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68.はずした首飾り

 アンジェリンが子を産んだ頃、フェールは父親になったことを想像することすらなく、ガルダ川の河口から少し沖に出たあたりに浮かぶ船の上にいた。


 フェールは、見えてきた島の全体をくまなく観察した。

「やはり、この地形だと、どうやってもあの小さな浜から上陸する以外に攻撃はできそうにないな」

 海賊グフィワエネの本拠地があるというその島は、狭い砂浜が一か所だけあるが、そこ以外はすべて固い岩の断崖絶壁になっていた。島の中央に大きな山があり、上の方だけ木が茂っている。木々の間に確認できる数軒の家が海賊たちの住処らしい。


 今からシャムア王の軍と共に、海賊の住処に攻撃をかける作戦が始まる。海賊たちを殲滅し、教皇派の資金源を断って、終わらないシャムア内紛に終止符を打つことが目的だった。

 国王と教皇が対立して混乱しているシャムア国。フェールは、セヴォローン王としてシャムア国王側を支持する立場を表明し、シャムアの王都ラトゥクへ援軍を進めたが、シャムアの混乱は収まらず、今回の海賊撲滅作戦に踏み切ることになった。


 フェールとしては、気が乗らないシャムア出兵だったが、セヴォローン国としてはもうひとつ大きな目的があったため、シャムア王からの出兵要請を拒否することはできなかった。

 第二の目的は、シャムアの世論をセヴォローン寄りにすること。

 フェールが王太子時代に決行したヌジャナフ基地の放火破壊と、基地脱出のさいにルヴェンソ王子をはじめとする複数の兵に『危害』を加えた行為は、教皇の暴挙を止めるための正しい行動だったと、シャムアの人々に信じさせなければならない。今後のシャムアとの国交を考えるにあたり、フェールはシャムア王に全力で協力する『良いセヴォローン王』を体現する必要があった。


「まったく……結局海賊退治までやらされている。絶対に今日一日で終わらせてやる」

 ──早くエンテグアに戻ってアンの名誉回復と、墓参りをしたい。そして、エフネート叔父上の罪を暴かないといけない。叔父上が今、私に対抗する政権を勝手に樹立し、大規模な軍事行動を起こしたら終わりだ。

 フェールは穏やかな海風に身をさらしながら、マナリエナが守っているエンテグア城のことを思った。

 本来ならば、こんな戦いをしている場合ではなかった。エフネートの裏切り問題だけでなく、ザンガクムとの戦後処理も全部終わったとは言い難い。しかも、王になってから日が浅いフェールには覚えることもまだまだあり、帰国後もすぐには暇はできないだろうと思えた。

 ──アンの墓参りは当分できそうにないな。

 心の中で密かに溜息をもらした。



 これから海賊との戦いが始まるとは思えないほど、海は穏やかで青く澄んでいた。風は弱く、空に雲は少ない。

 海賊=グフィワエネといえば、薬師の村の母子の顔を思い出す。貴重な薬を使って手当てをしてくれたセシャ。彼女の夫を含むあの村の住人たちは海賊に連れて行かれたまま行方不明になっている。 

 これから捕まえた海賊たちはシャムア軍へ引き渡す予定だが、その場で殺さずにきちんと裁判にかけ、強制的に海賊をさせられていた者たちの刑を軽減することをシャムア側と約束してある。イガナンツの村で見てしまった海賊たちの虐殺は今も重く心に沁みついている。

 ──これは無駄な出兵ではない。人助けだ。あの中にいる人々を救うのだ。きっと彼女アンもそれを願っている。

 そう自分に言い聞かせ、緊張をほぐそうとした。それでも島に踏み込めば、おそらく死傷者は出るだろう。


 やがて、作戦決行の時間を迎え、シャムア軍の合図ののろしが上がり、海賊島への上陸作戦が開始された。

 フェール自身は上陸せずに、船上で後方から見守っていたが、あまりにも島は静かだった。

 遠目に、上陸に成功した兵たちが盾で身を守りながら、砂浜から山へ登る階段を駆けあがっていく姿が見えるが、矢が飛んできている様子はない。浜に置いてあった小船には誰も潜んでいなかったようだ。

 嫌な予感が走る。何かおかしい。兵たちは無傷で進んで行く。

 傍に立っている将軍も険しい顔で島をにらんでいた。

「陛下、これはもしかすると、兵たちを建物に引き入れて一気に襲う作戦かもしれません」

「そうならないといいが……」

 数多くの兵がいても、狭い場所で囲まれれば全滅してしまうこともある。


 フェールが気をもみながら報告を待っていると、連絡兵の小舟がものすごい勢いで戻ってきた。

「陛下、大変でございます。山中の建物内には海賊の親玉たちはおらず、島に残されていた者たちは、屋内で殺されるか、半殺し、崖から飛び込みを強制されるなどして、無傷の者はいませんでした。かろうじて息がある少数の者は今、シャムア兵が手当てにあたっております」

「海賊たちが仲間を切り捨てたのか?」

「仲間、という間柄だったのかは不明でございますが、瀕死の者からの情報によると、海賊の幹部の命令で殺し合いをさせられたようで。建物の中は死体が点在しており、死臭が充満してひどいありさまでございます」

「私が救える者は誰もいないのか」

「北西の断崖の下に瀕死の飛び込み者が何人かいるようですが、数は確認できておりません」

「では、本船はすぐに北西へ回り込み、負傷者の救助に向かう。シャムア軍にそう伝えよ」


 フェールが乗っている船と他数隻は、島を回り込み、生きた飛び降り者がいるという岬の方へ船を進めた。

「ひどい……」

 フェールは口を手で覆った。吐きそうだ。海から腐った臭いが立ち上る。

 崖下の岩がゴロゴロしている海の中には、いくつもの人の体が浮いていた。頭が割れている者がほとんどで、どう見ても女、子どもと思える死体も混じっている。

「皆、あの上から突き落とされたのか? 誰か、生きている者はいないか」

 遺体たちは、波に体を完全に任せて頼りなく水の中で揺れている。岩に打ち付ける波音だけしか聞こえず、呼びかけに応える声はない。


 フェールはセヴォローン兵たちが遺体を収容する様を無気力に眺めていたが、波間に広がる茶金色の髪に引き付けられた。茶金色をしたまっすぐで長く美しい髪。

 口が勝手に声をあげていた。

「アン!」

 フェールは叫ぶなり海に飛び込んでいた。


 「陛下!」との叫び声も無視し、茶金色の髪の元へ泳ぎ着くと、ほとんどが沈んでいるその体を助け上げようとした。呼吸を促すために、彼女の顔を海面に出して──。

 ぽっかりと開いた大きな口から飛び出すような出っ歯が見えた。

 ──アンではない!

 茶金色の髪の持ち主は、アンジェリンよりももっと顔の横幅は広く、体も大きかった。



 船に引き上げられたずぶ濡れのフェールは、参謀たちから集中苦言をあびる羽目になった。

「陛下! 急に飛び込むとは、いかがなさいましたか。危険でございます」

「すまぬ。浮いていた女性が知り合いに少々似ていたのだ。どうかしていた。すぐに着替えてくる」


 船室に入ったフェールは、濡れた服のまましゃがみこんで頭を抱えた。

 ──私は何をやっているのだ。戦争中だというのに。よく考えたら、アンの髪は父上に切られていたはず。それに彼女は処刑されて死んだ人間。こんな場所で波間に漂っているわけがない。多くの兵たちの前で、彼女の名を叫んで、弱みを見せてしまった。

 もしかしたらアンジェリンはまだ生きているのではないか。心にいつもあるそんな『ありえない希望』が思わぬ形で表に出た。


「陛下、お召し替えを」

 身の回りの世話をする少年兵の声に、しゃがんでいたフェールは振り返り、ゆっくりと立ち上がった。

 差し出された着替えを受け取る。

「着替えは自分でやる。下がってよいぞ」

 ──父上が言った通り、私は愚かな大バカ者なのだ。こんなことでは判断を誤って多くの兵を死なせてしまうことになる。私は自分を変えなければならない。

 乾いた着替えに袖を通し、顔を上げた。

 ──私は王だ。皆の光になり、皆を導く者。今は、それ以外の何者でもない。愛する女の幻に惑わされる不様な男であってはならない。今日のような失態は絶対に許されない。アン、許せ。しばらくさよならだ。おまえのことはいっさい考えないことにする。すべてが落ち着く日まで。

 

 フェールは、いつも身に着けているアンジェリンの首飾りをはずし、軽く手の中に握りこむと、上着のポケットの中へ突っ込んだ。



 大軍を使った海賊の島の攻略はあっけなく終わったが、シャムアの内紛はそれで収まったわけではなかった。

 逃げた海賊たちの幹部は、ラトゥク内にある教皇の館に逃げ込んでいたが、教皇側は海賊の引き渡しを拒否。完全に門戸を閉ざしてしまったため、シャムア王軍とセヴォローンの連合軍が教皇の館を包囲。教皇を支持する信者たちとの小競り合いも頻発し、戦いはさらに長引いた。

 この状態は長く続いたが、やがて、果てしなく続くシャムア滞在に危機感を覚えていたフェールは、投石器を用いた強行突入を命じた。ヨマイグ戦で活躍した巨大な投石器は、教皇の館の壁をあっけなく壊し、中にいた教皇や海賊たち全員を捉えることに成功した。

 海賊たちを保護していたことが明確になった教皇たちは人々の支持を失い、海賊ともども公開処刑され、シャムア内紛はようやく終焉を迎えた。

 新教皇職はシャムア王の息がかかった温和な人物に引き継がれ、フェールは目的通りシャムアの英雄扱いとなり、無事に帰国を果たした。



 帰国した日、フェールは王の寝室でひとりきりになると、ずっとポケットにしまっていたアンジェリンの首飾りを久しぶりに手に取った。しばらく眺め、心をこめて口づけを落とした。

「ただいま、アン。無事に生き延びてしまったから、またおまえに会う日が遠のいた」

 安物のガラス玉。強欲武器屋から買った二人だけの思い出が、燭台の明かりで小さな光を放つ。

 泣きそうになる気持ちを押さえながら、首飾りの紐を指に絡めた。

「しばらくは、おまえのことまで手が回りそうにない。落ち着いたら必ず、おまえの墓へ出向こう。それまでは、またしばしの別れだ」

 首飾りを指から外し、小物入れにしている引き出しの奥に押し込んだ。引き出しに鍵を差し込む。

 カチャリ、と鍵がかかる音が静かな寝室に響いた。

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