第16話
「わしは……わしは武将だぞ! 刀も持たぬ小童に、このわしが敗れるなど……ありえん、ありえんのだぁっ!」
孤立無援となった重蔵が、屈辱と絶望の中で狂乱の兆しを見せる。
血走った目で虚空を睨みつけ、刀を振り回すその姿には、かつての傲慢な武将の面影は消え失せる。
すべてを失った重蔵の最後の足掻きとは、果たして何に向かうのか。
盤面は、確実に次の局面へと進み始める。
「おのれ、小童ぁっ!」
獣のような咆哮が、夜の帳を引き裂いた。
重蔵が単身で工房の敷地へ踏み込んでくる。血走った両眼は完全に正気を失っており、手にした抜き身の刀が月明かりを鈍く反射している。
背後に付き従う兵は一人もいない。俺が仕掛けた供給ストップにより、西軍全体が動けなくなったのだ。上層部の命令に逆らう重蔵は、軍の中で完全に孤立し、すべてを失っていた。
「わしの顔に泥を塗りおって! 貴様さえ、貴様さえいなければ!」
大上段に振りかぶられた刃が、俺の脳天を目掛けて一直線に振り下ろされる。
だが、その凶刃が俺に届くことはない。
甲高い金属音とともに、巨大な野太刀が重蔵の刀を横から弾き飛ばした。
「悪いな、大将。あんたの相手は俺だ」
無精髭を撫でながら、又八が面倒くさそうに立ち塞がる。
「邪魔立てするか、下郎!」
重蔵が体勢を崩したその一瞬の隙を、俺は見逃さなかった。
「旦那! はいっ!」
背後から駆け寄ってきた太助が、煤だらけの手で俺に何かを押し付ける。あらかじめ弾込めを済ませておいた短筒だ。
俺はそれを受け取ると同時に踏み込み、流れるような動作で重蔵の眉間に銃口を突きつけた。
「ひっ……」
重蔵の喉の奥から、情けない音が漏れる。
先程までの狂乱はどこへやら、冷たい鉄の感触を額に突きつけられた彼は、恐怖で顔を引き攣らせていた。
俺は撃鉄に指をかけたまま、見下ろすように言い放つ。
「戦を決めるのは刀じゃない。俺の鉄砲だ」
武力で全てを奪えると思い込んでいた男に、経済と技術がもたらす絶対的な力の差を突きつける。
「お前はここで死ぬ価値すらない。自分の無力さを噛み締めながら、せいぜい長生きすることだな」
俺は短筒を下ろし、背を向けた。
重蔵は膝から崩れ落ち、刀を拾い上げる気力すら失い、ただ絶望に塗れて地面に突っ伏した。武力が経済力に完全敗北した瞬間だった。
◆ーーーー◆
重蔵の失脚は、西軍内に「甚兵衛には逆らえない」という強烈な教訓を植え付けた。
それからの数週間、俺は藤吉が構築した裏ルートを駆使し、硝石と鉛の供給網を密かに、しかし完全に支配下に置いていった。
ただ鉄砲を造るだけではない。どの陣営に、どんな鉄砲を、どれだけ渡すか。
西軍には、部品の規格を統一し、数を揃えやすい銃を優先して流した。兵の数で勝る彼らには、面で制圧する戦術をとらせるためだ。
一方、東軍には、射程と精度に極限までこだわった特注銃を少数精鋭で割り当てた。点での突破力を高め、戦線を膠着させるのが狙いである。
俺の工房から出荷される木箱の一つ一つが、三か月後の戦局を形作っていく。
「旦那、西軍向けの三十丁、積み込み終わりましたぜ!」
「ご苦労。次は東軍向けの長筒だ。銃身の冷え具合を確認してから箱に詰めろ」
太助が悲鳴を上げながら走り回る中、俺は帳簿に筆を走らせる。
工房の奥では、職人たちが汗だくになりながら鉄を鍛えている。
未来の知識を持つ俺の指示に従い、彼らはかつてない精度で部品を削り出していた。
「若旦那、この火ばさみの角度、これでいいですかね」
「ああ、悪くない。だが、あと一厘だけ削れ。そのわずかな差が、戦場での連射速度を決める」
俺は手元の部品を光に透かしながら、妥協のない指示を飛ばす。
権力者の理不尽な要求には屈しない。どちらの陣営にも属さず中立を保つ。
それが、俺の譲れない筋だった。
だが、堺の街にはまだ俺のやり方を面白く思わない連中がいた。
会合衆の末席に座る古株の商人が、粗悪な鉄砲をかき集め、俺の供給網を出し抜いて暴利を貪ろうと企んでいたのだ。
ある日、堺の商人たちが集まる寄合の場で、そいつは俺を鼻で笑った。
「甚兵衛殿の鉄砲は、無駄に手間をかけすぎだ。戦場では数こそが正義。わしの集めたこの鉄砲を見なされ。安くて数も揃う」
並べられたのは、銃身の厚みもバラバラで、火ばさみの動きも渋い粗悪品だ。
「こんな玩具で、人の命を預かるつもりか」
俺はため息をつき、自作の鉄砲を手に取った。
「ならば、ここで撃ち比べてみればいい」
公開の試射場。多くの商人たちが見守る中、古株の商人が雇った浪人が粗悪品を構える。
「ふん、見ておれ。わしの鉄砲の威力をな」
商人が勝ち誇ったように笑う。
浪人が火縄に火をつけ、引き金を絞った。
だが、弾丸が放たれることはなかった。
鈍い破裂音とともに銃身が裂け、浪人が悲鳴を上げて倒れ込んだ。火薬の圧力に耐えきれず暴発したのだ。
「な、なんだと……!」
青ざめる商人。
俺は無言で自分の鉄砲を構え、五十間先の的を狙う。
乾いた銃声。弾丸は寸分の狂いもなく、的の中心を撃ち抜いた。
周囲の商人たちから、どよめきが上がる。
「品質に妥協した武器は、味方を殺すだけだ。そんなものを売り捌く者に、堺の商いを名乗る資格はない」
圧倒的な品質の差を見せつけられ、古株の商人はその場にへたり込んだ。彼が抱えていた在庫は紙屑同然となり、没落は決定づけられた。
◆ーーーー◆
堺の経済と供給網を完全に掌握した俺の存在は、各陣営にとって無視できない脅威となっていた。
特に、俺の台頭を危惧し、強引に排除しようとする過激派の動きは止まらない。
夜更け。工房の周囲に、不自然な静寂が降りた。
「……大将、来ましたぜ」
闇に目を凝らしていた又八が、野太刀の柄に手をかける。
「数は五。いや、六か。足音を消しちゃいるが、殺気が漏れすぎだ」
俺の命を狙う忍びたちだ。
障子が音もなく開き、黒装束の影が滑り込んでくる。
だが、俺は慌てることなく、作業台の上に置かれた最新式の短筒を手に取った。未来の知識を応用し、装填機構を改良した特注品だ。
「太助、伏せてろ」
「ひぃ、ひぃぃっ!」
太助が作業台の下に潜り込むと同時、忍びの一人が刃を煌めかせて飛びかかってきた。
俺は短筒を構え、引き金を絞る。
轟音とともに放たれた弾丸が、忍びの肩を撃ち抜いて吹き飛ばす。
すかさず又八が踏み込み、二人目の凶刃を野太刀で弾き返し、そのまま峰打ちで昏倒させる。
「チッ、手回しがいいな!」
残る忍びたちが散開し、暗器を投げようとする。
だが、俺はすでに二丁目の短筒に持ち替えていた。
連続して放たれる銃撃に、忍びたちは次々と足を撃ち抜かれ、床に転がる。
「俺の工房で暴れるなら、それなりの覚悟をしてくるんだな」
硝煙の立ち込める中、俺は倒れ伏す忍びたちを見下ろした。
「雇い主に伝えておけ。俺の命を狙う暇があるなら、鉄砲の代金でも用意しておくんだな。次はないぞ」
忍びたちは這うようにして逃げ去っていった。
武力による脅威も、悪徳商人による妨害も、すべて俺の鉄砲と経済力の前には無力だった。
「やれやれ、物騒な夜だ。太助、片付けを手伝え」
「オイラ、もう心臓が止まりそうですぅ……」
泣き言を漏らす太助を尻目に、俺は夜風を入れるために窓を開けた。
夏の夜の空気が、火薬の匂いを少しずつ薄めていく。
堺の街は静まり返り、俺の工房だけが確かな鼓動を刻んでいるように感じられた。
供給網は完全に俺の手の中にある。
西軍も東軍も、もはや俺の描いた盤面の上で踊る駒に過ぎない。
堺を完全に掌握した俺は、いよいよ関ヶ原の盤面をどう動かすのか。




