第12話
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翌日の昼下がり。
堺の中心部に位置する豪奢な会合所は、異様な熱気とざわめきに包まれていた。
上座にどっかりと腰を下ろしているのは、派手な絹の着物をまとった善兵衛だ。太い指にはめられたいくつもの高価な指輪が、窓から差し込む光を反射してギラギラと光っている。
彼の前には、木箱に詰められた火薬や鉛の塊がうず高く積まれていた。周囲を取り囲む数十人の堺の商人たちは、その品定めをしながらも、善兵衛の顔色を窺うように視線を泳がせている。
「さあ、遠慮はいらんぞ。戦が始まれば、これらの品は今の五倍、いや十倍の値を付ける。わしが特別に融通してやるのだから、ありがたく買っていくがいい」
善兵衛は傲慢な笑みを浮かべ、手にした扇子をパチンと鳴らした。
「ただし、支払いは即金だ。文句のある者は、他を当たってもらうしかないがな」
他を当たれと言っても、堺の港に入ってくる物資の多くは、善兵衛の息がかかった問屋が押さえている。商人たちに選択肢はない。彼らは渋い顔をしながらも、次々と買い付けの札を上げようとしていた。
その輪の端には、南蛮風の外套を羽織ったロレンソの姿もあった。彼は立派な口髭を撫でながら、無言で木箱の中身を見つめている。その瞳には、明らかな失望の色が浮かんでいた。
「随分と強気な商売をしているな」
俺は会合所の入り口から、静かに声を響かせた。
一斉に視線がこちらに向く。俺の隣では、お凛が上質な絹の着物を着崩さず、堂々と胸を張って立っていた。彼女の手には、一冊の分厚い帳面が抱えられている。
「……何の用だ、甚兵衛。ここは貴様のような青二才の職人が来る場所ではない」
善兵衛の顔から笑みが消え、不快げに眉をひそめる。
「お前にはもう、鉄砲を作る材料など一粒も入ってこないはずだが? それとも、わしに泣きつきに来たか」
「ああ、あんたの嫌がらせのおかげでな。だが、今日は買い付けに来たわけじゃない」
俺は靴を脱いで板間に上がり、善兵衛の前に置かれた木箱へと真っ直ぐに歩み寄った。
「あんたが堺の商人たちに、どんな素晴らしい品を売りつけようとしているのか。それを見物に来ただけだ」
木箱の中に手を入れ、黒色火薬を一掴みすくい上げる。
指先で擦り合わせると、ざらりとした嫌な感触があった。鼻を近づけるまでもなく、硫黄の配合が偏っているのが分かる。
「なんだ、この火薬は。硝石の純度が低すぎる上に、木炭の粉砕も甘い。粒の大きさがバラバラじゃないか」
俺は手のひらの火薬を、パラパラと木箱に戻した。
「こんなものを筒に詰めれば、燃焼速度が安定しない。弾道がブレるどころか、最悪の場合は銃身の中で暴発するぞ」
「貴様……! 適当な難癖をつけるな!」
善兵衛が顔を真っ赤にして立ち上がる。
「わしの扱う品は、どれも一級品だ! 職人の分際で、商いの邪魔をする気か!」
「難癖かどうかは、見れば分かる」
俺は次に、隣の木箱に入っていた鉛の塊を手に取った。
表面には不自然なくすみが浮き、所々に小さな気泡のような穴が開いている。
「この南蛮鉛、銀を抜く際の精錬をケチっているな。不純物が多すぎる。こんな鉛で弾を鋳造すれば、銃身の内側にカスがこびりつく。三発も撃てば、次弾が装填できなくなる代物だ。戦場でそんな鉄砲を持たされた足軽がどうなるか、想像したことがあるか?」
周囲の商人たちが、ざわめき始めた。
彼らも薄々は品質の悪さに気づいていたのだろう。だが、善兵衛の権力を恐れて口に出せなかったのだ。俺の言葉が、彼らの疑念を確信に変えていく。
「黙れ、黙れぇっ!」
善兵衛は扇子を床に叩きつけた。
「わしが堺の掟だ! わしが売ると言えば、それが極上品なのだ! お前のような新参者が、偉そうに講釈を垂れるな!」
「掟ねえ……」
俺は振り返り、お凛に目配せをした。
お凛は静かに歩み寄り、抱えていた帳面を善兵衛の目の前に突き出した。
藤吉が命がけで持ち出した、善兵衛の裏帳簿だ。
「紀州の海賊衆に裏金を渡し、まともな品を積んだ船を襲わせていたな。そうやって市場の品薄を意図的に作り出し、この粗悪品を相場の三倍で売りつける。それが、あんたの言う堺の掟か」
「なっ……!」
善兵衛の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「そ、それは……どこでそれを……!」
「藤吉から預かった。あんたのやり方には、もうついていけないそうだ」
お凛は冷ややかな目で善兵衛を見下ろし、帳簿の頁をパラパラと捲る。
「日付、金額、海賊衆への指示書き。すべて詳細に記されていますわ。これを奉行所に持ち込めば、あなたの商売は今日で終わりですね」
お凛の澄んだ声が、静まり返った会合所に響き渡る。
「ま、待て! それは誤解だ! 何かの間違いだ!」
善兵衛は慌てて周囲を見回すが、商人たちは皆、彼から距離を置いていた。
誰も彼を庇おうとはしない。彼が築き上げてきた恐怖による支配が、音を立てて崩れ去っていく。
その時、ずっと沈黙を守っていたロレンソが、ゆっくりと前に進み出た。
「甚兵衛の言う通りデス」
彼は流暢な言葉で、善兵衛の木箱を指差した。
「この火薬も鉛も、私の国なら廃棄処分にするレベルの粗悪品。アナタは、私にもこれを売りつけようとした。商人としての信用はゼロですネ」
「ロ、ロレンソ殿! あんたまで……!」
「私は、品質に妥協しない者としか取引しません」
ロレンソは善兵衛から視線を外し、俺の方を向いてウインクをした。
「甚兵衛。アナタの職人としての目利き、そして商人としての度胸。素晴らしいデス。今後、私が仕入れる極上の硝石は、すべてアナタの工房に優先して卸すことを約束しましょう」
「助かる。最高の鉄砲で応えさせてもらうよ」
俺は短く頷いた。
これで、硝石の安定した供給ルートが完全に確保されたことになる。
「お、おのれぇ……! わしを誰だと思っている! わしは堺の……!」
善兵衛がわめき散らすが、もはや彼の言葉に耳を貸す者は誰もいなかった。
商人たちは次々と会合所を後にし、善兵衛だけがその場に取り残される。
俺は彼を嘲笑うことも、感情的に煽ることもなかった。
ただ、事実を突きつけ、盤面をひっくり返しただけだ。
粗悪な武器が世に出回れば、無駄な命が失われる。それを防ぐためには、この男の流通網を潰す必要があった。それ以上の感情はない。
「行くぞ、お凛」
俺は背を向け、会合所の出口へと歩き出した。
「ええ。これで堺の流通は、私たちのものね」
お凛が足取り軽く隣に並ぶ。
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外に出ると、強い日差しが石畳を照らし出していた。
港の方からは、荷下ろしをする人夫たちの威勢のいい声が聞こえてくる。
善兵衛の没落により、堺の物資の流れは大きく変わるだろう。
藤吉が構築した新しい裏ルートと、ロレンソからの直接仕入れ。これで、東西両軍の命運を左右する兵站を、俺が完全にコントロールできる体制が整った。
だが、胃の奥に冷たいものが居座っている。
善兵衛を潰したことで、奴の背後にいた連中が黙っているはずがない。
特に、西軍の過激派である重蔵。彼は武力でこの工房を制圧しようと目論んでいた。
経済の力で盤面を制したとしても、相手が理屈の通じない暴力で襲いかかってくれば、帳簿や交渉術だけでは防ぎきれない。
「……きな臭くなってきたな」
俺は空を見上げ、小さく呟いた。
「どうしたの? 勝ったのに、浮かない顔をして」
お凛が不思議そうに首を傾げる。
「いや。次の仕込みを急がないとならないと思ってな」
俺の頭の中には、すでに新しい鉄砲の図面が浮かんでいた。
迫り来る直接的な脅威を退けるための、特別な一丁。
戦なき世を見据えるためには、まだ越えなければならない壁がある。
俺は前掛けの紐を締め直し、工房へと歩みを早めた。




