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第5話 『ルサルカ』

気味の悪い男だ、とイドは思った。その姿や振る舞いではなく、タイミングがだ。幼い頃からこの地区7区の入り組んだ路地、裏道、隠れた道は全て二人の遊び場も同然。ほぼ大抵を知り尽くしているからこそ上からの追跡だろうと容易に撒くことができている、はずだった。

 上から見下ろすその男は、声も服も遠目から見える姿もこの7区で見かけるものではない。そんな余所者が偶然こんなところにまでやってくるものか?それもこんな最悪のタイミングで現れてくるなんて。普通じゃありえない。

 だからこそ、警戒は当然のものとなった。


「あんた何者だ?」


「何だ、聞こえねえよ。知りたいことがあるなら上がってこい。そこにいると警察にとっ捕まるぞ。」


 挑発するように自分の立っている場所を指差す男に対して二人は顔を見合わせた。


「……どうする、お兄ちゃん?ああ言ってるけど。っていうか警察ってどういうことなんだろう」


 ダズィは少しパニックな状態でイドの上着を掴んだ。先ほど店の前に陣取っていたのが警察であるというのはあくまでブラフかもしれない。だがどちらにしろ、このまま路地裏を歩き続けるのは無意味だ。

 イドは大きく息を吸ってからくるりと先ほど進んでいた方向から向き直る。


「ダズィ、あそこまで登れる階段の位置ってわかるか?」


「もちろん、ってあんなのについてくの?怪しいよあの人」


この余所者が何をもたらすかは未知数で信用もできないが、二人は今そんな藁にもすがるしかなかった。二人は男のいる道まで上がる階段を見つけて登って行った。カンカンと金属と靴がぶつかる音が表の喧騒の中に溶けて行く。洗濯物がはためくそこよりも高い位置、男が立っていた場所にやってくるが男はそこにはいない。


「こっちだ、そこじゃあすぐに見つかるだろ?」


 声が投げかけられた方を見上げると、建物の屋上から男は顔を覗かせひらひらと手を振る。


「あいつ」


「お兄ちゃんイライラしないの」


「分かってる、ダズィ先登れ」


 不安気に後ろを振り向きながらもダズィは先に梯子の上に登って行く。ダズィが屋上に登り切るのを見届けた後、イドも屋上へと上がった。


「来たか、赤髪坊主。」


 男は影の中からぬるりと現れた。黒いスーツに黒い髪。けれどたまに見かけるパリッとした清潔感のあるそれではなく、日々地面を這いずり回った結果クタクタになっているという背景を感じさせるものだった。のらりくらりとした言動でありながらアンバランスな印象を持ったイドはダズィを背中に隠し警戒をしながらも男と会話を試みる。

 

「坊主って歳じゃねーよ、もう17だ」


「17なんてまだ学校に通ってる年齢だろう、そっちのちびっ子なんて義務教育の年齢じゃねえか」


「学校なんて、そんなの行けるの金持ちか地上人の子供だけだろ。後ろ暗い所のある連中はそんな上品なところなんて行けねえよ」


「そうだろうな、だからお前たちに声をかけたんだよ、後ろ暗い所がありそうなところに付け込もうと思ってな」


「……悪いけど今は間に合ってる。そういう商売がしたいんなら他を当たってくれよ。ダズィ行こうか」


 ぼんやりとするダズィの腕を掴み、ずんずんと先ほど使ったハシゴの方へと向かおうとした。7区ではこういうやつがたまにいる、どこからかきたかと思ったらいい話があると人を騙して商売するようなやつが。そういった手合いには飽き飽きだった。先ほど感じた気味の悪さもそういう類のものだったかとどこかがっかりしながらため息を吐きそうになる。

 

「その場の勢いだけの判断でいい話を聞き逃すのは賢い生き方とは言えないぜ。そもそも俺から逃げてどうするつもりだ」


 のらりくらりとした口調ではあったが、何かを知っているかのような含みのある話し方にイドはぴたりと足を止める。外側では平静を保っていたが内側ではまたしても変な気味の悪さを感じた。それでも、


「……ねぐらに戻る、それだけだ」


 冷静に、冷静に。こいつは路地裏にいるあいつらとなにも変わらない。だから、いつも通りにしていればいい。そうすればすぐにこの嫌なことも終わる。だから──

 

「──それだけじゃ済まないだろ?お前みたいなのは」


  その一言でイドは男の方を振り返る。瞬きの後に男の間合いまで詰め寄り、その胸ぐらを掴む。


「当たり前だ!あの人が一人で勝手に死ぬなんてありえない!だから、申渡さんを殺したやつをこの手で殺してやる!」


「お兄ちゃんなにしてんの!」


「黙ってろ!」


 ダズィはびくりと体を震わせて、腕を握りしめた手の力を強める。その目は潤み、眉は垂れ下がっていた。そんな様子にも気がつかないイドは、胸ぐらを掴む手を強める。

 それを見下ろした男には焦りも、怒りもなくただ胸ぐらを掴む少年を鼻で笑った。


「ハッ!気概だけはご立派なことだ、だが──」


 音もなくイドの視界はくるりと裏返り、背中が強く叩きつけられる。頭がくらくらとぼんやりとした視界で大きく咽せる。その様子を無感情に観察した後、男はしゃがみ込んで胸ぐらを乱暴に掴み返した。


「中身がない、計画性がない。ガキの癇癪と同じだ。そんなのでどうやって犯人とやらを探すつもりなんだ?」


 その問いかけにイドは言葉を吃らせた。自分でも気づいている。無謀なことを言っていると。あの場からただ生き残ることがせいぜいだった自分にできることがわからなかった。けれどそれをどこの誰かも分からない奴に指摘されるのは嫌だった。

 

「明るく、なったら店に戻ってもう一度死体を確認する。それで、なにがおこったかを調べる」


 どんどんと語気が弱くなるそれを見た男はため息をついた。


「やめておけ。君たちは今警察に目をつけられている。殺人現場から現れた怪しげな二人組として」


「警察って、どうしてそこで警察が出てくんだよ!」


 イドは眉を吊り上げもがきながら男を問い詰めた。


「なんだ、そんなことも気がついていなかったのか?店から出てきた時見ただろう、お前たち二人して」


「……そんなの見えなかった。人がいたのは分かっていたけど、あんな逆光だったらそれが誰かまではわからないし」


 そこまで言われて漸く頭の中のほとんどを占めていたパニックがなりを潜めていった。


「だってありえないだろ、こんな所までわざわざ警察が来るなんて。あいつら俺らみたいなのが死のうが知ったことない連中じゃないか」


「ま、そうだな。普段ならこんな所まで来ることは無いだろうさ、なにせあの連中の関心は自分と身内の安全だけだからな」


 そこまで言い切ると男はイドをつかむ手を緩め、立てと言うように手を出してきた。それはイドが持つ7区の警察官達に対する考え方に同意しているようで、だからこそイドは分からなかった。その考え方が共通するものならやはり警察が来る理由がない。


「ならなんであいつらあそこにいたんだよ、いってて」


 背中を摩りながら立ち上がる。パンパンと汚れを払う音だけがして調子の良さそうな返答が男から帰ってくることはなかった。


「……なんだ、その理由までは知らないのかよ」


「俺は偶然店の近くにいて見かけただけだ。奴らの腹の中なんて知らないし知りたくもねーよ。俺が話せるのは目に見えた情報からの推測と予測だけだ」


 その受け答えだけ、今までのようなキレがなくどこか言い訳じみていた。


「それなら下からでもいいだろ、なんで上から見下ろしてんだよ」


「上から見た方がいいこともあるだろ?全体を俯瞰して見れる、こういうごちゃごちゃした街が多いところとかでは特にいい」


「それで、何か見えたのかよ」


「警察がお前達の店の周りを包囲する様子とか、ガラス割って飛び出してきたお前らがものすごい速さで裏路地に逃げていく様子とか、呆然した後にお前達を追いかけていった警官の姿、あたりかなぁ」


 つまり外で起きた一連の流れはおおよそ見ていたと言うことで、


「そりゃ遠くまでよく見えるだろうな」


 台風を上から観察しているようなものなのだから、と言いたげな顔をしてイドは苦笑した。


「そうだな、だから表通りに待ち伏せしていた警官たちもよーく見えたぜ」


「は?」


「だから、君たちが追跡を撒くために使っている道の出入り口には待ち伏せしている私服警官が待機していたって言ってんだよ」


 何を言っているんだこの男は、それが本当なら


「俺たちがあのまま裏路地を歩き続けていたら──」


「──とっくに警察に確保されてたんじゃないか?」


 こいつが俺たちを助けたのも同然じゃないか。


「危なかったなー、俺がいなかったらそうなっていたんだぜ。だって狭い世界で狭い視界でしか生きていけない君たちじゃあそれに気がつくことは無理だったんだから」


「……最悪だ」


 そう、最悪だ。助けられた、ということは借りを作ってしまった、この男のおかげで未だ生きているということだ。今悠長に屋上の上で話していられるのは、先行きに多少の不安で程度で済んでるのは、吹く風で揺れる髪が居心地が悪いと認識できるのは、全て全てこの怪しい男のおかげだということだ。

 そういう事実を理解した。理解せざるを得なかったという方が正しいだろうけれども。

 自分たちだけでこの状況を切り抜けられるとたかを括っていて、この場も抜けられると勘違いしており、自分が今まで冷静ではなかったことを冷めた頭で自覚する。


「さて、汚い世間を知りすぎて真正面から人を信用できないボロ雑巾な君たちが今取るべき行動はなんだろうな?」


 どこか楽しそうにニヤニヤしている男に、イドは何をいうでもなくただ立ち尽くしていた。


「開きたい口がないのか、それとも何か気に入らないことでもあるのか?」


 そう、気に食わない。

 確かにそういう見えていない身の回りでは見えなかった事実への理解はした。だけれども、そのお礼で辰野の都合のいいように行動をすることへの納得は不可能だ。行動するときに多少のしこりが残るのなら彼は何もしたくないとそう考えるのがイドという少年の頑固さだった。


 ──だが、その方針ではない者もいる。

 今まで大人しく一連の話を聞いていたダズィがずんずんと男の前に立ちはだかった。もちろん立ちはだかるほどの大きさもないが、彼女の気持ちだけならそれくらいのイメージになるだろう。


「私はダズィ!この目の通り深海人。これはうちのお兄ちゃん、イド。この通り人と仲良くなるのがとことん苦手なダメ兄です。おじさんの名前教えて」


 自らの白い瞳孔を持った目を指さして強い声で答えたのを聞いた男は驚いた顔をする。ただ大人しく泣いているだけだった小さい方が動くのは予想外という顔つきをした。


「てっきりずっと黙ってるかと思ったぜ、ちっこいの」


「ちっこいのじゃない、11は十分大きいでしょ?」


「11は小さい、それに俺は29だからおじさんじゃない」


「ふーん。そういうものなんだ、それで名前は何なの?」


 その有無を言わさぬ物言いに男は小さく笑ったかと思うと、


「俺のことは辰野《たつの》とでも呼べ。下の名前で呼ばれるのは好かん」


自身の名を告げた。


「申渡さんと響きが似てる、地上人の人?」


「そうだ、」


「ダズィ何を」


「こうでもしないとお兄ちゃん本題に入らなさそうだったから。とりあえず助けてくれてありがと。それでタツノ、私たちをこんな屋上に誘い込んだ理由は何?」


 理由もなしに助けるほど優しいわけじゃないんでしょ、とダズィは辰野に問いかけた。 


「そうだな、君たちがあの場で警察の手に渡ることは見過ごせなかったんだよ」


「……お兄ちゃんこの人何いってんの、意味わかんない」


「お前たち二人が貴重な証人だったから、それ以外にはない」


 証人という言葉に二人は頭を傾ける。


「あの中に入ったんだろう?ならあれがどれだけ異常な現場だったかわかるはずだ」


「「異常?」」


 またしても二人は頭を傾けた。


「そう異常なんだよ、現場も死体も」


 ──異常とは一体。あの場所のどこを表しているのかそして申渡の体どこを示しているのかがとんと理解できなかった。

 帰ってきた時に電気が消えているのは確かにおかしかった。けれどもそれは異常というほどでもない。雑多に荷物が散らかっているのも特別なことではない。

 ではなんだ?


      ────────


『なんでこんなところに水が、雨漏りか?』


『そんなわけないでしょ、雨なんてここ数日降ってないし。せいぜい水漏れってとこだと思うよ』


      ─────────


「──水か?」


「その通り」


 思惑通りの答えが帰ってきたことに嬉しそうにする辰野をよそに、「どうして水なの?」と頭を傾げるダズィにイドは答えた。


「あの店水道通ってないんだよ。雨樋に溜まっていた水だとしてもあれだけの水量になるわけないし店の中にまで染み出してくるわけがないんだ」


「確かに、申渡さんところでトイレしたことない!」


「……まあそれは置いといて、そこは変だと俺も思った。でもそれくらいだ、死体に変も何もないだろう?」


 だって死んでしまえばみな同じだ。そこに死の要因を求める必要性がイドには理解できなかった。そんな倫理観を見透かしたかのように辰野は大きくため息をついた。


「その考え方は大雑把すぎだろ。申渡の体は水に濡れていただろう?そして呼吸器系、心臓が停止していた。つまり、溺死ってやつじゃないのか」


 溺死と告げられた言葉にイドは口を大きく開けた。確かに彼が申渡に行った処置は、溺死の際に行う応急処置そのものだったがそれらは感覚的にやっていただけで言葉としてのそれに気がついていなかった。震える口でイドは反論をした。


「そんなわけないだろう、だって不可能だ。あれだけの水量を持ってくることも。それに誰かが正面から入った痕跡もない、俺はギリギリまで申渡さんと電話していたからどこかに移動して溺死させてから店に戻したなんてこともないはずだ。でもだとすると」


 それは常人に可能なことなのか?と自らの頭の中に問いが浮かんだ。その顔を見て辰野はにんまりと笑った。


「そう、まさに異常現象だ。そんなものをバカ正直に証言したとしても警察は信じてくれないだろうさ。ここがどんなに神秘に満ちた街だとしても滅多にお目にかかれるものではないからな。だが、俺は異常現象を信じられる」


 辰野はまるで確かな根拠を持っているかのように答えた。その答えに居心地の悪さを覚えながらも芝居じみた辰野の話に二人は耳を傾ける。いや、傾けるしかなかった。このどうしようもない状況を見据えているのは今の所彼一人なのだから。


「ルサルカって知ってるか?」

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