第17.5話 異変
樫の大樹。
石畳の広場があるそこで。
訓練に勤しむトール。
だが、その動きが妙だった。
自分の腕にある紫の宝石が、微かに光る。
「……なんだ、これ」
トールがツンツンの金髪を揺らして。
ふと足を止める。
「……なンか、妙だなぁ……?」
何かの、違和感。
一歩、踏み込む。
だが、距離が微妙に合わない。
「近ぇ……いや、遠い……のかぁ?」
剣を振る。
空を切るはずの軌道が、「何か」に、触れた。
紫の目を瞬く。
「……は?」
何もないハズの空間にーー
「何か」が、確かにあった。
もう一度、踏み込む。
――遅い。
回避行動を取り、素早く離れる。
首を傾げる。
身体は合っている。
だが、「タイミング」だけが噛み合わない。
何かがまとわりつくような感覚。
かと思えば。
何かに後押しされるかのような感覚。
「……リズムが、狂ってんのかぁ……?」
トールが訓練している隣で。
妹のニカも、個人訓練の真っ最中だった。
頭上の片側で一つに括った黄色の髪が、ピコピコ跳ね。
水色の瞳を煌めかせてーー
バチッ
光が、走った。
手に付けているブレスレット。水色の宝石が、一瞬明滅する。
「?……今、出してない」
ニカの手から、勝手に。
電撃が走る。
「うわっ!?」
樫の大樹の根元で、魔導書を読んでいたロギアがいきなり叫んだ。
その足元には、焦げた跡。微かに煙が上がっている。
水色の瞳と目が合う。
赤髪から覗く金瞳が、剣呑になった。
「……おい、ニカ。今、何をした」
「ロギ兄、ちがうって! なんか、勝手にーー」
「ん? なんだぁ? ニカもかぁ?」
「トール兄? ってーー」
バチッ
構えてもないのに。
電撃が、トールに向かって飛んでいく。
「?! トール兄っ!」
「おっとぉ」
軸足を強く蹴って、素早く身を翻したトールは。
持っていた短剣で、ニカの電撃を弾き返した。
「!?」
「げ」
その電撃は、ロギアの頬を薄く掠めて、樫の大樹に弾かれて消えた。
ロギアの頬に、赤い線が出来る。
「トール……」
「ひっ!?」
「わ、わざとじゃねぇよ?!」
ゆら……、と立ち上がるロギア。
その身体からは、金色の魔力が立ち上っている。
慌てるトール。
ニカはびくっ、と身構えたがーー
今度は。
「……出ない……?」
何時もなら、瞬時に発動する防護としての電撃が。
出ない。
それどころか。
動いた後に、発生する。
ーーバチッ
「……今、何も……」
妙だと思って、動きを止めたのに。
動く前に、音だけが走る。
「……なんで、ズレてんの……?」
ニカの状態。
トールの状況に。
ロギアの形の良い眉が寄った。
「……ズレている、な……」
低く呟く。
何かの違和感。
小さな疑問。
ふむ、とロギアは顎を撫でて。
金の魔力を解放し。
おもむろに、魔法陣を展開した。
ロギアの腕のブレスレット。金の宝石が振動する。
「げぇ?!」
「ロギ兄!? ほんとに、あたしワザとじゃーー」
ぎょっとして、トールとニカが慌てるが。
展開した魔法陣が、途中で歪む。
完成しない。
それに。
終了も出来ない。
「式が……成立していない……?」
金の目が僅かに見開かれる。
自分の術式は完璧だ。
こんな事はあり得ない。
あり得ない、筈だ。
だが、目の前で。
実際に崩れている。
自分の周囲に展開した魔法陣。
それ以外の魔法で、指先に火を灯してみる。
「ーー違う……これは……」
ロギアの形の良い眉がピクリと上がる。
発動しない、訳じゃない。
不発に終わった訳でもない。
ただ。
「……式が、合っていない……」
構築した魔法陣。
だが、最後の一音、一文字が、噛み合わない。組み上がらない。
「……音が違う、のか……?」
その時。
首を傾げる三人を見つめながら。
樫の大樹の側に立っていた、
「……樫が、鳴いている」
クェルクスがぽつりと呟く。
全員が背後を振り返る。
彼だけが、空を見ていた。
三人もつられて空を見上げる。
「やはり、来たか。ーー境界が……二つの世界に、重なり始めている……」
深い、エメラルドの瞳が細められる。
静かな声。
「もう、「片側の世界」だけの話じゃ、ない……」
蒼い空が、歪む。
「オヤジ」
「父上、やはり何か」
「父さん! なんかおかしいって!」
蒼い空が。
水面に小石を落としたかのように。
揺らいでいた。
「かしもりさま、おそらがなんか、へんだよ?」
「何か、起きるんでしょうか……」
クェルクスが纏う、新緑の衣にしがみ付くのは。
長い兎耳をヘタリと垂らした兎族の幼女。
その隣で、不安そうに空を見上げるのは、背に白い翼を持つ翼人の少年。樫守の街の民。
「……本来なら」
低い声。
「これは、「起きてはいけないズレ」だ」
クェルクスの瞳が鋭くなる。
「境界は、「合わせるもの」じゃない。ーー分けるもの、だ」
二つの世界も。
境界も。
本来、別々に存在しているもの。
「……だが、今は違う」
空の波紋が、広がる。
「ーー引き合っている」
トールが眉をひそめる。
「引き合うって、なんでだよ?」
「……共鳴、か」
ロギアの金の瞳が、細められた。
ニカは、幼女と少年を安全な場所に導く。
空の波紋が大きくなる。
「同じ「音」を持つ者が、二つの世界にいるようだな……」
クェルクスが唸った。
そんな偶然、起こるはずがない。
文献にも載っていない。
「だから……境界が、「合わせに来ている」?」
呟いたロギアに、クェルクスが神妙に頷いた。
「お前たちの状態が妙なのも……おそらく」
「……壊れてるんじゃねぇ、って事か?」
境界と世界同士の引き合いで、その影響が出ているんだろう、とクェルクスは当たりをつける。
トール、ロギア、ニカは。
境界で生まれた子供たちだから。
そして。
メディウム、アルマ、ルチェも。
「だが、異変が起きている」
「じゃあ……、止めなきゃダメだよな?」
渋い顔をするロギア。
拳を握って告げるトール。
「止める、か。ーーそれとも」
深いエメラルドの瞳で、もう一度空を見る。
「……本来なら、止めるべきだ」
一瞬、言葉を切る。
「だが……、逆に「合わせる」か、だな」
その時。
樫の大樹に。
一本の亀裂が走った。
「!?」
「なんだっ!?」
トールとロギアの声が上がる。
クェルクスのエメラルドが細められる。
そして。
クェルクスの耳だけに聞こえるーー謳。
ーーElthiaーー
それは幼声。
自分と。
末の愛娘しか、知らない謳ーー。
深いエメラルドの瞳を見開く。
樫の大樹を振り仰いで。
「……ルチェ」
クェルクスの口から、呟きが溢れた。




