第19.5話 任された側
「――マズイわ」
当代世界樹の根元。
アスティルは、空を見上げていた。
風はない。
だが、枝葉がざわめいている。
辺りを舞う光玉や妖精が、不自然に震える。
何かが。
確実に、ズレている。
「……静かすぎる……」
小さく、呟いた。
嵐の前の静けさを、予感させるように。
「デュー伯父様、第三から第一森守護隊に通達! 総員最大防御体勢!」
「御意に」
緑瞳の視界に、白金髪の先が揺れた。
結界全体に魔力を巡らせている所為で、自分自身はその場を離れられない。
アスティルは、胸の前で手を組み合わせ。
「……リューセイ……」
知らずと、祈るように呟いていた。
「……あなたなら……」
その頃。
メディウムの自室。その隣の客室。
自然と集まる場所になったそこに、子供たちが集まっていた。
「……なんだよ、これ」
アルマが吐き捨てるように言う。
手に持った紙を、無造作に空に捨てる。
メディウムが、慌ててそれを受け止めた。
目を走らせて、赤目を見開く。
「……結界維持班からの通達……」
「『異常な魔力揺らぎを観測。ただし原因不明』……?」
指を添え一行ずつ、確かめるように読む。
「範囲は……局所的?」
「らしいな。森の一部だけだとよ」
アルマが肩をすくめる。
その横で。
リューセイが、ぽつりと呟いた。
「……見えてないんだな」
「何が?」
メディウムが顔を上げる。
リューセイは、バルコニーから空を見たまま。
「「ズレ」が」
一瞬、沈黙が落ちた。
「……結界の数値は、正常だってよ」
アルマが続ける。
メディウムが、促すように訊ねる。
「……なのに、崩れてる?」
「観測と現象が、一致してねぇみたいだな」
アルマの声に、苛立ちが混じる。
紙の下部。
そこに書かれていた一文。
『観測不能領域に突入』
『これ以降、記録不能』
『――あとは、任せた』
空気が、重くなる。
「何だよ、それ!? 結局丸投げじゃねーか!」
苛立ったアルマの叫びが、まるで聞こえていたかのように。
「……上には、もう上げてる」
低い声。
窓から、声が落ちた。
リューセイが見上げる。
結界維持班のあの中年男が、上階のバルコニーに立っているのが見えた。
「は?」
ハイエルフ特有の長い耳をぴくりと動かしたアルマが、眉をひそめる。
「反応は?」
黒目を細め、リューセイが短く問う。
「…………」
少しの沈黙。
中年男は、やれやれと肩をすくめ。
「……「観測不能」だとよ」
吐き捨てるように言う。
「――ただな」
男の視線が、ゆっくりと動く。
階下のリューセイを、捉えた。
「一人だけ、違うこと言ってる奴がいる」
「……誰だ」
リューセイの声は、低い。
空気が微かに変わる中。
中年男は、わずかに笑った。
「――「触れる奴がいるなら、任せろ」だとさ」
息を飲み、黒目を見開く。
「……女王代理の言葉だ」
「……!」
その意味が。
静かに、場に落ちる。
リューセイは、知らずと息を吐いた。
メディウムの目が揺れる。
アルマは、舌打ちした。
「……やっぱ丸投げじゃねーか」
「ーー違う」
リューセイが、静かに言った。
全員の視線が集まる。
「わかっている」
短く、言い切る。
「俺たちにしか、触れられない事が」
風が、静かに吹いた。
世界樹の枝葉から、ヒラリと一枚、葉が落ちる。
魔法通信。
何か、報告が入ったらしい。
上階にいる中年男が、小さく頷いた。
「俺たちは外を抑える」
淡々と告げる。
「住民の避難、結界の補強。できることは、全部やってやる」
踵を返す。見える範囲から、その姿が外れた。
「だから――」
声だけが、降る。
「中は、任せる」
「ーーお前にしか、触れられないんだろう?」
沈黙。
風が、もう一度吹いた。
「…………」
リューセイは、ゆっくりと空を見上げる。
見えないはずの境界。
だが――確かに、そこにある。
ゆら、と空が歪む。
(……来てる……)
ドクン、と。
胸が鳴った。
――あの時の、声がよぎる。
「おにいちゃん」
小さな手の感触。
ルチェの琥珀色が、リューセイを見上げていた。
手を握り返す。
何故か懐かしく、安心する感覚。
(……ここで、いい)
自分の「輪郭」が、揺らぐような気配。
足元が、微かに薄い。
それでも。
もう。
決めたように、拳を握る。
そうして息を吸い込んでから。
短く、答えた。
「任された」
「最初から、そのつもりだ」
――もう、迷いはなかった。




