第13話
夜の帳が下りた堺の街は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
港から吹き込む潮風が、湿った空気を工房の奥へと運んでくる。
俺は手元の部品を慎重に組み上げていた。昼間に思い描いた特別な一丁の最終調整だ。善兵衛を没落させ、南蛮商人という強力な仕入れ先を確保したことで、俺の兵站網は盤石になりつつある。だが、経済の力で首を絞められれば、理屈の通じない暴力が襲いかかってくるのは火を見るより明らかだった。
隣では、見習いの太助がこっくりこっくりと船を漕いでいる。
「太助。火薬の計量を間違えるなよ。一厘でも狂えば、命取りになる」
「ひゃいっ! 起きてます、オイラ起きてますから!」
ビクッと跳ね起きた太助が、顔にべっとりと煤をつけたまま、慌てて薬包紙を丸め直す。
その時、表の戸口で微かな物音がした。
風が立てる軋みではない。人の気配を極限まで殺した、異質な足音。
土間に敷いたむしろの上で横になっていた又八が、音もなく身を起こした。巨大な野太刀の柄に手をかけ、鋭い視線を入り口の引き戸に向ける。
「……旦那。客引きの時間じゃねえぞ」
又八が低い声で唸る。
「ああ。歓迎できない客のようだな」
俺は手元の短筒を布で覆い、ゆっくりと立ち上がった。
戸が音もなく開き、闇の中から一人の男が滑り込んできた。
目立たない地味な色の着流し。痩せこけた体躯だが、足運びには一切の無駄がない。手には鈍く光る暗器が握られている。
「夜分に失礼する」
男は感情の読めない、氷のような声で言った。
「某は半蔵。東軍より、貴様を迎えに参った」
「迎え、ね。ずいぶんと物騒な身なりだが」
「商人の分際で、戦の行方を弄ぼうとする不届き者には相応の扱いが必要であろう。大人しく従え。さもなくば、ここで斬る」
半蔵の目は、俺を路傍の石ころでも見るかのように冷酷だった。職人や商人を、己の主君の盤面を乱す下等な存在としか見ていない。
「断る。俺はどちらの陣営にも属さない。鉄砲の売り先は、俺が決める」
「愚かな。たかが鍛冶屋が、武士の力に抗えると思うてか」
半蔵が一歩踏み出した瞬間、又八が動いた。
「寝込みを襲うたぁ、いい度胸してやがる!」
野太刀が空気を裂き、半蔵の脳天へと振り下ろされる。だが、半蔵の姿はすでにそこにはなかった。
「遅い」
背後に回った半蔵の暗器が、又八の肩口を掠める。俺の目には、半蔵の筋肉の収縮と重心の移動がはっきりと見えていた。無駄のない、殺しに特化した動き。だが、それはあくまで対人用の技術だ。
「チッ……ちょこまかと!」
又八は舌打ちし、再び野太刀を横薙ぎに振るう。だが、半蔵は紙一重で躱し続ける。忍びの身のこなしは常軌を逸しており、力任せの剣撃では捉えきれない。
「太助!」
俺は背後で震えている見習いに声を飛ばした。
「ひぃぃっ! な、なんですかぁ!」
「さっきの短筒だ。弾を込めろ。火薬は三匁、鉛玉は二分だ。急げ!」
「む、無理ですよぉ! 手が震えて……!」
「いいからやれ! お前の手先の器用さを信じろ!」
太助は泣きそうな顔をしながらも、必死に火薬を量り、銃身に押し込み始めた。
又八の荒い息遣いが聞こえる。
「おらぁっ!」
渾身の一撃。だが、半蔵はそれを跳躍して躱すと、天井の梁を蹴って又八の死角へと回り込んだ。
「武士の誇りも知らぬ傭兵風情が。目障りだ」
半蔵の蹴りが又八の鳩尾にクリーンヒットし、巨体が土間へと崩れ落ちる。
「がっ……!」
「又八!」
「へへっ……心配すんな、旦那。まだやれる……」
又八は野太刀を杖にして立ち上がろうとするが、足元がおぼつかない。
半蔵は又八から興味を失ったように視線を外し、俺へと向き直った。
「これで邪魔者は消えた。貴様も、己の無力さを思い知るがいい」
半蔵が音もなく距離を詰めてくる。
俺は一歩も退かず、ただ奴の動きを観察した。
「旦那! できました!」
背後で太助が叫ぶ。だが、半蔵の動きの方が早い。
「遅いな。その玩具を手にする前に、貴様の命はない」
半蔵は俺に肉薄する直前、ふと視線を横に向けた。
そこには、店の入り口近くに飾ってある一丁の火縄銃があった。
以前、見せしめのために置いておいた、銃身の薄い不良品だ。
半蔵は素早い動作でその鉄砲を壁から外し、俺へと銃口を向けた。
「ほう。火縄に火がついたまま飾ってあるとは、不用心なことだ。だが、手間が省けた」
半蔵は冷笑を浮かべた。
「商人の浅知恵など、武力の前では無に等しい。死んで後悔するがいい」
俺はため息をついた。
「あんた、鉄砲の目利きは素人以下だな。その銃身の厚みを見てみろ。標準より二ミリは薄い。そんなもので火薬を爆発させればどうなるか、想像もつかないのか」
「何?」
「それは飾り物だ。撃つためのもんじゃない」
「負け惜しみを」
半蔵が引き金を引いた。
轟音。
だが、それは銃口から放たれたものではなかった。
薄すぎる銃身が火薬の爆発に耐えきれず、手元で無惨に破裂したのだ。
「ぐああっ!?」
半蔵が悲鳴を上げ、顔を押さえて床に転げ回る。破裂した金属片が、彼の腕や顔に深く突き刺さっていた。
「な、何だこれは……! 貴様、図ったな!」
「だから言っただろ。それは飾り物だってな。火薬の量も、わざと暴発するように調整してあったんだよ。あんたみたいな招かれざる客をもてなすための、特製の罠さ」
俺は振り返り、太助から短筒を受け取った。
未来の知識と、俺の職人眼で極限まで精度を高めた、最新式の短筒。銃身の歪みは一切なく、火薬の燃焼効率を最大化するよう設計されている。
俺はゆっくりと歩み寄り、床で呻く半蔵の眉間に銃口を突きつけた。
「時代遅れの忍びの技じゃ、俺の鉄砲には勝てない。あんたが信じてきた武力は、もう通用しないんだよ」
「くっ……殺せ。任務に失敗した以上、某に生きる価値はない」
半蔵は血走った目で俺を睨みつけた。
「殺さないさ。あんたには、東軍への伝言役になってもらう」
俺は短筒の撃鉄を下ろし、冷たく言い放った。
「俺の工房に手を出せばどうなるか。その身をもって上に伝えろ。どちらに何丁売るかは、こちらで決めさせてもらう。それに逆らうなら、東軍への納品は一切打ち切るとな」
半蔵は屈辱に顔を歪めながらも、何も言い返せなかった。
又八がふらつきながら近づいてきて、半蔵の襟首を掴み上げた。
「ほら、さっさと失せな。次は容赦しねえぞ」
半蔵は無言のまま立ち上がり、よろめく足取りで闇の中へと消えていった。
「ひぃぃ……死ぬかと思いましたよぉ……」
太助がへたり込み、安堵の涙を流している。
「よくやった、太助。お前の弾込めがなきゃ、危ないところだった」
「へへっ……旦那の無茶ぶりには慣れてますから……」
俺は短筒を懐にしまい、散乱した土間を見渡した。
半蔵の襲撃。東軍の忍びが直接動いたということは、向こうの陣営内部で独断専行の不穏な動きがある証拠だ。
正規の使者を通さず、武力で俺を屈服させようとする過激派の存在。
だが、これは逆に利用できる。
東軍の奉行衆に対し、お宅の忍びが勝手な真似をしたという強力な交渉材料を手に入れたのだから。
「……さて。これでまた一つ、盤面が面白くなってきたな」
俺は破裂した不良品の残骸を拾い上げ、小さく笑みをこぼした。
戦なき世を見据えるための、次の一手。
俺の頭の中では、すでに新たな供給の筋書きが組み上がり始めていた。




