第10話 いる証
夕闇の森に、沈黙が落ちていた。
空を裂いた割れ目は、すでに閉じている。
だが、空気の奥に残る軋みは、消えていなかった。
メディウムは、周囲に目を泳がせながら、不安そうに呟く。
「……今の、何だったの。地震?」
「わかんねぇ」
アルマも空を睨み、周囲を警戒したまま、低く答えた。
その隣で、ルチェはまだリューセイの服を掴んでいた。
「……おにいちゃん」
小さく呼ぶ。
リューセイは空を見上げたまま、答えない。
さっきの感覚。
胸の奥に、まだ残っている。
胸騒ぎ。
(……強くなっている)
空の裂け目。
それは確かに、広がっていた。
あの時よりも。
「おにいちゃん?」
ルチェが、もう一度リューセイを呼ぶ。
リューセイは視線を下げた。
「……なんでもない」
だが、その顔は少し険しかった。
アルマがじっ、と大地色の瞳でリューセイを見る。
「お前」
その声に、リューセイの視線が動く。
アルマは一歩、リューセイに近づいた。
「なんなんだよ?」
「……」
リューセイは答えない。
メディウムが怪訝そうに二人を見る。
「アルマ?」
アルマは視線を逸らさずに続ける。
「さっき、何かあったよな。そんで、お前、何かしただろ?」
周囲に落ちる、沈黙。
大地と黒の視線が絡む。
リューセイは、小さく息を吐いた。
「……さあな」
「とぼけんな!」
アルマの声が少し低くなる。
「お前……、何だ」
ルチェがアルマを見上げて、慌てたように言った。
「おにいちゃんだよ?」
メディウムが苦笑する。
「それは分かってるわ」
そして改めてリューセイを見る。
「でも——」
その言葉は、途中で止まった。
ルチェのブレスレットが、ふっと光ったからだ。
緑の石。それと、琥珀。ほんの一瞬の。
小さな、光。
「!」
「っ!?」
ルチェが琥珀色の目を丸くする。
同時に。
リューセイの胸の奥で、何かが震えた。
(……なんだ?)
片手で胸を押さえる。
また、森が揺らぐのかとも思ったが。
夕闇の空に、また裂け目が開くのかとも考える。
だが。
もっと小さい。
もっと遠い。
まるで——
誰かが、こちらを探しているかのような。
ルチェが、ブレスレットを見つめてにっこり。
「きらきらしてる!」
メディウムも気づいていた。自分の腕を見る。微かに光る緑石。
「今、光った?」
アルマも腕を見た。
彼の腕の宝石も、ほんの一瞬だけ光っていた。
緑の石。父親の目と同じ、深い森色。
アルマが苦笑しながら呟く。
「……親父か」
ルチェが嬉しそうに叫んだ。
「パパ!」
「「あちら側」にいる家族と、「こちら側」にいる家族の、石がたまに、共鳴するの」
帰路の途につきながら、メディウムがぽつりと呟いた。
アルマがぎょっとして声を上げる。
「ちょ、メディウム姉! こんな、よくわかんねぇ奴に、わざわざ俺らの話をしなくてもーー」
「さっき、「何か」があったのは。私でもわかるもの。それに、ルチェが彼を気に入ってるわ」
苦笑しながら呟くメディウムが、指差す方をアルマが見やると。
リューセイと手を繋いでご機嫌でついてくる、ルチェの姿がそこにあった。
アルマは、ほんの一瞬だけ目を細める。
(……あんな顔、するんだな)
視線を、ほんのわずかに逸らし。
小さく、息を吐いた。
「ルチェと共にいる事が増えるなら。いつかは、話さなければいけない事だわ」
「けど! 別に今じゃなくたって……」
「アルマ」
メディウムの赤色の瞳が、すっと細くなる。
「あなた、彼を疑ってるでしょ? それに何かを聞きたいのなら。私たちも、それに見合うものを示さなきゃ。ーーただ疑うだけでは。彼はきっと、話してはくれないわ」
「……っ……」
図星だった。
ルチェと一緒にいた事。
隠れていた事。
さっきの、妙な現象に関係していそうな事。
それに何よりーー
黒髪黒目。その見た目は。
「あの王子」に間違いなかった。
ぎゅっ、と拳を握って押し黙ったアルマに。
後ろから声。
「……内緒話は終わったか?」
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったのだけど」
リューセイの言葉に、歩きながらメディウムが謝罪する。
それにふるり、と首を振り。
「別に、気にしてない。ただ」
リューセイはそこで、一旦言葉を切る。
「そういう話がしたいなら、森では、やめた方がいい」
その声が、一段低くなる。
「......俺には、監視がついている」
「!」
アルマとメディウムは、息を飲んだ。
沈黙が落ちたまま。
森の中を歩く、メディウム、アルマ、リューセイ、ルチェの四人。
ルチェだけは、何か楽しそうにしていたが。
メディウムの顔には、微かに不安が浮かんでいた。
アルマは、逆に警戒したように周囲に気を配っている。
リューセイは、ルチェと手を繋いだまま。
そっと視線を落とした。
森は静かだ。
時折風が吹き抜け。
枝葉が揺れる。
繋いだ小さな手は、温かい。
指先に、かすかな違和感が残る。
どこかで――
触れたことがあるような。
繋がれた手に、嵌められたブレスレット。
琥珀の宝石。
それが、まだかすかに温かく光っている。
メディウムとアルマのブレスレットは、緑の石が光っただけだったのに。
胸の、ざわめき。
その振動に合わせて、ルチェの腕の宝石の光が、小さく明滅しているかのようだった。
三人は気付いていないようだが、夕闇の中、夜目の効くリューセイには、それが分かっていた。
(……俺か)
自分の胸の奥にある、感覚。
それがルチェの宝石と響いている。
だが。声は、届かない。
リューセイは小さく呟いた。
「……そういうことか」
「何がだ?」
アルマが聞き返す。
だが、リューセイは答えない。
代わりに、ルチェを見る。
ルチェは、また宝石を見つめていた。
キラリ、夕闇を押し返すように、琥珀石が光る。
ルチェは、ぱぁっと頬を綻ばせた。
「おにいちゃんっ」
「ん?」
「いまね」
ルチェは少し嬉しそうに言った。
「おにいちゃん、いるってわかった!」
リューセイの目が、少しだけ見開かれる。
「……は?」
ルチェは笑う。
「さっき、なんかふわってした」
小さな手で胸を押さえる。
「ここ」
「…………」
「おにいちゃん、ここにいるって」
リューセイは何も言わなかった。
いや、言えなかった。
ただ、少しだけ目を伏せる。
「…………」
そんな二人を見て。
アルマが訝しげに、眉をひそめた。
リューセイは、小さく息を吐いてからゆっくりと空を見上げた。
一等星が、闇空に輝き出していた。
綻びの残響。
森の歪み。
そして。
ルチェの琥珀石。
それが、ほんの少しだけ光った。
声は届かない。
言葉もない。
でも。
——それは、確かな存在だった。
ルチェがにっこりと笑う。
「おにいちゃん」
「なんだ」
「ここにいるね」
リューセイは少しだけ笑った。
そして、小さく答える。
「……ああ」




