【NBA直前】第43話:王者の終焉と、新たなる頂
ピーーーーーッ!
陣内誠の放ったスリーポイントシュートがネットを揺らし、スコアボードの数字が『52対53』に変わった瞬間、帝陵高校ベンチがたまらずタイムアウトを要求した。
残り時間は、わずか五十八秒。
県大会五連覇の絶対王者・帝陵高校が、創部一年目の無名新設校を相手に、ついに1点差まで追い詰められたのだ。
「しゃあぁぁぁッ!!」
陣内が拳を天に突き上げ、黎明高校のベンチは総立ちとなって歓喜の声を上げた。
だが、コートから戻ってくる5人の肉体は、限界という言葉すらとうに超えていた。
「ハァ……ハァ……っ!」
白石岳がパイプ椅子に倒れ込むように座り、巨大な肩を激しく上下させる。百十キロの体重を支え続けた両脚は、すでに鉛のように重く、小刻みに痙攣を始めていた。
鮫島豪も、右脇腹の痛みに顔を歪めながら、スポーツドリンクを頭からかぶっている。
俺――如月蓮も、ベンチに座りながら深く息を吐き出した。
心拍数は百五十を優に超え、全身の筋肉が酸素を求めて悲鳴を上げている。前世の知識でどれほど効率的に動こうとも、肉体はまだ十五歳の未完成なままだ。王者の放つプレッシャーと肉弾戦をいなし続けた代償は、確実に蓄積していた。
「みんな、よく耐えたわ! あと少し……あと少しよ!」
橘葵が、涙ぐみながら手際よく全員の首筋に氷嚢を当て、電解質ドリンクを手渡していく。
「心拍数も呼吸もレッドゾーンだけど、ここまで来たら気力勝負よ! 絶対に勝てる!」
綾瀬涼香も、分厚いスカウティングノートを抱きしめ、眼鏡の奥の瞳を熱く潤ませていた。
「データ上の勝率は、完全に五分五分に持ち込んだわ。……あとは、コート上のあなたたちが、どちらがより勝利を渇望しているかよ」
「……ああ、分かっている」
俺は立ち上がり、汗に濡れた顔をタオルで拭った。
円陣を組む。白石、鮫島、黒木、陣内。
誰もが疲労困憊で、立っているのもやっとの状態だ。だが、その瞳の奥には、王者に対する怯えなど微塵もなく、ただ勝利への純粋な飢えだけがギラギラと燃え盛っていた。
「残り五十八秒。相手は間違いなく、エースの赤沼にボールを集めてくる」
俺は静かに、だが力強く告げた。
「赤沼の突進を、一人で止める必要はない。黒木、お前がディレクションでコースを限定し、白石と鮫島でペイントエリアの壁を作れ。ファウルは絶対にするな。タフショットを打たせて、確実にリバウンドを拾うんだ」
「おう……任せろ」
黒木凌が、血の滲んだ唇の端を吊り上げて頷いた。
「俺たちの泥臭いバスケ、最後まで見せつけてやるぜ」
鮫島が拳を打ち鳴らし、陣内が「絶対に全国へ行くぞ!」と吠えた。
ピーーーーーッ!
タイムアウト終了のブザーが鳴り響く。
コートへ戻る両チーム。
帝陵高校の主将・赤沼の顔には、かつての王者の余裕は消え失せ、剥き出しの殺意と焦燥感が張り付いていた。
「一本……! 絶対にこの一本を決めるぞォォッ!!」
赤沼の咆哮とともに、試合が再開された。
帝陵ボールのスローイン。
ボールは当然のように、トップの位置で待つ赤沼へと渡った。
残り四十五秒。
赤沼が、低いドリブルで間合いを詰めてくる。
マッチアップするのは黒木凌。
二メートルに迫る長いウイングスパンを広げ、赤沼のヘソの中心軸を捉えたまま、半歩の距離を保つ。
「どけェッ、一年坊主ゥッ!!」
赤沼が、力任せのドライブを仕掛けてきた。
限界を超えた筋肉に鞭を打ち、強引に右サイドを抉ろうとする。
「行かせるかッ!」
黒木が食らいつく。激しいコンタクト。骨と骨がぶつかり合うような鈍い音が響く。
だが、黒木は決してファウルを犯さず、執念のスライドステップで赤沼をペイントエリアの奥深くへと追い込んでいく。
「ヘルプ!」
俺の指示と同時に、白石と鮫島がゴール下で分厚い二枚壁を形成した。
赤沼の視界が完全に塞がれる。
パスコースはない。
残り三十秒。ショットクロックが残り五秒を切る。
「うおおおおぉぉッ!」
赤沼は空中で強引に身体を捻り、三人のブロックをかわすようにして、苦し紛れのフェイダウェイシュートを放った。
空中で体勢を崩したシュート。
ボールは、リングのバックリムを激しく叩いて大きく跳ね上がった。
ガガッ!
「リバウンドォォッ!!」
鮫島と帝陵の巨漢センターが同時に跳躍する。
鮫島は前へ突っ込む悪癖を完全に封印し、地上でしっかりとボックスアウトを決めてから垂直に跳んだ。
バシィッ!!
鮫島の両手が、空中でボールをがっちりと鷲掴みにした。
「取ったぞォォッ!!」
鮫島の咆哮。
残り二十二秒。
スコアは『52対53』。
黎明高校、逆転を懸けたラストオフェンス。
「走るな! 時間を使え!」
俺は右手でゆっくりとボールを運びながら、前線へ走ろうとした味方を制止した。
ここで早く攻めてシュートを外せば、相手に最後の攻撃権を渡してしまう。
残り時間をギリギリまで使い、ラストワンプレーで逆転のシュートを沈める。それが、最も確実な勝利の数式だ。
十秒、十五秒、二十秒……。
アリーナ全体が、息を呑んでカウントダウンを見守っている。
帝陵高校のディフェンスは、死に物狂いのプレッシャーをかけてきた。
赤沼が俺の目の前で、なりふり構わず身体をぶつけてボールを奪いにくる。
「ボールを寄越せェッ!!」
赤沼の鬼気迫る形相。
だが、俺の心臓は、この極限のプレッシャーの中にあっても、恐ろしいほどに冷徹なリズムを刻んでいた。
(相手の重心が、前へ完全に傾いている。……焦りが、足首のクッションを硬直させている)
残り八秒。
俺はドリブルのリズムを急激に落とし、右足の母指球でブレーキを踏んだ。
チェンジ・オブ・ペース。
「なっ……!?」
前へ突っ込もうとしていた赤沼の重心が、俺の急減速に対応できず、慣性の法則によって前方へ大きく流れた。
そのコンマ一秒の隙。
俺は脱力した低い姿勢から、赤沼の左脇を切り裂くように一気にトップスピードへ加速した。
「抜かれた! カバーだ!!」
帝陵のセンターとフォワードが、慌ててペイントエリアへ収縮してくる。
俺のドライブに対して、完全に三人掛かりの包囲網。
だが、それこそが俺の狙いだった。
相手ディフェンスの意識がすべて俺に集中した瞬間、俺はノールックで背後へボールを弾き出した。
――ビュンッ!
空気を切り裂くバウンドパス。
ボールの先には、ハイポスト(フリースローライン)で完全にフリーになっていた白石岳がいた。
「白石ッ!!」
俺の叫び声。
残り三秒。
白石はボールをキャッチし、リングを見上げた。
中学時代、走ることを強要されて膝を壊し、バスケットボールを諦めかけていた巨漢。
『お前の柔らかい手首は、世界一の武器になる』
蓮の言葉を信じ、泥臭く体幹を鍛え、ハイポストからのシュートを何千本と打ち込んできた。
今、その努力のすべてを、この一投に込める。
白石は深く膝を曲げなかった。
骨盤で体重を受け止め、母指球から背筋へ、そして指先へと力を滑らかに伝達させる。
フワリ、と。
巨漢からは想像もつかないほど、柔らかく美しい放物線。
ブォォォォォッ!!
試合終了のブザーが鳴り響く中、ボールはリングの中央へと吸い込まれた。
――スパァァァンッ!!
『54対53』。
逆転。サヨナラ。ブザービーター。
静寂。
そして――メインアリーナ全体を吹き飛ばすような、狂乱の大歓声が爆発した。
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉッッ!!!!」
「勝った……! 黎明が、あの絶対王者・帝陵を倒したぁぁぁッ!!」
白石は呆然とリングを見上げ、それから両手で顔を覆ってその場に泣き崩れた。
鮫島が咆哮しながら白石に飛びつき、陣内と黒木も涙を流して抱き合う。
ベンチから神崎コーチや控えの選手たち、そして葵と涼香が雪崩を打ってコートへ駆け込んできた。
「蓮くんっ……!!」
葵が号泣しながら俺の胸に飛び込んできた。涼香も眼鏡を外し、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
俺は汗まみれの仲間たちに揉まれながら、天井の眩しい照明を見上げた。
心拍数は限界を超え、身体中が悲鳴を上げている。
だが、胸の奥から湧き上がるこの熱い感情は、前世のどんな勝利よりも誇らしく、輝いていた。
創部一年目、無名新設校の奇跡。
科学と知性、そして泥臭い絆を武器にした黎明高校が、県大会五連覇の絶対王者を打ち破り、ついに『全国』への扉をその手で押し開けた瞬間だった。
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