第3話 洗濯物のはためく空
大通りを抜けもう一度暗い路地に入ってしばらくした頃、気がつくと二人は
「ついたよ、お兄ちゃん」
「ここか──」
見上げるほど高いアパートが入り組んだ道の真ん中にに立っていた。日光も滅多に当たらなさそうなところで昼間だというのにまるで夜のように暗い。そんな場所だった。アパートの古びた扉を開くとギィと摩擦音が聞こえてくる。人の気配もなく奇妙な静けさを漂わせるアパートはまるで幽霊屋敷のようであった。
「こら、箱持ってるからあんまりしがみつくなって」
「ここの403号室なんだけど、」
イドにしがみつきながらもエレベーターの方を指差し、ナビの役割を果たそうと努める。それを見るとふぅとため息をつきながらも、
「お客さん出てきたらしがみつくのやめろよな」
しがみつくダズィをそのままにしてエレベーターのスイッチを押した。しばらくするとエレベーターがやってきたので乗り込む。大人2人がようやく入り込める程度のスペースしかないそこに乗り込み4階のボタンを押すと奇妙な音楽が流れつつガタガタと揺れながらエレベーターが引き上げられていく。
「これ落ちたりしないよね?大丈夫だよね?」
「たぶん?」
4階に着くとそこはより一層幽霊屋敷を思わせる場所で、集合住宅であるにも関わらず人の気配が感じられなかった。一歩進むたびに人気のない廊下に二人分の足跡が響き渡る。カツンと403号室の前に立ち止まり、インターホンを押す。
しばらく反応がなくもう一度押そうとするとガチャリと扉が開き、
「──誰だ、何の用だ」
と警戒心の強い男の声が聞こえてきた。ドアチェーンの隙間から目だけが光って覗き込んでいる。目つきと状況を見れば来訪者を歓迎していないことは明らかだった。しかしそれでも依頼された仕事は最後までこなさなければならない。だからこそ、できるかぎり愛想良く
「宅配便でーす」
と話しかけた。やってきたのが10代ほどの子供二人だったこともあってか、すぐに追い返されることはなかったがどこか訝しんだ声で答えた。
「宅配?頼んでないぞ」
「ある人から依頼の輸送でーす。」
隙間から箱と住所を見せると男はしばらく考え込んでから口を開いた。
「中身は?」
「俺たちも良く知りません、中身に対する詮索はするなと言われているので。」
「中身が不明ということは爆弾が入っている可能性もあるのではないか?そして子供に届けさせることで油断してドアを開けた途端君たちごと私を吹き飛ばす、そういうことをされないという根拠がどこにあるんだ?その箱の中身が安全で私が完全に信用できる依頼主であることを証明するものがあるのか?それがないというのならば、私はそれをおいそれと受け取るわけにはいかない。」
「ダズィ、申渡さんから受け取ったメモがあるだろ?あれって依頼主の人が信用できる証明になるんじゃないのか?」
「うん、そうかも。お兄ちゃんこれ渡したあげて」
ダズィは肩掛けバッグの中から、メモを取り出してイドを介してドアの隙間から男に渡した。しばらくの沈黙の後に
「……荷物を受け取る、ただし荷物は置いたままにしておいてくれ」
と答えが返ってきた。言われた通りに箱を下ろして受け取った証拠としてのサインを求めると先ほどの態度とは信じられないほどあっさりと
「わかった」
と返答してサインを書いたのだった。相変わらず警戒心の強い声色をしているが、先ほどより態度は軟化している。声色が変わったことで初めてイドとダズィはドアの向こうの男の目を見ることができた。
「悪かったな、君たちを疑って。最近は誰も信用できずにすごく苛立っていたんだ。普段の私ならこんなことは言わなかったはずだ。君たちのような子供相手に、冷たい態度をとった。すまない」
ドアの隙間から見える暗い部屋の中で男は一人静かに何かに謝り続けていた。イドとダズィがエレベーターに乗り込みいなくなった後も、その声はアパートの廊下内に響き続けるのだった。
「すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すまない。すま──」
──────
「受け取ってくれてよかったー、ずっと体丸めてたら体痛くなっちゃった」
アパートの外に出たダズィは大きく背伸びをする。結局アパートの外に出るまでイドの上着の裾にずっとしがみついていたので猫背になってしまっていた。
「やっぱ暗いところはまだ怖いか、今度は懐中電灯とか持って行ってもいいかもな」
「怖くないし、11にもなって暗いところが怖いわけないでしょ!」
というように一仕事終えた二人は赤い髪をゆらゆらと揺らしながら、帰路を歩いていた。
「でもちょっと変な人だったね、どうしてあんなに怯えてたんだろう。私たちただ荷物を届けにきただけなのに。申渡さんが私達に爆弾なんて持たせるわけもないしさ。あのアパートにあの部屋、なんだか誰かから隠れているみたいだったし。そしてあのメモの人ってそんなに──」
「──ダズィ言われているだろ?仕事内容への過度な詮索はするな、そうしないといつか危険な目に遭うって」
「──わかってるって。もうお仕事終わったし詮索しないよ」
イドがダズィを嗜めると、彼女は詮索をやめて奇妙な静けさだけが残った。
ゆらりゆらりと髪が揺れる。そっくりな赤色の髪がゆらりと揺れる。アスファルトの道は奇妙な程に静かで、ゆらりと揺れる髪のわずかな音も聞き取れそうなほどだった。
ゆらりゆらりと髪が揺れる。そっくりな茶色の目をした兄妹の髪がゆらりと揺れる。アスファルトの道は奇妙な程に静かで、踏み締めるたびにジャリジャリと音を立てるのが目立つほどだった。
ゆらりゆらりと髪が揺れる。そっくりな歩き方をしている二人の髪がゆらりと揺れる。アスファルトの道は奇妙な程に静かで、呼吸さえも耳に響くほどで、
「もう無理!!!!なんか喋んないと退屈で死にそう!!」
この奇妙な沈黙に耐えられなくなったダズィは天を仰いで大声で叫んだのだった。まさかここで大声を出すだなんてそこにいる誰もが思わなかったためか、イドはびくりと体を震わせた。ダズィが前を歩いていたためか、イドは目を疑うものを目撃した。
先ほどの大声に驚いた何者かがダズィのフードの中にいたのだった。
「ねえダズィ、フードの中に何入れてんの?」
「えっ?」
と今度はダズィがびくりと体を震わせた。その態度、動作だけで彼女が何かをフードの中に隠していることは明らかだった。だからこそ、イドは改めて尋ねる。
「何隠してんの、兄ちゃんに見せなさい」
「はーい」
2回目はしっかりと目を見て尋ねられたためかあっさりと折れてフードの中身に親しげに話しかけた。
「出てきて、『猫』ちゃん。もうバレちゃったみたいだから」
そう声をかけると、申渡の店で出会った『猫』がダズィのフードの中からひょこりと頭を出すのだった。フードの中を飛び降りて、小さく鳴いたかと思えばイドとダズィに体を擦り付ける。
「なんでこいつがついてきてるんだ?うちの店の預かり物だろ、勝手に持ち出しちゃダメじゃないか」
「だってこの子が勝手に入り込んできたんだもの。気がついた時にはもう戻ることもできない距離まで歩いていたし。もう一回戻っても間に合わんくなっちゃうから、そのまま……」
その続きは声が段々と小さくなったため聞こえなかったがきっと「連れていって後で店に戻した方が安全だし時間に遅れることもないと判断した」といったあたりの内容だったのだろう。なんとなく状況を理解したイドは大きく息を吸って吐き出した。
「経緯はわかったけど、だったら早く言って欲しかったな。多分申渡さんパニックになっていたと思うぜ、預かっている荷物が消えたなんてお客さんに知られたら信用をなくしちゃうからな」
とダズィと同じ目線になりしっかりと伝える。5年前から、12歳の頃から付き合いがある申渡はイドに仕事の大切さを解いていた。だからきっと申渡ならそういうだろうということをイドはダズィに伝える。
「そうなると、どうなるかわかるだろう?」
「お店がなくなっちゃう?」
「まあそんなところだね」
「──ごめん、そこまで考えていなかった。どうすればいいの?」
ダズィはしっかりと前を向いて答えた、彼女の美徳だろう。悪いことをしっかりと認めることができるのは。聞きたい言葉が聞けたので、イドは立ち上がりダズィの肩をポンっと叩いた。
「とりあえず申渡さんに連絡しよう、『猫』の所在を教えて安心させてあげなくちゃ。このあたりで電話があるのって」
「確か、あっちの方に公衆電話があるよ。いこっ」
ダズィが指差したのは路地裏にポツンと置かれた公衆電話のある電話ボックス。そこなら1分と歩く必要がなく目と鼻の先だったのでまっすぐと向かうのだった。
「先約か、珍しいな。ここの電話ボックスあんまり使う人来ないのに」
「お兄ちゃんあれ余所の人だよ、こんなところに来るなんて珍しい」
電話ボックスから出てきたスーツ姿の黒い髪の先客を見送ると、イドは電話ボックスの扉に手をかける。
「じゃっ、電話するからダズィは外で待って」
「いやだ!私も電話ボックス入る」
「狭いだろ?二人で入ったら。」
「でも、私が猫ちゃんを連れてきちゃったし。」
「それでもだよ、報告は俺がやっとくから」
「……分かった、終わるまでその辺で待ってるから」
ダズィは俯き猫を抱き上げて電話ボックスを離れたのでイドは一人で電話ボックスの中に入り込む。受話器を取りお金を入れて電話番号を入力すると数コール後に電話はつながった。
「はい、こちら申渡でーす。営業は17時まででーす。そろそろ閉店時間なのでご用の方は明日にでもきてくださーい」
「留守電の音声のふりして電話に出るのやめろよな申渡さん」
「おお、イドか。どうしたんだ?もしかして迷子にでもなったか?方向音痴がまた再来したか?」
「そうじゃないんだ、それが──」
イドは先ほどダズィから聞いたことと現在の状況を噛み砕いた形で申渡に説明した。申渡は先ほどの雰囲気から打って変わりイドの報告を静かに聞くのだった。
「──と言うわけなんだ。」
「話は分かった。とりあえず『猫』はお前たちのところにいるんだな」
「ああ。今はダズィと一緒に遊んでる。あいつ昼間っから猫に触りたい触りたいって言ってたからさ。いい遊び相手だよ、あの猫は」
ダズィの方を見てイドは答える。猫がぐるぐると回る様子にダズィは目を輝かせている。その様子を見て、イドは一歩踏み出して電話越しの申渡に声をかける。
「なあ申渡さん。今回の件は猫がついてきていることに気が付かなかった俺の責任でもあるんだ。だからどうか、」
一拍置いてそれを口に出す。
「──ダズィのことは叱らないでやってくれないか」
わずかばかりの不安と少しの勇気をこめて、その言葉を口に出した。その不安も勇気もぶった斬るように申渡は、
「何言ってんだお前?」
という一言を告げるのだった。電話の向こうの声は怒りも感じられず、ただ単に当然の如く投げかけられた疑問だった。申渡が「おーい」と声をかけるまでイドは口を開けて面食らっていた。
「だって俺たちがしたのは」
店への裏切りにも繋がりかねない。信用して託してくれたのだから、その信用を裏切ってはならない。信用なんて気軽にできる行為ではないのだから。それがイドという少年の持つ仕事への向き合う姿勢だった。
だからこそ今回のことでなにもお咎めがないのは、とても恐ろしいものに見えてしまった。呆れているのか、それとも失敗したからもう仕事に来なくていいとでもいわれるのか。そんなこんがらがった感情に申渡が気がついたのかもしれない。
「店の信用をなくす行為になりうる、とでも言うつもりか?それなら問題ないさ。」
申渡はゆっくりとイドを諭し始めた。焦らないように、捲し立てないように。
「なぜなら、客が戻ってくる頃に無事にそこにあればいいだけの話だからだ。過程がどうであろうと結果が同じなら外野の連中にとっては同じ結果でしかない。結果よければ全てよしってやつだよ」
電話の声は終始穏やかだった。それを聞き終わった頃にはイドの焦りも落ち着いていった。全てを言い終わったのち申渡は一言「わかったな」と尋ねると「ああ」と小さく頷いたのだった。
「──少し喋り過ぎたな。俺もまさかあんなにすばしっこいとは思ってもいなかったさ。お前たちの元にいるなら安全だ」
「……」
「というわけでそんなところでうだうだしてないでさっさと帰ってこい。今日の報酬渡さなきゃならねーんだから」
「申渡さん……」
「なんだ?」
「急いで帰る、先に閉店作業進めといてくれ」
ガチャリと返答をされる前に電話を切る。大きく息を吸って吐く。いつもの調子が戻ってきた頃に電話ボックスの外に出て猫と遊んでいるダズィに声をかけた。
「連絡してきたよ、さっさと帰ってこいってさ」
「怒られなかったの?」
「それが全く」
あっけらかんと告げたその言葉に「なんでー?」と首を傾げるダズィは猫を撫でる。まだ出会って1日も経っていないのに猫は随分とダズィに懐いたものだとイドは内心思った。
「とりあえず店に帰ろう、報酬の受け取りと閉店作業の手伝いしなくちゃ」
イドが帰路を進み始めたことでダズィもついていく。
暗く、暗くなっていく路地裏の地面から見上げる景色は空よりも風ではためく洗濯物が目立っていた。




