第15話
翌朝。工房の土間には、むっとするような熱気と油の匂いが立ち込める。
俺は作業台に向かい、組み上がったばかりの銃身にヤスリをかける。指先から伝わる金属の感触だけで、数ミクロンの歪みを感じ取る。この僅かな引っ掛かりが、戦場では命取りになる。未来の知識と、職人としての目利き。その両方が合わさって初めて、俺の鉄砲は完成するのだ。
「旦那、手配はすべて完了しやした。西軍向けの硝石と鉛、堺の港から出る船は一隻残らず止めましたぜ」
藤吉が額の汗を拭いながら、分厚い帳簿を広げた。その顔には、大仕事を成し遂げた興奮と、底知れぬ相手を敵に回した恐怖が入り混じる。
「ご苦労だったな、藤吉。これで西軍の補給線は完全に干上がる」
俺はヤスリを置き、布で銃身の削りカスを拭き取った。
「だが、ただ止めるだけじゃない。俺が密かに買い集めておいたあの南蛮鉛を、西軍の特定の部隊にだけ流してやれ」
「あの不純物だらけの粗悪な鉛ですか? あんなものを弾にしたら、銃身にこびりついてまともに飛びやせんよ」
藤吉が目を丸くする。
「それが狙いさ。命中精度が落ちれば、戦列は崩れる。前線が膠着すれば、無駄な突撃は減る」
俺は磨き上げた銃身を光にかざし、内部の滑らかさを確認した。
「そして、西軍には数を揃えやすい規格化された筒を回す。逆に東軍には、射程と精度に特化した特注の長筒を少数だけ渡す。これで、両陣営の戦術は俺の思い描いた通りに誘導される」
「……旦那、それじゃあまるで、両軍の戦い方そのものを操ろうって腹じゃありませんか」
「どちらが勝つにせよ、無駄な血は流させない。そのための盤面作りだ」
俺の返答を聞き、藤吉は息を呑んで黙り込んだ。武力ではなく、物資の供給ラインを絞る・開けるという商人ならではの手法。それが、数万の大軍の動きすら左右する。
◆ーーーー◆
昼下がり。工房の表が騒がしくなった。
堺の街は今、かつてない緊張感に包まれる。関ヶ原の戦いが迫る中、東西両軍の使者が入り乱れ、物資の買い占めが横行する。そんな混乱に乗じて、私腹を肥やそうとする輩は後を絶たない。
「甚兵衛とやら。随分と好き勝手やってくれているようだな」
土足で上がり込んできたのは、会合衆の顔役を務める商人だった。豪華な絹の着物を身に纏い、背後には数人の屈強な用心棒を従える。重蔵と結託し、堺の流通を牛耳ろうと企む輩の一人である。
「お前が西軍への物資を止めたせいで、わしらの商いまで大損害だ。今すぐ封鎖を解き、わしらが用意した筒を西軍に納めろ」
顔役が足元に放り投げたのは、十数丁の火縄銃だった。
一目見ただけで、粗悪品だと分かる。銃身の厚みが均一でなく、火薬の圧力に耐えられない。カラクリの部品も粗雑で、少しの衝撃で暴発する危険を孕む。
「こんな玩具を戦場に持ち込めば、暴発して撃ち手が死ぬ。あんたらの懐を潤すためだけに、無駄な命を散らす気か」
俺は冷たい声で言い放った。
「商人は銭を稼いでなんぼだ。兵の命など知ったことか。お前のような若造が、堺の掟を乱すのは許さん」
顔役は傲慢に笑い、用心棒たちに顎でしゃくった。力ずくで言うことを聞かせるつもりらしい。
「藤吉」
俺が呼ぶと、藤吉がおどおどしながらも一冊の帳簿を差し出した。
「あんたが粗悪な火薬を水増しして売り捌いていた証拠だ。鉛の取引でも不正を働いているな。これを奉行所に持ち込まれたくなければ、二度と俺の商いに口を出すな」
「なっ……貴様、どこでそれを!」
顔役の顔から血の気が引く。藤吉がかつて悪徳商人の下で働いていた頃に手に入れた裏帳簿の写しだ。
俺は足元に転がっていた粗悪な鉄砲を蹴りのけ、壁に立てかけてあった自作の筒を手に取った。火縄に火をつけ、庭先に立てた的へ向けて構える。
引き金を引く。
轟音とともに放たれた鉛玉は、三十間先の的の中心を正確に撃ち抜いた。反動は少なく、硝煙の抜けも完璧だ。
「これが本物の鉄砲だ。あんたらのガラクタと一緒にしないでくれ」
硝煙の向こうで、顔役は腰を抜かしてへたり込む。用心棒たちも、俺の放った一撃の威力に恐れをなし、後ずさる。
「帰れ。俺は、俺の目利きで鉄砲を売る。誰の指図も受けない」
顔役たちは捨て台詞を吐く余裕もなく、逃げるように工房を去っていった。
◆ーーーー◆
日が落ち、堺の街が闇に包まれる頃。
地鳴りのような足音が、工房の周囲を取り囲んだ。
「甚兵衛! 貴様、わしをコケにしおって! 供給を止めたくらいで、この重蔵が屈すると思うたか!」
外から響く怒号。重蔵が武装した兵を率いて、ついに実力行使に出たのだ。松明の炎が、障子越しに赤々と揺らめく。武力による制圧は避けられないかに見えた。
「旦那! 囲まれやした! どうしやす!」
藤吉がパニックに陥り、頭を抱えてしゃがみ込む。
「落ち着け。表の連中はただの囮だ」
俺は声を潜め、工房の奥へと視線を向けた。
かすかな衣擦れの音。天井裏から、黒い影が音もなく舞い降りてくる。重蔵が放った忍びだ。表の騒ぎに乗じて、俺の命を奪いに来たのだろう。
忍びの刃が、冷たい光を反射して振り下ろされる。
だが、俺はすでに懐から最新式の短筒を抜き放つ。
引き金を引く。
至近距離から放たれた散弾が、忍びの体を吹き飛ばした。くぐもった悲鳴とともに、黒装束が土間に叩きつけられる。
「悪いが、俺の命も、この工房も、誰にも渡す気はない」
短筒の銃口から立ち上る硝煙を払いながら、俺は冷たく言い放った。
外では、重蔵が門を打ち破ろうと兵に命じる。
「構わん、押し入れ! あの小賢しい鍛冶屋の首を刎ねろ!」
木の門が軋み、今にも破られようとしたその時だった。
「お待ちくだされ!」
一騎の早馬が、兵の群れをかき分けて駆け込んできた。背には西軍の紋所。上層部からの使番だ。
「重蔵殿! 陣触れにござる! 『堺の甚兵衛に一切手を出してはならぬ』との厳命にござる!」
使番の叫び声に、重蔵の動きがピタリと止まる。
「な、何だと!? なぜだ!」
「甚兵衛殿が供給を止めたことで、西軍の全軍が深刻な弾薬不足に陥っております! 今彼を殺せば、我らは戦う前に敗北します! 上層部は甚兵衛殿との和解を決定いたしました!」
静寂が、夜の街を包み込む。
兵たちは顔を見合わせ、武器を下ろし始める。
「馬鹿な……たかが商人の一存で、このわしが……西軍が動けなくなるというのか!」
重蔵の声が、震える。
武力でねじ伏せようとした相手に、兵站という目に見えない鎖で首を絞め上げられたのだ。供給網を握られたことで軍全体が動けなくなり、重蔵は部隊の中で完全に孤立してしまう。
「お前たち、何を立ち止まる! わしの命令が聞けんのか!」
重蔵が喚き散らすが、兵たちは誰一人として動こうとしない。上層部の命令に逆らう重蔵から、明確に距離を置き始める。
俺は障子を少しだけ開け、その滑稽な姿を見下ろした。
経済力が武力を凌駕した瞬間だった。どんなに強大な軍勢であろうと、弾薬がなければただの案山子に過ぎない。俺の仕掛けた供給ストップは、重蔵の野望を根底から打ち砕いたのだ。
「わしは……わしは武将だぞ! 刀も持たぬ小童に、このわしが敗れるなど……ありえん、ありえんのだぁっ!」
孤立無援となった重蔵が、屈辱と絶望の中で狂乱の兆しを見せる。
血走った目で虚空を睨みつけ、刀を振り回すその姿には、かつての傲慢な武将の面影は消え失せる。
すべてを失った重蔵の最後の足掻きとは、果たして何に向かうのか。
盤面は、確実に次の局面へと進み始める。




