第42話:魔の最終ピリオドと、科学の残照
ピーーーーーッ!
第4クォーターの開始を告げる無機質なブザーが、静まり返ったアリーナに鋭く響いた。
スコアボードは『43対45』。黎明高校、2点のビハインド。
残り時間は、泣いても笑っても最後の10分間。
コートへ足を踏み入れる黎明の5人の足取りは、誰の目から見ても明らかに重かった。
前半から小林を挟んでタイムシェアを徹底し、ハーフタイムには葵が完璧なアイシングと電解質補給を施した。
だが、それでも――成長期にある1年生の肉体では、過去の実績を持つ強豪校が放つ「重圧」と「肉弾戦」のダメージを完全に相殺することは不可能だった。
「ハァ……ハァ……っ」
白石岳の巨体が、立っているだけでも小刻みに震えている。
鮫島豪も、右の脇腹をかばうように肩を落とし、顔を歪めていた。
一方の帝陵高校。
彼らもまた、極限の疲労状態にあったはずだ。だが、強豪校としてのプライドが、彼らの眼光から一切の曇りを消し去っていた。
「……息の根を止めろ」
赤沼が、血走った眼で低く唸った。
「たかが一年坊主に、これ以上夢を見させるな。俺たちの3年間のすべてを懸けて、ペイントエリアに分厚い壁を作れ! ゴール下には絶対に一歩も立ち入らせるなッ!」
「「オオォッッ!!」」
帝陵の5人が、地鳴りのような咆哮を上げた。
第4クォーター。帝陵が選択したのは、前線からの狂暴なプレスではない。
極端にインサイドに引いたサグオフしたマンツーマンディフェンスで、極限までフィジカルを前面に押し出した『強固なシェルディフェンス(亀の甲羅)』だった。
黎明ボールで試合が再開される。
俺――如月蓮がフロントコートへボールを運ぶが、帝陵のディフェンダーたちはスリーポイントライン付近に強固な防壁を築き、中へ入り込む隙間を一切与えない。
「外は捨てろ! ドライブだけ絶対に潰せ!」
帝陵ベンチからの指示通り、赤沼が俺の前に立ちはだかり、露骨に胸と腕をぶつけてくる。
(チッ……完全にインサイドを封殺しにきている……!)
俺は冷静にドリブルを突きながら、味方の配置をスキャンした。
白石がハイポストでボールを受けようとするが、帝陵の巨漢センターが背後からガッチリと密着し、激しい押し合いでポジションを奪わせない。
「オラァッ! 押し負けんなデカブツゥッ!」
相手センターが、白石の腰へ全体重をぶつけてくる。
「うぐっ……!」
白石が悲鳴を上げ、たまらずパスコースから弾き出される。
鮫島がローポストでボックスアウトを試みるが、ここでも帝陵のフォワード二人がかりの激しいフィジカルコンタクトに遭い、身動きが取れない。
(この時間帯でのこのパワー……これが、強豪の底力か)
俺の脳裏で、冷徹な分析が続く。
陣内がスリーポイントラインの外でパスを要求するが、相手ディフェンスは陣内の『ワンモーション・スリー』を完全に警戒し、一切の隙間を与えずに張り付いていた。
「24秒バイオレーション、気をつけろ!」
ベンチから神崎コーチの鋭い声が飛ぶ。
パスコースが、ない。
ショットクロックは残り5秒。
「……ッ!」
俺は意を決して、自らドライブを仕掛けた。
赤沼の横を強引にすり抜けようとするが、俺の太ももの筋肉も、連戦の疲労で悲鳴を上げていた。
踏み込みの一歩が、コンマ数秒遅い。
「甘えんだよォッ!」
カバーに飛び込んできた帝陵のフォワードと赤沼のダブルチームに完全に挟み込まれ、俺のレイアップは無残にもブロックに叩き落とされた。
――バシィッ!
「ルーズボール!」
こぼれ球を拾った帝陵が、一気に速攻へ走る。
白石と鮫島の戻りが遅い。
黒木が必死にチェイスするが、赤沼が鮮やかなレイアップをねじ込んだ。
『43対47』。
点差が4点に開く。
「くそっ……!」
俺は床を叩き、荒い息を吐いた。
ベンチでは、葵が悲痛な顔でストップウォッチを握りしめていた。
「ダメ……みんな、完全に足が止まりかけてる。心拍数もレッドゾーンギリギリよ……!」
「帝陵は、体力の限界を超えて精神力(根性)だけで動いているわ」
涼香がノートPCの画面を見つめながら、爪を噛む。
「理屈じゃない。あの意地は、データでは推し量れないわ……!」
第4クォーター中盤。残り5分。
スコアは『47対53』。
黎明のオフェンスは完全に沈黙し、点差はじりじりと6点まで広がっていた。
俺の息も上がり、肺が焼けつくように熱い。
だが――俺の視界は、限界の極致において、むしろ恐ろしいほどに澄み渡っていた。
(相手も限界だ。……いや、すでに限界はとうに超えている)
俺は赤沼の足元を見た。
彼のステップは、先ほどまでの鋭さを完全に失い、踵から着地するようになっている。
帝陵のセンターも、肩で息をし、膝に手をつく回数が増えている。
(精神力で肉体の限界を誤魔化しているだけだ。水も飲まず、科学的なリカバリーもせず、ただ昭和の根性論だけで走り続けた代償……それが、今この瞬間に現れる)
ピーーーーーッ!
「タイムアウト、黎明高校!」
帝陵にシュートを決められた直後、神崎コーチがオフィシャルズテーブルに請求していたタイムアウトが認められた。
「……みんな」
ベンチに戻ってきた俺は、息も絶え絶えの4人を集めた。
「相手の足は、もう動かない」
俺の静かな声に、陣内たちが顔を上げる。
「前半、俺たちが徹底してきたタイムシェアと、葵が管理してくれた水分・電解質補給。その『科学の差』が、ここから如実に現れる。俺たちの筋肉には、まだ最後のひと踏ん張りをするだけのグリコーゲンが残っているはずだ」
俺の言葉に、白石が、鮫島が、黒木が、そして陣内が、ゴクリと喉を鳴らした。
「相手がハーフコートで待ち構えるなら、もう一度、白石のハイポスト配球から崩す。鮫島、相手のセンターに張り付け。スクリーンをかけて、白石をフリーにしろ。……黒木、陣内。相手の足が止まった瞬間を見逃すな。絶対に、裏のスペースが空く」
「……おうよ」
鮫島が、血の滲むような笑みを浮かべた。
「俺たちの泥臭いバスケ、最後まで見せつけてやろうぜ」
「蓮くん……僕、もう逃げないよ」
白石が、顔を上げて力強く頷く。
俺は4人の背中を押し、コートへと戻った。
残り3分。
黎明の反撃が、静かに、しかし確実に始まった。
俺がボールを運び、トップの位置で構える。
帝陵のディフェンスは、依然としてペイントエリアを固めている。
「白石!」
俺のコールに合わせて、白石がハイポストへと駆け上がる。
帝陵のセンターが、重い足取りで白石へチェックに行こうとする。
「行かせるかァッ!」
そこへ、鮫島が猛然とダッシュし、帝陵のセンターの進路に分厚い壁をセットした。
ドスンッ!
鈍い音が響き、帝陵のセンターが完全に足止めを食らう。
「ナイススクリーンだ、鮫島!」
フリーになった白石へ、俺からパスが通る。
ハイポストでボールを収めた白石。
相手ディフェンスの視線が、一斉に白石へと集中した。
その瞬間――。
「黒木!」
白石の口から、初めて大きな声が発せられた。
左ウィングから、黒木が音もなくバックカットを仕掛ける。
「しまっ……!」
赤沼が慌てて追おうとするが、疲労で硬直した足は、コンマ数秒の反応の遅れを生んでいた。
白石の手首のスナップから、黒木へ完璧なバウンドパスが通る。
黒木はそのままレイアップをねじ込んだ。
――バスッ!
『49対53』。4点差。
「よしッ!」
ベンチで葵が飛び跳ね、涼香が小さくガッツポーズを作る。
「まだだ! もう一本!」
続く帝陵のオフェンス。
赤沼が強引なドライブを仕掛けるが、黒木が執念のディレクションでコースを限定し、最後は鮫島と白石の二枚壁が立ちはだかる。
苦し紛れのシュートはリングを外れ、鮫島がリバウンドをもぎ取った。
「走れ、陣内!」
鮫島から俺へ、俺からフロントコートを疾走する陣内へ。
陣内はスリーポイントラインの外でボールを受け取ると、迷わず跳躍した。
帝陵のディフェンダーのブロックは、もう届かない。
陣内の指先から放たれたボールが、美しい放物線を描いてネットを揺らした。
――スパァァァンッ!
『52対53』。ついに、1点差。
「うおおおおぉぉぉッ!!」
アリーナが、狂乱の渦に包まれる。
残り1分。
限界の向こう側で、1点差のシーソーゲーム。
科学と知性の証明が、強豪校の首元へ刃を突き立てていた。
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