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第14.5話 前兆

 



蒼い樫の大樹の前。

クェルクスは、しばらく動かなかった。

いや、動けなかった。

風が、吹く。

濃茶色の長髪が、ゆっくりと揺れる。


「……まさか」


低く呟く。

エメラルドの瞳が空を見上げていた。


ほんの少し前。

確かに見た。

裂け目の向こう。

美しい、世界樹を覆う森林。

この世界のものではない、匂い。


ーーそして、あの少年。


黒髪。

黒い瞳。


更に。

三つのーー異なる光。


「……共鳴」


唸るように呟いて、自分の腕を見る。

ルビー、ガーネット、アンバー。

その三つの石が、僅かに明滅していた。

三つ同時に、など。

初めての現象だった。

そっと。

クェルクスは、ブレスレットを包み込むようにもう片方の手を当てがいーー


「なっ!?」


驚いたように。

そのエメラルドの瞳を見開いた。

クェルクスの手の中で。

微かに――音がした。


「……これは」


ゆっくりと手を離す。


琥珀(アンバー)


琥珀の石の表面に。

はっきりと。

細い、亀裂が入っていた。


「……馬鹿な」


それは、あり得ないことだった。

八色の宝石は。

世界樹の加護を受けた、完全な媒体(ほうせき)


境界に強制転送された時。

クリュシュが、数枚の布と一緒に持ち込んでいた、裁縫箱に入っていた宝石。


「新作の〜、衣装に付けるための〜、ちょうど良い大きさの〜、宝石がほしいわ〜」


っと呟いて、木の幹に芽生えた宝石をつつくと。

思った通りの大きさの、宝石の粒が手のひらに落ちてきたという。


欠けることも。

壊れることも、ないはずのもの。

それが。


「……壊れた、だと……?」


クェルクスの声が、低く沈む。

風が止む。

まるで、世界が息を潜めたかのように。






夜も深く、樫守の街は、静けさに包まれていた。

木々のざわめきは遠く、風の匂いだけがかすかに漂う。

その一角、古い書庫の中で、慌ただしく四人の者たちが、書物を読み漁っていた。

夜通し、古文書や魔力痕跡の軌跡を辿る。


一番大きな机に、埃まみれの羊皮紙や分厚い装丁の書物が積み上がり、ランプの微かな光が、黄ばんだページをぼんやりと照らす。


「……これか」


赤い長髪を揺らして。

クェルクスの三番目の息子、ロギアが呟き。

淡く光を帯びた文字と、魔力の痕跡を長い人差し指でなぞる。スラリとした体躯の影が、ランプの灯りに揺れた。


「……随分、雑だが……」

「過去の観測記録……境界が開いた事例の断片だ」


クェルクスが続ける。

薄暗い室内に、言葉が重く響いた。

古文書には、境界に触れた者が戻れなかった記録や、歪みが変質したとされる断片が残されている。


「……境界は、ただの裂け目じゃない、のか」


ロギアが低く呟く。

クェルクスは静かに頷いた。


「触れた者の魔力に、何らかの反応を示す……らしい。だが、それが意思によるものか、別の何かかは……はっきりしていない」


曖昧な記述。

食い違う記録。

それでも一つだけ、共通していることがある。


「……関わった者は、例外なく「何か」に巻き込まれている」


部屋の空気が、僅かに重くなる。

ロギアが視線を上げた。


「……父上が見た、黒髪の少年も」


その先を、誰も言わない。

言えなかった。

風もないのに、ランプの炎が微かに揺れ、壁に影を落とす。


「彼が、どういう存在なのかわからない以上……危険すぎる……」


ロギアの目を見て。クェルクスは微かに呟くだけだった。


関わった者が何かに巻き込まれる。

それなら確かに。

二つの世界が「見えた」のは。

そう考えれば辻褄は合う。


向こう側ーー

誰か、が。

歪みに。

境界に。

触れたから、だろう。


だが、未だわからない事が、多い。




書庫の奥で、クェルクスの一番目の息子、トールが嬉々として立ち上がった。

ツンツンに跳ねた金髪が揺れ、小柄な体で背伸びするように棚の古書を引き抜く。


「これには、混血や特異な魔力を持つ者が、境界に「触れた」って記録があるぜ」

「トール、それは本当か?」


ロギアの声に「本当だぜ〜」と告げながら、雑にページをめくる。


「ただ……成功例は少ねぇなぁ。むしろ——」


言いかけて、一旦言葉を切る。


「……消えた、って記述の方が多い」


静寂。

クェルクスの声が、緊張を帯びる。


「……もし、あの子たちや、お前たちが関わったら……」


その言葉は、誰もが思ったことを代弁していた。


クェルクスの子供は。

ハイエルフ同士でありながら、異世界交配の血を引く。

正統な血筋でも、この世界では「混血」と見なされかねない。


現にトールやロギア、次女のニカは、クェルクスとは異なる魔法を使う。


この世界の魔法は「謳」で発動する。

だが彼らは違う。


短い単語で魔法を起動し、足元には見慣れぬ魔法陣が浮かぶ。


樫守の街は多種族が共存する場所。

未知の魔法も珍しくはない。

――それでも。


「危険すぎる……」


クェルクスは頭を抱えた。

再びの沈黙。ランプの炎が、壁に映る影を揺らす。

パラ、パラッと、ページをめくるごとに、断片的な情報が浮かび上がる。


「「何かに守られていた」、という記録もある……な」

「何かってなんだよ?」

「さぁな。詳しい記載はない」

「…………」


ロギアが、別のページを開いた。

そこには、円形の図が描かれている。


八つの光。

異なる色が、輪を描くように並んでいる。


「……八色の輪」


後ろから覗き込んだニカが、小さく呟く。

ロギアはゆっくりと、その下の文をなぞった。


「全ての宝石が共鳴した時、輪は完成する」

「完成……?」


トールが眉をひそめる。

ロギアは少しだけ黙り、それから低く呟いた。


「『未完成の共鳴は境界を不安定にし、完成した時、それは固定される』」

「ーーは?」


トールの紫の瞳が瞬かれ。

空気が、張り詰める。

誰も、すぐには意味を言葉にできなかった。

自分の腕にあるーー、ブレスレットがズシリと重くなる。

ロギアの指先が、そっと最後の一文に触れた。


「だが、完成したという記録はーー」

「……そんな、はずはない……」


クェルクスの声が、かすれる。

ブレスレットを握りしめる手が、震えていた。


「これは……」


言葉が、続かない。


「……家族を、守るためのもの、だ……」


ぽたり、と。

雫が、石に落ちた。


「……そんな、はずが……」


そこで、言葉が詰まる。


エメラルドの瞳に、涙が滲んでいた。


父が泣いた所など、今まで誰も。

見た事がなかった。


「……俺がっ……これを作ったから……引き寄せたのか……?」

「父上!」

「オヤジ! もういいっ」


トールとロギアが止める。

ニカは、ひしっと。

片側で結えた黄色のしっぽを揺らし。

強くクェルクスに抱きついていた。




書庫の中に漂う空気は、緊張と不安で随分重くなっていた。

古文書に記された痕跡や魔力の残滓を見つめながら、誰もが息を飲む。


「……この情報をどう扱うか、だな」

「急ぎすぎては、ならない。動き出すのは……まだ、早い」


ロギアの声にクェルクスはゆっくりと首を振り。

森の夜に声が溶ける。

それでも、読める限りの情報は全て机の上に集められた。


それらは、断片的で不完全ながらも、確かに未来の危機を予感させるものだった。


クェルクスは、ランプの光だけを頼りに古書を閉じ、息を整える。


「……やはりまだ、全貌はわからない、か」


その声には、わずかな苛立ちと警戒が混じっていた。


室内の静寂に、微かな緊張が残る。

それでも、少しずつ謎に近づきつつある。

しかし、その先にあるもの――


境界の真実。

そして例外の子の力。

八色の輪現象ーー


誰も完全には理解していなかった。


外の森では、風が枝を揺らす。

書庫のランプの光だけが、夜に静かに瞬いている。

その瞬間(とき)、書庫の奥から。


パキッ


小さな、音がした。


全員が振り返る。

棚の奥。

古びた魔力測定石が。

淡く、光っていた。

駆け寄ったトールが、紫の目を見開いて、神妙に呟く。


「……オヤジ」

「なんだ」

「境界の、魔力反応だ」


そして。

ゆっくり振り返る。


「ーー今も、増えてる」


クェルクスの瞳が鋭くなり、低く呟いた。


「やはりもう……、始まっているのか」


ランプの炎が、風もないのにゆらり、と揺れた。


境界は。

すでに。

動き始めていた。


もうーー、それを「止める側」ではいられない。

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