第9話
火縄の納品遅延という不自然な指示。そして、新たな戦力である又八の加入。
俺は手元のカラクリ部品を組み上げ、カチリと小気味よい音を立てて動作を確認した。確かな手応えがある。俺の計画は着々と進んでいる。
だが、一つだけ気がかりなことがあった。
先ほどの西軍の使者は、あくまで表向きの交渉役だ。西軍の裏で暗躍する過激派たちが、このまま大人しく俺の条件を飲むとは思えない。
不気味なほど静まり返っている彼らの動きが、嵐の前の静けさのように思えてならなかった。
六月も半ばを過ぎた堺の街は、じっとりとした湿気と磯の香りが混ざり合い、肌にまとわりつくような暑さに見舞われている。
工房の中では、朝から絶え間なく金属を打つ音が響いていた。
「若旦那、こっちの筒の磨きはこれでいいか?」
又八が太い腕で布を握りしめ、磨き上げたばかりの銃身を差し出してきた。
俺はそれを受け取り、表面の滑らかさを指先で確かめる。
「ああ、上出来だ。その調子で次の作業も頼む」
「へっ、任せておきな。金をもらった分はきっちり働くぜ」
又八はニヤリと笑い、再び作業台に向かった。荒くれ者だが、手先は意外に器用だ。何より、彼の存在が工房の空気を引き締めている。
お凛が帳面から顔を上げ、小さく息を吐いた。
「又八が入ってくれて、少しは安心できたわ。最近、店の周りをうろつく怪しい連中が増えていたから」
「大戦が近いからな。どこの陣営も、少しでも多くの物資を確保しようと血眼になっている」
俺は新しい部品を手に取りながら答えた。
天下分け目の戦いまで、あと三か月。
俺の頭の中にある未来の知識と、職人としての見立て。それらを駆使して極上の火縄銃を造り続けることが、戦局をコントロールするための唯一の手段だ。
その時、店先に騒がしい足音が響いた。
「ごめん願おう!」
声を張り上げて入ってきたのは、見覚えのある東軍の使者だった。額に汗を浮かべ、焦燥しきった顔をしている。
「甚兵衛殿。先日約束した筒の件だが、なんとか納品を早めてもらうわけにはいかないか。上の者が急かしておりましてな」
「無理な相談だな。品質を落としていいなら別だが、そんな粗悪品を渡すつもりはない」
俺が短く返すと、使者は困り果てたように顔を歪めた。
だが、彼が次の言葉を発する前に、背後からさらに重い足音が近づいてきた。
「どけ。小役人が」
野太く、威圧的な声。
東軍の使者が乱暴に突き飛ばされ、土間に転がる。
現れたのは、豪華な陣羽織を着崩した大柄な武将だった。その後ろには、殺気を放つ数人の兵が控えている。
「な、西軍の武将がなぜここに……!」
東軍の使者が這いずるようにして後ずさる。
武将は転がった使者を一瞥すらしなかった。ただ傲慢な笑みを浮かべ、俺の工房を値踏みするように見回している。
「貴様が、生意気な口を叩くという鍛冶屋か」
男の低い声が、工房の空気を一瞬で凍りつかせた。
俺は作業の手を止め、ゆっくりと立ち上がる。
「いかにも。あんたは?」
「わしは重蔵。西軍の勝利のため、この街の鉄砲を残らず接収しに来た」
重蔵と名乗った男の目には、他者を見下す冷酷な光が宿っていた。
東軍の使者は、重蔵の部下たちに睨まれ、逃げるように店から飛び出していく。これで邪魔者はいなくなったというわけか。
「中立などという寝言は、今日限りで終わりにしてもらおう」
重蔵が一歩踏み出す。床板が軋み、圧倒的な圧迫感が押し寄せてきた。
「貴様の造る筒は、すべて西軍に納めろ。逆らうことは許さん」
お凛がさっと前に出た。上質な絹の着物の袖が揺れる。
「お待ちください。当店はすでに、双方の陣営と取引の約定を結んでおります。力ずくで奪うような真似をされれば、堺の商人たちが黙っていませんよ」
彼女の声は震えていなかった。大店の娘としての矜持が、その背筋をピンと伸ばしている。
だが、重蔵は鼻で笑った。
「黙れ、小娘。商人の分際で戦の行方に口を出すな。貴様らはただ、わしらのために道具を作っていればいいのだ」
重蔵が腰の刀に手をかける。
チャキリ、と鍔鳴りの音が響いた。
お凛の肩がビクッと跳ねる。彼女の瞳に、確かな恐怖が浮かんだ。自分が集めた情報や交渉が、暴力の前に無に帰すことへの恐れ。
又八が低い唸り声を上げ、腰の得物に手を伸ばそうとする。
俺は無言で片手を上げ、又八を制した。
そして、重蔵の目を真っ直ぐに見据える。
「先日もそちらの使者に伝えたはずだ。俺の筒は、俺の定めた理でしか動かないと」
「なんだと?」
重蔵の眉がピクリと動いた。
「刃を突きつけて従わせたところで、手に入るのは魂の抜けたただの鉄屑だけだ。極上の火縄が欲しければ、武力ではなく商いの筋を通してもらう」
俺は飄々とした態度を崩さず、言葉を紡いだ。
権力者の理不尽な要求には屈しない。それが俺の譲れない線だ。
「貴様……一介の職人が、わしに逆らう気か」
重蔵の顔が紅潮し、殺気が膨れ上がる。胃の奥が冷たくなるような威圧感だが、俺は瞬き一つしなかった。
「斬りたければ斬ればいい。だが、俺を殺せば、あんたの陣営に極上の筒は一丁も渡らなくなる。戦に勝つための道具が欲しくて来たんだろう?」
俺の問いかけに、重蔵の動きが止まった。
彼は商人を道具としか見ていない。だが、その道具がなければ戦に勝てないことも理解しているはずだ。野心家ゆえに、感情だけで最大の利益を手放すような愚行はしない。
しばらくの沈黙の後、重蔵は舌打ちをして刀から手を離した。
「……思い上がるなよ、鍛冶屋」
重蔵は忌々しげに俺を睨みつける。
「武器商人が戦の主導権を握るなど、絶対に許さん。いずれ力で屈服させ、貴様のすべてを奪い取ってやる」
捨て台詞を吐き、重蔵は踵を返した。部下たちを引き連れ、足音荒く工房を去っていく。
彼らの姿が見えなくなると、お凛がその場にへたり込んだ。
「……心臓が止まるかと思ったわ」
「よく前に出てくれた。助かったよ」
俺はしゃがみ込み、彼女の肩に軽く触れた。
「あんたねえ……あんな挑発して、本当に殺されたらどうするつもりだったのよ」
お凛が涙目で睨んでくる。
「殺されない確信があったから言ったんだ。連中は、俺の技術を喉から手が出るほど欲しがっている」
俺は立ち上がり、店先の壁に目を向けた。
そこには、一見すると美しいが、銃身が極端に薄く作られた不良品の鉄砲が飾られている。
「又八、夜の警護の配置を見直すぞ。連中、近いうちに必ず実力行使に出る」
「へっ、腕が鳴るぜ。夜襲でも何でもかかってきな」
又八が拳を鳴らし、獰猛な笑みを浮かべた。
重蔵が残していった不穏な気配は、まだ工房の中に漂っている。
彼らは必ず、武力でこの供給網を奪いに来るだろう。
だが、盤面はすでに俺の頭の中にある。
俺は手元のカラクリ部品を再び手に取り、静かに息を吐いた。迎え撃つ準備は、着々と整いつつあった。




