 こんな王女のために。



「クリスティーナさま……」

 ネリーの顔からは血の気が引いていた。

 蒼白になり、穴が開くほど、王女の顔をじっと見つめる。ネリーの中で、何かが大きく揺れて、崩れて、徐々に変化していくのが、手に取るように判った。

 その瞳からは、王女が王宮を出奔するまでは頑なに居座っていた盲従の光が、消えている。

 もちろん、その忠義心に変わりはないだろう。ネリーにとって王女の存在は、自分の心臓のように、生きていくため必要不可欠なものだ。

 しかし、以前とは確実に異なっているものもある。今になってようやく、ネリーはこの王女の人となりを、客観的な物差しで理解することが出来たのかもしれない。

 近衛隊員や侍女たちも、互いに顔を見合わせて当惑しているようだった。今のこいつらの目に、愛らしく優しい王女の姿はどう映っているのかな、と俺は意地悪く考えた。

 開いた扉から、王女が室内に入っていく。その後から、ネリーたち侍女も続く。ネリーは最後に振り返り、俺を見て何かを言うように口を開きかけたが、結局唇を引き結んで顔を前方に戻した。

 バタン、と扉が閉められる。

「…………」

 俺は冷ややかな目でそれを見てから、ランス隊長のほうに顔を向けた。

 隊長は王女よりもずっと疲労の影が濃かった。このひと月あまり、ろくすっぽ休みもせずに王女捜索の陣頭指揮を執り、動き回っていたのだから当然だ。王女は無事戻ってきたとはいえ、部下を失い、面目も失った。この人の性格から考えて、本当は自ら辞職を願い出たいところだろうに、すべてを呑み込んで王宮に留まっている。

「──ロイド」

 ランス隊長が俺の名を呼ぶ声には、沈痛な響きが混じっていた。

「本当に、いいのか」

 その確認に、思わず俺は口許を歪めた。この言葉を聞くのは、一体何度目になるだろう。この三日の間、さんざん話し合ったというのに、まだ言うのか。

「もちろんです」

「決心は」

「変わりません」

「……そうか」

 隊長は静かに言って、深く息を吐き出した。

「すまない」

 ぽつりと言葉が落とされて、苦笑する。今さらだよ。ランス隊長ははじめから、こうなることを見越していたのだろうに。

「じゃあ」

 ここまで来たら、俺のほうに言うことなんて残っていない。それだけ言うと、くるりと踵を返して足を踏み出した。

「え、ロイドさん、どこへ──」

 何も知らされていない近衛隊員が驚いたように声を上げたが、ランス隊長に止められたのか、すぐに消えた。

 後ろは振り返らなかった。前方だけ見つめて、歩き続ける。

 コツコツという自分の足音を聞きながら、俺は左の腰にある剣の鞘に手をかけた。


 ……さあ、最後の大仕事だ。




          ***



 王宮の端の小さな部屋の中に、ティナはいた。

 王女の私室と比べれば、格段に狭くて殺風景な部屋だ。調度といえば、簡易な寝台と椅子とテーブル、それくらい。窓は一つで、鉄格子が嵌められている。侍女に与えられている部屋よりも、よほどみすぼらしい。地下牢よりは寒くない、というところだけがまだしも救いだ。

 見張りの男に錠を開けさせ、俺がその部屋に入ると、悄然と椅子に腰かけていたティナは、目を見開いて跳ねるように立ちあがった。

「ロイド!」

 掴みかかってくるかと思ったが、ティナは立って俺を見返したまま動かなかった。その顔には、怒りでも嘆きでもなく、ただ困惑ばかりが乗っている。

 ネリーに叱られながらもよく手入れされていた髪は乱れ、顔色も悪い。食事はちゃんと与えられていたはずだが、口にする気にはならなかったか。無理もない。


 王女が帰ってきた途端、私室を追い出され、こんなところに閉じ込められ続けていたんだからな。


「ロイド、ねえ、これ、どうなってるの? 誰に何を聞いても、教えてくれないの。ランスさんはどこ? ね、王女さまは戻ってきたんでしょ? だったらあたし、もうエディのところに戻ってもいいんでしょ? そういう約束だったよね? どうしてまだ王宮から出してもらえないの?」

 胸の前で両手を組み、急き込むようにしてティナは立て続けに問いを連発した。

 さすがにいつもの笑みはなく、どこか泣きそうな表情だった。こんな場所に放置されて、ずっと不安だったのだろう。当然だ。

 ……それでも、責めるよりも先に、答えを求めるのか。

 俺ならそれをくれる、と思っているのだろうか。よくは判らないけどこれにはきっと何かの事情があるはずで、それを聞けば納得できると期待しているのだろうか。きちんとした答えを得られれば、また安心できると。


 どこまでも単純で……純粋な娘。


「──あんたはただの、王女の代わりだったんだよ」

 俺の口から出たのは、我ながらぞっとするほどの乾いた声だった。

 ティナが大きく目を瞠り、一歩、後ずさる。

「う、うん……そうよね。だから」

「だから、本物の王女が戻ってきたら、用無しなんだ」

「え──」

 ティナはまったく意味が判らないというような顔をしていた。いや、頭は悪くないのだから、薄々は気づいているはず。

 でも、それを受け入れることが出来ない。

 信じたくないんだ。

「バカだな」

 俺は素っ気なく言った。この言葉も、もう何回目になるかな。

 どいつもこいつも、バカばっかりだ。

 セオも、ティナも、ランス隊長も、ネリーも、王も、王女も──俺も。

「最初から、こうなることは決まってたんだよ。王女の出奔なんて不祥事が、ほんの少しでも外に漏れたら困る。なのにあんたを生きてここから出すとでも思ったか? 王女の代わりとしてこの王宮に連れて来られた時から、あんたは始末されることが決定されていたんだ」

 王女は王宮を出ていない。

 だから王女の代わりなんてものは、はじめから存在しない(・・・・・・・・・・)

 そういうことだよ、と俺が言うと、ティナは表情も動きも止め、固まった。



 わかっていたさ、俺も、ランス隊長も。

 この王命が下された時点で、最終的には関わった娘を片付けなきゃいけなくなると。

 それが王宮の考え方、やり方だ。

 だから反対した。ランス隊長だって、なんだかんだと口実をつけて、見つからなかったと報告するつもりだっただろう。

 でも、王女にそっくりの顔立ちをした娘は見つかってしまった。

 ──ティナはここに来てはいけなかった。



「……うそ」

 ティナの唇から、呟くような声が洩れる。顔からはさらに血の気が抜け、紙のように真っ白だ。俺を凝視する灰色がかった青色の瞳は、ここに至ってもなお、否定を求めていた。

「残念ながら、王宮ってのは、そういう場所だ。外側からは美しく立派に見えても、中身は打算と思惑ばかりの、権謀術数渦巻くドロドロした汚いところさ。ここでは誰もが、自分の保身と利権のことしか考えない。身分なんてものを持たない人間の命は、紙屑よりも軽いんだ」



 俺も王宮に入った当初は、希望を抱いていたよ。

 王宮は国の中枢。そこにいる人間は、みんな国のため民のため、働いているものだと思ってた。

 セオのことを甘ちゃんだなんて言えやしない。あの頃は、俺も大いに甘い考えしか持っていなかった。

 俺は家の中でいつも一人だった。父も母も弟も、俺にとっては遠かった。血のつながりが騒乱の種になるのであれば、もう家族というものに幻想を抱くのはやめようと思った。

 だったらせめて、まったく関係のない「誰か」のために生きていこうと。

 国でもいい。民でもいい。顔も見えない、名前も知らない、「誰か」。

 そういう存在に少しでも貢献できれば、何かが救われるような気がした。

 ──だけど。

 近衛隊に入った俺が見たのは、あまりにも直視しがたい「王宮」の現実だった。

 誰かが誰かを陥れ、誰かが誰かを踏みつける。謀略と策略が張り巡らされ、嘘と駆け引きばかりが交わされる。つまらない理由で罪が捏造され、命が消えていくこともある。この寒く貧しい小国のことを、本気で憂えているのは、ごく一部しかいなかった。ほとんどの人間は、「自分」のことしか考えていなかった。

 俺は深く失望した。


 クリスティーナ王女というのは、俺のその失望の象徴のような存在だった。


 もちろん、勝手に期待して勝手に失望した俺が悪い。王女には罪はないのかもしれない。王女自身は何ひとつ、悪いことなどしてやしない。素直で朗らかで、王宮の見えないところを流れる暗く血生臭いものとはまったく無関係な場所にいて、何も知らずにいつも微笑んでいた。

 あの人は本当に、国や民のことよりも、綺麗なドレスや他愛ないお喋りにしか興味が向かなかった、という、それだけのことなのだ。

 ……でも、王女は、ただの一度も頭の片隅に浮かべることはなかったのか?

 今自分が着ている洋服や食事が、どんな理由で与えられているものなのかって。王女だから当然、とでも思ったか。だったらその「王女」というのは何のために在るのかと、一瞬でも脳裏を掠めはしなかったのか。

 どんな人間だって、働くことによって見返りを受け取るものだ。国にいるほぼすべての民が、そうして生活している。雪に埋もれそうになっても、身を切るように冷たい風に吹かれても、歯を喰いしばって仕事をしている。生きるために。少ない糧を得るために。

 何もせずにただ与えられるだけなのは、赤ん坊くらい。

 王女が一日中暖かい部屋にいて微笑んでいられるのは、豪華な食事や衣服を得られるのは、そこに「責任」というものがあるからだ。いざという時、我が身をなげうってでも、国と民を守るためすべてを被る責任。それだけの重圧があるから、民は王族というものを敬っている。

 クリスティーナ王女は、それを知ろうともしなかった。短い期間、王宮で過ごしただけのティナでさえ気づいたことを、あの王女は今になってもまだ気づいていない。

 自分をずっと守ってくれていた近衛隊員がその後どうなったかも、知らないだろう。

 それでも、王女はやっぱり王女のままで、愛され、庇護され、何も傷つかず、何も失わない。

 ここでは、どんな理不尽も、大手を振ってまかり通る。

 ──もう、充分だ。



 茫然としていたティナは、はっとした顔になって、叫ぶように大きな声を上げた。

「エディは?!」

 すぐにそこに行き着くあたり、やっぱりよく頭が廻る。いや、それだけ、彼女の世界の中心にいるのは弟、ということなのかもしれないが。

「弟にあてて、あんたは手紙を書いていたようだが」

 元気でやっているから心配しないでね、という一言の他には、こまごまと弟の体調を気遣う言葉ばかりが並んだ手紙。ランス隊長に渡して、安堵したように息を吐いていた。

「一度でも、それに対する返事が来たか?」

 ティナが凝然と立ち尽くす。うそ、と震える声がまた唇から絞り出された。

「エディ・メイシー。ティナ・メイシーの弟にして唯一の家族。キルヒリアの北東の端にあるダウニールという小さな村で、シモンズ夫妻の家に預けられ世話になっている」

 俺は淡々と読み上げるように言った。ティナがこの王宮に来た時から、情報はすでに掴んである。

「あんたの弟はもうそこにはいない。……今頃、外よりもよほど暖かい場所で、静かに眠りに就いてるだろうさ」

「うそ! うそ、うそ、うそ……うそ!!」

 ティナが絶叫してその場に突っ伏し、激しく泣いた。

 雪の間からも顔を出しそうな強く逞しい花が、無残にも引きちぎられ花弁を散らすさまを、まざまざと見せつけられるようだった。

 彼女が泣き崩れる姿を、俺は目を逸らさずに見つめ続けた。腹の底の重みが、耐え難いほどに内部を圧迫している。

 もっと苦しくてもいい。

 ティナを欺き続ける自分には、相応しい罰だと思った。






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