第2話 足取りは軽やかに
それはまるで現実にふと夢物語の1シーンが舞い降りてきたようだった。
箱にはただ一匹の『猫』の姿。それを猫と断定していいものなのか、3人では判断がつかなかった。
限りなく猫に近い。けれどもただ一つの事実だけがこれが『生きた猫』であるということを邪魔している。
透き通った体だ。『猫』の体越しにダンボール箱の底が透けて見えている。それだけの事実でこれが普通の猫であると言えるだろうか。
少なくとも、多くの非日常の中で生活しているイドとダズィですらこんなもの見たことがない。水の加工品が生きた猫の形をしているなんて御伽噺、二人の故郷でもそうそう観れるものではない。
猫のように鳴く『それ』は、透き通った体を見せつけるように箱からジャンプして飛び出た。
「すごい、すごい、すごい!何この子!猫なの、水なの?」
ダズィは『それ』の透き通った体を覗き込んで目をキラキラさせていた。
「ダズィこいつ触りごごちすごくいいぞ!ひんやりしてるのにあったかい、なんだこれ!」
意外なことに、イドは率先して『それ』を触りにいっていた。普段慎重な性格の彼が年相応な反応をするのを見て申渡は眉間の皺を緩めたが、同時にある不安を抱えてた。
「その反応からして、お前らはこいつのこと初めて見たってことだよな」
「「もちろん」」
「渡津未育ちだからなぁ二人とも。よく考えたら知ってるわけないか、こいつのことなんて。困ったな」
「なんで困るの?こんなに可愛いのに」
ダズィはイドが抱える『それ』を猫のように可愛がる。キラキラと何処か宝石のように、あるいは水のように、青い光を放つ『それ』は猫の形を帯びた宝石のように映る。
「あのな、生き物の世話するなんざ大変なことなんだよ。マニュアルのある犬猫ですら楽なことじゃない。こいつにはその犬猫のマニュアルが通じるとは思えねぇんだよ」
「猫、だけど猫じゃないからか?」
「そうだ。こいつが何を食べるか、何を飲むか、うんこはするのか、どこで寝るか、苦手なものは何か。そういうことを猫基準で全て測ることはできないだろう、」
「だから私たちに見せてくれたんだ、申渡さん!いつもなら『詮索厳禁』とか言ってどっかにやっちゃうのに」
二人してどこか気楽そうな顔で猫を撫でる。その様子から申渡はこれから起こるだろう出来事が想像できた。
『金魚掬いで拾った金魚を自分で育てると言い張ったはいいものの、結局最期まで世話をしたのは母だった』と言うことが世の中にはある。
それと同じように結局は自分が全てを引き受けてしまうのだろう。そういうものだと古くから決まってる。
申渡は大きくため息をついた、ため息と同時に現実逃避からの笑いがすこし現れた。
「厄介な依頼引き受けちまった、仕事は選べるが断れねえっていうのが最悪だ!なんだよこの謎生物。クーリングオフしてぇよ今すぐにでも!」
カンっとその辺にあるガラクタを蹴るが硬かったのか、足を押さえてしゃがみ込んだ。そこにすかさずイドが申渡の前に『それ』を持っていって宥める。
「まーまー落ち着いて申渡さん、もふもふする?」
「しねえよ、俺は『それ』に触れなかったし」
目の前に持ってこられた『それ』を申渡が触ろうとすると、するりと手が反対側にすり抜ける。その様子に『それ』はひどく驚き毛並みを逆立てた。どうやら初めての経験だったらしく、自らの体を何度も見返すのだった。
「もったいないなー申渡さん。それじゃ次、私にモフらせて!申渡さんの代わりにたくさんモフってあげるよー猫ちゃん」
イドがダズィに手渡そうとした時、申渡が静止させる。
「なんでよ申渡さん!私もモフりたい!」
「こいつが気になってしょうがないのはわかる。でもそろそろ行ってこい。」
と出口の方を指差す。
「いいだろ、もうちょっともふらせろ。」
「さっさと済ませてさっさと戻ってくりゃいいだけの話だよ。」
「ちっ、しょーがないか。行こっか、ダズィ。」
「もうちょっとだけ、いいじゃん!!というかお兄ちゃんはあれだけモフって満足したかもだけど、私まだそんなにモフってない。」
はいはいと、カウンターにしがみつくダズィを引き剥がしてズルズルと出入り口の外に出ていった。ドアの前までついた時、ようやくダズィも諦めたようでうだうだと文句を言いながらも立ち上がり、スカート裾の埃をポンポンと払う。
「わかってるな、時間に正確に。遅れも早便もなし。そして、」
「「箱の中身は詮索厳禁」」
何度も繰り返されたその受け答えに対して二人は反射的に、そして当然の決まり事として答える。
「よぉし、行ってこい!」
───────
足取りは軽やかに、心は弾んでいる
朝方とはまるで違った様子だ
退屈な日々に面白そうなものが現れたからだろうか。見慣れた路地裏のゴミですら、面白さを感じてしまう。手に持った荷物の重さすら憂鬱な種にはならない。二人はそんな気分だった。
「すごいもの見ちゃったなダズィ、」
「うんうん!」
「もっと見たかったよなぁ、あんなの今まで見たことなかったし。」
「だよねだよね!それに、私は抱っこさせてもらえなかったし!」
「戻ってからやればいいだろ?」
「そーいう問題じゃないの」
「帰ってたら消えてるわけじゃないんだから、焦らなくてもいいと思うぜ」
「そろそろやめとこ、お仕事しなきゃいけないんだから。」
イドはダズィに目配せをする。するとダズィはしょうがないとため息をつきつつも
「こっち、ついてきて」
と誘導をするのだった。先ほど申渡から受け取ったメモを見ることなくすいすいと道を進んでいく。迷うことなく、ただ頭の中にある地図を正確に辿っていく。道から道をまっすぐに、時に曲がりくねった路地裏を抜けて。本来なら路地裏というところはあまり安全なところではないのだが、幾度も通り抜けてきたその経験が失敗が体には染み込んでいるためかなんなく迷路のような路地裏をすいすいと進んでいく。
その最中に、
「お兄ちゃんお兄ちゃん、ちょっとだけ寄り道させて」
とアパートの裏にあるダズィの背丈よりも高い大きなゴミ箱を指差しながらイドに尋ねる。イドはゴミ箱を見て少しのため息をつきつつ、首を縦に振る。縦に振る前からダズィが走り出していたような気もするが、気がつけばゴミ箱の上を綱渡りのような姿勢で進んでいく。自分で許可を出したものの、正直言って不安さが残るイドはゴミ箱の上のダズィが誤って落ちないようにしっかりと見ていた。
「お前、ゴミ箱の上乗るのは危ないからやめとけよ。顔面からこけたら痛いぞ」
「そんなヘマしません、よ!」
ぴょんとゴミ箱を飛び降りたダズィはくるりと後ろを振り返ってイドを見る。
「ここを抜けた先は大通りなんだけどこのルートさ、」
「わかってる、話は俺がするから」
「じゃあお願い。顔見知りだからあいつらだって通すのを嫌がらないとは思うけど」
誰にも見つからず、中身を詮索されず、時間通りに輸送する。それが二人の今の役割。しかし誰にも見つからずを守るのは限りなく難しい。たとえ見られてないと思っていても、人はそこら中にいるのだから。
路地裏の出口、大通りに向かう一本道に縄張りのように座り込む数人の男たちの姿があった。そのうちの一人がイドの姿に気がついたようで手を挙げる。
「よぉ兄弟、仕事か?働き者だなぁお前」
イドよりも少し年上の男は親しげに二人に話しかける。本当に親しげに話しかけてはいるが、その内面が現れているのか人を何人も騙してきているそういう顔つきをしていた。話しかけてきた男以外の者たちも体格や容姿は各々異なっているが同等の雰囲気を纏っている。
路地裏を通りかかった獲物を見定めるような目線を見てダズィは少し嫌そうにイドの背後に隠れるのだった。
「依頼でね。ここを通りたいんだが、いいか?」
「いいさ、自由に通れよ。俺たちは同胞なんだから。通行費をとったりはしないさ。ところで一体どこまで行くんだ?ついでにその箱の中身について教えてくれないか?」
二人を同胞と呼ぶ男は目を指差して答える。もっと具体的にいうならば、この場の全員がもつ彼ら特有の真っ白な瞳孔を。イドの瞳孔が瞳孔が一度ぴくりと動き、まるで何事もなかったかのように返答をするのだった。
「教えない、うちの店は秘密遵守がモットーだからさ。そもそも俺たちも中身を知らないしさ、教えられないんだよ」
「そうかい。でも重さでだいたいわかるだろう。どれ、俺が持って当ててやろうか。なぁにただ重さを測るだけだよ」
「そう言って、この箱を渡したらまた『とんずらこく』つもりでしょ!絶対に渡さないよーだ」
イドの背後に隠れていたダズィがベーっと舌を出す。男はダズィが出てくると眉間に皺を寄せる。歳の近いイドとは違って、ダズィは彼らにとっては扱いにくいモノ、未知の生命体人も等しいのだ。
「ちびっこめ、慣れない口調で喋りやがって。なんだその話し方俺たちの真似かよ。似てねーっつの。真似るならもっと俺たちの生き方について深く理解してからやれっつーの」
「あんたたちの生き方なんて、善意で人を騙す程度の理解でじゅーぶん!!」
「ダズィ、気持ちは分かるけどやめとけって。朝っぱらからガキ相手に生き方とか説いてくる大人なんだぜこの人たち」
「そこまで言わなくてもいいだろ、お前も大概だよな。あれか、お前たちの店の店主。あの地上人の影響か?」
「どういう意味だよそれ、申渡さんを馬鹿にしてんのか?」
というように両陣営の価値観は交わらずどこまでも平行線でしかない。何せお互いのことをお互いに小馬鹿にしているのだ、理解し合えるわけもない。ただこの7区で生きていくには時にお互いに嫌いあっているモノとも交流をしなければならない。誰であろうと。何であろうと。
その際の衝突はもはや必須でしかないだろう。だが互いのために大きな犠牲は避けなければならない、だからこれをただの軽口で済ませる段階で止めるには、
「もういい、さっさといっちまえよ。相手にするだけ疲れるだけだ。お前たち相手じゃあカモにすらならない。」
会話を断ち切ってしまうのが一番だった。男は大きくため息を吐きながら、イドとダズィに背を背けて手をひらひらと振り仲間と共に路地裏の中に消えていく。そうして二人はようやく大通りの方へと進んでいくのだった。その去り際に、男たちは
「いいのかあいつら行かせて。相手はガキ二人だぜ、無理やり荷物を奪うことだってできたはずだろ?」
「いいんだよ、今日はいい収穫もあったんだし。それに地上人とつるんでいるようなガキ二人だ。まともなわけないだろ?相手にするだけ損だよ」
と聞こえるようにわざと告げるのだった。
それを聞かないようにする。聞こえないふりをする。
足取りは今も軽く、軽く、軽やかなはずだ。
心はきっと今も弾んでいる。




