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その後、アズガルドの第三王子が大臣と共に来訪する、という知らせが正式に届けられて、ネリーはもちろん、本物の王女が不在であることを知っている人間たちは、一様に恐慌状態に陥った。
ルヴォルト第三王子はすでに、クリスティーナ王女の実質的な「婚約者」である。それがもはや二国間で決定事項となっている以上、国王が出て、表面的に挨拶するだけでは到底事は収まりそうにない。わざわざ王子本人がキルヒリアにお出ましになるということは、直接王女に会いたい、という意志表示に他ならないからだ。
二人が到着する前に王女が発見できればそれがいちばんいいのだが、現状、それはかなり困難を極めると考えられた。なにしろ、王女と近衛隊員が、王都にいるのかどうかもはっきりしない有様だ。あと数日で見つけて王宮に連れ戻す、なんてことはほとんど絶望的だと誰もが思った。
だったら、どうするか。
どうしようもない。こうなったらもう、ティナを王女として第三王子と対面させるしかないのである。
王女は枕も上がらないほどの重病で、という口実を立てたくとも、すでに、庭園内を歩いて礼拝堂へと向かう「王女」の姿を王宮内の複数の人間に見られている。今になってそんなことを言いだせば、さらにアズガルド側の不審は膨れ上がるだろう。思考の浅い国王が、上辺ばかりを取り繕おうと、その場しのぎの命令を下すから、こんな風に後になって余計に追い込まれることになる。
ルヴォルト第三王子と顔を合わせ、もしもそこで、ティナが「王女の偽物」であることが露見したらどうなるのか──と、事実を知る数少ない近衛隊員の一人が、途方に暮れたようにぼそりと小さい声で呟いた。
正直言って、そんなことは考えたくもないね。王も今頃、寝込んでしまっているかもしれない。血の気が引くような心地なのは、俺たちだって同じだ。
──その時は、このキルヒリアという小さな国の命運が尽きる。
***
いくら相手が国にとってなくてはならない大事な賓客であろうと、非公式の訪問である以上、あまり派手派手しく出迎えるわけにはいかない。
第三王子直々に、「くれぐれも大げさなことはしないで欲しい」と、念を押す書状を寄越してきているのだから、なおさらだ。あくまでお忍びの形でこの国に足を踏み入れたい、というのが王子の希望らしかった。
そういうわけで、アズガルドからの客は、要人としては破格なほどの静かさで、キルヒリア王宮に迎え入れられることになった。
もちろん警備は万全にして固めるが、特にセレモニーもパーティーも催されない。王子と大臣は、王宮に到着してから王と王妃の歓迎を受けると、食事、会談、休息の時間などを経て、それから王女との対面、という流れになる。
クリスティーナ王女はこのところ体調が優れない日が続いており、あまり長時間椅子に座っていることが出来ない。万が一、王子の前で倒れでもしたら、あまりにも失礼になる。なので、顔を合わせるのはほんの短時間、もしもの時のため、近くに数人の侍女と近衛隊員が控えることを許してもらいたい、という旨の要望を出して、王子はそれに肯ったという話だ。
……ここまできたらやるしかない、と腹を括るしかなかった。
王宮内の、あまり広くはなく華美でもない部屋の扉を開け、アズガルドのルヴォルト第三王子は姿を見せた。
すでに室内には、俺と二人の近衛隊員、それから侍女頭のネリーと三人の侍女が待機している。いずれも、この件の事情に通じている連中だ。知っているがゆえに、どの顔も蒼褪め、ガチガチに緊張していた。
同じく部屋の中には、一人ソファに座るティナ。
ネリーに散々脅しつけられたのか、話し出すと止まらないお喋り娘が、さすがに一言も声を出さずに、置き物のように固まっていた。いくら能天気でも、頭が悪いわけではないので、現在の状況の重大さも理解しているのだろう。ずっと俯きがちの顔は白っぽく、揃えられた両手はさっきから震えっぱなしだった。
王子が部屋に入ってくると、ティナははっとしたようにようやく顔を上げ、弾かれるようにソファから立ち上がった。王女としての風格に欠ける、とネリーに怒られそうな早さだったが、それは無理もないというものだ。ネリー自身、室内に一歩入ったその瞬間から、暖炉の炎が爆ぜる音にさえ、いちいちビクッとしているくらいなのだから。
「よ──ようこそ、いらっしゃいました、ルヴォルト王子殿下。わ、わたくしがキルヒリア王国の王女、クリスティーナでございます。お目にかかれて、嬉しゅうございます」
ティナがドレスを摘み上げ、膝を曲げる。
ネリーにしごかれた甲斐あって、王太子の時よりも格段に仕草が優美になっていた。頭に本を載せる特訓の成果なのか、背筋がぴんと伸びて、凛とした気品も漂っている。
俺でさえ、一瞬見惚れそうになったくらいだ。
あまり王子に正面から顔を見せるなと言い含められているため、目線がやや伏せ気味になっているが、それも羞恥のためと思わせて、かえって好印象を与えるだろう。
綺麗に化粧をし、光沢のある品のよいドレスを身にまとい、輝く装飾品で彩られたティナは、本物の王女と見まごうほどに──いや、俺の主観で言えば、本物の王女よりもずっと可憐で美しく見えた。
「はじめまして、クリスティーナ王女。私がアズガルド第三王子、ルヴォルトです。お会いできて、光栄です。不躾な訪問となりましたこと、どうぞお許しください」
ティナの言葉を受けて、ルヴォルト王子が礼を取り、きびきびとした口調で言った。
このルヴォルト王子という人物──
一言で言えば、噂通りの外見をしていた。
背が低く、太っていて、顔はパンを潰したような形。
頬一面に痘痕が広がり、小さな目と目の間はかなり幅があって、低い鼻は上向きで、唇は腫れぼったく分厚い。
話に聞いた時は、いくらなんでも大げさだろと思った顔が、想像した通り、いや、それ以上の迫力を持って目の前に存在している。神というものがいるとしたら、一体何を思ってこんな残酷な試練をアズガルドの王族という立場の人間に与えたのだろう、と疑問にならずにいられない。
王子と共に部屋に入ってきたアズガルドの大臣というのがまた、背が高く体格もよく、顔も渋みがあってなかなか整っているものだから、なおさら対比してしまっていけない。せめてもう少し、小柄な大臣はいなかったのか。
ネリー以外の侍女三人は、まだ若いということもあってか、ルヴォルト王子のその容貌に、隠しきれない嫌悪を表情に乗せた。そりゃ相手がこうなら逃げたくもなるわね──とでも言いたげな納得が、目の端にちらちらと浮かんでいる。侍女とはいえ、彼女らは良家の子女ばかりなので、「美しくないもの」に対しては、どうしても厳しくなりがちだ。
近衛隊員も、まるで見てはいけないものを見てしまったかのように、気まずげに目を逸らしたりしている。それはそれで、王子を傷つける態度だろうに。
「お身体の具合があまりよろしくないと伺っております。ご無理をさせて申し訳ない。ご気分が悪くなられたら、遠慮なくすぐに仰ってください」
こちらの侍女と近衛隊員の間にある微妙な空気に気づいているのか気づいていないのか……いや、俺の勘では間違いなく気づいていると思うのだが、王子はティナにゆったりと労わりの言葉をかけた。
顔はこれで、声も「カエルを車輪で轢いたような」ものなのに、それでもその言葉は、ちゃんと優しく聞こえた。口調は礼儀正しく、しかししっかりと相手を思いやる響きが滲んでいる。
──そうか、外見がそのまま人となりを表している、というわけではなかったか。
王子の目には、理知的で落ち着いた光があった。この人物には、こちらの反応に怒ったり卑屈になったりするような、短気さも無思慮なところもない。どういう思惑があるにしろ、自分の目の前にあるものを測って見定めようとする、冷静さと聡明さを備えている。
それが判っているから、大臣も、あちらの護衛も、完全に知らんぷりを貫いているわけだ。そこにはおそらく、この王子に対する、揺るがぬ信頼というものがあるのだろう。
「お、恐れ入ります。ありがたいお言葉、感謝いたします、殿下」
ティナは、侍女たちのように、王子の顔を見ても嫌悪感を表に出しはしなかった。近衛隊員のように目を逸らすこともない。声が震えているのは、ただただ緊張によるものらしい。
ルヴォルト王子は、ティナをじっと見て、静かに微笑んでいるだけだった。
テーブルを挟んで、王子とティナがソファに腰かける。
会話の舵は、おもに王子が取った。最近のアズガルド国内の様子を話し、キルヒリアの工芸品の優秀さを褒める。この王宮内のことなどを詳しく突っ込まれたらさりげなく助け舟を出すつもりでいたが、そんなこともなかった。王子は穏やかに話し続け、ティナには必要最小限の返答くらいしか求めなかった。
しばらくそうしてから、「では王女もお疲れでしょうから、このあたりで」と切り上げる様子を見せる。俺たちは内心でひそかに息をついた。
なんとか、目立った不備もなく、会見を終了させられそうか──
ソファから立ち上がった王子に続き、ティナもほっとした表情で腰を上げた。彼女も、自分の役割を終えたことに安堵しているのだろう。白っぽかった頬にも、ようやく赤味が差してきた。
扉前まで歩くと、王子はそこで立ち止まった。後ろを振り返り、ティナに向かって笑いかける。
──正直言って、そうやって笑うと、顔がさらに歪んでしまうのだが。
今まで王子の容貌を気味の悪いものでも見るようにしていた侍女たちが、今度は慌てて下を向く。どうやら笑いを堪えているらしい。ネリーはティナにガミガミ言うよりも、もっとこいつらの教育をするべきなんじゃないのかね。
「クリスティーナ王女」
「は、はい」
呼びかけられ、ティナは飛び上がるようにして返事をした。
「申し訳ない。あなたのように若く美しい方には、さぞかし私のような者との結婚は、意に沿わないものでありましょう。率直に申し上げて、私は自分の姿かたちが他者になんと言われているかも知っていますし、自覚もしております。このような男に嫁がなければならないあなたには、あるいは不幸なことであるかもしれない。しかしこれも、両国の未来のためであるということを、どうか承知いただきたい。この結婚話が壊れれば、二国には多大な損害が出る、そこまで話は進んでしまった。あなたを不憫に思う気持ちはあるが、私としても、もう引くに引けないところまで進んでしまったのです。私はアズガルドとキルヒリアのために、誠心誠意あなたを遇しましょう。それだけを申し上げたくて、私はここまで来たのです」
「…………」
ティナが、顔を下に向けることも忘れて、まじまじと王子を見返した。
ああ、そうか、と俺は思う。
……ルヴォルト王子にとっても、この結婚話は決して喜ばしいものではなかったんだな。
それはそうだ、これまでの経験から、王子も何も思わずにいられるはずがない。いっそ何も思わずにいられるほど鈍感で愚鈍ならよかったかもしれないが、不幸にして王子は自分のことも周囲のことも見られる目と頭を持っている。キルヒリアという国の美しい王女の評判を聞けば聞くほど、王子は憂鬱になっていたのかもしれない。
しかし王子という立場があるからこそ、断ることも出来なかった。聡明であるがゆえに、国の決定が自分の意志ひとつでは動かせないこと、無理を通せば大きな不利益がおもにキルヒリアのほうに降りかかるのも判っていた。
だからやって来たのだ、この国に。
立派な人物だ。ルヴォルト王子を見た目だけで判断するのは、愚か者のすることだ。この王子なら、王女がアズガルドに行っても、言葉どおり、真摯に扱い、接してくれるだろう。アズガルドは、王族に恵まれている。
──本物の王女がここにいたら、これを聞いて、どう思っただろう。
「……はい、殿下」
王女とそっくりの顔をした、しかし王女とは似ても似つかない生まれであるティナは、王子に対してはっきりとそう返事をした。
「お心遣い、ありがとうございます。殿下は大変、ご立派なお方なのですね」
にこっと笑って言う。
俺は自分の額に手を当てたくなった。やりすぎだ。
「…………」
今度口を噤んでまじまじと見たのは王子のほうだ。背中に冷や汗をかく。
二、三度瞬きをしてから、王子はふっと口許に微笑を刻んだ。するりと腕を動かし、ティナの手を下から掬い上げるように取る。王族らしい、さりげなく洗練された仕草だった。
「光栄です、クリスティーナ王女。話に聞いていたのとは少々異なるようですが、予想していたよりも、ずっと愛らしいお方ですね」
そう言いながら目線を落とし、ティナの手をじっと見つめる。
いつまで触っていつまで見てんだよ、とちょっとムッとしかけた俺は、あることに気づいてさーっと血の気が引いた。
……ティナの手。
ランス隊長に連れられ、最初に彼女がこの王宮に来た時のことを思い出す。深く被ったフードを外すため、そこにかけた手を見て、俺は何を考えた?
赤くなって皮の剥けた指先。たとえ氷のように冷たくとも水仕事をしなければならない境遇にいると、どれだけ気をつけようがこんな風に手が荒れてくるものだ──と、そう思ったのではなかったか。
いくら最近は水仕事から遠ざかった生活をしていたからって、この短期間で、スプーンよりも重いものなんて持ったことがない、という手に変わるわけがない。
思わず足を一歩踏み出したところで、ルヴォルト王子は顔を上げた。俺のほうをちらっと見てから、またティナのほうに視線を戻す。
「……それでは、私はこれで。お取り込みのところ、大変失礼しました」
妙に一部が強調されていやしないか。王子は微笑を浮かべたままだが、俺の身体はぎしりと固まったように動かなかった。
王子はそれ以上は何も言わず、大臣、護衛を引き連れて、扉を開けた。
部屋の外に出た途端、
「あ」
という声がする。
見れば、廊下の向こうからフレデリック王太子が、せかせかとした足取りでやって来るところだった。
「アズガルド国のルヴォルト第三王子でいらっしゃいますね。せめてご挨拶をと思いまして、失礼ながらこちらに伺ったのですが──あの、私は」
「クリスティーナ王女の弟君、フレデリック王太子であらせられますね。こちらこそ、失礼いたしました。私のことはなるべく伏せておいてくださいと陛下にお願いをしたもので」
「とんでもない。私のほうこそ、義兄上となるお方に一目でもお会いできたらと勝手なことを……姉上とのお話はお済みでいらっしゃいますか」
「ええ」
王子はあくまでおっとりとしているが、王太子の視線は忙しくティナと俺のほうを行ったり来たりしている。なるほど、心配で仕方なくて、援護に駆けつけたか。
「姉上、申しわけありません。ルヴォルト王子にお会いできる滅多にない機会だと思ったら、居ても立ってもいられなくて。僕も、アズガルドのお話を、姉上と一緒にお聞きしたいなあと」
王太子が子供みたいなことを言っている。いや、実際子供なのだが。しかし「子供の演技」をする子供は、本当に子供かね。
姉上、姉上、と連呼する王太子に、ルヴォルト王子は口に手を当て、少し下を向いた。
その肩が軽く揺れていたのは、気のせいだと思いたい。
***
ルヴォルト王子の一行は、王宮には泊まらず、キルヒリアを少し見て廻ってからアズガルドに戻るという。
ネリーたちや近衛隊員たちは、やれやれなんとか上手くいったと肩の荷を下ろしたように気が抜けているが、俺の心中はかなり複雑だ。あの王子はなかなか喰えない相手だ、ということは判ったが。
「……ね、ロイド」
私室に戻ったティナが、少しだけ開けた扉と壁の隙間から、顔を覗かせた。ネリーたちは後始末に奔走しているので、珍しく部屋の中には彼女しかいない。
「なんだ?」
いつものごとく部屋前に立つ俺が、壁にもたれて返事をする。すぐ間近にあるティナの姿は、凝った化粧を落としてドレスも着替え、普段の状態に戻っていた。
王女とよく似ているが、どこか素朴さの抜けない顔立ち。
……やっぱり、こっちのほうがいいな。
「あたし、上手に出来たかなあ?」
扉と壁に挟まれながら、ティナがもじもじと自信なさげに指で髪を弄る。俺は少し迷ってから、
「よくやったよ」
と答えた。
……うん、ティナはよくやったんだ。
小さな村の娘が、アズガルドの王子に対して一歩も引けを取らなかった。
王子はともかく、大臣と護衛は、この娘が王女の偽物だなんて、ほんの少しも頭を掠りもしなかっただろう。
ティナは、もっと褒められていい。
「そう? よかった」
俺の言葉は非常に短く素っ気なかったにも関わらず、ティナは安心したように目許を緩め、唇を綻ばせた。
「ロイドがそう言ってくれるなら、大丈夫よね。ロイドは嘘をつかないもの」
「…………」
俺は黙って、自分の胃のあたりを押さえた。腹の下のほうに重いものが溜まって、そろそろ限界だ。そのうち、血でも吐くかもしれない。
「アズガルドの王子さまは、立派な方ね」
また言ってる。胃のあたりの重さは重さとして、俺はちょっとイラッとした。
「あの顔についてはどう思うんだ?」
つい、意地悪な質問をしたくなる。
「そんなに言うほどでもなかったじゃない。王子さまの茶色の瞳は深みがあって、すごく素敵だと思うけど」
本気で言っているらしいティナは大物だ。俺の目も同じ色なんだがなと思ったが、もちろん口には出さなかった。
「……もしもこのまま王女さまが見つからなかったら」
ティナが目を伏せ、小さな声で言う。
「キルヒリアはどうなるのかしらね」
俺は少し驚いて、彼女の顔を見た。
今まではそんなこと、ティナは口に出しもしなかった。ただ自分の仕事のことだけを割り切って考えていた顔が、はじめて不安そうな翳りを帯びている。
「見つかるさ。そのために、ランス隊長も必死になってる」
「でも……」
きっと、ルヴォルト王子の話は、ティナの心をも動かしたのだろう。その日の暮らしと弟のことしか頭になかった娘は、少しずつ変化の兆しを見せはじめていた。
「……王女って、なんなのかしらね。美味しいものを食べて、綺麗なドレスを着て、吹雪の時でも暖かい部屋の中でのんびり寛いで。なーんにもしないで、ただ笑っていればいいだけなのかしら。与えられるものを、ただ受け取っていればいいだけなのかしら。そんなのって……変じゃない?」
「…………」
そうだな。変だ。
でも、クリスティーナ王女は、変だとは思わなかった。これっぽっちも。
それを王女の罪と断じてしまうのは、冷淡に過ぎるのかもしれない。どちらかといえば、罪は俺を含めた周囲にあるのかもしれない。
しかし──
「もし、このまま王女さまが見つからなかったら、あたし、アズガルドに行ってもいいよ」
その言葉には、ぎょっとした。慌ててティナのほうを向く。
「なにバカなことを言ってる」
「でも、この結婚が上手くいかなかったら、キルヒリアは大変なことになるんでしょ? 今でさえ大変なのに、これ以上エディやみんなに苦しい思いをしてもらいたくない。もしもあたしが……」
「いい加減にしろ。あんたはそんなことまで考えなくていいんだ」
思わず語気が荒くなった俺に、ティナは怯えるようにびくっと後ずさった。
それから、しゅんとして肩を落とす。
「……やっぱり、あたしのような田舎の娘が、王女さまの代わりになるなんて無理かな」
「そんなことじゃない」
この瞬間、俺の中の何かが切れた。
乱暴にティナの手を取り、強く掴む。
「ロ、ロイド……?」
ティナが驚いたように目を見開いている。それさえ、たまらない気持ちになって、俺はぐっと奥歯を噛みしめた。
「そんなことじゃないんだ。ティナ、俺は──」
その時だ。
ドタドタという慌ただしい足音が高らかに廊下に響き渡った。焦燥と緊迫を含んだその足音に、俺は咄嗟にティナを庇って前に出た。
廊下の向こうから駆けてくるのは近衛隊員。どこから走ってきたのか、汗だくで顔を真っ赤にしていた。
「み、見つかりました!」
と、そいつは口を開くなり言った。
「王女が見つかりました!」
俺は強く目を瞑り、拳を握りしめた。
自分のすぐ後ろにいる、ティナの存在を意識する。
ちくしょう。
とうとう、この時が──




