第19話
「西軍への規格化された筒は、予定通り大坂へ運び込まれたわ」
背後から声がかかり、俺は手元の火縄から視線を上げた。帳面を抱えたお凛が、呆れたような顔で工房の入り口に立っている。
「東軍への特注銃も、本体だけは前線の陣に届いているそうよ。あとはあんたが火縄を納めるだけなんだけど」
「ご苦労。順調だな」
俺は短く応じ、完成したばかりの防水火縄を木箱の奥へ隠した。
開戦までの三か月間、俺は単に鉄砲を造るだけでなく、硝石や鉛の供給網を密かに支配してきた。
西軍には、数を揃えやすい規格化された銃を大量に流す。彼らは数を頼みに前進する戦術を取らざるを得なくなる。
一方、東軍には射程と精度に特化した特注銃を割り当てた。遠距離からの狙撃で前線を膠着させるためだ。
両陣営の戦術は、俺が渡す武器の性能によって完全に誘導されている。
「でも、東軍の奉行たちは苛立っているわよ。筒だけあっても、火縄がなければただの鉄の棒だもの」
「今はそれでいい。弾薬の補給タイミングこそが、戦局を操る最大の鍵だからな」
俺は前掛けの汚れを払い、立ち上がった。
その時、表の通りが騒がしくなった。
「甚兵衛とやらはいるか!」
野太い声とともに、数人の男たちが工房の敷地へ踏み込んでくる。
先頭に立つのは、堺の会合衆に名を連ねる古株の商人だった。その後ろには、編み笠を深く被った護衛らしき男たちが控えている。
「何の用だ。うちは今、手一杯なんだが」
俺が面倒くさそうに応じると、商人は鼻で笑いながら木箱を地面に置いた。
「お前が東軍への火縄の納品を渋っていると聞いてな。うちの蔵で余っている火縄を融通してやろうと思って来たのだ」
箱の中には、束ねられた火縄がぎっしりと詰まっていた。
「これを東軍に納めろ。利益は折半で手を打ってやる。断るなら、堺の荷役衆を動かして、お前の工房への運び込みを一切止めるぞ」
あからさまな脅しだった。
俺の供給網を乗っ取り、自分たちの粗悪品で暴利を貪ろうという魂胆だ。
俺は箱から火縄を一本つまみ上げ、指先で軽く揉んだ。
「……こんなスカスカの縄で、戦場が保つと思っているのか」
「口を慎め! 堺で長年商いをしてきた我らの品にケチをつける気か!」
俺はため息をつき、傍らにあった水桶を引き寄せた。
「なら、試してみればいい」
商人が持ち込んだ火縄と、うちの工房で太助が編んだ通常の火縄。その両方を、同時に水桶の中へ放り込む。
「なっ、何をする!」
「本当に良い火縄は、少し水に浸かったくらいじゃ芯まで湿気らない」
数秒後、二本の火縄を引き上げ、火種を押し当てる。
商人の火縄はジュッと情けない音を立てて煙を上げるだけで、全く火がつかない。
一方、うちの火縄は表面こそ濡れているものの、芯に残った火薬と繊維が確実に火を捕らえ、チリチリと燃え進んでいった。
表通りに集まってきた他の商人や職人たちが、その様子を見てざわめき始める。
「見ろよ、あんな水浸しの縄に火がついたぞ」
「それに比べて、会合衆の品はまるで使い物にならねえな」
公開の場で見せつけられた圧倒的な品質の差。悪徳商人の顔が、みるみるうちに朱に染まっていく。
「こんな粗悪品を前線に送れば、湿気で不発が相次ぐ。兵士たちを犬死にさせる気か」
俺が冷たく言い放つと、商人は激昂して後ろの護衛たちに叫んだ。
「やれ! この生意気な小僧を黙らせろ!」
編み笠の男たちが、一斉に懐から刃を抜いて飛びかかってくる。
その動きは、ただの護衛のそれではない。明らかに訓練された忍びの歩法だった。
俺の台頭を危惧し、供給網を力ずくで奪おうと暗躍する連中が送り込んだ刺客。
だが、遅い。
俺は前掛けの下に隠し持っていた、自作の最新式短筒を抜き放った。
あらかじめ火薬と弾を装填し、撃鉄を起こしてある。
迷うことなく、先頭の忍びの足元へ向けて発砲した。
轟音が堺の通りに響き渡る。
弾丸は石畳を激しく砕き、跳弾の破片が忍びの脛を掠めた。
「ぐあっ!」
男は体勢を崩し、無様に地面へ転がる。残りの者たちも、未知の短筒の威力に恐れをなして足を止めた。
「俺の供給網に手を出せば、どうなるか分かっているはずだ」
銃口から立ち昇る硝煙越しに、俺は悪徳商人を睨みつけた。
「次はない。さっさと消えろ」
商人は腰を抜かし、這うようにして逃げ出していく。忍びたちも、負傷した仲間を引きずりながら足早に姿を消した。
「まったく……次から次へと、よく湧いてくるわね」
お凛が呆れたように肩をすくめる。
「それだけ、俺が握っている兵站の価値が高いってことさ」
短筒の銃身を布で拭きながら、俺は小さく息を吐いた。
己の身を守り抜くとともに、これで堺における供給網の絶対的支配は確固たるものになった。
その直後だった。
「甚兵衛殿! おられるか!」
蹄の音とともに、一人の武将が工房の前に馬を乗り捨てて駆け込んできた。
東軍の使者、源太夫だ。
歴戦の傷が刻まれた甲冑は土埃にまみれ、その顔には深い焦燥の色が浮かんでいる。
「どうしました、使者殿。そんなに慌てて」
俺が飄々と尋ねると、源太夫は血走った目で詰め寄ってきた。
「とぼけるな! 貴殿が手配した特注銃の本体は、確かに前線へ届いておる。だが、肝心の火縄が一向に納品されぬではないか!」
彼はギリッと奥歯を噛み鳴らす。
「このままでは戦に間に合わん! いったい、何を企んでおるのだ!」
無理もない。
決戦の日は刻一刻と迫っているのに、武器の要である火縄がないのだ。前線の将たちが苛立つのも当然だろう。
だが、ここで防水火縄の存在を明かすわけにはいかない。
「企みなどありませんよ。ただ、最高の火縄を仕上げるには、材料の乾燥にまだ時間がかかるんです」
俺は平然と嘘をついた。
「梅雨時の湿気を完全に抜かないと、あの特注銃の性能は引き出せない。中途半端な品を納めて、戦場で不発が起きてもいいんですか?」
源太夫は言葉に詰まった。
職人としての俺の腕を認めているからこそ、品質を盾に取られると反論できないのだ。
それに加えて、彼には以前、東軍の忍びである半蔵がこの工房を襲撃した一件での負い目がある。
武力で脅せば、俺が東軍への納品を完全に打ち切るかもしれないという恐怖が、彼の足を縛っていた。
「……必ず、間に合わせてくれ。さもなくば、拙者が腹を切ることになる」
源太夫は唸るようにそれだけを言い残し、重い足取りで馬へと戻っていった。
遠ざかる蹄の音を聞きながら、お凛が小さくため息をつく。
「あの武将を哀れに思うわ。あんたの完璧な盤面操作に振り回されて、胃に穴が空きそうじゃない」
「同情するなら、後で胃薬でも送ってやってくれ」
俺は冗談めかして笑い、空を見上げた。
「それにしても、本当にギリギリまで引っ張る気なのね」
「ああ。早すぎれば、雨の前に無駄撃ちされて使い切られる。戦の直前、最も効果的な瞬間に届けるんだ」
俺の言葉に、お凛は呆れ半分、感心半分の視線を向けてきた。
東軍の不満が高まる中、俺はただ一人、運命の日の天候を見据えていた。
空には、まだ夏の雲が広がっている。
だが、俺の頭の中にある未来の知識は、確かな嵐の到来を告げていた。
戦局を覆す最後の一手は、すでに盤上に置かれている。
あとは、空が泣き出すのを待つだけだ。




