第48話:北の氷壁と、司令塔の解答
ピーーーーーッ!
主審のホイッスルが高らかに鳴り響き、高くトスされたボールに、両チームのセンターが跳躍した。
身長一九八センチの白石岳と、それをさらに上回る北海大付属の巨漢センター。
バチィッ!
空中で激しく肉体がぶつかり合う鈍い音が響く。白石の鍛え上げられた腕がボールに触れる寸前、相手センターの圧倒的な重量が白石のバランスを空中で強引に崩し、ボールは北海大付属の陣内へと弾き飛ばされた。
「クソッ……!」
着地と同時に体勢を崩した白石が、悔しげに顔を歪める。
「気にすんな白石! ディフェンス戻れ!」
鮫島豪が声を飛ばし、黎明の選手たちが素早く自陣へと戻り、マンツーマンディフェンスの陣形を敷く。
だが、北海大付属の動きは、黎明の予想を遥かに超えて無機質で、かつ洗練されていた。
キュッ、キュッ。
床を擦るバッシュの音すら、軍隊の行進のように等間隔に揃っている。
彼らは一切の無駄口を叩かず、表情一つ変えずにボールを回し始めた。
ポイントガードからウイングへ。そして、ウイングからローポストで強固なポジションを取ったセンターへ。
パスのスピード、タイミング、角度。すべてが機械のように正確だ。
「させかよッ!」
白石が、背後に陣取る巨漢センターに全体重をかけて押し返そうとする。
だが、相手はピクリとも動かない。まるで、巨大な氷の壁を相手に相撲を取っているかのようだ。
ドンッ!
センターが一度だけ力強くドリブルをつき、白石の胸元へ背中をぶつける。
その一撃だけで、白石の体幹がブレ、僅かなスペースが生まれた。
次の瞬間、巨漢センターは滑らかなターンから、全く力みのないフックシュートを放った。
スパッ。
ボールはリングに触れることなく、美しい軌道でネットを揺らした。
『2対0』。北海大付属の先制。
「……はええな。あのデカさで、あんな柔らかいシュートを打つのかよ」
陣内誠が、信じられないものを見るように呟く。
「あれが、全国レベルのセンターだ」
如月蓮が、静かな声で答えた。
「だが、焦る必要はない。俺たちのバスケットをやるだけだ」
蓮はボールを受け取ると、ゆっくりとフロントコートへ運んでいく。
対峙するのは、北海大付属のキャプテンであり、ポイントガードを務める選手。
彼の目にもまた、感情の起伏は一切見られない。ただ、蓮の重心、視線、筋肉の僅かな収縮を、冷徹なセンサーのように読み取ろうとしている。
(……見事なシステムだ。だが、どんなシステムにも必ず『バグ』は存在する)
蓮は、相手の視線を受け流すように、ふわりとチェンジ・オブ・ペースを仕掛けた。
右への鋭いドライブ。
相手ガードが反応し、コースを塞ぐ。
だが、蓮のドライブはフェイクだ。彼の真の狙いは、相手のディフェンスラインを収縮させ、アウトサイドにスペースを作り出すこと。
「陣内!」
蓮の視線とは全く逆の方向、左45度の位置に待機していた陣内へ、ノールックの弾丸パスが飛ぶ。
「もらったァッ!」
陣内が、合宿で何千本と打ち込み、極限まで無駄を削ぎ落とした究極のフォームで跳躍する。
手首のスナップ、ボールの回転、アーチの高さ。
すべてが完璧だった。
――ガガッ!
だが、ボールはリングの奥に弾かれ、外れた。
「なっ……!?」
陣内が、驚きに見開いた目でリングを見つめる。
リバウンドは、圧倒的な高さを持つ北海大付属のセンターに易々と奪われた。
(……フォームは完璧だった。だが、リリースの瞬間に、僅かな『躊躇』があった)
蓮の『限定解析』が、陣内のシュートが外れた原因を正確に弾き出す。
北海道特有の冷涼な空気、全国大会という独特のプレッシャー、そして何より、目の前に立ちはだかる二メートル近い長身ディフェンダーの存在感。
それらが、陣内の無意識の奥底に、微かなノイズを生じさせたのだ。
「走れ! 戻れ!」
蓮の指示が飛ぶ。
だが、北海大付属のトランジション(攻守の切り替え)は、想像以上に早かった。
リバウンドを取ったセンターからの鋭いアウトレットパス。
それを受け取ったフォワードが、猛然と黎明の陣地へと駆け上がる。
「止めるッ!」
黒木凌が、長い腕を広げて立ちはだかる。
だが、相手フォワードは黒木のディフェンスを意に介さず、全くスピードを落とさずに突っ込んでくる。
ドゴッ!
激しい接触。黒木が弾き飛ばされ、ファウルの笛が鳴り響く。
相手フォワードは、体勢を崩しながらも力強くレイアップをねじ込んだ。
「バスカン(バスケット・カウント)! 黒木、ファウル一つ!」
神崎コーチの厳しい声がベンチから飛ぶ。
ボーナススローも確実に沈められ、『5対0』。
第1クォーター開始わずか一分半で、黎明高校は北の王者の圧倒的な『物理的暴力』と『冷徹なシステム』の前に、完全にペースを握られていた。
「……クソッ、なんて重てえんだ」
黒木が、接触した胸元を押さえながら顔を歪める。
「気にするな。ファウルで止めたのは正解だ。あそこで易々と打たせるより遥かにマシだ」
蓮が、黒木の肩を叩いて落ち着かせる。
(相手の2-3ゾーンは、インサイドに絶対的な壁を築きつつ、アウトサイドへのチェックも怠らない。……隙がないように見えるが、彼らの『冷徹さ』こそが、俺たちの付け入る隙だ)
蓮は、コート上の十人の動きを、チェス盤の駒のように俯瞰で捉えていた。
「鮫島、白石。インサイドでの勝負は避けろ。ハイポストでボールを中継し、相手のセンターをペイントエリアから引きずり出すんだ」
「おう!」
「陣内、外れたことは気にするな。お前のシュートフォームに狂いはない。ただ、あのプレッシャーに『慣れろ』」
「……ああ、分かってる」
陣内が、自分の両手を強く叩き合わせて気合を入れ直す。
再び、黎明のオフェンス。
蓮の指示通り、白石がフリースローライン付近まで上がり、蓮からのパスを受ける。
北海大付属の巨漢センターが、ブロックのために一歩前に出る。
その瞬間、ペイントエリアにぽっかりとスペースが生まれた。
「鮫島!」
白石からのバウンドパスが、ゴール下へ飛び込んだ鮫島へと渡る。
「うおおおおッ!」
鮫島が、相手ディフェンダーのブロックを掻いくぐり、力強いダブルクラッチでレイアップを沈めた。
『5対2』。黎明の初得点。
「よしッ!」
ベンチの神崎コーチが拳を握り、橘葵と綾瀬涼香も歓声を上げる。
(……これで、相手のシステムに一つの『エラー』を仕込んだ)
蓮の瞳に、冷徹なハンターの光が宿る。
北海大付属の機械的なバスケットボール。それは、一度想定外のエラー(綻び)が生じれば、連鎖的に崩壊していく脆さを秘めているはずだ。
創部一年目の無名校と、北の絶対王者。
戦術とフィジカル、熱気と冷徹さが交差する第1クォーターの激闘は、まだ始まったばかりだった。
◇
――橘葵のマネージャーノートより。
一九九八年、八月某日。天候、晴れ。
ついに始まった、北海大付属とのインターハイ初戦。
コートサイドから見る彼らは、まるで意志を持った氷の壁みたい。
どんなに激しくぶつかっても表情一つ変えないし、息一つ乱さない。
開始早々、白石くんも黒木くんも、その圧倒的なパワーに弾き飛ばされてしまった。
陣内くんの完璧なスリーポイントも外れて、一時はどうなるかと思ったけど……。
でも、蓮くんの目は死んでいなかった。
彼は、あの恐ろしい怪物たちの動きを、まるで機械の部品を解体するように冷静に分析している。
白石くんのハイポストからのアシストで、鮫島くんが初得点を決めた時、蓮くんの口元が微かに笑ったのを私は見逃さなかった。
きっと、蓮くんの頭の中には、あの氷の壁を打ち砕くための設計図がすでに完成しているんだ。
私も、ベンチからみんなの体力をしっかり管理して、最後まで全力でサポートする。
絶対に、このままじゃ終わらせない!
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