第6話 例外の子どもたち(前編)
最も巨大な樫が街の中心に聳える、樫守の街。
木漏れ日が静かに、石畳を照らしていた。
鳥の声も、街の喧騒も、いつもと変わらない。
だが、微かな違和感があった。
樫守である守護者の目が、それを捉えていた。
「……もう、始まるのか」
濃茶色の髪を揺らす風に、クェルクスは小さく呟く。
掌には、小さな光が宿っていた。
八つの宝石が並ぶブレスレット――
家族全員が身につけているそれが、今。
淡く温かい光を帯びていた。
琥珀色の、その光。
末娘の、瞳の色。
クェルクスは指でその石に触れる。
ーー温かい。
ほんのわずかに。
だが確かに、脈打つような熱があった。
「ルチェ.......」
小さく名を呼ぶ。
深いエメラルド色の瞳が、樫の枝葉の隙間から覗く、遠い空を見上げた。
その瞳は、ここではない森を遠視ている。
遠い、遠い、世界樹の森。
今はもう、届かない場所。
生温い風が、急に側を吹き抜けていく。
「……何か、起きそうだ」
しかし、その声は音にならない。
まだ誰にも、知らせる必要はない。
確証はない。
予感、だ。ただの。
だが、自分の予感が外れた事はーー
一度たりともなかった。
「………………」
クェルクスは、遠くを見つめたまま。
静かにその瞳を細めた。
思い出す。
あの日。
まだ小さなあの子に、名を与えた日のことを。
灯火。
闇を照らす、光のような子になるようにーー
想いと願いを込めて。
贈った名前だった。
樫の木の前に佇む、クェルクスに。
何処かから声がかかる。その者の姿は見えない。
「父上? 何かあった、のか?」
「......いや」
掌を握り込む。
未だ光を失わない琥珀を、隠すように。
「今はーーまだ」
エルフの森は、何故か。
いやに静かだった。
葉擦れの音も、鳥の声も、しない。
だが、リューセイの胸のざわめきは収まらなかった。
理由は分からない。
ただ、何かが起きている。
どんどん大きく、強くなる、胸のざわめき。
「そこ」に、近付くほどに。
「…………っ」
放っておけばいい。
関わらなければ。
安全だ。
わかっている。
今までだって、そうしてきた。
なのに。
それなのにーー
リューセイが気付いた時には。
既に、駆け出していた。
世界樹の居所から睨んだ森。
その場所に向かって。
一直線に。
ルチェの腕を飾る宝石が、仄かに熱を帯びる。
「!」
今度はそれに気付いたルチェが、ブレスレットを見やると。
鋭い緑の光が、一瞬溢れ。
「!?」
眩しさに目を閉じて、身を竦めたその時。
周囲の匂いが、気配が変わり。
ーー森が揺れた。
木々の葉を通して、落ちていた木漏れ日の光が、消える。
突如生温い風が吹いて、ルチェの金髪を、ワンピースの裾を巻き上げる。
薄暗さを増した森の闇間。
ザワザワと、木々が、枝葉が騒ぐ。
ルチェの胸が、ザワザワする。
それは、今までより、大きい。
見えない膜一一
無意識に張っている結界が、軋んだ。
「っ?!」
途端に、ルチェの胸がズキリと痛みを訴え。
あまりの痛さに。
ルチェはそこに踞った。
「…………」
息が、うまく吸えない。
どくどくと、心臓が早鐘を打つ。
ーー苦しい。
ざわざわとした胸騒ぎが、大きくなる。
森の音が、耳に大きく、大きく響く。
こわい。
琥珀色の瞳が、つやりと潤んだ。
その瞳が映すのは。
まだ。
光を失っていない、エメラルドの石。
――繋がっている証。
ルチェの脳裏に。
濃茶色の長髪。
深いエメラルドの瞳を柔らかに細める。
父親の姿が浮かび上がった。
「ぱぱ……」
いつもは、我慢している。
パパに会いたい。
それを言ったら。
みんなが、困った表情をするから。
ーー知っている。
パパにはもう二度とーー
会えないのだと。
「……ぱぱぁ、こわい……、こわいよ……」
――だれか、きて。
言えなかったはずの言葉が、
喉の奥から、零れた。
ルチェの琥珀色の瞳から。
光の粒が溢れる。
幾つもいくつも。
滲む視界。エメラルドの光がぼやける。
胸のざわめきが収まらない。
苦しい。
痛い。
「……っ……」
ルチェがぎゅっと、ブレスレットを握ったその時。
草葉を鳴らして。
いきなり。
そこに誰か、駆け込んできた。
「そこにいるのか!?」
黒髪黒目。
エルフの耳を持つ。
リューセイ、だった。




