第8話 危険だ
「……っ……」
メディウムは、木漏れ日色の薄緑の三つ編みを揺らし。
自室を飛び出し、森の中へとかけ出していた。
普段は穏やかで落ち着いた彼女にしては、珍しく焦っていた。
何か、胸騒ぎがする。
さっき震えた腕にある石は、琥珀だった。
ルチェのーー、末妹の石。
「ルチェ……」
胸が、ざわめく。
こんな事は、初めてだった。
いつもは。
「あちらの世界」にいる、家族の内の誰かの。
石がほんのり、温かくなる。
それだけだったのに。
いつでも会える。
近くにいる。
同じ世界にいる家族の、石が震えるなんてーー
何かがあった、そう思うに。
十分すぎる現象だった。
プリーツスカートの裾が、長い下草に絡んで足を取られる。
「! きゃ……」
「おっと」
転びかけたメディウムを支えたのは。
「あ、アルマ?」
「メディウム姉、大丈夫か?」
メディウムの二番目の弟、アルマだった。
口は荒いが、その声にははっきりと焦りが滲む。
走り寄ってきたアルマに支えられながら。
倒れること無く、そのまま歩を進めるメディウムは、少し驚きながら告げた。
「あ、ありがとう。でも、どうしてアルマが」
「琥珀。ーー光ったろ?」
「! アルマも?」
声はない。
だが、大地色の瞳が頷いた。
それだけで、アルマにも同じ現象が起きたのだと理解する。
「ルチェが心配だ」
呟いて、逆立ったピンクの短髪を揺らし、腰の短剣を鳴らしながら、アルマは走る速度を上げた。
先程の八色の光は既に収まり。
森はいつも通りの静けさに、包まれていた。
風が枝を揺らし、光が葉の隙間からキラキラと差し込む。
周りの景色とは裏腹に。
「……なんでだ」
声ない呟き。
ルチェもリューセイも、心の中はざわめいていた。
――八色の光が、輪を描く。
――宝石が光れば、誰かと繋がれる。
八色の宝石が全部光ったのは。
初めてだと言う。
ルチェは嬉しそうにしているが。
それは、もしかしてーー
何かの「予兆」なんじゃないか、と。
リューセイは訝しむ。
最近、森がよく揺れる。
この前も。
……さっきも。
そして。
その中心にいるのはーー
ルチェだ。
(…………何が起きている?)
ルチェの小さな手を握り。
思考を巡らせるリューセイ。
彼の黒い瞳は、いつになく真剣だったが。
深く、胸のざわめきが消えないのと同じように。
その答えは出なかった。
リューセイの焦燥と、ルチェの不安が、静かな森に波紋のように広がる。
エルフの森を守る結界。
それは、ハイエルフの中のハイエルフ。
真金の瞳と髪を持つ、リューセイの曾祖父、バシレウスのみが使える秘術。
世界樹や、王族が住まう居所がある範囲を第三。
通常エルフが住まう市井がある範囲を第二。
時折訪れる、外界の者が唯一入れる入り口部分を第一として。
幾十にも結界を張り、エルフの森を、エルフの民たちを、強固に守っている。
それは。
バシレウスにしか張れず、またバシレウスにしか解けない。
エルフの森守護隊の魔法師団にも、結界維持班はいるが。
あれは修復しているのではなく、ただ。
当て布で穴を塞いで、応急処置をしているだけに過ぎなかった。
『血の交換』で、空間と空間が開く度に。
またそれ以外でも、ふとした時に開く異界との扉に。
しっかり閉じているように見えて、その実。
何処かから、綻びが出来てきているのは、明らかだった。
その「世界の綻び」がーー
森の歪みとして。
結界の軋みとして。
空気のズレとして。
少しずつ。
だが着実に。
世界を侵蝕し始めていた。
樫守の街。
執務室にある濃茶色の椅子にドサリと座り。
守護者クェルクスは、背もたれに深く身体を預け。
長く長く、息を吐いた。
「…………はぁーーーーーー…………」
そのままの体勢で暫し。
片手でその、深いエメラルドの瞳を覆った。
外回りから急いで帰ってきたから、誰もまだ、気付いてはいない。
「ルチェ……」
閉じた唇から、ふいに溢れ落ちたのは。
末娘の名前。
一瞬、ブレスレットが光ったかと思えば。
次の瞬間。
八色の輪が。
いきなりそこに展開された。
幸いその規模は極小で、八色の光はすぐ消えたが。
また、執務室に駆け込んだタイミングだった事から。
まだ、誰も気付いていないとは思うがーー
クェルクスの表情は硬い。
どう考えても。
あの現象は、古い文献にある現象と。
酷似していた。
八色の輪現象ーー
この現象は長い歴史の中で、文献に記載されたその時以降、一度も確認されたことがない。
そしてその輪が現れるとき、世界のどこかで、何かが動き始めるのだと言う。
予言。
予兆。
波乱の幕開け。
様々な憶測が飛び交い。
何年も何年も、研究がなされていたが。
誰も、その謎を解明できる者はいなかった。
そもそも、その現象が起こったのは、古い文献にあるのみで。
誰もその現象を見た事がないのだから、当然だ。
「……八色の輪は古い文献にあるだけの伝承だ。実際に見た者はいない」
顔を覆っていた腕を上げる。そこには。
八色のブレスレットが収まっている。
きっと。
離ればなれになるだろうから、と。
それでも寂しくないように。
みんなが、傍にいると感じれるように。
家族全員の瞳の色と同じ、宝石で。
想いと願いを込めて。
クェルクス自身が、拵えたものだった。
世界樹の居所がある、第三結界の内側。
臣下に与えられたあるフロアの、薄暗い部屋に。
数人の者たちが集まっていた。
「今は、ちびっ子とお散歩中、かな?」
暗闇から。
随分軽い声が響き、それに鋭い恫喝が飛んだ。
「何故お前がココにいる! 「混血」の監視を任せた筈だぞ!」
「ちゃあんと、三番手に任してから来てますって」
ため息。
肩を竦めたような気配。
僅かに届いた夕日の光が、エルフ特有の長い耳を照らす。
「どーも、ちびっ子の姉兄たちも、森に向かったみたいだけど、ね」
続けられた言葉に。
ざわっ、と周囲に驚きが走った。
「ーー「例外」ばかりが集まる、か」
「森の状態が、最近おかしい」
「やはり、「混血」など……」
闇に、声が落ちる。
「……危険だ」
それはーー
まるで何かの始まりかのように。
薄暗い闇の中に、溶けて消えた。
夕日のオレンジに照らされる。
森は静かだ。
風が葉を揺らす。
握った手は離さないまま。
だが無言で、歩みを進める幼女と少年。
でも、心のざわめきだけは、止まらない。
リューセイの胸の奥で、焦燥はくすぶり続け。
ルチェはその隣で、まだ理解できない胸騒ぎを抱えていた。
そして――その小さな不協和音は、次なる波を呼ぶことになる。
その事を。
二人は、まだ知らない。
この小さな共鳴が。
やがて。
森の結界を、揺るがすことになるということを。




