第9話 揺らぎ
森の奥で、風が揺れた。
ルチェはふと、立ち止まる。
「……あ」
枝葉が揺れる。
その隣で、リューセイの眉が僅かに寄った。
さっきから妙だ。
胸騒ぎが止まらない。
空気が、風が一ー少しだけズレている。
「おにいちゃん」
ルチェが小さく手を握る。
リューセイは頷きかけて——
「ルチェ!?」
その時だった。
前方の茂みから、一つ声が飛んできた。
ルチェがぱっと顔を上げる。
「メディおねえちゃん!」
リューセイと握っていた手を放し、声のした方に向かってかけていく。
突然離された手。
何故か寂しく思い。
だがそれに僅かに首を傾げて。
ルチェを横目に見たリューセイは、そっと木の陰へ身を引いた。
ちょうどその時、木々の間から二人の影が現れる。
薄緑の三つ編みの少女と。
その後ろから走ってくる、ピンクの短髪の少年。
ルチェの姉兄、メディウムとアルマだった。
「ルチェ!」
「おねぇちゃん!」
メディウムは駆け寄ると、そのままルチェを抱きしめた。
「よかった……! 急に石が震えたから、びっくりして……」
ルチェはぎゅっとメディウムの服を握って、きょとんとした顔をする。
「メディねえちゃん、どうしてここに?」
「あなたの石が震えたのよ」
メディウムは腕のブレスレットを見せた。
琥珀の宝石が、まだ微かに微動していた。
「アルマのも」
アルマが腕を掲げる。琥珀が、まだ微かに光を宿していた。
「だから探しに来た」
ルチェはうれしそうに頷いた。
「そっか!」
そして——
ふと、横を見た。
「おにいちゃん!」
「……え?」
メディウムがその赤色の瞳を瞬く。
ルチェは当然のように、木の陰を指差した。
「あそこ」
だが、ルチェが指し示すそこには、一本の木しかない。
赤色と大地色の目が瞬かれる。
メディウムとアルマがもう一度、視線を向ける。
だが。
そこにはーー、誰もいない。
「ルチェ?」
「誰もいねぇぞ?」
メディウムとアルマが首を傾げる。
ルチェは不思議そうに言った。
「いるよ?」
そして、指差した場所へと駆け寄る。
木の陰。
そこには、腕を組んで立っているリューセイがいた。
「おにいちゃん、なんでかくれるの?」
「……」
リューセイは眉をしかめる。
「お前……」
「?」
ルチェが不思議そうに見上げる。
リューセイは、小さく息を吐いた。
それから、低く言う。
「なんでお前だけ見える……」
ルチェは首を傾げた。
「?」
後ろでメディウムが困ったような顔をしながら言った。
「ルチェ、誰と話してるの?」
「? おにいちゃんだよ?」
ルチェはリューセイを指差したまま、振り返って答えた。
アルマが眉をひそめる。
ルチェは当然のように、リューセイの手を引き、指差す。
「このひと」
しかし。
二人の目には、何も見えない。
何かを掴んでいるようなルチェの手が、空に浮いているように見えるだけだ。
「……」
「…………」
リューセイは頭を押さえた。
「マジかよ……」
「みえないの?」
「......あいつらには、見えてない」
リューセイは一つため息をついて。
ぼそりと呟いた。
「.....本来は、誰にも見えないはずなんだけどな」
メディウムとアルマは、顔を見合わせた。
リューセイが、発動していた隠蔽魔法を解く。
「わっ!?」
いきなり目の前に現れたリューセイに、アルマがびっくりしたような声をあげる。
そして、その大地色の目を僅かに見開いて。
「! お前……」
「………………」
アルマのその声に、反応に。
リューセイはばつの悪そうな表情をして、ふぃと目を逸らした。
そのすぐ傍で、メディウムがルチェを静かに諭していた。
「……ルチェ?」
「なぁに?」
「知らない人には、付いていっちゃいけないのよ?」
「しってるよ?」
「じゃあ、なんで彼と一緒にいたの?」
「おにいちゃん、ルチェたすけてくれた!」
「え?」
メディウムが、赤瞳をぱちくりとする。
ルチェは笑って、迷いなく答えた。
「おにいちゃんきたら、ざわざわといたいの、なくなった!」
沈黙が落ちた。
メディウムとアルマ、二人の思考が巡る。
(ざわざわ? 何か不安だったのか?)
(いたいの? 何処か怪我でもしたのかしら?)
(でも、それが治った?)
(どういう事だ?)
アルマがぽつりと言う。
「……お前、一体ーー」
しかし、顔をしかめたままのリューセイが、ルチェに近付き声をかける方が早かった。
子供の言う事。放っておけば良かったのに。
「おい」
ルチェが振り向く。
「?」
「余計なこと言うな」
「どうして?」
「……説明がめんどくさい」
「! あなた、そんな言い方ーー」
その時だった。
——ズン。
何処かで、何かが震えた。
森の空気が揺れる。
枝葉が擦れる。
メディウムの顔色が、夕闇の中サァっと変わった。
メディウムとルチェの前にさりげなく出たアルマが、周囲を見回す。
「……今の」
「……なんだ?」
「っ……」
空気が歪む。
夕日のオレンジと、夜の闇とが混ざる場所。
パックリと。
破れた裂け目が、空を駆ける。
ルチェのブレスレットが光る。
琥珀色。
ーービィン
途端に不協和音が響く。
リューセイの胸の奥で、ざわめきが走った。
(……これ)
さっきより強く、重い。
空の裂け目。
それが——
少し、広がった。
リューセイは空を見上げる。
まるでどこかで、弦が狂ったような感覚がする。
世界が、わずかに軋んでいる。
同時に空を見上げたルチェが、リューセイの服の裾を掴んだ。
「……揺らいでいる」
小さく呟く。
誰にも聞こえない声で。
世界樹がある、エルフの森での「揺らぎ」。
その揺らぎは、遠く離れた場所にも届いていた。
樫守の街。街の中心にある、最も巨大な樫の木の枝葉が、ザワザワと揺れていた。
クェルクスがゆっくり、緑の目を開く。
「……おかしい」
腕の、宝石が震えている。
琥珀色。それに、赤と大地。
クェルクスは、宝石に触れながら。
遠い、世界樹の森を見つめる。
「……綻びが広がるには、まだ。ーー早すぎる」
その瞳は深く、険しかった。
「父上! 宝石がっ、一体何があったのです?!」
クェルクスのその背に、叫ぶような声がかけられた。
世界の核と繋がる、当代の世界樹がある、保護区、深域。
その世界樹の揺籠で。
黄金の棺の中で。
静かな眠りについていた王の指が、
ほんの僅かに微動した。
バシレウス。
エルフの森を守る。
結界を張った、「結界王」。
森で起きた、小さな揺らぎに呼応してか。
その真金の髪が、微かに揺れる。
だが——
王はまだ、目覚めない。




