第15話 見えた空
空は、何事もなかったかのように青かった。
だが森は、ざわついていた。
世界樹の枝が、時折かすかに揺れる。
風はない。それなのに。
どこか落ち着かない。
その心のように。
「……起きねぇな……」
アルマがぽつっ、と言った。
いきなり寝入ったルチェは、ベッドの上ですやすやと眠っている。
顔色は、悪くない。
呼吸も、穏やかだ。
「魔力切れ、みたいなものかしら……」
メディウムが心配そうに呟く。
宝石はもう、光っていない。
部屋の中は、いつもの静けさに戻っている。
だが。
リューセイの胸の奥だけは、荒く脈打っていた。
ドクン。
ーードクンッ。
鼓動が、まだ残っている。
息が、何故か苦しい。
なんとか、声を出す。
「……なぁ。さっきのーー、見たか?」
「……空の、裂け目だろ」
「いや……」
アルマが肩をすくめる。
リューセイは、一つ息を吐いて。
空を見上げた。
窓の外。
青い空。
雲が流れている。
「……重なっていた、な……」
「え?」
メディウムが振り向く。
リューセイは、ゆっくりと呟いた。
「空が」
少し、迷ってから。
「向こうの空と」
「……そんな」
メディウムの赤瞳が、大きく揺れる。
アルマが笑う。
「気のせいじゃねぇの」
「違う」
リューセイは首を振り、はっきりと言った。
「確かに、見えた」
蒼い樫の大樹。
石の街。
そしてーー、あの男。
守護者。
「……視線も、合った。深い、エメラルドの瞳ーー」
沈黙が落ちる。
メディウムの顔が青ざめていた。
「それって……」
言葉が続かない。
その時だった。
ふっと。
光が変わった。
窓の外。
青空が。
ほんの一瞬だけ。
ーー揺れた。
「……!」
「……な、なにっ?」
「何だっ?!」
三人が同時に空を見る。
青空の奥。
ほんの刹那。
別の空が、重なった。
蒼い、蒼い空。
巨大な樫の大樹。
風に揺れる石の街。
そして。
その下で。
濃茶色の髪が、さらりと揺れた。
守護者。
男は、確かにそこにいた。
だが。
距離が遠い。
手を、伸ばしても。
絶対に届かない。
ほんの一瞬の間。
二つの世界が重なり。
そして。
……消えた。
落ちる静寂。
だが、いつもと同じに。
青空に、雲。
サワサワと、枝葉が鳴る。
「……さっきの」
大地色の目を瞬いて、アルマが呟く。
メディウムの唇が震えていた。
かすれた声。
「……本当に……、お父様……っ」
リューセイは空を見続けていた。
胸の奥の鼓動。
不思議な感覚。
境界が。
少しだけ。
こちらの世界に、近づいた。
そんな気がした。
その、直後。
――ドクン。
リューセイの胸が、大きく鳴った。
「……っ」
息が詰まる。
同時に。
部屋の空気が、わずかに歪んだ。
「……今、何か……」
メディウムが顔を上げる。
窓の外。
空ではない。
もっと、近い。
空間そのものが。
――ピシッ
微かな音。
ガラスでも、木でもない。
「おい……」
アルマの声が低くなる。
見ているのは。
リューセイの足元。
ほんの一瞬。
淡い光が浮かびかけて――消えた。
「……今の、見えたか」
「……見えた」
それ以上、言葉は続かない。
ルチェは、まだ眠ったまま。
けれど。
その手首の琥珀が。
ほんの一瞬だけ。
――かすかに、脈打った。
まるで、まだ。
向こうと繋がっているかのように。
その時。
遠くの森で。
――パキッ
今度は、はっきりと。
何かが、軋み。
何かがーー
変わった。
いや。
もう、変わり始めていた。




