第7話
翌朝。
俺は作業台に向かい、組み上がったばかりの火縄銃の銃身を布で静かに拭き上げていた。
慶長五年、六月。
関ヶ原の戦いを三か月後に控えた堺の街は、日増しに物々しい空気を帯びている。
だが、この工房の中だけは別だ。俺の意識は、手元にある一丁の鉄砲だけに集中していた。
銃身の表面を指先でなぞる。
金属の冷たい感触の中に、微細な凹凸が伝わってくる。
俺の目は、単なる鍛冶屋のそれではない。
金属の僅かな歪み、火薬を詰める火皿の角度、引き金の遊び。それらをミリ単位の精度で正確に見抜くことができる。さらに、俺の頭には後の歴史を知る未来知識があった。
どんな性能の筒が、どの戦面でどう機能するか。
雨の日に強い火縄、連射に耐えうる銃身。そのすべてを計算し尽くして、俺は極上の武器を造り出している。
「甚兵衛、また来てるわよ。しかも、今日は両方いっぺんに」
店先から戻ってきたお凛が、呆れたような声で告げた。
手にはいつものように帳面と算盤が握られているが、その表情には微かな緊張が走っていた。
俺が前掛けの汚れを払いながら土間へ出ると、そこには見知った二つの顔があった。
東軍の使者である源太夫と、西軍の武将だ。
昨夜、それぞれの陣営に条件付きで鉄砲を卸す仮約束を取り付けたはずだった。だが、二人の間には一触即発の剣呑な空気が漂っている。
「昨日の話だが、上層部が納得されん」
先に口を開いたのは西軍の使者だった。彼は苛立たしげに床几を蹴り飛ばし、俺を睨みつける。
「三十丁などという端数では話にならん。この工房にある筒、すべてを我が軍に引き渡せ。さもなくば、力ずくで接収するまでだ」
「戯れ言を。貴殿の腕を見込んで、我が軍がすべてを買い上げる。長筒十丁などとケチなことは言わず、残らず寄越されよ」
源太夫も負けじと声を張り上げた。
大軍を率いる大名たちの威光を盾に取り、強大な圧力がこの小さな工房にのしかかる。彼らの背後には、何万という兵士たちの命と、天下の覇権が懸かっているのだ。
俺は小さく息を吐き、二人の前に歩み出た。
「あんたたち、俺が昨日言ったことを忘れちまったのか?」
静かな、だが通る声で告げる。
「どちらに何丁、どのような鉄砲を売るかは、俺が目利きで決める。全部寄越せなんて無茶な注文は、どこの陣営だろうと受け付けない」
西軍の使者の顔が朱に染まった。
「たかが商人が、武士に向かって何たる口の利き方だ!」
腰の太刀に手が掛かる。
お凛が息を呑んで一歩下がった。
だが、俺は微塵も動かない。ただ冷ややかに、使者の目を真っ直ぐに見据えた。
「抜けば、西軍には金輪際、一本の火縄も売らない。それで戦に勝てるなら、好きにしろ」
「……貴様ッ」
「俺の鉄砲がなければ、あんたたちの軍は前線で確実に押し負ける。その責任、あんた一人で取れるのか?」
淡々と事実だけを突きつける。
武力ではなく、物資の供給ラインという首根っこを握られていることに気づいたのだろう。西軍の使者はギリッと歯を鳴らし、刀の柄から手を離した。
「……三十丁。必ず期日通りに納めよ。一日でも遅れれば、この店を焼き払う」
捨て台詞を残し、彼は足早に工房を去っていった。
残されたのは、東軍の源太夫だけだ。
彼はしばらく黙って西軍の使者の背中を見送っていたが、やがて深く息を吐き、俺に向かって頭を下げた。
「……無礼を詫びる。上からの命とはいえ、職人の矜持を踏みにじる物言いだった」
その顔には、先ほどの高圧的な態度は微塵もない。
実直で武骨な、一人の武将としての素顔がそこにあった。
俺は肩の力を抜き、源太夫に向き直った。
「あんたのそういう筋の通ったところは嫌いじゃない。東軍には約束通り、極上の特注銃を納めよう」
「かたじけない。して、その特注銃だが……」
「ただし、条件がある」
俺は言葉を遮り、はっきりと告げた。
「納品数とタイミングは、こちらで完全にコントロールする。文句は言わせない」
源太夫は太い眉をひそめた。
「戦の常識から外れている。武器というものは、開戦前に陣立てに合わせて揃えておくものだ。納品の時期を貴殿に委ねるなど、軍の采配を商人に預けるに等しい」
「その通りだ。だが、最高の鉄砲を、最高の盤面で使わせるためにはそれが必要なんだよ。信じられないなら、試してみるか?」
俺は作業台に戻り、先ほど磨き上げていた一丁の長筒を手に取った。
裏庭の試射場へ源太夫を案内する。
「撃ってみろ」
手渡された銃の重みに、源太夫の目が僅かに見開かれた。
彼は無言で火薬を詰め、火縄をセットする。その手つきには歴戦の武人らしい無駄のなさが宿っていた。
源太夫が銃を構え、五十間先の的を狙う。
引き金が引かれた。
轟音とともに白煙が吹き上がり、的のど真ん中が木端微塵に吹き飛んだ。
「なっ……」
源太夫は手元の銃と、遠くの的を交互に見比べた。
「反動が……ほとんどない。それに、火薬の燃焼がこれほど早い筒など、見たことがないぞ」
「銃身の厚みと火皿の構造を、俺の目利きで極限まで調整してある。命中精度も威力も、普通の筒とは桁違いだ」
俺は白煙を手で払いながら言った。
「あんたたちの軍には、これを一番効果的な時期に届けてやる。俺の言う通りにすれば、必ず戦局は動く」
源太夫は銃身を愛おしそうに撫で、やがて深く頷いた。
「……相分かった。貴殿の腕と、その眼力を信じよう。納品の采配、すべてお任せする」
実直な武人が、商人の提示した常識外れの条件を完全に飲んだ瞬間だった。
「それじゃあ、細かい契約の話は私がさせてもらうわね」
背後から、お凛が明るい声をかけて進み出た。
彼女の目は、獲物を見つけた商人のようにキラキラと輝いている。
「特注銃十丁の代金、それに付随する火薬と鉛の仕入れ値。すべてきっちり計算させてもらうわよ。東軍のお財布の紐、しっかり緩めてもらうから」
「む……お手柔らかに頼む」
源太夫はタジタジになりながらも、お凛の巧みな交渉術に巻き込まれていった。
大店の娘として培われた彼女の算盤捌きは、武骨な武将を相手にしても全く引けを取らない。納期の確認、代金の支払い方法、輸送の手配。それらが次々と取り決められていく。
やがて、分厚い証文に源太夫の判が押され、正式な契約が結ばれた。
東軍との取引が成立し、俺の思い描く盤面が確かな形を持ち始める。
源太夫が満足げな顔で帰っていった後、お凛は証文の束をパラパラと捲りながら首を傾げた。
「ねえ、甚兵衛。この特注銃の納品日……どうしてこんな中途半端な時期なの?」
彼女の細い指が、証文に記された日付を指し示している。
「もっと早く納めた方が、あっちも陣立てがしやすくて喜ばれるんじゃない? わざわざ戦の直前に小出しにするなんて、手間がかかるだけじゃないの」
「戦ってのは、早けりゃいいってもんじゃないんだよ」
俺は証文を覗き込み、不敵に笑った。
「一番欲しい時に、一番欲しいものが届く。それが一番効くんだ」
未来の歴史を知る俺には、関ヶ原の戦いがいつ、どのような天候で始まり、どの陣営がどう動くかが完全に見えている。
この納品スケジュールは、単なる嫌がらせではない。
東軍の動きを俺の意図通りに誘導し、戦局を決定づけるための緻密な計算の産物だった。
「あんたの頭の中、本当にどうなってるのかしらね」
お凛は呆れたようにため息をついたが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
俺は工房の奥を見遣った。
そこには、これから組み上げられる鉄砲の部品が山のように積まれている。
ただの鍛冶屋が、大軍の命運を握る。
俺が企む納品スケジュールの秘密が牙を剥くのは、まだ少し先の話だ。




