第4話 ひとりの森
広大なエルフの森は、穏やかで静かな場所だった。
第二結界の内側。エルフ達が住まう、市井がある。
風が葉を揺らし、枝がささやく。
遠くで水が流れ、鳥が鳴く。
それだけで、世界は満ちている。
その森の中でーー
数人の子供たちが、一人の幼女を囲んでいた。
「なんで?」
「……また失敗した」
「やっぱり、変だよ」
地面に展開されていた魔法陣が、ふっと消える。
淡い光が散り、風の中に溶けていった。
エルフの子供たちが、顔を見合わせる。
「……やっぱり、無理だよ」
「ルチェの近くじゃ魔法、安定しないもん」
「うん……、さっきも、消えた」
「…………」
幼女――ルチェは、ワンピースの裾をぎゅっと、握りしめた。
金色の髪。
ハイエルフ特有の、長い耳。
そして、澄んだ琥珀の瞳。
ハイエルフの王族は、市井の者たちに姿を見せることは滅多にない。
だが森を守る結界を維持しているのもまた、王族だった。
だからこそエルフ達は、彼らを敬い、慕っている。
だから、たまに変わり者の王族が、変幻もせず市井に現れても、誰も驚きはしない。
幼いルチェが王族でも、特別畏まる者はいなかった。
まして子供たちにとっては、身分などまだ関係のない話だった。
ワンピースの裾を掴む手に、力が入る。
何か小さく呟いたが、声になっていない。
周りの子供たちは互いに顔を見合わせ、首を振った。
子供たちの動きに合わせ、腰に付けた木の剣や小さな革袋が揺れる。
「ルチェのせいじゃないよ、多分」
「誰かが、防御魔法とか付与したのかも」
「そっか! ルチェ金髪だし、王族だもんな」
「でもさぁ……」
一人が、少し困った顔で言う。
「やっぱり近くにいると、魔力ぐちゃぐちゃになる」
「これじゃ依頼達成できないじゃん!」
「まだ、木の実ひとつも見つけてないのに……」
「だって冒険者はちゃんと、依頼を達成しないとダメなんだぞ」
口々に言い合う声にーー、ルチェは視線を落とした。
エルフの森の空気は、魔力に満ちている。
エルフ達もみな、その身に膨大な魔力を有している。
魔法は、生活の一部だ。
息を吸うのと同じように。
当たり前に使える、当たり前のものだ。
けれど。
ルチェの周囲では、何故かそれが乱れる。
原因は、誰もはっきりとは知らない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
ルチェの周囲にはーー、
常に、結界が張られている。
彼女自身が、無意識に展開している結界。
触れれば弾かれ、
魔力を歪ませ、
他の魔法を不安定にさせる。
それは、彼女自身というより――「何か」を守るために働いているようだった。
ルチェの母親や、姉兄たちは言った。
「ルチェはまだ小さいから、きっと魔力制御がうまく出来ていないだけよ」
「父上の方の力、なのかもなぁ」
「きっともうすぐ、制御できるようになるわよ」
だが。
子供たちにとっては、もっと単純な話だった。
「ルチェと一緒だと、魔法が上手くいかない」
それだけだ。
「……かえる」
「…………」
ルチェが小さく呟く。
周りの子供たちは、少し困った顔で互いを見た。
でも誰も、止めなかった。
止められなかった。
森の奥へ歩き出す。
子供たちの声が、背後に遠ざかっていく。
ルチェは振り返らない。
ーー慣れているから。
一人で歩く森の中は、静かだった。
風が枝を揺らす音。
光が葉の隙間から、木の影に落ちる。
草を鳴らす、自分の足音。
ふわり、ルチェを中心に風が舞い上がる。
「……ルチェは、つかえるのに」
数秒後、ルチェの小さなその手に、熟れた木の実が一粒落ちた。
呟いた言葉は、森に溶けて消え。
俯いたまま歩いていたルチェは、ふと手首を見た。
そこには、小さなブレスレットが嵌められている。
八つの宝石が、ずらりと並ぶ。
そのうちの一つが。
ほんのわずかに、温かかった。
「……?」
ルチェは首を傾げる。
じっと見つめ、触れるけれど。
触れれば、すぐに冷たい宝石に戻る。
ルチェは更に首を傾げる。
だがその意味を、まだ知らない。
森の奥で。
何かが、静かに動き始めていた。




