第20話
八月下旬。空の雲は少しずつ形を変え、秋の気配を帯び始めた。
藤吉が帳簿と書状を抱え、慌ただしく工房へ駆け込んでくる。
「旦那、動きやした。東西の軍勢が、いよいよ美濃の関ヶ原へ向けて本格的に進軍を始めやしたぜ」
猫背のまま息を切らす手代から書状を受け取る。藤吉が全国の流通網から集めた最新の報告だ。俺は机の上に広げた地図へ、陣の配置を示す木札を置いていく。
「西の陣営には、大垣城を中心に数万の兵が集結したようですね。あっしが手配した荷も、無事に運び込まれやした」
藤吉の言葉に頷きながら、俺は地図上の西の陣営へ視線を落とす。そこには、俺が意図的に流した不純物だらけの南蛮鉛と、数を揃えやすい規格化された銃が大量に納品されたはずだ。
不純物の多い鉛は、溶かして弾にする際に形が歪みやすい。いざ戦場で撃ち出せば、弾道が逸れて命中精度は著しく落ちる。さらに、規格化された銃は扱いやすい反面、射程に限界がある。
一方、東の陣営には、射程と精度に特化した特注の長筒が配置してある。
「旦那の読み通り、西は数で押し切る構えのようです。ですが、あの粗悪な鉛では、いざという時に弾が当たりやせん」
「ああ。戦場では、一発の不発や命中精度の狂いが命取りになる。俺の供給操作が、数万の大軍の動きを縛り、戦術を誘導したんだ」
俺は地図上の木札を指先で弾き、藤吉に次の手配を命じた。
◆ーーーー◆
その日の午後、堺の荷揚げ場。
潮の香りと男たちの怒声が交差する活気の中で、俺の流通網に無理やり割り込もうとする輩が現れた。会合衆の残党である恰幅のいい商人が、荷車に積んだ鉄砲を前にふんぞり返る。
「甚兵衛殿。お前さんが独占する商い、少しばかり分けてもらおうか。こちらが用意した筒も、なかなかの業物でしてな」
商人はニヤニヤと笑いながら、粗悪な銃身を差し出してきた。一見すると磨き上げられて立派だが、俺の職人眼を通せば、鍛接の甘さや鉄の薄さが一瞬で分かる。こんなものを戦場に持ち込めば、数発で暴発して使い手の命を奪うだろう。
「……あんた、これを極上品だと言い張る気か」
「いかにも。お前さんの作る品と比べても遜色ない。西の陣営も、数を揃えるために喉から手が出るほど欲しがるはずだ」
商人の言葉に、俺の奥歯が自然と噛み締められた。
ただの金儲けの道具として、こんな粗悪品を大量に売り捌くつもりか。戦場で暴発すれば、無関係な兵士たちの顔面や腕が吹き飛ぶ。俺が最も恐れるのは、そうした無駄な命が失われる状況だ。鉄砲の品質に一切の妥協をしないという俺の信念を、こいつらは根本から踏みにじろうとした。
周囲には、他の商人や荷運びの者たちが集まり、事の成り行きを見守る。俺がどう対応するのか、堺の商人たちは値踏みするような視線を向けてきた。
俺は無言でその銃身を受け取ると、火薬袋から通常の倍の量の黒色火薬を流し込んだ。
「な、何をする気だ!」
「本当に業物なら、これくらい耐えられるはずだろ」
俺は銃身を頑丈な木箱に固定し、導火線に火をつけた。周囲の者たちが慌てて耳を塞ぎ、後退する。
轟音とともに、商人の持ち込んだ銃身は無惨に破裂し、鉄の破片が四方へ飛び散った。
「ヒッ……!」
商人が腰を抜かしてへたり込む。
俺は自分の工房で打った銃身を同じように固定し、倍の火薬を詰めて点火した。
耳を劈く爆音。だが、白煙が晴れた後、俺の銃身は傷一つなく、黒鈍色の輝きを放ったままだ。
「これが品質の違いだ。二度と俺の商場に、そんなガラクタを持ち込むな」
圧倒的な差を見せつけられ、商人は顔面を蒼白にして逃げ出していった。
だが、騒ぎはそれだけでは終わらない。
逃げ出す商人の背後から、護衛に扮した三人の男たちが音もなく飛び出してきた。
その身のこなしは、明らかに素人ではない。足運びには一切の無駄がなく、殺気は真っ直ぐに俺の急所へと向けられた。俺の台頭を危惧する勢力が、商人の嫌がらせに乗じて送り込んできた忍びだ。
男たちの手には、鈍く光る短刀が握り込まれた。
「死ね、鉄砲屋!」
一人が地を蹴り、俺の喉元へと刃を突き出してくる。
俺は慌てることなく、前掛けの裏に忍ばせた最新式短筒を抜き放った。装填機構を改良し、あらかじめ弾と火薬を仕込んでおいた特注品だ。未来の知識を応用し、瞬時に次弾を撃ち込めるよう工夫を凝らしてある。
撃鉄を起こし、指先でカラクリを絞る。
乾いた発砲音が響き、先頭の男が肩を撃ち抜かれて吹き飛んだ。
残る二人が怯んだ隙に、俺は素早く二丁目の短筒を抜き、連射する。
足元を撃ち抜かれた男たちが、苦悶の声を上げて崩れ落ちた。
「俺の供給網を力ずくで奪おうってなら、それなりの覚悟をしてくるんだな」
硝煙の匂いが漂う中、俺は冷たく言い放った。
すでに堺における俺の供給網は盤石だ。こんな小手先の暗殺で覆る段階はとうに過ぎている。俺の視線はもはやこの街の小競り合いではなく、遠く美濃で始まろうとしている天下分け目の大戦へと向いていた。急ぎ工房へ戻り、最後の一手を打たねばならない。
◆ーーーー◆
工房へ戻った俺は、奥の部屋で待機する又八を呼び出した。
「又八。例の荷を運ぶ時が来た」
俺が声をかけると、巨大な野太刀を背負った無精髭の浪人が、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「ついに俺たちの出番か。待ちくたびれて、刀が錆びちまうところだったぜ」
彼に任せるのは、極秘に製造した『防水火縄』の輸送部隊の護衛だ。関ヶ原の当日は雨が降る。その直前に、雨天でも使える特殊な火縄を届ける。それが俺の描いた筋書きであり、戦局を決定づける最後の一手だ。
「相手は戦場に向かう大軍だ。道中、何が起こるか分からない。だが、必ず指定した刻限に、東の陣営へ届けてくれ」
「任せておけ。俺が引き受けた仕事だ。命に代えても、完璧な道筋を切り開いてやるよ」
又八は力強く頷き、工房を後にした。
すべての駒が配置についた。
俺は堺の小さな工房から、歴史の転換点となる遠い戦場を見下ろす。
空には、雨の気配を孕んだ雲が少しずつ集まり始めた。
又八の率いる輸送部隊は、無事に前線へたどり着けるのか。
戦なき世を見据えた俺の盤面は、いよいよ最後の局面を迎えようとした。




