【NBA直前】第49話:反撃の狼煙と、崩れゆく氷壁
第1クォーター終了のブザーが鳴り響き、短いインターバルを挟んで、すぐに第2クォーターが開始された。
スコアは『18対12』。
依然として北海大付属がリードを保っているものの、序盤の圧倒的なペースからは明らかに勢いが落ちていた。
その理由は明確だ。無名校であるはずの黎明高校が、相手の『システム』の隙を正確に突き始めたからである。
「ディフェンス! 足を動かせ!」
キャプテンであり司令塔の如月蓮が、鋭い声でチームを鼓舞する。
北海大付属のオフェンス。巨漢のポイントガードがゆっくりとボールを運び、ハーフコートに強固な陣形を作り上げようとする。
彼らの武器は、徹底的にシステム化されたパターンオフェンスと、インサイドでの絶対的な物理的優位だ。無駄な動きを削ぎ落とし、最も確率の高いゴール下での得点に固執する。
だが、蓮の『限定解析』は、その冷徹なシステムに潜む致命的な弱点をすでに暴き出していた。
(システムが完璧であればあるほど、イレギュラーに対する修正能力は低い)
「黒木、行け!」
蓮の指示を受けた黒木凌が、長い腕を広げ、相手のパスコースへと猛然と飛び出した。
合宿で橘葵から徹底的に叩き込まれた、股関節の柔軟性と低い重心移動。
手足が長いため腰が高くなりがちだった黒木だが、足底のアーチでしっかりと床を掴み、膝と股関節を連動させた『正しいディフェンス・スタンス』を維持し続けている。
これまで感覚だけでバスケをしていた黒木は、理論に裏打ちされた完璧なディフェンス・ステップを手に入れていた。
その恩恵は、スタミナの温存だけではない。初動の反応速度が劇的に向上しているのだ。
――バシッ!
相手がセオリー通りにウイングへパスを出そうとした瞬間、黒木の長い腕がボールを弾き飛ばした。
「スティール!」
ルーズボールにいち早く反応したのは、誰あろう蓮だった。
北海大付属の選手たちがディフェンスへの切り替え(トランジション)を行うよりも速く、蓮はすでにフロントコートへと駆け出している。
相手の2-3ゾーンが陣形を整える前に攻め切る『アーリーオフェンス』。
しかし、北海大付属も全国レベルの強豪だ。巨漢のフォワードが必死に食らいつき、蓮のドライブコースを塞ぎにかかる。
だが、蓮は最初から自分で決めるつもりはなかった。
ドリブルのスピードを一切落とさないまま、視線はリングを捉え、右手首だけを鋭く返す。
ボールは、後方から猛スピードで走り込んできた陣内誠の胸元へと、寸分の狂いもなく吸い込まれた。
「陣内!」
左45度。スリーポイントラインのわずか手前。
第1クォーターでは、独特のプレッシャーと躊躇いからシュートを外してしまった場所だ。
だが、今の陣内に迷いはなかった。
直前合宿での、極限状態でのシューティング。息が上がり、腕が上がらなくなるまで打ち続けたあの地獄に比べれば、今の疲労など無に等しい。
ボールを受け取った勢いそのままに、陣内は滑らかに跳躍した。
(下半身の力を連動させ、リリースポイントを高く……!)
指先から放たれたボールは、高いアーチを描いて空中を舞う。
会場中の視線が、そのボールの行方に釘付けになる。
――スパァァァンッ!!
リングに触れることすらなく、ボールがネットを揺らした。
「っしゃああああっ!!」
陣内が、力強く拳を握りしめて吠える。
『18対15』。その差はわずか3点に縮まった。
「ナイスシュート、陣内!」
鮫島豪が陣内の背中をバシッと叩き、白石岳も無言でハイタッチを交わす。
ベンチでは、神崎コーチが満足げに腕を組み、データ分析の綾瀬涼香がノートPCの画面を見つめながら口角を上げていた。
「……相手のディフェンスラインが、明らかに広がり始めました」
涼香の分析通り、陣内のスリーポイントを警戒し始めた北海大付属のゾーンディフェンスは、外郭への意識を強めざるを得なくなっていた。
強固な氷の壁が、内側から少しずつ溶け始めている。
第2クォーター後半、北海大付属のゾーンが広がった隙を見逃さず、インサイドでの攻防が激化する。
白石がポストで面を張り、相手の巨漢センターと激しく体をぶつけ合う。
「うおおおおッ!」
体重差は圧倒的だ。しかし、白石はただ力任せに押し返しているわけではない。
蓮から教わった通り、骨盤を後傾させず、背骨のS字カーブを保ったまま、相手のベクトルを上手く床へと逃がしている。
筋力ではなく『骨格』で相手の重さを支えることで、無駄なエネルギーの消耗を防いでいるのだ。
「……タイムアウト!」
インサイドでも容易に押し込めなくなった状況にたまらず、北海大付属のベンチが動いた。
試合開始から一糸乱れぬ動きを見せていた彼らの表情に、初めて『焦り』の色が浮かんでいた。
無名の新設校である黎明高校が、開催地代表の絶対的なシステムを崩しにかかっている。
アリーナを包み込んでいた地元応援団の歓声も、いつの間にかどよめきへと変わっていた。
ベンチに戻ってきた選手たちに、神崎コーチがスポーツドリンクを手渡す。
実家が鍼灸整骨院である葵は、素早く選手たちの筋肉の張りを確認し、手際よくコールドスプレーを当てていく。
「鮫島くん、大腿四頭筋が少し張りすぎてるわ。着地の時に膝だけで衝撃を吸収しようとしてる証拠よ。もっと股関節を使って!」
「わ、分かってるよ! つーか冷てえッ!」
葵の的確なケアとアドバイスが、選手たちの疲労を最小限に抑え込んでいる。
「いい流れだ」
神崎コーチが、選手たちの顔を見渡して深く頷く。
「陣内の外角が当たり始めたことで、相手のインサイドに必ずスペースができる。第2クォーター後半は、そこを鮫島と白石で徹底的に抉り出せ」
「おうッ!」
鮫島が、汗を拭いながらギラギラとした笑顔を見せる。
「北海道のデカブツどもに、俺たちの機動力を見せつけてやりますよ」
蓮は、静かに呼吸を整えながら、手渡されたタオルで額の汗を拭った。
(相手は機械じゃない。焦り、迷い、疲労する。……システムにエラーが生じた今、一気に逆転まで持ち込む)
タイムアウト終了のブザーが鳴る。
コートへ戻る選手たちの背中は、第1クォーターの時よりも遥かに大きく、頼もしく見えた。
黎明高校の反撃の狼煙は、今まさに高々と上がったのである。
◇
――橘葵のマネージャーノートより。
一九九八年、八月某日。天候、晴れ。
インターハイ初戦、第2クォーター。
北海大付属の圧倒的なフィジカルと、氷のように冷たいシステム。
最初はプレッシャーに押されてしまったけれど、みんなの目は死んでいなかった。
黒木くんの見事なスティールから、蓮くんの完璧なパス。
そして、陣内くんの美しいスリーポイントが決まった瞬間、私、思わずベンチで立ち上がって叫んじゃった。
あんなに過酷だった合宿の成果が、この全国の舞台でちゃんと実を結んでいる。
相手のシステムが崩れ始めた今、ここからが本当の勝負。
白石くんも鮫島くんも、ゴール下で闘志を燃やしている。
みんなの汗が、流れるようなプレーが、コートで輝いている。
私も、しっかり声を出して、ベンチからみんなをサポートしなきゃ。
いける。絶対に、勝てる!
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