第10話
奪い取ってやる」
捨て台詞を吐き、重蔵は踵を返した。部下たちを引き連れ、足音荒く工房を去っていく。
彼らの姿が見えなくなると、お凛がその場にへたり込んだ。上質な絹の着物が土間の埃に触れるのも構わず、彼女は荒い息を吐き出している。
「……心臓が止まるかと思ったわ」
「よく前に出てくれた。助かったよ」
俺はしゃがみ込み、彼女の肩に軽く触れた。
「あんたねえ……あんな挑発して、本当に殺されたらどうするつもりだったのよ」
お凛が涙目で睨んでくる。大店の娘としての毅然とした態度は鳴りを潜め、年相応の少女の顔になっていた。
「殺されない確信があったから言ったんだ。連中は、俺の技術を喉から手が出るほど欲しがっている」
俺は立ち上がり、店先の壁に目を向けた。
そこには、一見すると美しいが、銃身が極端に薄く作られた不良品の鉄砲が飾られている。いざという時のための罠だが、今はまだその出番ではない。
「又八、夜の警護の配置を見直すぞ。連中、近いうちに必ず実力行使に出る」
「へっ、腕が鳴るぜ。夜襲でも何でもかかってきな」
又八が拳を鳴らし、獰猛な笑みを浮かべた。
重蔵が残していった不穏な気配は、まだ工房の中に漂っている。
彼らは必ず、武力でこの供給網を奪いに来るだろう。
だが、盤面はすでに俺の頭の中にある。
俺は手元のカラクリ部品を再び手に取り、静かに息を吐いた。迎え撃つ準備は、着々と整いつつあった。
「お凛。工房の周りだけじゃない。港からここまでの輸送ルートにも人を配置してくれ。連中、力ずくで荷を奪いに来るかもしれない」
俺が具体的な指示を出すと、お凛は着物の埃を払いながら立ち上がった。彼女の瞳からは先ほどの涙が消え、商人としての鋭い光が戻っている。
「分かっているわ。又八、あんたの知り合いの浪人を集めてちょうだい。堺の裏路地にたむろしている食い詰め者でもいい。金は私が出すから、ネズミ一匹通さない防衛網を敷くのよ」
「任せな、お嬢さん。気前のいい雇い主のためだ、きっちり仕事はさせてもらうぜ」
又八は背負った巨大な野太刀の柄を叩き、足早に表へ出て行った。プロの傭兵としての頼もしい背中だった。彼がいれば、素人の夜盗程度なら容易く追い払えるだろう。
「ひゃああっ……オイラ、もう生きた心地がしませんよぉ……」
見習いの太助が、顔を真っ黒に煤けさせながら作業台の下で震えている。手には火挟みの部品が握られたままだ。
「手を止めるな、太助。泣き言を言っても鉄砲は組み上がらないぞ」
俺は手元のヤスリを動かしながら、短く言い放った。
時は慶長五年六月。天下分け目の大戦まで、あと三か月。
息苦しいほどの熱気と海風の匂いが混ざり合うこの堺の街並みは、嵐の前の静けさを保っている。俺は未来の歴史を知っている。それに加えて、銃身の僅かな歪みや火薬の純度をミリ単位で見抜く職人としての眼力があった。自らの判断で武器の価値を決めるという信念のもと、この工房で最高品質の火縄銃を造り続けている。
「ねえ甚兵衛、本当に平気なの? 相手は戦のプロよ」
お凛が帳面を抱きしめるようにして、俺の顔を覗き込んできた。
「武力には経済力で対抗する。それが商人の戦い方だ」
俺は組み上げ途中の自作の短筒を手に取り、銃身のバランスを確かめた。未来知識を活かして撃発機構を改良した特注品だ。ロレンソから仕入れた硝石の樽と、鉛のインゴットの仕分けも終わっている。供給網の操作に向けた準備は、すでに始まっていた。
「経済力って……具体的にどうするつもり?」
「連中が戦をするには、鉄砲だけじゃなく弾薬が必要だ。俺が供給の蛇口を握っていれば、大軍の動きすらコントロールできる」
俺の言葉に、お凛は小さく息を呑んだ。彼女は俺の無茶に呆れつつも、その腕を誰よりも信じてくれている。
表の戸が乱暴に引き開けられたのは、それから半刻後のことだった。
「甚兵衛とやら! 話は聞いているぞ!」
踏み込んできたのは、西軍の家紋をあしらった陣羽織を着た武将だった。重蔵の息がかかった男だろう。血走った目で工房内を睨みつけている。
だが、その直後、もう一人の男が武将を押し退けるようにして入ってきた。
「退かれよ。こちらは内府様からの使いであるぞ!」
東軍の使者だ。上質な絹の着物を身に纏い、扇子を片手に持っている。
二人は狭い土間で鉢合わせ、互いを鋭く睨みつけた。
「西軍の犬が、こんな所で何をしている」
「それはこちらの台詞だ。東軍の狸どもめ」
一触即発の空気が工房を満たす。太助が再び悲鳴を上げて作業台の下に潜り込んだ。
二人の使者は互いを牽制しながら、俺に向き直った。彼らの視線は、煤けた狭い土間を見下している。
「蔵にあるすべての筒をこちらへ回せ。西軍が一丁残らず買い上げる!」
「戯れ言を。東軍が倍の値を出す。今すぐ手持ちの品をすべて出せ!」
強大な圧力が、俺とお凛にのしかかる。彼らは大名の威光を盾に取り、俺たちをただの便利な道具としか見ていない。
お凛が一歩前に出ようとした。
「お待ちください。当店は……」
だが、東軍の使者が扇子で彼女を制した。
「女はすっこんでいろ。我々は主の鍛冶屋と話をしているのだ」
俺は手で彼女を庇い、作業台に置いていた短筒を手に取った。ゆっくりと立ち上がる。
「悪いが、どちらの要求も呑めない」
「なんだと?」
「俺は商人だ。どちらの陣営にも属さない。あんたたちの都合で、俺の鉄砲を買い占めることは許さない」
俺は短筒の銃身を布で拭き上げながら、静かに、だがはっきりと告げた。
「どこにどれだけの数を、どんな筒を卸すかは、俺自身が判断する」
「貴様、たかが職人風情が……!」
西軍の武将が激昂し、刀の柄に手をかけた。
その瞬間、俺は短筒の銃口を彼に向けた。いや、向けたように見せかけて、背後の的を狙った。
引き金を引く。
轟音と共に、的の中心が正確に撃ち抜かれた。火薬の匂いが土間に立ち込める。分厚い木の板が粉砕され、破片が床に散らばった。
「なっ……!」
「俺の鉄砲は、ただの筒じゃない。一丁一丁が戦局を左右する代物だ。それを理解できない者には、一丁たりとも売らない」
二人の使者は、的の惨状と俺の静かな怒りを見て、息を呑んだ。青ざめた顔で互いに顔を見合わせている。
「……条件を出せ」
東軍の使者が絞り出すように言った。
「必要な数を、必要な時に、俺の判断で納品する。代金は前払いだ。それで良ければ、極上の火縄銃を卸してやる」
二人は渋々ながらも頷き、足早に工房を去っていった。
歴史介入の第一歩は、こうして踏み出された。俺の思い描く盤面が、少しずつ形になり始めている。確かな手応えがあった。
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堺の街の片隅にある、豪奢な料亭の一室。
庭先から鹿威しの甲高い音が響き、夏の夜の蒸し暑さを一層際立たせている。金屏風が立てられた部屋の中には、高価な酒器が並べられていた。
大店の主である善兵衛は、目の前に座る男に深々と頭を下げていた。額には脂汗が浮かんでいる。
「重蔵様。あの小生意気な鉄砲鍛冶、甚兵衛の件でございますが……」
西軍の過激派武将である重蔵は、酒盃を傾けながら鼻で笑った。
「奴の首なら、近いうちに俺が刎ねてやる。わざわざ貴様が口出しすることではない」
「いえいえ。奴の強みは、あの工房だけではございません。南蛮商人から仕入れている硝石や鉛の流通網……あれを断たねば、奴は何度でも蘇ります」
善兵衛の顔に、底意地の悪い笑みが浮かぶ。
甚兵衛の台頭により、自分の商いが脅かされている善兵衛にとって、甚兵衛の没落は悲願だった。最近では帳簿の数字も落ち込み、焦燥感に駆られている。
「ほう。流通網を断つ、か」
「はい。私に策がございます。紀州の海賊衆を動かし、奴の荷を運ぶ船を海上で沈めてしまうのです」
善兵衛は声を潜め、重蔵に耳打ちした。
重蔵の口角が、ゆっくりと吊り上がっていく。
「悪くない。商人の浅知恵も、たまには役に立つようだな」
二人の悪意が、暗い部屋の中で交差した。
甚兵衛の知らない所で、彼の供給網を完全に破壊するための陰謀が、静かに動き始めていた。




