第8話
俺は工房の奥を見遣った。
そこには、これから組み上げられる鉄砲の部品が山のように積まれている。
ただの鍛冶屋が、大軍の命運を握る。
俺が企む納品スケジュールの秘密が牙を剥くのは、まだ少し先の話だ。
「で、具体的にはどうするつもりなのよ」
お凛が帳面をパタンと閉じ、小首を傾げた。
「東軍向けの特注銃は、予定通りに組み上げる。だが、火縄の納品だけは意図的に遅らせるぞ」
「遅らせるって、どれくらい?」
「半月だ。向こうには、材料の乾燥が間に合わないと伝えてくれ」
「そんな言い訳が通じるかしら。あっちの武将、すぐにでも全部揃えろって鼻息が荒かったじゃない」
「梅雨の湿気を理由にすればいい。無理に納めても、いざという時に火が点かなきゃ意味がないだろう」
俺は手元の銃身にヤスリを当てながら、淡々と指示を出した。
六月の湿気を帯びた風が、開け放たれた戸口から吹き込んでくる。炉の熱気と混ざり合い、工房の中は息苦しいほどの暑さだった。額に滲む汗を前掛けで拭いながら、俺は金属を削る甲高い音を響かせる。
俺の目は、銃身の僅かな歪みや表面の凹凸をミリ単位で捉えていた。この僅かな引っ掛かりが、戦場では命取りになる。
未来の歴史を知る俺には、関ヶ原の戦いがいつ、どのような天候で始まるかが完全に見えている。当日は雨だ。その直前に、雨天でも確実に着火する特殊な火縄を届ける。それが俺の描いた筋書きだった。
俺は自らの目利きで鉄砲の価値を決める。誰に、いつ、何を渡すか。そのすべてを俺が支配する。
「分かったわ。あんたの言う通りにする」
お凛は帳面に筆を走らせた後、ふと真面目な顔になった。
「ただ、取引の規模が大きくなってきたから、輸送ルートの安全が心配ね。堺の外に出れば、野盗や他陣営の息がかかった連中がうろついているわ。腕の立つ護衛を探してくる」
「任せる」
俺は短く答え、再び鉄砲の調整に没頭した。
数日後。
お凛が、巨大な野太刀を背負った無精髭の男を工房に連れてきた。
「紹介するわ。護衛として雇った又八よ。街で一番腕が立ちそうだったから、高給で引っ張ってきたの」
「又八だ。よろしく頼むぜ」
男は面倒くさそうに頭を掻きながら、俺を見下ろした。
日に焼けた肌に、鋭い眼光。使い込まれた革の胸当てには、幾つもの刀傷が刻まれている。一目で修羅場をくぐり抜けてきたと分かる男だった。
「金払いがいいって聞いたから来たが、こんな若いのが頭張ってんのか。大層な鉄砲鍛冶だって噂だが、見掛け倒しじゃねえだろうな」
「見掛け倒しで高給が払えると思うか?」
俺は視線を上げず、手元のカラクリ部品を磨き続けた。
「違いねえ。まあ、金さえきっちり払ってくれりゃ、仕事は命に代えてもやり遂げるさ」
又八はニヤリと笑い、工房の隅にどっかりと腰を下ろした。金にがめつい荒くれ者だが、その身のこなしには隙がない。お凛の目は確かなようだ。
又八が加わって数日が過ぎた頃。
工房の表が、にわかに騒がしくなった。
馬のいななきと、荒々しい足音が近づいてくる。何事かと顔を上げる間もなく、怒鳴り声と共に二組の武士たちが店になだれ込んできた。
「退け! 我らは内府様からの使いであるぞ!」
「何を言うか! こちらは治部少輔様からの急ぎの用件だ。貴様らこそ道を空けろ!」
東軍と西軍の使者だ。どうやら、偶然にも同じ日、同じ刻限に鉢合わせしてしまったらしい。
「おいおい、雇われて早々、厄介なことになったな」
又八が舌打ちをし、背中の野太刀の柄に手をかけた。
「手出しはするな。俺が話す」
俺は又八を制し、立ち上がって使者たちの前に出た。
「うちの店先で騒がないでもらおうか。他のお客の迷惑になる」
「貴様が甚兵衛か!」
西軍の使者が血走った目で俺を睨みつけた。
「四の五の言わず、ありったけの鉄砲を寄越せ! こちらは戦支度で一刻を争うのだ!」
「ふざけるな! 鉄砲はすべて我ら東軍が買い上げる! 貴様らのような賊軍に渡す弾など一発もないわ!」
東軍の使者も負けじと怒鳴り返す。
互いに刀の柄に手をかけ、一触即発の空気が工房に満ちた。
強大な権力を背景にした、理不尽な要求。普通なら震え上がって平伏するしかない状況だ。
お凛が息を呑み、又八が油断なく周囲を警戒している。
だが、俺は鼻で笑った。
「ありったけの鉄砲を寄越せ、か。あんたたち、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「何だと?」
「ありったけ寄越せってのは、素人の考えだ。兵の数だけ鉄砲を揃えても、火薬が足りなきゃただの鉄の棒だ。それに、お前たちの陣形に合わない長筒を持たせても、取り回しが悪くて自滅するだけだぞ」
俺の言葉に、使者たちの顔が怒りで朱に染まる。
「たかが商人が、武士に向かって何たる無礼!」
西軍の使者が刀を抜きかけた。
その瞬間、又八が一歩前に出た。抜刀はしていないが、その巨体から放たれる殺気が使者の動きを止める。
「どちらに何丁、どのような鉄砲を売るかは、俺が目利きで決める」
俺は静かに、だがはっきりと宣言した。
「戦場ってのは、ただ数を揃えれば勝てるほど単純じゃない。あんたたちの陣立て、兵の練度、戦場の地形。それらをすべて考慮した上で、最も効果的な鉄砲を、最も効果的な時期に納品してやる。それが俺の商いだ。文句があるなら他を当たれ」
使者たちは言葉を失った。
ただの鍛冶屋が、大軍の采配にまで口を出し、あまつさえ納品の主導権を握ろうとしているのだ。常識外れにも程がある。
だが、彼らも俺の鉄砲の噂は聞いているはずだ。ここで交渉を決裂させれば、敵軍にのみ極上の鉄砲が渡ることになる。それだけは絶対に避けなければならない。
「……よかろう。だが、もし粗悪な品を掴ませたり、期日に遅れたりすれば、ただでは済まさんぞ」
東軍の使者が忌々しげに吐き捨てた。
「条件を飲もう。ただし、我らには東軍よりも多く、そして早く納品しろ」
西軍の使者も渋々といった様子で頷いた。
「数は約束できないが、品質は保証する。詳しい契約はお凛と詰めてくれ」
俺が顎でしゃくると、お凛がすかさず帳面を手に進み出た。
「はいはい、それではこちらへどうぞ。お茶をお出ししますから、落ち着いてお話ししましょうね。うちの甚兵衛は腕は確かですが、口が悪いのが玉に瑕でして。具体的な数と金額については、この私がきっちりお相手いたしますわ」
彼女は商人特有の抜け目ない笑みを浮かべ、武士の威圧感などどこ吹く風といった様子で使者たちの怒りの矛先を巧みに逸らしていく。大店の娘として培った交渉術は、こういう場面でこそ真価を発揮する。
「……驚いたぜ」
使者たちの背中を見送った後、又八が低く唸った。
「大名の使い相手に、一歩も引かねえとはな。ただのガキだと思ってたが、どうやら見当違いだったらしい」
「俺は職人であり、商人だ。自分の造ったものの価値は、自分で決める」
俺は再び作業台に戻り、カラクリ部品を手に取った。
又八は俺の手元をじっと見つめていた。
「その鉄砲、ちょっと見せてみろ」
俺が無言で組みかけの銃身を差し出すと、又八はそれを受け取り、しげしげと眺めた。
「……すげえな。俺は鉄砲のことはよく分からねえが、こいつが只者じゃないことくらいは分かる。重心のバランス、部品の噛み合わせ。人を殺す道具として、一切の無駄が削ぎ落とされてやがる」
又八の太い指が、滑らかな銃身の表面をなぞる。その目は、金目当ての傭兵のものではなく、純粋に優れた武器に見入る戦士のものに変わっていた。
「この工房にゃ、活気がある。お前さんのその凄みも悪くねえ。少しばかり、本気で働いてみる気になったぜ」
「期待しているよ」
俺は短く返し、作業を再開した。
火縄の納品遅延という不自然な指示。そして、新たな戦力である又八の加入。
俺は手元のカラクリ部品を組み上げ、カチリと小気味よい音を立てて動作を確認した。確かな手応えがある。俺の計画は着々と進んでいる。
だが、一つだけ気がかりなことがあった。
先ほどの西軍の使者は、あくまで表向きの交渉役だ。西軍の裏で暗躍する過激派たちが、このまま大人しく俺の条件を飲むとは思えない。
不気味なほど静まり返っている彼らの動きが、嵐の前の静けさのように思えてならなかった。




